デスゲームと囚われの学生達
今日、世界の技術革新はとどまるところを知らない。自動運転だの家庭用ロボットだの、数十年前にはSF扱いだった技術が続々と現実に顔を出している。
そしてそれは、なにも実用的な道具に限った話だけではない。娯楽、いわゆるゲーム業界にも技術革新の波は押し寄せていたのだ。
VRゲーム――それも、ヘッドセットをつけて体を動かすようなタイプではなく、意識を仮想空間に飛ばすタイプ――が発明されてからもう随分と経つ。
数十年前では小説やアニメの題材でしかなかった夢物語は、今や数万円程度で買える手軽な夢と化した。
いや、夢というほど遠いものでもないのだろう。そう感じるのは小さい子供くらいだろうか。
とにかく、VRゲームという一大ジャンルが覇権を握った。ゲーマーとして技術革新を喜ぶ点はここだろう。
しかし、それが手放しに喜ばれるものだったかと言うとそうではない。自動運転だってそうだ。数多の事故や失敗の末に実用化に漕ぎ着けた。偉業は成功だけで成り立っているのではない。
ではVRゲームにはどのような失敗があったのだろう? 簡単だ。プログラムをバグらせてのデスゲーム化。VRゲームの暗黒時代としてゲームを遊ばない人にも認知されている大事件だ。
俺はプログラマーみたいな技術者でもなんでもない、ただの高校生だ。だから突っ込んだ話はできないが、意識を仮想空間に飛ばすシステムに悪さをする奴らが大勢いたらしい。
そんなバグを様々なゲームに仕込まれた。VRゲーム黎明期の話だ。実際にそんなゲームを知らずに遊び、そして攻略に失敗したのだろう。死者だって大勢出たらしい。
プロゲーマーや技術者、そして政府がその撲滅に本気で乗り出し、解決に持って行ったのは事件からわずか一、二年のことだった。
その時、俺はまだ生まれてもない。具体的にどんなドラマが繰り広げられたのかはドキュメンタリーや映画を見れば分かることだろう。
だが、俺はそんな歴史には興味はない。俺にとって重要な事実は二つだけだ。
一つは、デスゲーム化するようなバグは厳しく管理され、二度と起きることがないということ。
そしてもう一つは、VRゲームは俺の唯一の癒しであり、居場所であり、かけがえのないものである、ということだ。
*
「おい、今日だぜ、エターナル・オンラインのアーリーアクセス! 羨ましいぜ、お前!」
「悪いな、俺だけ当選しちまって。一足先に楽しんでレビューしまくるから覚悟しろよ?」
「くー! 勝者の特権だな!」
そんな会話があちこちで聞こえる。その間をすり抜けるようにして自分の席へと着く。
俺が通う高校でもVRゲームの熱狂は冷めることを知らない。その日発売するゲームが話題を掻っ攫っていくのも日常茶飯事だ。
さしずめ今日の話題はエターナル・オンライン。PVから察するに剣と魔法のRPGだ。ありがちなゲームだと言う奴もいるが、名のある有名会社が作ったゲームだ。なんだかんだで皆期待している。
その中でも特にテンションが高いのが学生達だ。実はこのゲームが遊べるのは一週間ほど先である。アーリーアクセスに当選した奴を除けば。
この会社は何の気まぐれか、学生限定でアーリーアクセス、つまり発売よりも先に遊べる権利を抽選で配ることにしたのだ。
そして当選した幸運な五千人だかには、今日の夕方から夢のような一週間が提供されるというわけだ。
ついさっき横を通り過ぎたクラスメイト――交流はないし名前は知らない――もアーリーアクセスに当選した一人なのだろう。今日のヒーローは彼なのだ。
まあ、
「言う相手がいないだけで、俺も当選はしてるんだけどな」
誰にも聞こえない声量で俺は呟いた。
*
そして夕方。部活も無ければその他の用事も一切ない俺は即座に家に帰宅し、エターナル・オンラインのダウンロードを開始する。
その間にちゃちゃっと食事を済ませ、家事を軽めに片付ける。向こう一週間は学校も何もかも全てサボるつもりでいる。人間らしい活動をするのはしばらくお休みだ。
「おっ、きたな」
ダウンロードが終わったことを告げる文字が表示されたのを確認して、いそいそと俺はヘッドセットを着用する。
「さて……始めようか!」
否応なしに声が大きくなってしまうのはしょうがない。新発売のゲームに心躍るのはゲーマーの性なのだから。
*
『ようこそエターナル・オンラインへ』
暗転した視界に飛び込んできたのはそんな文字。見慣れた導入だ。しかし、次の文字はこれまでに見たことのないものだった。
『脳波を測定しています。しばらくお待ちください』
……脳波? わざわざ何のために? そんなものが関係するゲームだったろうか?
疑問に思っている間に測定が終わる。
しかし、昔のゲームには指で触れてその人の心だかなんだかを反映してキャラ決定を行うものがあったと聞く。その手のイベントだろうか。
そんなことを考えている間に視界が変わり、チュートリアルが始まる。
「グルル……グルル……!」
コロッセオのようなフィールドに目の前には狼のようなモンスター。横には剣や弓、魔法の杖らしきものも見られる。
「いいか! 冒険者になるための必要最低限を叩き込んでやる! 心して聞け!」
教官らしきキャラクターが怒っているのか指導しているのか分からない声をあげるのを聞きながら、俺はこの手のゲームでお気に入りの武器である剣を構えた――!
*
「あ――! くそ! またやられた! ……けど、なんとなくパターンは読めてきたぞ」
チュートリアルを終え、冒険者として仮想の人生を歩み始めた俺。目的としてはスタート地点の街から遠く離れた――どれくらい離れているのかも分からないくらい遠い――世界の果て。そこに辿り着くことだ。
ボスがいるのか、宝があるのか。それは着いてからのお楽しみなのだろう。地平線の向こうに広がっているであろう新天地を目指して旅をするのがこのゲームだ。
……さっきから殺されたばかりで始まりの街に何度も戻されてはいるが。
外を徘徊するモンスターは正直言ってかなり強い。パターン通りに動くのは当然だが、そのパターン数がやたらと多く複雑だ。
しかも、ものによっては徒党を組んだ連携攻撃まで行ってくる。一人で遊ぶには中々に難易度が高い。まあ、そういうゲームは嫌いじゃないが。
「デスペナもないし、死にながらレベルを上げていけばいいだろ」
見ると、長い時間戦っていたからだろう。レベルは今5まで上がっている。
ステータスの数値は秘匿されているため、具体的なことは不明だが、攻撃を受けた時のHPバーの減りは少なくなっているし、敵が倒れるまでの手数も少なくなっている気はしないでもない。
つまり、ソロプレイでもじわじわとレベルを上げればクリアは可能ということだ、MMOだけど。長くやってれば上手くもなるだろうしこの点は心配はいらないだろう。
それならばゆっくりと腰を据えて遊ぼうかという気にもなってくる。下手にネットでネタバレを踏まないように……そこまで考えてもう一度狩りに行こうとした時だった。
『現在、同時接続人数は約五千人。いいじゃないか。配信されてすぐ遊んでもらえるというのは開発者冥利に尽きるというものだ』
そんな文字が街の至る所に表示され、読み上げ音声が街に響く。誰もが注目せざるを得ない状況。その内容から察するに、メッセージの送り主は……
『そうだ、名乗るのが遅れてしまった。私はゲームマスターさ。普段ゲームを遊ぶ人なら分かるだろう。GMとでも呼んでくれたまえ』
ゲームマスター。このゲームの製作・運営にあたり最上位の権限を持つ者。大仰な言い方をすればこのエターナル・オンラインの創造神とも言える。
『自己紹介はこのくらいにするとして、どうだろう? エターナル・オンラインは楽しんで頂けているだろうか? ああ、答えなくても構わないとも。常時、ゲームハードから流れてくる脳波で分かるからね。嬉しい脳波をありがとう、というところだ』
こちらの意見は一切求めず、言いたいことを好き勝手に発信するGM。これは何かのイベントなのだろうか? それともただの気まぐれでちょっかいを出しにきただけなのか?
そんな俺の――もしくは他のプレイヤーも考えていたことかもしれないが――思考を読んだようにGMが話を続ける。
『もちろん、何の意味もなくこんなことをしているわけではないよ。本題に入ろうか。……この脳波の観測技術を使って君達にプレゼントをしようと思う。特殊スキルのプレゼントさ』
「おいおいマジか……!」
「GM直々のアップデートか!?」
途端に周囲が騒がしくなる。メンテナンス前後のアナウンスや動画配信サービスを通じてのアップデートの紹介はよく目にしたが、ゲーム内で直にアップデートを行うというのは前代未聞だ。
「これは面白いものを体験できそうだな……!」
俺も期待に胸を膨らませながらその内容を今か今かと待ち構える。
『――まず特殊スキルについてだが、これは個人差がある。攻撃、回復、バフ、デバフ。何が身につくかはお楽しみというわけだ。ゲーム開始前に脳波を測定したね? これまでの人生経験、君達の日常、そして抱く感情。そういった諸々を取得させてもらった。そしてこれらが君達の能力の核となる! つまり! 君達のバックグラウンドそのものが特殊スキルとなるのだよ!』
脳波。ここでも使われるのか。これまでの経験が反映されるなんて脳波も面白い構造をしているもんだ。
そう感じたが、脳科学者への道を歩もうとまでは思わなかった。もう数秒後には特殊スキルについて湧き上がる疑問と期待に脳のリソースを割きまくっていたからだ。
恐らくこのアナウンスが終わった後に実装だろうが、どんなスキルが強い? ソロ向きやパーティ向きだとかあるのだろうか? 内容やその後のゲーム環境よっては弱体化や強化などを検討されるのだろうか? それと、それと――!
『おっと、はやる気持ちは分かるが最後まで話は聞いてもらいたい。ここから更に重要なことを話すのだから』
これよりも重要なこと? まだ新たなアップデートがあるのだろうか?
『たった今から君達はログアウトができなくなった。……この台詞を言うのはデスゲームを運営していた頃以来だ。何度も言っても色褪せない響きだ、全く』
……は? ログアウト不可? デスゲーム? 何を言っているんだ? 俺に限らず周囲のプレイヤーがざわつく中で、いち早く手元を操作したプレイヤーが叫ぶ。
「おい……おい! マジじゃねえか!? メニューからログアウトが消えてるぞ!?」
まさか、と思いながら自分もメニューを開く。アイテムやレベルを示す欄の一番下……ついさっきまであったはずのボタン。しばらくは押さないであろうと思っていたボタン。いつも名残惜しい気持ちを抱えながら押していたあのボタン。
ログアウトのためのボタンが、そんなものは元から設計されていなかったかのように綺麗に消失してしまっていた。
『これで君達は思う存分ゲームに集中することができる。外の世界のことなど何も考えず熱中し、私を楽しませてほしいものだ』
「ふざけんな! 俺達にデスゲームをやれってのかよ! デスゲームはもう二度と起きないんじゃねえのかよ!」
誰かが叫ぶ。ログアウトできない。そう聞いて真っ先に思い浮かんだのはデスゲーム。これはその声の主に限らず、この世代のゲーマー全てが連想することだろう。しかし、そのプレイヤーが叫んだようにデスゲーム化は行えないよう、国が厳しく管理しているはずだ。まさか、国の管理を欺いたとでも言うのか。
『デスゲーム化は二度と起こらない。その意見は正しい。こちらの開発チームのエース達をどれだけ使ってもデスゲームなんて作れないとも。しかし、だ。ログアウト機能を消失させるくらいはできるのだよ。命は取らないが、ゲームを遊ばない権利は剥奪できた、それだけのことさ』
そこでこのゲームのタイトルを思い出す。エターナル・オンライン。タイトルからして永久にこの世界を楽しめる、それだけのボリュームを用意した。そんな風に考えていたが、そこには隠された意味があった。プレイヤーを永久にここに閉じ込める、という意味が。
『エターナル・オンラインとは円滑に世間に発表するためにつけた当たり障りのない名称でね。開発時にはこう呼んでいたものだ。……エターナル・ケージ。永久の鳥籠、とね』
「永久の……鳥籠……」
つまり俺達は鳥籠に入れられたインコやオウムのように死ぬまでこのゲームを遊んで過ごさなくてはならないということか。ゲームを遊び抜いて死ぬ。それはゲーマーとしては本望とも言えるが、誰かに強制させられて遊び抜いて死ぬのは本意ではない。
そんなことを考えるだけ無駄なのだろうか。俺達には選択肢も何もないのだろうか。そんな思考が多数見られたのだろうか、GMが勘違いするなとばかりに言葉を紡ぐ。
『おっと。エターナル・ケージと呼んではいるが、本当に永久に捕らえるつもりはないとも。永久に捕らわれるかどうかは君達次第だ。……この意味が分かるね?』
ログアウトは不可能にし、脱出不能の牢獄を作り上げる。そのうえでデスゲーム化はしない。かと言って永久にこのままかはプレイヤー次第。となるとそれの意味するところは……
「……ゲームをクリアしろ、ということか」
『そう。多くのプレイヤーがそこに辿り着いてくれて安心したよ。世界の果てにある最後のダンジョン。その攻略を目指してもらいたい。単純な話だ、クリアするまでログアウトできないというだけ。しかも何回死んだって構わない。往年のデスゲームに比べればなんということはないイベントだろう?』
要はデスゲームからプレイヤーの死亡を取り除いたのが、このエターナル・ケージということになる。
『が、それだけでは少し面白みに欠けてしまうのは事実だ。だから一つだけペナルティを加えさせてもらう。……これ以降死んでしまった場合、一定時間、開始地点の街から出ることはできない。死んだ回数×24時間を街で過ごしてもらう。それだけだ』
死んだら一定時間、街から出られない? それだけなのか? 死ぬことに比べればかなりちっぽけにも思えるデスペナルティだ。せいぜいレベリングが遅れる程度のデメリットでしかない。
『無論、中にはこれをペナルティだと感じないプレイヤーもいるだろう。それも想定内だ。これが真にペナルティだと分かるのはもっと先の話だろうからね。……さて、話は以上だ。君達の攻略模様を心から楽しみにしているよ』
それだけ話すと一方的に会話を終わらせるGM。説明すべきことは説明したから、話すべきことはもう何もないということか。
「おい……どうする?」
「どうするも何も……とりあえず攻略しに行くしかないんじゃね?」
「誰か! 一緒にパーティを組んでくれる人はいませんか!」
「ギルド立ち上げメンバーを募集しているぞ! 我こそはという奴はどうだ!」
話が終わったと見るやプレイヤーは三々五々解散し、各々に行動を起こし始める。仲間内だけで方針を相談する者、新しく徒党を組もうとする者、様々だ。俺は――
「……とりあえずレベリングとプレイスキルの上達、だな」
腰に吊るした剣を一撫でし、街の外へと歩き出す。
それぞれが、GMに言われた世界の果てのダンジョンを攻略するという目標へ向かって動き始めた。
現状、俺達にはゲームをプレイするという選択肢しかない。ならば、各プレイヤーなりにゲームを進めるしかないのだ。そうは言ってもそれほど悲観することもないのだろう。このゲームではプレイヤーは死なないのだから。
命までは懸けなくてもいい、そこそこのスリルと非日常。もしかするとエターナル・ケージにログインしている全プレイヤーは、通常のゲームでは得られないそれについてワクワクしているのではないだろうか。
今遊んでいるプレイヤーはイベントに飢えた学生だ。そもそもイベントに飢えてなければアーリーアクセスに応募などしなかっただろう。心の底ではこの状況に期待感すら抱いているに違いない。
「まあ、俺もそんな連中の一人なんだろうけど」
デスゲームじゃないとすればこれはただのゲームだ。そしてゲームはいつかクリアされなければいけない。だからきっと最後には何とでもなるのだ。
だから今は自分なりにゲームを楽しむ、そう決めた。そもそも、
「こんな面白そうなゲームが目の前にあるのに、難しいことは考えてられないしな!」
我慢できずに街を飛び出す。とにかくエターナル・ケージを遊んで強くなればクリアにも近づく。遊ぶことは悪いことじゃない。そんな阿保なことを考えながら剣を振りに外へ出る。
――この時はまだ、自分の置かれた状況の恐ろしさに気づかなかったのだ。