捌
朝。
俺は眠い顔を擦り、2度目の登校をした。
燕脂色の学生たちは昨日のような緊張ぶりはなく、他の学生たちと楽しそうに話している。俺も変な緊張感はもう既にない。
昨日起こった不思議な話。
何尚屋とか言う不思議な店に当日に助手としてバイトを申し入れた。
帰ってから、夢だったのでは?と思った。それにまだ怪しんでいる自分がどこかにいた。
今日の放課後に行く約束をしてあるが、たどり着けなかったら夢だったことにしよう。
うん、それはそれで残念だ。
店長の白峰ねね子は何尚屋よりも不思議な人だった。
天真爛漫で何も考えてなさそうな人。
俺はあんな変なやつに人生出会ったことは無い。
いや、女子ってみんなそんな感じなのかな。
あまり女子に関わることのない俺としてみたらよく分からない。
姉や妹がいたらそんな感じかな、と考えてみたが、その瞬間鳥肌が立った。
と、まぁ今日も何尚屋やねね子のことを考えているうちにあっという間に昼休みだった。
1日、50分授業で6時限まである。
昼休みは4時限目が終わったあと。
昼ご飯は昨日の夜に下味を付けておいたお肉が入ってる。もちろん、自分でやった。
早起きは得意な方だ。父親と母親の分のお弁当もついでに作っておいた。
父親はズレた眼鏡を直しながら「ありがとぉ〜」と泣きそうな顔をしていた。泣き虫。
昼休みに入って騒がしくなった教室と裏腹に窓から見える校庭はとても静かに風が吹いていた。
幸い、俺は1番後ろの窓側という漫画の主人公みたいな席をゲットすることが出来た。
率直に言うと、嬉しい。
暇な間は、窓から見える目線が同じぐらいの木が揺れているのを見ていた。
ゆっくりお弁当を食べていたはずだが、10分足らずで食べ終えてしまった。
しょうがないので、有り余った時間は好きな小説でも堪能しよう。
春休み中に珍しく外に出た時に買った本だ。
読もうと思ってたけど、読み切れなかったもの。放課後は何尚屋へ行くから、読めるタイミングは学校しかない。
俺は鞄から、文庫本を取り出そうとした。
「匤本くん?」
不意に名前を呼ばれた。窓と反対のほうからだ。
本を探していた顔を上げると1人の女子生徒がいた。
「私、匤本くんの隣の席なの。これから、よろしくね」
ストレートロングヘアの女子生徒。
ねね子よりも清楚な雰囲気。
ねね子よりは絶対大人しいと人目で分かる感じだった。
彼女は隣の席に座って俺の方を見ている。
そういえば今朝、元気な女子軍団の中にいたような気がする。断言しては言えないが。
「そうなんだ、よろしく」
俺は当たり障りのない返答をした。
本を取り出した。そして読もうとした。が
「匤本くん、私のこと、わかる?」
わかる?わかるって言ったのか?
あー、昨日自己紹介したから俺の名前を知ってたんだ。でも俺はちゃんと話聞いてなかったから、覚えてないや。
昨日覚えた名前は、担任とねね子と樹さんと溝ノ口さん。あと、黒猫だけだ。
「ごめん。君の名前は覚えきれなかったよ。申し訳ない」
他の子の名前を覚えてたから、偶然君の名前が抜けてしまってた。という旨を伝えた。
いい回答だろう。
「あーううん。大丈夫。私、可愛 奈愛って言うの」
「可愛さん、よろしく」
相手が少し凹んだように見えた、気がした。
やっぱり名前を覚えきれなかったのはクラスメイトとしてダメだったか。今度から気をつけよう。
「可愛さんなんて、硬いなあ。みんなからは、奈愛を文字って、にゃおって呼ばれてるんだよね」
「…そうなんだ、、良かったね」
にゃおになる理由がよく分からない。
ねね子もそうだけど、女子の生態って難しいな。
あだ名なんて久しぶりに聞いたぞ。
ねね子はねね子だし、あだ名の付けようがなさそうだ。もともとがあだ名っぽいし。
「えっとー、にゃおじゃなくても、な、お、でいいよ」
「…分かった。奈愛さんって呼ばせてもらうよ」
「うん、わかったー…」
下の名前で呼ぶことになった。
自己紹介をして、下の名前でいいよーとか、とても新学期のクラスメイトっぽい行事だな。
俺でもそんなことができるなんてびっくりだ。
よし、本を読もう。
「ねぇねぇ、私は?」
「え?」
「私は、なんて呼べばいい?」
なんて呼べばいい?
そんなこと聞かれるのか。
なんて答えればいいんだろう。
別にどんな呼び方でもいいんだけど。
そういえばねね子は、なんも言わずに「まつりくん」だったな。
今思えばあいつ、相当馴れ馴れしいよな。
俺はなんであいつと話せてるんだろ。
いや違う、呼び方の話だ。えー、なんて答えるのがいいんだ?
「今まで通り、匤本でいいよ」
「あ、おっけー、じゃあ匤本くんで」
今まで通りにさせてあげるのがノンストレスだからな。
たぶん合ってる。
うんうん、と頭の中で頷く。
「匤本くんは、部活とか入るの?」
また本に手を出したが、辞めた。
彼女は体ごとこちら側に向けている。
まだ会話が続くようだ。
「部活は入る予定ないよ」
「えー、そうなの?昨日の見学会で、おもしろそうなのいっぱいあったよ」
奈愛さんは不思議そうに目を丸くした。
「見学会、行ってないんだ」
「そうなんだぁ、バイトとかするから、とか?」
「うん、もう決まってて」
バイトはするが、バイトをするから部活をしないということでない。
部活なんて中学のときにちゃんとやったんだから、十分だ。
「え!そうなの!どこでー?」
めちゃくちゃ聞いてくるな、この人。
そして、「どこでー?」と聞かれてとても困る。
何尚屋って軽々しく口にしていいんだろうか。
バイトって言っても、助手だし。助手だけど、ちゃんとバイトか。
昨日、助手すると言ったけど、ちゃんと始めるのは今日からだし。
何尚屋って依頼する店だし。
いや、何尚屋って、どこの店でどんな店なんだ。
どこにあるか分からない店で便利屋っぽい変な店です、って。なんて言えるか!!
「…えぇ〜っと、、親戚?の知り合い、の、店、です、、」
とてつもなく嘘をついた。どんどん声が小さくなっていった。
「へぇーそうなんだ!」
嘘だとバレなかったようだ。すまん奈愛さん。
すまん、ねね子。今度何尚屋のこと聞かれたら言ってもいいか聞いてみるか。
「なんのお店なのー?」
便利屋っぽい変な店です。
「…あ、次、移動授業だったよね。俺もう先行くね」
俺は時計を見て強制的に話を終わらせた。
ピカピカの教科書、ピカピカのノート、春休みに本と一緒に買ってきたペンケース。それと読めなかった本。
スタスタと軽く急ぎ足で教室を後にした。
教室に着くのが一番乗りは少し目立つ気がして、少し遠回りしてから行った。
その後2時間の授業を終えた。
高校の授業、楽しいじゃないか。
落ちて、しょうがなく来た高校だったが何となく、楽しく勉強できそうだ。
それぞれの担当の先生たちも個性豊かだし、わかりやすい授業をしてくれるし。
とてもおもしろい、と思ったのが今日の感想だ。
SHRが終わり、鞄を持って即帰宅する。
俺の掃除当番は明日だ。
忘れないようにしないと俺は帰ってしまうから。
靴箱で下靴からローファーへ履き替えた。
「あ、匤本くん!」
聞いたことがある声がした。顔を上げると、やっぱり奈愛さんだった。
「奈愛さん」
「今帰り?私もなんだ」
「そうなんだ」
奈愛さんもローファーへ履き替えた。
部活に興味がある感じだったのに、帰ってもいいのだろうかと思ったが言わなかった。
「私、こっちなんだけど。一緒に帰らない?」
「…ごめん。俺自転車だし、逆の方向なんだ」
「あ〜、そうなんだね。そっか」
奈愛さんはガッカリした感じの顔をした。
なんか今日は彼女にいろいろと申し訳ないことばっかりだ。
「ほんと、申し訳ない。バイトあって、急ぐから。じゃあ」
「あ、うん。バイバイ」
奈愛さんは笑って手を振ってくれた。
良かった、怒ってないみたいだ。
俺は駐輪場へ行き、鍵を空け、サドルに座った。
よし、何尚屋行くか。
やっぱり風が気持ちよかった。
昨日友達になったからな。
きっと、今俺は笑っているんだろうな、と思った。
昨日行ったばっかだったが、何尚屋に行き、ねね子に会って話すのが少し楽しみだった。
夢だったらどうしようという今朝の不安も出てきたが、まあいい。その時はその時だ。
夢だったら、本当の幽霊屋敷だ。その時はその時だ。
俺は少しの期待を持って自転車を漕いだ。
* * *
「こら、ねね子ぉーー!!!」
ガラガラッと勢いよく扉を開けた。
パンッ!!
「まつりくん!!正式助手!おめでとう!」
「「え?なに?」」
声が揃う。昨日ぶりのねね子。
昨日と同じように乳白色のふんわりとしたキャスケット帽子を被っている。クルクルとした髪の毛は三つ編みにしてある。白の少し透けているブラウスに淡いクリーム色のビスチェ。水色のワイドパンツに黒のベルトを締めている。昨日と雰囲気は変わらない。白い手袋をつけた手はクラッカー持っている。
感覚的に俺の頭にクラッカーの紙吹雪が乗っている気がする。
「えっとー、ねね子さん?これなに」
頭に手をやり、紙吹雪を取る。それをねね子の目の前に見せつける。
「…クラッカーの紙、吹雪」
いや、そうなんだけど!
ねね子は、申し訳なさそうな顔をしている。
俺はは?という顔をしてやった。
「助手になってくれるから、お祝いしようと思って、、。サプライズ的な、やつだよ!ね!いえいえい!まつりくん!おめでとさん!ってね!」
「ってね、って」
凹んでたと思ったら、急にテンションが上がったねね子。
それがまた、らしいと思った自分が居た。
「まぁ、いいや。ありがと」
「おー!どーいたしましてー」
ねね子は誇らしげに笑い、空になったクラッカーを渡してきた。
その後、俺の頭に乗った紙吹雪を全部取った。
取り残していたらあとで怒ればいい。
「まぁ、入んなよ助手くん。あ!そこのポールに上着とか荷物とか掛けておいて」
見ると、キッチンの前に置いてあったポールが2本に増えていた。
「うん、分かった。」
これ、ねね子、買い足したな。
俺は少し楽しく面白く、嬉しかった。
言う通りにブレザーを脱ぎ、鞄を掛けた。
身軽になった状態でキッチンへ入る。
昨日と同じようにねね子は、急須でお茶を入れていた。
「俺やるよ。助手だし」
「あらまあ、いいの!?助手って便利♡」
「便利屋が助手を便利扱いするな」
ねね子は手を合わせて喜んでいた。
俺は呆れていた。
「でもいいよ、もう終わるからさ。また今度頼むね」
「分かった」
学校の変な緊張は無くなったが、何尚屋助手としての変な緊張が降ってきている。
どうしたらいいか分からず体がモゾモゾしてしまう。
とりあえず、ねね子からお茶が乗った御盆を取り上げて運んだ。
ソファーで2人ゆっくりお茶を飲む。
「そういえばさ、まつりくん。さっき入ってきたとき、こらーって言ってなかった?」
あ、そうだった。俺はねね子に怒っていたんだった。
「まぁ?忘れたなら全然大歓迎だけどね」
「俺、ねね子に怒ることがあったんだ」
「えー!忘れてくれていいのにー」
ねね子は下唇を出して眉毛を下げた。
「昨日、裏道入って右に3回、左に3回って言ったでしょ?」
「ん、言いましたけどぉ?」
何故かねね子は逆ギレ気味だった。
ソファーに足をあげた。行儀が悪い。ヤンキーみたいだ。
「あれ、違ったよ」
「え?うそ」
「ほんと。右に3回、左に4回、そんでもう一度右に1回、が本当の何尚屋の行き方」
「えーー!!うそぉー!!」
ねね子は頬に手を当て、ムンクの叫びのような顔をした。白目はできていない。
「酷いよ、本当に。俺、ほんとに何尚屋って夢かと思ったんだから」
本当の気持ちだ。何回も迷って十何分も時間を使ってしまったいた。裏道に入り、出て。入り出ての繰り返し。
運良く太陽の光が微かに指していることに気が付き、数を数えながら辿り着いたって訳だ。
「まつりくん、夢って。夢見男子かよ」
いや、ツッコミどころそこじゃねぇ。
俺はまた呆れた。それを分かりやすく顔に出した。
「まぁ、君が辿り着けて良かったよ。夢だと諦められちゃったら助手がいなくなっちゃうところだったし」
「間違えた道教えたのそっちだろ」
ねね子はハッとした顔をして、エヘと舌を出して頭に自分の拳をコツンとぶつけた。
またやってきた、あざといやつ。
俺はわざと違う道を教えられたのかと一瞬疑ったのに。来ることを少し躊躇ってしまった、一瞬。一瞬だけだ。あんな全ての感情が出るような変なバカが、まどろっこしいことする訳がないと思った。
「…うん、バカだからな」
「は?まつりくん?今何て言ったの!?こら!」
ねね子はソファーから立ち上がって言った。
思ってることをねね子の前では言ってしまう俺も大概バカかもしれない。
まぁ、ねね子だからいいか、と昨日と同様に思った自分がいた。
何尚屋の助手としての1日目が始まった。




