参
「ごめんなさい!!遅刻しましたぁ」
全力疾走で向かったところは、路地裏だった。一日でこんなに何回も路地裏に行くなんて、と思ったがまぁいい。
ねね子と名乗った彼女は2人の男性に声をかけた。
「ほんっとごめんなさい!ついのうっかりで!!」
「ねね子、10分の遅刻。俺たちだからまだいいけどよ。新規の客だったら終わりだぞ」
口を開いたのは、2人のうちの1人。歳は五十代前後に見える男性。スーツを着こなし、少し眉間にシワが寄っている。彼女が遅刻したことに怒っているのだろうか。別に恰幅な感じは無いのに存在がデカく見える。圧だ。
少し強面。若かりし頃はイケメンだったであろうと感じさせる風格。これを俗に言うイケおじってやつなんだと思った。
「分かってますよー」
こいつ、言い回し的に反省してるように見えない。下唇を突き出して、凹み気味の顔を作っている。そんなことより俺は、圧があるイケおじの方に対して軽く対応する彼女にびっくりしていた。
イケおじさんは「しょうがないな」と笑っていたから、そんなに怒ってなかったようだ。俺は勝手に安心した。
「ねね子ちゃーん、まだターゲット来てないから大丈夫だよー」
次に口を開いたのは、もう1人。二十代後半ぐらいに見える男性。手をヒラヒラさせながらニコニコと笑う。彼女のことを超絶甘やかしてるのだと、すぐ分かるぐらいの態度だった。
イケおじさんと違い、こちらは白パーカーにデニムのジャケットというカジュアルな印象。なんていう服の違い。
白パーカーさんの声を聞き、彼女は口を尖らせながら申し訳なさそうにペコッと頭を下げた。
「まぁ、いい。その前にこの子は誰だ」
俺はビクッとする。イケおじさんが、俺の方を見た。眼差しの圧が、すごいです、、。
なんて言えはしなかったが。
「まつりくん!今日から私の助手」
「え、」
俺の口から声が漏れた。
「おう、そうか。この子は大丈夫なのか」
イケおじさんが腕を組んで俺を見たあと、彼女の方を心配そうに見た。
「うん、平気。まつりくんは信用できる」
彼女は笑顔で親指を立たせて、グッジョブポーズをした。
いやいや、こいつは何を言ってるのだろう。
「それに、何尚屋向いてると思うよ」
「そっか〜、ねね子ちゃんいい相棒出来て良かったね」
白パーカーさんがニコニコしながら彼女に笑いかけた。
「はいっ」
彼女は嬉しそうに笑った。
いや待て、俺助手とか相棒とかなんにも了承してないんだけど。
「ちょ、ちょっと待って」
勝手に話が進んでくのを止めるため、口を挟む。
「俺、まだ正式にやるって言ってないけど、」
「うん」
彼女は何も否定せずにコクリと頷いた。
* * *
さっきの信号機待ちにて。
「私と一緒に何尚屋しよう!」
「…は?、、、それはどういうことだ」
は?のあとに間があるのはしょうがない。こいつのせいだ。
「私が店長だからね、まつりくんは、私の助手!」
「…助手って、何」
まただ。名詞は知っているが何を言ってるか理解出来ないやつ。
「納得してない感じ〜?うーん、そうだバイトだよ!バイトー!」
指をパチッと鳴らしてドヤ顔を決めた彼女。
「バイトで助手?」
「うん、そお!ちゃんとお駄賃も払いますよ〜」
手を擦り合わせ、スリスリしながらニヤニヤする彼女。
「お駄賃って、せめてバイト代って言えよ…」
ガキをあやしている気分になるのは何故だろう。
「そうそうバイト代ね、どう?一緒にやらない?」
「…まだいいや。何尚屋のこともあんたのこともよく知らないし」
上手く断れたと思う。さすが俺。
「え〜、わかった」
思ってたより早く引き下がったな、こいつ。
言えば伝わるし、意外と素直なのかも。意志を伝え合えない猿じゃあるまいし。
「あ!あお!信号!走るよ!まつりくん!」
「え、」
腕を引っ張られて走り出す。
「今日だけ、今日だけでいいからさ。助手してくれない?手が欲しいの」
「…今日だけ、なら、まぁいいけど」
「よしっ!じゃあ遅刻しないよーに走るぞー!!」
「走るくらいなら最初から遅刻するなー」
わははと笑いながら走る後ろ姿を追いかけて、ここまで来た。
* * *
「ね、だから、助手じゃないって」
「でも、私がもう決めたんだもん。まつりくんを助手にするって」
「えぇー、言ってることと違う」
困るしかない。理不尽すぎる。
「それにさっき、“まだ”って言ったでしょ。ってことは、いつかはやるんじゃん」
「え、あ、それはさ、」
「何尚屋のことと、私のことをもっと知ったらやってくれるっいう言い方だったよ?」
上手く断ったはずだったのに、、。
「いや、あ〜、うん、そうだね」
こんなに自信満々に言われたらなんと言えばいいのか分からない。
「うん、大丈夫。まつりくんなら、ね」
それに人と関わって、人として必要とされることが久しぶりだったから、、。少しだけ、嬉しかった、気持ちが、あるようなないような。やっぱり認めるのは悔しかった。ちゃんと自分の気持ちを分からない自分がどこかに居た。
あれ、、
「いやいや、大丈夫って自信満々だけど
今日初対面だよ?!」
彼女は「あ、」とびっくりした顔をしたが、すぐにニコリと笑い、頷いた。
「では、依頼に移りましょうか」
俺に背を向けて、男性2人に向き合う。
「おい、ちょっと、ねね子!スルーするなー!」
「違うよ、まつりくん。ねね子、さん、だよ」
振り返って、チッチッと人差し指を立てて言う。
大声を荒らげてしまったことを後悔したのと同時に少しの恥ずかしさが出てくる。
「どっちでもいいだろ!」
また大きな声を出して、恥ずかしさを吹っ飛ばす真似をする。
ねね子が「えーっ」と不貞腐れた顔をした。
「今日初めて会ったのか、仲がいいね〜」
「でしょ〜」
若い男性の白パーカーさんが声を出したことで俺たちの会話に区切りが着いた。
“仲がいいね”という言葉に対して、堂々と自慢げに同意するねね子。やはり、こいつの生態、わからない。
「お、仲良し会話終わったか」
イケおじの男性が淡々と言う。
こんな人が仲良しとか言うとどこかギャップがあり、違和感を感じてしまった。
「今日のことについて、簡単に説明しとく」
「はい」
ねね子の顔つきが少し大人っぽくなった。
俺はまた少し驚いてしまった。真面目になったねね子を見て俺の背筋も自然の伸びた。
「ターゲットは、コードネーム黒猫」
聞き馴染みのない単語が出てきた。
「え、コードネーム?」
「まつりくん、あとで説明してあげる」
俺だって大事な依頼とやらの話をしてる時に口を挟むような男じゃない。でも口に出てしまったので、しょうがない。ねね子は説明してあげると俺を制した。年上っぽい。
「続けるぞ。外見性別は女。身長はそうだな、ねね子より十センチくらい大きいはずだ」
「意外と身長ありますね」
「うん、そうだね。茶髪の肩ぐらいまでのボブヘア。スレッドの入ったタイトなドレスワンピースを着ている率高め、だそうですよ」
「…なるほど」
ねね子は男性2人と意味の分からない会話を繰り広げていて、俺は何も言わずに聞くに至る。
「ねね子、手届くか?」
「なんとかします」
ねね子は顎に指を置いて考える仕草をした。うーんと小さく唸ってる。
男性2人はねね子を探るようにじっと見ている。何か緊張しているように見える。
空気も緊張し、少し冷たくなった。
ゲラゲラ笑って話してたねね子が黙ると、こんなに路地裏って冷たく感じるのか。
いや、この依頼のせいなのか。
真相は分からないが俺も男性2人や空気と同じように緊張して、伸びた背筋が固まる。
「ごめんね、ねね子ちゃん」
「ん?なんですか?」
そんな空気を終わらせたのは若い白パーカーさんだった。
「考えるとこ悪いんだけどさ。まつりくん、だっけ?」
急に見られ、聞かれ、慌ててコクっと頷ずく。
「何も知らずにこんな会話聞いてたら怪しいよね、俺たち。とりあえず紹介してくれないかな?」
その通りだ。俺はこの2人を怪しんでるし、ねね子なんか未成年でもっと正体不明だ。
白パーカーさんはヘラッと笑って頭をかいた。救いの人だ。
「そうだな、少し状況に慣れてしまっていた」
イケおじさんも頷いた。
「あー、ごめんね、まつりくん。忘れてた」
1番悪いと思ってない顔でねね子が俺に向かってパチンと手を合わせた。
その顔を見て、やっぱりこいつはこういうやつだと思った。分かりやすくどんなやつか説明しろと聞かれたら困るが。
「えっとー、こちらが華松樹さん」
はなまつ、いつき。
ねね子が手を向けた相手はイケおじ男性の方だ。年齢にしては名前が若い…。いや、悪くないけどさ、と勝手に思った。
華松さんは頭を軽く下げた。俺もすぐに返した。
「樹でいい。華松だと、噛むやつが出てくるからな」
そう言ってねね子の方をニヤリと見た。
「うるさいなぁー、まつりくん、樹ー!って呼んでいいからね」
ペシッと華松さん、いや樹さんがねね子の頭を軽く叩いた。
ねね子は頭を手で撫でながらムッスーとした顔をした。
叩いた当のご本人は、ガン無視だった。
「もぉー。ごほん、それで、こっちが溝ノ口 淳之介さん」
切り替えるために拳を口の前に置き、1回咳をしたあと、話し始めるねね子。
みぞのぐち、じゅんのすけ。
やはりねね子が手を向けたのは若い白パーカーの男性が。
年齢にしては名前が老いてる…。そして、“の”が多いな。
ねね子、名前逆に覚えてないか?と聞きたくなった。が聞かなかった。
「よろしくね、まつりくん。」
溝ノ口さんはニコッと笑い俺に握手を求めてきた。
少し驚きながら握手した。高校生相手にしっかり握手できる大人が少しかっこいいと思った。本日2度目の握手だ。
ねね子はその様子をニコニコしながら見て、言った。
「樹さんは私が子供の頃からの知り合いなの。溝ノ口さんは最近」
「ねね子のおじいさんと腐れ縁なんだよ」
とイケおじの方が。
おじいさんってねね子が尊敬してる何尚屋立ち上げたおじいちゃんか、と思い出す。
「ねね子ちゃんー、最近は最近なんだけどさぁ、その紹介じゃなくてもいいんじゃない?」
と白パーカーさんが。
えー、とねね子は笑っていた。
やっぱり、名前、間違ってなかったんだ。その思考回路が俺の脳みそを支配していた。
「それで、2人とも刑事さんなの」
「へぇー、え?けい「しーっ!」
俺が最後まで言う前にねね子が俺の口を手で塞いだ。
「ここでそんなこと言ったらバレちゃうでしょ」
刑事と普通に会話してる女子高生。女子高生に意味が分からない話をしている刑事。
訳が分からない。
それになにが誰にバレるんだろう。
そう思ったけど、あとでまた聞こうと思った。今聞いても「後でね」って言われると思ったから。
もう一度男性2人の顔を見た。
確かに、樹さんは刑事顔をしている気がするし、溝ノ口さんも刑事と言われれば何となくしっくり来る気もした。
「ふふっ、2人とも言われたら刑事に見えるでしょ」
「そうだな…ってすぐ笑うんじゃない!」
またねね子に茶化され、俺は少しの怒りを込めて軽く言う。
そんな流れも恒例のようになってきた。
その様子を刑事さんが微笑ましい顔で見ている。
少し気恥しい。
「あ、ちょ、来るっ」
俺の肩を叩いてねね子が急に焦り始めた。
「え、何」
「来たか」
「はい」
「準備しましょうか」
よく分かってない俺と動き始める刑事2人。
「まつりくん、これ」
ねね子は持ってきた荷物を俺に渡した。
その荷物は大きなボストンだった。
何尚屋を出る直前に取ってきてたやつだ。
「なに?」
「中にパーカー入ってるから、着て」
チャックを開けると中にグレーのパーカーが入ってる。
「なんで?いや言われたから着るけどさ」
俺はねね子に反抗するのを辞めた。そうさせたのは俺の諦めか、ねね子の勢いか。それ以外のなにかかもしれないけど。
「君、今制服だよ。なんかあったとき困るでしょ」
ほんとだ。また自分の着ている制服を見下ろす。
今日1日で何度、入学式があったのは今日か、と思ったのだろう。
とりあえずパーカーを上から被る。
ねね子はボストンをぐちゃぐちゃに小さく畳んでポシェットに押し込んだ。
その代わり、中から黒い革手袋を出した。
よくポシェットにそんな入ってるなと思った。
某国民的アニメの四次元ポケットのようだ。
ねね子は、ずっと付けている白い手袋の上から黒い革手袋を付ける。
清い純白から何も無くなる闇に変わる瞬間を見たようだった。ねね子の中でもなにか変わったようだった。
「よし」
ねね子は小さく声を上げ頷いた。
「樹さん。私行けます」
顔を上げまっすぐ樹さんの顔を見る。
その眼差しは初めて見るものだった。
俺はびっくりして、ねね子の顔をガン見してしまった。少し口が空いていたかもしれない。
樹さんは頷ずき、耳に手を置いた。
その耳にはイヤホンが着いていた。
あ、刑事ドラマとかで見るやつだ、不意に思った。
「こちら、華松!そろそろ来るぞ。準備配置に付け!」
え、何が起こるの
「まつりくん」
「ん?」
混乱してる頭にねね子の声が入ってきた。
「意味が分からないと思うけど、君の出番もあるから」
「え?」
「とりあえず、私の彼氏になろうか」
「…え?」
今日1、意味が分からない。