壱
「あーーーっ!君っ!!」
その声がする方を見た。
1人の女が俺の方を指差してパァーと笑っている。
「お、俺?」
「そうだよっ!君!」
人を指差すやつなんて、なんて行儀が悪い。そう思い自分かと確認を取ったのに、自信満々に俺だと公言した。
人を指差すなんて、礼儀がなってない。
それに、この女、俺は見覚えがない。
乳白色のボリューミーでふんわりとしたキャスケット帽子に緩いカーブを纏った髪。茶色いボタンで留められた白いカジュアルなボレロ。デニムのワイドパンツ。肩には小さなポシェットがかかっていて、その指差す手にはシルクのような白い手袋をしている。
全体的に白い彼女は、春と上手く調和しているようだ。
歳も身長も俺と同じぐらいに見える。
けど何故か瞬間的に俺より大きく、存在がデカいと感じた。しゃがんでたからかな。
ぶわぁと風が俺たちの髪の毛を持ち上げた。
暖かい春の風が雪のように淡い空気を纏う女を優しく包み込む。
「その猫。君の、じゃないよね?」
さっきまで見つめあってた、猫を見る。まだ俺の方をじーっと見てた。
「あ、うん。信号待ちしてたらここに居たのを見つけたんだ」
上手を取られたくないからか、少し饒舌になってしまっている俺がいる。
「虎之助って名札があるけど、あんたのか」
勝手に話の上位を取りたがる人間の習性、俺はちゃんと自覚している。
「やっぱり!そうなんだね!」何がやっぱりなのだろう。この猫の飼い主なのか。
俺はそんな顔をしていたのだろう。女はハッとした顔をして人差し指をこめかみに当てた。
「えーと、ううん。私の子じゃない」改めてそう言い微笑んだ。
「え、じゃあ」
「私の依頼人様の子なんだよね」
「…依頼人様?」
意味がわからない。依頼人という名詞は知っている。そうではなくて、この女の依頼人ということが理解出来ない。俺と同じぐらいに見えるが、仕事でもしてるんだろうか。
でもその前に、この女の話し方は初対面のような感じがせず、言っちゃえば馴れ馴れしい。しかし、俺もそのペースで話せる。俺だって普段はこんなに話す方ではない。
何者だ、こいつ。
「ふっ、とりあえず付いてきなよ」
軽く笑った。笑われた?初対面で?やっぱり礼儀正しくない。いや、俺の頭が困難してたのを悟られたのか。
また頭でぐるぐる考えこむ。
女は笑いながら、白い手袋を付けたまま猫を抱き上げる。慣れてるような様子だった。
「よしよし〜、いい子だねぇ」
甘えた声で猫を撫でる。
猫を片手持ち直し、次はスマホを出した。
「もしもし?松山様ですか?あ〜そうです〜、見つかりましたよ〜!えぇ、えぇ、じゃあ入っちゃってください!鍵空いてるんで〜」
なんのこっちゃ分からないけど、一個分かったことは…電話越しなのに楽しそうに頷きながら話すタイプか…。
しゃがんでた俺はそれを見ながらゆっくり立ち上がり、もう行こうかな、と自転車に手をかけた。
「よしっ!君、行こうか」
女は電話を切って、スマホをポシェットに入れ、楽しそうに俺に言う。猫をまた抱き直し、ルンルンと歩き出す。俺は抵抗も出来ずに女について行く。
いや、抵抗しなかったのだ、俺が。
何故だろう。今頭の中が真っ白になっている気がする。女が白いからか。
自転車をカラカラと引いたままゆっくり後ろを着いていく。女の髪がゆっさゆっさと横に揺れている。そんなに元気に歩いてるのに何も話さない。だから、俺も何も言わないし、聞かなかった。
信号を渡り、大きな通りを過ぎたころ、薄暗い裏道に入ってく。大きな建物の隙間だから太陽の光が入らない。何ヶ所が曲がり、どんどん暗くなってくる。
ここで気づいた。俺、やばいんじゃない?って。こんなところに初対面で連れてくるか、普通。
「…あ、俺、ちょっと用事を思い出したような」
ボソボソと小さな声で話す。俺としたことが、だせ。
「ん?なんか言った?」
聞こえていなかった。
「もう、着くからさ、もうちょい付き合ってよ」
前言撤回、聞こえてたようにも見える。なんか、掴みどころのない女だな。
「着いたよ、ここ」
立ち止まったところに、古い屋敷のような建物があった。木造の瓦屋根。こんなところにまだ残っていたのかと不思議に感じた。
この辺りだけ、時間が止まっているみたいだ。
上を見上げると、丸く太陽の光が伸びている。丸く穴が空いているかのか、スポットライトのようだ。その光が照らすのは建物にかかっていた古ぼけた看板だった。
【何尚屋】
なんて読むのだろう、なになおや?なんの店か分からない。
とりあえず、自転車を邪魔にならないように隅に置いた。鍵をかけるのは忘れた。
ガラガラと女が扉を開けると、中から冷たい空気が流れ出た。
寒すぎる。それに古い。
もしかして、ここは、幽霊屋敷か。ってことは、この女も、、。
「入って。あ、なぁーにー、古くてお化けが出るとか考えてないでしょうね?」
「は、そんなこと考えてないし」
大当たりだった。何者だこいつ。
女はくすくす笑いながら楽しそうに笑って建物に入ってく。何がそんなにおもしろいんだ。でもここまで来てしまったから、女に続いて俺も入る。
内装は、思った程古い雰囲気はなかった。如何にも探偵事務所の内装って感じだった。全体的に茶色い。この女のイメージには全く似つかず、本当にここなのかと疑った。傷が付いている茶色いソファーが机を挟むように2つ置いてある。そこに人が座っていた。
その座っている人、おばあさんが振り向いてこういった。
「あぁ、こんにちはぁ」
うわぁ!幽霊!?やっぱり!怪しい!幽霊屋敷!!だぁ!!!
と思った。しかし、声に出たのは、
「っ、、」
のみだった。耐えた方だ。
「ふふっ、ほんと君おもしろいなぁ」
でもまた何かを悟ったのか、隣に立っていた女はくすくすと笑っていた。俺の肩をつんつんと差し茶化したあと、おばあさんの方へ行った。
「松山様、こんにちは。飼い猫の虎之助くん、見つかりましたよ」
あぁ、この猫はこのおばあさんの飼い猫だったんだ。
抱き抱えていた猫を松山様と呼ばれたおばあさんに渡す。
「ほんとに、ありがとうございます。こんな直ぐに見つけてくださって」
おばあさんは深々と頭を下げた。
「いえいえ、こちらの方が見つけてくれたんですよ」
女は手を俺の方へ向けて、俺をおばあさんに紹介した。
突然話を振られてびっくりしたので、とりあえず頭を下げてみた。
「そうなのねぇ、優しい男の子、ありがとうございます」
おばあさんは、次に俺に向けてお辞儀をした。男の子という年齢ではないのだけど。
「いえ、偶然見つけただけなので」
とりあえず、喋ってみた。
おばあさんは嬉しそうにニコニコしていた。
「あ、そうだわ。さっき買い物に行ったときに苺がね、売ってたの。良かったら、おふたりでどうぞ」
買い物袋から苺のパックを取りだし、女に渡した。
「全然大丈夫なのに〜、いいんですか?」
「えぇ、美味しく食べて」
女は「じゃあ、もらっちゃおー」と言って快く苺を貰っていた。謙遜をしないやつだ。
その後、おばあさんは何度も頭を下げながら俺たちの手を一回ずつ握って、虎之助を抱いて出て行った。
久しぶりの握手だった。おばあさんはちゃんと温もりがあった。人間だった。
「ふぅ、てことで。虎之助くんはあの松山様の猫ちゃんでした〜」
ソファーにドサッと座った女は手をパーにして顔を横に並べ、飛び抜けて明るい声で言った。
「……。」
正直、俺は何もいうことがなかった。というか、何から聞けばいいのか分からなかった。
「君」
不意に女の声が真剣になった、気がした。パッと顔をあげると、女と目があった。
「とりあえず、苺、食べよっか」
何も無かったようにワントーン明るい声に戻り、苺を嬉しそうに見つめたあと俺に向かって微笑んだ。
「さぁさぁ、君も座って!そこね、向かい側。一緒に食べよ!これ、ぜぇ〜ったい美味しいよ♡ あ、それで手拭いてね」
言われるがまま、ソファーに座り、ウェットティッシュのプラスチックケースを受け取り、流れのまま手を拭いた。
この女、よく喋るなと思いながら動いていた。
「ねぇ、聞きたいこと。いっぱいあるでしょう?」
「…うん」
我ながら素直な返事だった。おばあさんの温もりと感謝。謎の店。入学式特有の謎の緊張がやっと溶けたようだった。
その様子を見た女は手袋のせいで白くなっている人差し指を立てて、微笑んで言った。
「苺を食べながら、何尚屋の話をしてあげよう!」