疾走王と鳥籠の主人
エターナル・ケージというVRMMOに囚われてからどれくらい経っただろうか。思い返せばそれなりのイベントに巻き込まれた気がする。
《盗賊の模写》というスキルで俺の切り札、《孤高の疾走王》を模倣しようとした男がいた。見るだけでコピーできるという能力は破格だったが、俺のスキルはその上をいく破格の性能だった。
彼は返り討ちにしたきり、それ以降俺の前に現れることは無かった。
そして、そんなコピー男に絡まれる前。攻略組が撤退を余儀なくされた空飛ぶクマ。
空を飛び、火を噴き、急降下しつつ爪で襲うやりたい放題をかます森の主。まさしく暴君という他なかったがそれも過去の話だ。こいつもめでたくなんとか倒すことができた。まあ、俺は討伐には一切加担せずに背後から見ていただけだが。
そして火山地帯から雪山地帯。王国を巡る陰謀劇や試練を乗り越え、ついに攻略プレイヤーは世界の果てに存在するという最後のダンジョンに足を踏み入れていた。
GMが攻略しろと言っていたそのダンジョンはまごうことなき魔王の居城。幾度とない戦略的撤退を重ねながら城の最上階へと続く階段を何百人もの攻略プレイヤーは歩いていく。
その行列の後ろの方に俺の姿はある。姿を隠さず堂々と共に歩いていく。これまでの攻略戦から俺は撤退戦専門のよく分からないプレイヤーという立ち位置を築いていた。
敗色が濃厚となった雰囲気を敏感に感じ取った俺が前に出れば、他のプレイヤーは大人しく逃げ始める。そんな無言のルーティンがいつの間にか出来上がっており、俺に文句を言ったり突っかかってくる人間はいなくなっていた。
身の安全をそこそこ保障してくれる保険要員を邪険に扱う理由はないということか。もっとも、よく分からない人間に気安く近づく理由もないのか、誰かと言葉を交わしたこともないが。
まあ、その点は円滑な攻略に必ずしも必要なわけではない。排斥されなければそれでいい。俺の使命をやりきる場を作るにはそれだけで十分だ。
程なくして巨大な扉が目の前に現れる。この先が魔王の玉座だろうか。それはRPGのお約束、他のプレイヤーも同じことを考えているだろう。
「……すまないが、いざとなったら頼むよ」
すっと俺の横を通り過ぎながら囁くのは例のリーダーだ。
「…………」
このリーダーには悪いがそんな気遣いはぶっきらぼうに無視することにする。
仲間がいなければ速くなるという《孤高の疾走王》の効果について、どのレベルが仲間と判定されるのか今一つ分からないためだ。
返事をして無言の同盟を組むとダメなのか? それとも誰かを攻撃から守るような真似をするとダメなのか? 一切基準は示されていない。
今のところ、攻略組の獲物を横取りする形で乱入するとトップスピードが維持できる、つまり共闘しているとみなされないのは確かだ。
システムの穴かどうかは知らないが、ここを利用し尽くしてここまできた。その定石から外れる真似はしたくない。
その反応にリーダーは何も返さない。が、俺を気にする素振りも見せない。
「……さあ! これが最後の敵だ! 全力を出し尽くそう!」
「「「おおおおっ!!!!」」」
それも織り込み済みだったか、元から返事など期待していなかったのか。何事もなかったかのようにそのまま前へ出て他のプレイヤーを鼓舞する。
それはスキルでも何でもないただの応援のはずなのに、周りの連中の活気が増したように見えた。
例えるなら《孤高の疾走王》を発動した時に湧き上がる高揚感のようなもの。それが連中にも発現したように見えたのはただの錯覚だろうか。
そんな皆の覚悟を見てとったリーダーが扉に手をかける。そしてギイィ……と音を立ててゆっくりと扉が開く。
まず目に入るのは玉座。そこで座して待つのは巨大な体躯を持つ魔王……ではなく、俺達学生よりも一回り以上歳を重ねた大人の男。
そして身につけているのは鎧やローブといったRPGで見るようなものではなくスーツ。どこにでもいるような社会人という印象を受ける。
「……あれがラスボスなのか?」
誰ともなしに呟いたその声に男は反応する。
「ああ、そうだとも。私がシステム的にはラスボスに位置付けられる者さ。もっとも、ラスボスというのは肩書の一つでしかないし、これが本職ではないんだがね?」
この口調には覚えがある。他プレイヤーと接触する機会が少ない俺ですら覚えがある。ならばその声の主の正体は一つしかない。
皆の総意を代表して、例のリーダーが口を開く。
「なるほど。……貴方がゲームマスターであり、僕たちをエターナル・ケージに閉じ込めた張本人。当たっているね?」
「ええ、その通り。まずはここまでお疲れ様、そしておめでとうと言っておこうか。疑似的とはいえ、話に聞いたことしかないデスゲーム、少しは楽しんでもらえたかな? まあ、展開次第ではデスゲームはまだまだ続くこともあり得てしまうわけだが」
「いいや、それはないさ。不毛なデスゲームもどきはここで終わりだ」
リーダーが剣を抜き、他のプレイヤーもそれに続く。彼が握っているのはボスからドロップした所謂レア物。その輝かしい刀身は希少度だけでなく、剣が持つ強さも保証しているようだ。
そんなリーダーに共鳴するように次々と武器を抜いて戦闘態勢に入る。――俺を除いて。
「やれやれ、若いだけあって血気盛んなようだ。速いペースで攻略できたのはその若さも関係しているのかもしれないな。……だが、残念なことにそれ以上の興味は君達にはない。ああ、そうさ。暴力に訴えるのは正解だとも!」
GMが指を鳴らせば地面から特撮映画に出てきそうな二足歩行の巨大な怪獣、それを模したような機械が突如として現れる。
黒鉄の体が放つ重量感。加えて、折り畳まれた巨大な翼が大きく開き、攻略メンバーを威圧する。その巨大に乗り込んだGMが高らかに叫ぶ。
「だからこちらも暴力で迎えるとしよう! 私の最高傑作! このバードキーパーでッ!」
「今までのどんなボスより巨大じゃん……!」
「やはりラスボスに必要なのは全てを圧倒する迫力だろう! さあ! 鳥籠から出たければ私に抗え! ゲーマーとしての生き様を見せてくれ!」
「本当にこのゲームをクリアさせる気があるの……!?」
「弱気になるな! 確かに敵は強大だ。けれどもHPが存在するなら勝てない相手ではないはずさ! これだけ大きければ攻撃だって当たる。大丈夫。勝とう、皆!」
GMに気圧されて不安に駆られそうになるところをリーダーが食い止める。ここまで皆を奮い立たせてきた彼は最終戦になっても臆することなく立ち向かう。
「普段通り陣形を組んで戦闘だ! とにかくまずは攻撃の種類を見極めるんだ!」
その号令に合わせて、
「任せろリーダー! どんな攻撃だって耐えてみせるぜ、なんてったってこの鎧は無敵なんだからなあ!」
と、重装備に身を包むプレイヤーが壁のように最前線で立ちはだかる。これまで幾重もの攻撃を受け、最も死の淵に立たされることの多い彼ら。
傷だらけになりながら、時には死亡も受け入れながらここまできたのだろう。大口を叩いているようにも見えるが、虚言ではないことは確かだ。その声は勇ましさに裏打ちされたものであると感じた。
「まさかとは思うが、僕のヒールがあるからこそ耐えられているということを忘れてはいまいな?」
「私達がちゃーんと支えてみせるから安心してぶつかってきてよね!」
そして、その壁を崩させまいと杖や本を携えたプレイヤーが後ろに並ぶ。回復魔法を使う彼らは攻略集団の生命線。
そんな彼らの士気が高いのは頼もしい。きっと皆、安心して背中を預けられるのだろう。――俺には関係のないことだが。
「お前らの出番なんてねえよ! 奴に何かさせる前に俺様たちが押し切っちまうからな!」
そして、耐えて回復するだけでは勝てないぞとばかりに様々な武器を手に取った者が立ち上がる。剣に銃に鎌から弓まで、得物に一貫性がないのは各々が信じる道を極めたからだ。
火力職である彼らの仕事はシンプルに攻撃だ。火力が全てであり、彼ら無くして勝利はない。
そう。この場にいるプレイヤー全てが必要であり、彼らの団結なくしては戦闘にならないのだ。
そう考えながら俺は後方へと下がる。遠距離で戦うプレイヤーよりもさらに後ろ。参戦の意思表明を捨てたような位置から戦いを俯瞰するように観察する。
手を出さない、いや、手を出せない距離に陣取ればシステム的に協力関係にあるとは判定されない。長く《孤高の疾走王》を使ってきたためにこれは断言できる。
この状態を維持し続ける。そしていざとなればトップスピードで、攻略メンバー、ボス問わず無差別に攻撃しつつ撤退の時間を稼ぐ。俺の役目はそれだけ。
それだけできればいいのだ。
強大な敵を華々しく倒し、現実世界への帰路を拓くのは最初から俺にできることではないのだ。
「皆! いくぞ!」
「「「「おおおおっ!」」」」
そんな俺が位置につくのをご丁寧に待っていたらしいリーダー、そしてその仲間たちが一斉に鬨の声を上げた。
そしてある者は駆け出し、ある者は遠距離からGMを見据え、各々の役目を果たそうとする。
物理攻撃に魔法攻撃。あらゆるエフェクトがGMの操るバードキーパーへと降りかかる。
「悪くない。予想よりも高い威力じゃないか! なるほど、ハイペースでここまで来られたというのも納得だとも! ……だが!」
バードキーパーの漆黒の翼が本体を包み込み、そして開く。その簡単な動作だけでプレイヤーの総攻撃をはねのける。
その翼には傷一つつかず、風圧には全ての攻撃をいなすほどの力強さがあった。
「おい! これ、俺達のレベル足りてんのかよ!」
「全く攻撃が効いてないよね!?」
「単純な力押しで勝てるとは君達も思っていないだろう? 驚くことではないさ」
「怯むな! 翼が硬いなら違う部位を狙えばいい! 弱点はきっとある! ――《不退転の団結》!!」
白く輝く大剣と共に、リーダーは軽やかに戦場を駆ける。その巨大な武器の重さなど感じさせないほどに。
「はあああっ!!」
バードキーパーの足、腹部、腕と一撃を入れつつ、さらに各部位を足場にしての跳躍移動を繰り返す。
「流石リーダー!」
「ぼさっとするな! リーダーにバフをかけろかけろ!」
光が、斬撃が、乱れ飛ぶ。そのワンマンプレイに見える協力プレイの中でバードキーパーは攻撃を受けていくらか苦しんでいるように見えた。
「――見えました! そこです!」
攻撃した位置、それに対応する敵の様子。それらを観察していた魔法使いが巨大な炎をバードキーパーの腹部へと飛ばす。名前は分からないが、恐らくプレイヤーが使える中でもトップクラスに強力な魔法。
「――――」
言ってしまえばGMが乗り込んだロボットだ。口を聞くわけがないし、表情もない。それでも苦悶に満ちた声を上げ、顔をしかめただろうという確信があった。
「やはり羽ばたき程度では折れないか。弱点を見つける速さも悪くない。それでこそバードキーパーの相手に相応しいというものだ!」
立て直しながらバードキーパーは咆哮を上げる。ビリビリと痺れるような振動を受けながら全員が、攻守が変わったことを文字通り肌で感じていた。
「そちらが鍛えた高位魔法を使うのならこちらも相応のものをお出ししよう!」
翼を大きく広げたバードキーパー、その翼と開かれた手とが妖しく光る。その不穏な輝きを見て警戒しないゲーマーなど皆無だろう。
「全員防御姿勢!」
「君達がどこまで耐えてくれるか、見ものだよッ!!」
手、そして翼から、これまで経験したこともないほどの苛烈さをはらんだレーザーが放たれる。
そもそもレーザー一つの範囲が太い。俗に言う極太レーザーというやつだ。そんな極太レーザーの乱れ撃ち。相当に広範囲をカバーするそれは、避けるよりもむしろ受け止めた方が現実的だと思わせる。
「ぐっ……うおおああ!!」
「ヤバい、ヒカルが瞬殺された! 気を抜くと死ぬぞ!」
「防御魔法一つじゃ足りない! もっとかけろ!」
一瞬にしてここは阿鼻叫喚の事態に包まれた。耐久力が低いプレイヤーは回復の猶予すら与えられず退場し、生き残っているプレイヤーだって無傷でない。けして小さくはないダメージを受けている。
「くっ……いつまで続くんだ! リーダー!」
「今は耐えるんだ……! どこかに隙が、隙があるはずだ……!」
だというのにバードキーパーのレーザーは止まらない。これはターン制バトルではない。レーザーを途中で止めなくてはならないなんてルールは存在しない。
だからルール違反だなんて的外れなクレームは言えない。かと言ってこのまま耐えていてもただ押し切られるのを待つだけにすぎない。
――このままでは詰みだ。
詰みならば。一度撤退して今度は詰まないように準備を整えるべきだろう。
しかしこのまま全滅することはよろしくない。一定時間始まりの街から出られないデスペナルティは想像以上に重い。
システム的には移動制限でしかないのだが、精神的に無力感に苛まれることは避けられない。これは何回か死んだ味わった俺の実体験だ。
これから先、このラスボスに負けることは何度あるか分かったもんじゃない。その度に一々全滅していたら攻略組は一瞬で機能不全に陥る。
……だからこうすべき。こうすべきなんだ。
中々上がらない、上げたくない腰を上げるように理論武装し、剣を構える。あのリーダーが持っているものには劣るが、それでも愛剣と呼べるだけの性能と年季のあるそれをしっかりと握り直し、
「我こそは疾走王! GM! お前と同じ孤高の存在だ!」
ソロによるボス討伐を開始した。




