グラウスタインの玄関口
目を覚ますと、揺れる馬車の中だった。側面に設けられた窓からは光が入ってきて、格子の十字を床に写している。窓と床に写った影の角度から察するに、もう日はかなり高く上ってしまっているようだ。寝ぼけた頭で、夜更かしし過ぎたのだと反省する。
窓の外を覗くと、荒れ放題の草原が目に入る。おそらく窓の位置から見えない街道自体も、あの草原と似たようなものなのだろう。
しかし、内臓すら揺れる思いのする馬車の中、こんな硬い椅子に座りながらよくここまで眠れたものだ。その原因は、足の痛みが証明してくれる。
昨晩は、私が今までで一番走った日であろう。帝都のシアハウゼン城からセリカに追い立てられグラウスタイン門まで、そこで小休止を挟んで、待ち伏せから逃れるためにまた走り続けたのだ。帝都での日の入りから街道の朝日まで、止まっていた時間を踏まえても、時計が半周するくらいは走っていたことになる。
「起きたか」
「ん……」
向かいの席から、男性の声が聞こえた。
視線を上げ、向かいの席を見ると、そこには男性が二人いる。
左には、待ち伏せの兵士を貫く矢を放った青年、その右には、矢を放った弓の手入れをする少年。さっきの低めの声は、長い足を組んでいる青年──エレミアス・フォン・グラウスタイン──のものだ。
「そろそろエンフェルト領を抜けるところだ。何か言い残すことはあるか?」
「なにも」
「……そうか」
寝起きの私の気分をより悪くさせていた馬車の揺れは、ある所を境に治った。街道の手入れの行き届いた場所であるということだ。
街道の維持にはそれなりの費用がかかる。グラウスタインと帝都を結ぶ街道は年々使用者が減っており、盗賊が潜んでいるためエンフェルト領民がわざわざ使うこともない。必然的に優先度は低くなっていて、半分くらい放置されているようなものだった。
ヨハンに聞いた話では、皇家の出費の少なくない部分を街道の維持費が締めているらしい。帝国の発展に商人の力は不可欠であったため、これらは必要経費のはずだったが、運河の建設や海運の発達により、維持費が目立ってきたのだ。
「ようこそ、グラウスタインへ」
大河を流れる橋を渡ると、風景は一変した。弓なりの橋の中心を超えるとまず、石に押し潰された家屋が目に入った。そしてその奥には、横一列にバリスタが設置されている。人が住み、仕事をする街は、それらに守られた深くにあった。
グラウスタイン領にて私を迎え入れたのは、防衛施設の数々と戦闘の痕であった。
「酷い有様……」
「隣領からふざけた連中が押し寄せるんでな」
隣領とはエンフェルト領であり、ふざけた連中とは私の父である伯爵があえて放置していた蛮族や盗賊のことである。
石に押し潰された家屋は、おそらく、皇帝軍の開発した最新の投石兵器にやられたのだろう。川幅から見て百メートル以上の攻撃を、迎撃を受ける前に設置から発射までこなせる規模の兵器で実現できるのだからきっとそうだ。グラウスタイン領近くの賊に技術を提供した理由は言うまでもない。
これは実質的なシアハウゼン家とグラウスタイン家の戦争とも言える。皇帝軍が手ずから行ったのではないものの、すでに生活や家族を奪われた者がいるのだ。
「それは……」
「ああ、分かってる。エンフェルト伯が直接手を下した訳じゃないってな。だが、一応素性は隠しておけ。エンフェルト伯を嫌ってる奴もいる。当然、娘のお前もだ」
注意勧告はもっともだ。エンフェルト伯爵家は皇家たるシアハウゼン家との強い繋がりがあり、現在のグラウスタインとの関係は悪い。軍事演習の仮想敵が、公表こそされていないがグラウスタイン軍であるほどだ。
私はその警告に身構えるとともに、ここがエンフェルト領ではないのだと改めて自覚した。
"フォン・エンフェルト"というかつての誇りは、この地では意味を成さないどころか、足枷だった。私は切り離した足枷を、故郷にそっと置き捨て、グラウスタインの地に踏み入った。




