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7. 逃走の足跡

 ギネヴィアが青年に助けられた数時間後。

 諸侯はシアハウゼン城を後にし、それぞれ帰路についたり、宿泊のために用意された宮殿へと向かった。

 一方、パーティの主役であり、帝国の皇太子たるヨハンは城に残り、そわそわとした様子で、後片付けをするメイドたちを眺めていた。

 食器の音があちこちから聞こえる中、ヨハンは廊下を走る足音を聞き逃さなかった。

「殿下、報告が……」

「結構。場所を移そう」


 ヨハンは信頼に足る家臣を引き連れ、離宮へ向かった。宿泊機能を備えているが、諸侯の誰も、この離宮には泊まっていない。それどころか、住み込みで働く執事さえも、この日ばかりは離宮を追い出されていた。人払いは万全である。

 兵士が、傭兵団のまとめた報告書を広げた。

「報告。傭兵団は、ギネヴィア嬢、及び配下の女性騎士を捕縛。ギネヴィア嬢は怪我の治療のため、街道付近のアジトに移送。騎士の方はすでに憲兵への引き渡しが完了し、駐屯地の牢へ投獄されているとのこと」

「よくやった。して、怪我の状態は?」

「それが、足に矢を命中させたようでして……」

 これを聞いたヨハンの口角が上がった。

「逃げ足を封じたか。そうだな、あいつを捕らえるなら、それが一番良い。昔からあいつは──」

「……殿下?」

 思い出に浸るようにひとりでに語り出すヨハンを兵士が呼び戻す。ヨハンは取り繕うように表情を戻す。

「ああ、なんの話だったか」

「はっ、ギネヴィア嬢の怪我の状態でございます。報告から数十分経過しておりますが、報告時点で悪化は見られず、命に別状はないかと」

「よろしい。速やかに引渡しをさせろ」

「はっ。しかし、一度手放したのに、すぐに手中に戻すのですね。何か狙いが?」

 兵士は質問をする。報告に来たに過ぎない兵卒が勝手に口を開くなど、本来はあり得ないことだ。周りに控える近衛は、彼を止めなければならない。しかし、誰一人として、兵士の口を止める者は現れなかった。

「…………聞きたいか?」

「いえ、下賤の身には理解できない高尚な領域の話ゆえ、遠慮しましょう。では、続報をお待ちください」

 兵士は退室した、嫌味をひとつ残して。


 ヨハン皇太子殿下は、有り体に言えば、舐められているのだ。ここシュトュール帝国では、例えばグラウスタイン辺境伯のように体格が良く、武道に優れる事が好まれる傾向がある。嫡子のエレミアスも名の通った弓取りであり、その人気は高い。

 対してヨハンはどちらかと言えば文官肌で、体は弱く、評判も悪い。血の通っていない悪辣な施政者になり得ると噂されるほどであった。特にエレミアスとは歳も近く、比較されることも多い。帝国を二分しかねない騒ぎも、ヨハンとエレミアス、両者の評判が大きく寄与していた。

 しかし、ヨハンの評判が覆される出来事があった。

 ギネヴィアとの婚約の破棄だ。


 血の通っていない悪辣な施政者になり得るという評判は相変わらずだが、ヨハンがとった強引な政略と、パーティ会場で見せた尊大な態度は彼の評価に傷をつけるどころか、むしろ諸侯に歓迎されさえした。あの場での彼の姿は、それまで諸侯が目にすることのない一面を、確かに顕現していた。

 加えて、親皇帝派にとってネックとなっていたのは、戦争に乗り気でなさそうな彼の存在だった。しかし彼は、その口ではっきりと『戦争をする』と言った。反皇帝派に対し、皇家は代替わりがあっても強固な姿勢を揺るがせないと断言したのだ。

 諸侯らは、彼の姿に次期皇帝としての成長を感じていた。


「…………」

 ヨハンは顎で近衛に指示を出した。近衛が部屋を出たその数秒後、兵士の悲鳴、続いて断末魔が響いた。

 ヨハンは表情を変えなかった。

「ゴーセスラントの娘はうまくやったようだな。存外、頭も回るのか。いささか時間がかかりすぎだと思ったが……」

 すぐに別の話を始めるヨハンに、近衛は畏怖を覚えた。彼らの知るヨハンとは、まるで別人のようだった。各々は彼を変えた何かについて想像を膨らませたが、先程の兵士のこともあってか、誰も出した答えを発表しなかった。

「殿下、報告に上がった女性は、間違いなくギネヴィア嬢なのでしょうか?」

「直接見るまで分からんが……まさか貴族と平民を間違えんだろう。それにギネヴィアは、貴族の中でも秀麗な方だ」


 ドアが三回ノックされる。入室の許可を求める声の主は、つい先程命令を受けた近衛だった。

「構わん」と許しを与え、ドアが開かれるや否や、別の兵士が飛び込んでくる。彼は第一報を持ち帰った兵士とは打って変わって、その顔や態度に緊張感を携えていた。隣に立つ近衛の衣服には、赤い血がへばりついている。

「ほ、報告! ギネヴィア嬢が、話ができるまでに意識が回復したとのこと!」

「ほう。それで、あいつはなにを話しているのだ」

「は。どうやら、『カーヤ』とか『コンスタンツェ』とか、人の名前をうわごとのように呟いているようです」

 ヨハンは握り拳を作って机を叩きつけ、勢いのまま立ち上がった。

「素晴らしい! それはあいつの従者の名だ!」

「では、ギネヴィア嬢に違いないでしょうな」

「ああ。これで、エンフェルトの地を完全に掌握できる……!」


「それともうひとつなのですが……」

 兵士は報告を続ける。

「三人のうち、ひとりを取り逃したとのことです。どうやら、不明勢力の襲撃を受けたようで…………」

 不明勢力。これはエレミアスのことだが、その情報を持ち帰るはずの傭兵はもうこの世にいない。当然、取り逃したのはギネヴィアなのだが、ヨハンや近衛は従者のうちのひとりだと認識していた。

「不明勢力か。あの街道に現れたのだからエンフェルトかグラウスタインの手勢と考えるべきかもしれんな」

 ヨハンは笑い混じりで言った。

「残念ながら、はずれくじを引いたらしいですがな」

「はは、当たりのないくじほど虚しいものはないな」

 ヨハンや近衛は笑っている。その中でひとり、兵士は混乱していた。廊下で見た光景とこの部屋の空気の差に耳鳴りがするような気さえした。

 首脳陣にとって報告にあがる不明勢力の襲撃といえば、調べてみればたいてい蛮族だったり移民や貧民、少数派の教徒だったりとありふれたものであり、まさか貴族が直接指揮する部隊などとは誰も考え得なかったのだ。ヨハンも、貴族の手勢とはジョークのつもりだった。


「当たりくじは今、情けない声で従者の名を呼んでるよ。カーヤぁ、コンス……タンツェ……」

 ヨハンは突然黙り込んだ。それに合わせて活気は徐々に鎮まってゆく。

「殿下? いかがなさいました?」

「…………コンスタンツェ?」

「殿下──」

「黙れ」

 ヨハンはざわつく近衛を一蹴した。そしてひとり、頭を抱えて考え事に浸ってしまった。

 近衛らはヨハンの文官らしい一面にどこか安堵を覚えながら、ヨハンの長考の果てを待ち続けた。


 ヨハンはというと、過去のとある出来事を思い出していた。

 ヨハンとギネヴィアが互いに婚約者として顔を合わせるとき、ギネヴィアは常に従者を後ろにつけていた。しかしとある夜に一度だけ、エンフェルト伯が何かに期待して、ふたりきりにさせたことがある。

 その日は、戦略談義が思いの外弾んでしまい、伯爵が期待する行為は行われなかった。人払いが済んだ空間というのは、戦略レベルの秘匿事項を話し合うのに都合が良過ぎたのだ。

 このとき、簡単な身の上話も交わしていた。重要なのは、ギネヴィアのした従者の話である。


「コニー……」

 ヨハンは呟く。

「コニー? 知り合いですか?」

「コニー! そうだ! あいつは!」


 ふたりきりの空間で、ギネヴィアは従者のひとりであるコンスタンツェを「コニー」と呼んでいたのだ。どうやら、従者のいない場所では、コンスタンツェのことを愛称で呼んでいるらしい。ヨハンが理由を尋ねると、ギネヴィアは「雇用者としてある程度の距離を保つため」と言った。

 そして、傭兵団のアジトには、彼女の従者はいない。ひとりはすでに帝都に移送中であり、もうひとりは逃げてしまっている。

 ヨハンの見立てでは、ギネヴィアは「コニー」と呼ぶはずなのだ。


「まさか……まさか──!」


 大きな火災に至らしめる火種というのは往々にして気が付かないものであり、必死になって大局に目を配らせているヨハンも、この悪習に反くことはできなかった。

 復讐という名のついた業火と、それを燃え広がらせんとする者がいることには、気付くのにさらなる時間を要することとなる。


「そいつは替え玉だ……! 不明勢力とやらの正体をとっとと暴け!!」

「は、はっ!」

 この不明勢力に、ヨハンは心当たりがあった。それは、ヨハンにとってのコンプレックスの塊である。


「まさか……お前だというのか、エレミアス!!」

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