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9. 城壁を越えて

 領都アイゼンブルク。グラウスタインの誇る鉄鉱と共に育った城塞都市である。

 城塞都市とは、住み心地と引き換えに安全な生活がそれなりに保証された都市のことをさし、この時代の主要都市なら規模に違いはあれど城壁を必ず有していると言っていい。

 グラウスタイン辺境伯家は、優秀な騎兵隊による野戦を得意とするシアハウゼン家と違い、弓兵隊を数多く揃えた軍隊を持っており城壁の重要度は特に高い。

 

 都市の周りを囲むように設置された水堀と、石切場で精巧に切り取られた石材で造られた四メートルの石塁の内側には農村があり、両側の窓の外には小麦畑が広がっている。ここからでも岩石の露出した山々が見えるから、石材はきっとあそこから取ってきたのだろう。

 物々しい城壁が眼前に現れた。農村部の外周を囲う時間稼ぎ石塁とは規模の全く違う、敵軍を撃滅するための防壁だ。エレミアスに勧められ、窓から顔を出してしっかりと目に収める。帝国東部防衛の要である辺境伯の名に恥じぬ、灰色のいかにも頑丈な石造りの城壁だ。しかし、その外壁には傷ひとつ見えない。

「綺麗……」

 私が城壁を見て最初に浮かんだのは、そんな感想だった。日に照らされれば銀色とも表現できるような壁面には装飾がなされ、非凡な美的感覚と技術力の高さを物語っている。ここを攻め落とさんと包囲する軍は城郭に見惚れているうちに十メートル以上から降り注ぐ矢に貫かれ、内側の市街を観光する間もなく散っていくことだろう。

「君は見る目があるな」

「褒めすぎ。誰でもこう言うって」

「いや、そうでもない。軍事施設というだけで色眼鏡で見る者も多いから……」

「ああ……」

 エレミアスのため息に、私は強く頷いた。

 防壁の外を見ることのない市民にとっては、貴族や商人が身に金を纏うようなものなのだろう。領都のような小貴族の小競り合いとは縁遠い都市で暮らす者は、なかなかこれの重要性に気付いてくれない。

「わかる」

 それだけならまだいいが、貴族連中にも軍事費が多いと文句を垂れる奴がいる。

 特に文官とかいう奴らは、勝手に転がり込んできたヨハンと私の婚約を自分たちの功績と主張し、優秀な我らに軍事費の一部をよこせと言ってきたりするから面倒で仕方がない。他にも────


「…………」

「……あの」

 少し高めの声が耳に入る。膝の上に手を揃えてじっと座っている少年のものだ。ペーターくんというらしい。

 ペーターは困った顔をしている。

 私ははっとなって気付いた。どうやら長々と、エンフェルトの文官らの愚痴を言っていたらしい。卓上から離れて初めて思い浮かぶ改善案と、顔ぶれの懐かしさに胸が痛くなる。

「…………参考にさせてもらうよ」

「あ」

 何をやってるんだ私は。エンフェルト家の敵性勢力に、弱点となり得る情報を吐くなんて……。いや、今の私にとって、皇家に復讐しなければならない私にとっては、その臣従となったエンフェルト伯爵は障壁のひとつか。

「い、今のって……グラウスタインの……」

「ん?」

 ペーターは膝の上に置いた手を震わせた。そう、今のはグラウスタインにとっては目から鱗、隣国の弱点だ。十三、四くらいであろう齢でそれに感づくとは将来有望である。それも手を震わすほど情報を渇望するとは、この子は文官のケがあるかもしれない。

 エレミアスもうんうんと頷いている。悔しいが、祖先たちが築いた礎に住み着いたシロアリのようなあの文官らよりも優秀だろう。

 私たちはペーターの次の言葉を、称賛の準備をして待った。

「まさかグラウスタインの……弱て──」

「待て、ペーター」

「むぐ、ぅ」

 ペーターの口はエレミアスの大きな手で塞がれた。小さな手がエレミアスの腕を掴んで引き離そうとするが、ピクリとも動かない。

「そう、そうだ! グラウスタインの"欲しかったエンフェルトの"弱点だよな!」

 エレミアスは誤魔化すように大声を出した。しかし、私はしっかりと聞いた。『グラウスタインの弱点』。

 私はエンフェルトの弱点を口走ったはずだが、知らず知らずのうちにグラウスタインの弱点を指摘していたらしい。悩みや愚痴なんて、どこの諸侯も変わらないということか。

 …………これは、ペーターくん、しくじったな?

「そうだね。これは私、失敗しちゃったなぁ」

 そう言うと、ペーターの表情が明るくなった。エレミアスはその可愛らしいペーターの耳に顔を寄せ、何か喋っている。次第にペーターの表情は、口角、頬、目尻の順に下がっていった。



 ──グラウスタインにも取り入る隙はある。紛れもない事実だ。

 私の定めた目標のために、この情報は大きな利益となる。

 私を裏切った者への復讐のために、まずは地盤を固める必要があったが、その皇家に反抗し得るほど強固な地盤はグラウスタイン家の歴史が担ってくれることだろう。反皇帝派であることも都合がいい。あとはそれにタダ乗りするだけだ。

 その方法が問題だが……これも都合良く、私は婚約者を失った身であるのだから、グラウスタイン家か、その一門に並ぶ誰かを取っ捕まえてしまえばいい。それが駄目なら重臣の家系でも及第点だし、功を立てて私自身が家臣になってもいい。

 幸い、私には学がある。それも司祭の娘に教わった質の高いものだ。

 加えて、実は数年前に初めて弟が産まれるまで、長女の私は男子の後継者がいないことに焦った父から領主としての教育を受けていた過去がある。従属家に成り下がった挙句、私を裏切った者の教育だが、使えないことはないだろう。



 大きな城門を、馬車がくぐる。

 現れたのは、商工の区画。グラウスタインの高名な工芸品や武器はここで作られ、商人が持っていく。ペーターがくれた水の入った陶器のコップも、おそらくここで作られたものだ。

 この工芸品というのは安全な都市でしか発展しない平和産業でありながら、安全のためには城郭と衛兵で守られていないといけないという面白い一面を持つ。辺境伯家という諸外国の矢面に立つ領地が工芸品を特産物として商人に売り出しているということから、グラウスタイン家がいかに国土防衛に重きを置いているかがうかがえる。

 例えば、城から放射状に道が伸びている帝都とは違い、ここ領都アイゼンは比較的複雑に道が敷かれている。その代わりに、商売をしやすいよう、商工区画が街の出入り口付近に配置されているのだ。

 グラウスタイン城に辿り着くまでに、いくつかの曲がり角を経なければならなかった。

 街は賑わっている。辺境伯家も伯爵家の一種のはずだが、エンフェルトとはこうも違うのか。流石、帝国で皇家と公爵家に続いて第三位の勢力を誇るだけのことはある。馬車に手を振る子供たちの声は、グラウスタインのさらなる発展を予期させた。

 グラウスタイン城に入るには、さらに水堀と城壁を越えなければならなかった。水堀の水質は…………悪くない。あの高い山々から恵まれる、急な勾配の川から流れる新鮮な真水のおかげだろう。これなら、住み心地も悪くはないのかもしれない。

 城壁内には果物の木や井戸、さらには教会堂も備わっている。侵攻を受けたときも、この区画だけで最低限の生活が送れるようになっているようだ。帝国市民にとっての最低限の生活には、週に最低一回の祈りが含まれている。


「ふう、やっと着いたか。ペーター、俺たちの帰参と、客人が一名、報告を頼む」

「はい、エレミアス様!」

 気合十分だ。さっきの失態を取り戻したいらしい。

「……さっきの情報は持参金ね。しばらくはここに住まわせてもらうから」

「ああ。相応の処遇を約束しよう」

 ……やった! これであとは、私の十八年で培った能力を存分に発揮し、臣下として認められるだけだ。

 私は城内から出てきたメイドの案内を受け、軽い足取りで応接室へ向かった。



「エレミアス様……あの客人は一体?」

「行きずりを連れてきた。家を失ったらしいのでな」

「ほう、それはそれは。しばらくは、教会堂に住まわせましょう。きっと、敬虔なスレイ信徒に違いありませんから────」

「…………」

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