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5. 蒼天を裂く

「まずい────!!」

 コンスタンツェが私とカーヤを抱え、地面に倒れ込んだ。顎、肘、胸、膝……突然の事に、ろくに受け身を取れなかった体が痛む。

 直後、頭上を、空気の切れる音が複数通り過ぎた。

「ひゃ!?」

 思わず声が漏れる。

 ガサガサと、道沿いの茂みが揺れた。

 茂みから矢が飛び出した。月明かりは、三方向から飛びかかる矢尻を照らした。

 宵闇が味方したか、私の体に命中する矢はなかった。

「クソっ!!」

 しかし足元に、血に濡れた矢が落ちた。

 誰の血だ。私のではない。だが少なくとも、この三人のうちの誰かのものだ。


 待ち伏せ──。いや、そんなはずが……! 

 だって、この道を勧めてきたのはセリカで……セリカは私の友達のはずで……だから、その道に待ち伏せがいることなんて、ないはずなんだ……。

 セリカが裏切るなんて、そんなのありえない。もう私は、ヨハンに、父に、一生分の裏切りをされたんだ。一日に二回も三回も裏切られてたまるもんか! 


「さあ、走りましょう……! 急いで!」

 コンスタンツェが矢を拾い上げ、茂みに放り投げる。

 聞こえてきた「イテェ!」という悲鳴は、聞き違いがなければシュトゥール帝国で話される言葉だ。外国の者ではない。

「くそ、弓なんて当たんねえ! 剣を取れ!!」

 茂みから別の声がする。男が、他の仲間に命令を送っている声だ。

 周囲に、確認できただけで五人ほどの男が現れた。

 こいつらは、私たちを殺そうとしている。

 ……逃げないと。誓ったんだ。セリカに後悔させないって。

 疲労は限界をとうに超えているが、走らなければならない。グラウスタイン領に行って、そこで存分に生きてやるんだ。

 きっと、このふたりと街に住んで、店でも開いて、週末には教会に行って、そうやって、幸せに暮らすんだ。

 コンスタンツェが前方の男を斬り捨てる。本当に頼りになる騎士だ。

 彼女には力仕事を任せよう。革を取ってきてもらって、衣服や靴を作るのもいいかもしれない。


 私はひたすら、グラウスタイン領の方向に向かって走った。

 振り返っても、どうせ何もない。帝都なんて、二度と世話になることはないだろう。

 私は前だけ向いていればいい。

 そういえば、今までもそうだった。私がセリカとおいかけっこをして服を汚してしまったり、騎士ごっこをして絵画を壊してしまったりしたときも、彼女らが後始末をしてくれた。常に私の後ろに立ち、私が後ろを振り返らないで済むよう手助けをしてくれていたじゃないか。

 これは、これからも同じだ。こうやって、ふたりの足音が後ろから…………ふたりの?

「カーヤ……コンスタンツェは!?」

 今、後ろから聞こえる足音はひとつだけ。そしてこの軽い音は、間違いなくカーヤのものだ。

「コンスタンツェさんは……! 殿を!」

 殿──。後方から、金属のぶつかり合う音が聞こえる。

 そうか、コンスタンツェは後ろの五人を退治しているのだ。庭にヘビが現れたときのように、私に気付かれないまま倒してしまって、「何もありませんでした」と言ってのけるのだ。

 今回の相手は人間で、しかも五人がかりだが、あの至近距離で標的であろう私に弓矢をまともに当てられない練度の者なら、コンスタンツェの敵ではないはずだ。

「行こう、カーヤ。コンスタンツェなら、きっと後ろからついてくるよ」

「は、はい!」

 コンスタンツェの武勇と忠誠を信じ、前へ走り続ける。

 しかし、剣のぶつかる音が止まない。防戦一方なのか? まさか、コンスタンツェがそんなはず……。


「カーヤ、貴女、矢に当たったりしてない?」

 ひとつ、気がかりがあった。さっき、足元に転がった矢。そこについた新鮮な赤色が、月明かりを跳ね返していた。

「矢……ですか? いえ、そんなことは」

 矢は、私にもカーヤにも当たっていなかった。その意味に気付いたとき────


「え?」


 ────甲高い金属音が消えた。暗闇には、ふたつの足音と、勝利の雄叫びだけが響いた。


「…………あ、あぁ……あああ!!」

「……嘘、そんな…………」

 

 私は肺の空気を全て絞り出すように叫び声を上げながら、後ろを振り返った。暗くてよく見えないが、立っている人影は複数ある。そしてその中に、女性の、コンスタンツェの姿は見当たらなかった。

「…………」

 私の足は止まってしまった。思い描いた理想郷が、もはや雲の上にしかないのだと気付いてしまった。

 一度立ち止まると、体は途端に疲労を自覚し、もう立っているのが限界だった。この棒のような足を動かす気力は、涙と共にこぼれ落ちてしまった。

 コンスタンツェを下した男らが三人、こちらに走ってくるのが見える。

 彼女は手負いのまま、ふたりも倒したんだ。女性なのに、果てしなく優秀な騎士。弟と一緒に皇帝の騎士となれば、相応の地位を確立できたはずなのに……。


「早く! お嬢様!!」

 私の手が、背後から引っ張られた。

「コンスタンツェさんが時間を稼いでくれたのです!!」

 カーヤはそのか弱い腕で、細い体で、私を前へと引きずりながら、厳しく叱咤する。

「自分の足で走りなさい! あれはお嬢様を殺めようとしているのですよ!」

 人を叱る彼女の姿は、実に司祭の娘らしい。教会とエンフェルト家の友好の証として私の従者となった事を、彼女は後悔しているだろうか。

 人生の最期をカーヤに叱られたまま迎えるわけにはいかない。力を振り絞り、体の重心を前に倒す。すると、気持ちに関わらず、体が勝手に走ってくれる。


 空が白んできた。一晩中走っていたのだ。

 街道が陽に照らされ、敵の位置が判明する。彼我の距離は百メートル程度だろうか。奴らは弓矢に剣と色々持っているようで動きは鈍重だ。

 待ち伏せて一気に仕留めるつもりだったのだろう。

 ──いや違う。そもそもあれは待ち伏せではない。…………そう、野盗、もしくは盗賊騎士だ。 あれが例えばヨハンの傭兵で、私たちを待ち伏せていたというのなら、私たちをグラウスタイン領へ誘ったセリカが裏切り者だという事になってしまう。あり得ない、そんなこと。

「コンスタンツェ……まさかあんな野盗に……」

「野盗……何を言ってるんですか、あれは!」

「盗賊だ! 盗賊が出たんだよ!!」

「目を覚ましなさい! 私たちは、セリカ様に騙されて──」

「違う!! セリカは私の友達だから! そんな事!」


「…………ギネヴィア様」

 カーヤはそう呟くと、私から手を離した。

 強く締め付けられていた右の手首が解放され、赤い跡だけが残る。

 そして不意にカーヤは立ち止まり、こちらを振り向いた。

 カーヤは、どんな顔をしていただろうか。

 それも分からぬうちに、私から離されたカーヤの手が、私の頬を薙ぎ払った。

 衝撃に耐えかね、目尻から涙が滴り落ちた。


「ひとりの友達が、そんなに大事ですか……。私、悔しいですよ。あんな……あんな女に誑かされるような人に!! 私の言葉が、想いが! こうも伝わらないなんて!!」

「カ、カーヤ……」

 カーヤは私の手を包み込むように握りながら続ける。

「お嬢様にとって、友達というのがそんなに大事な存在なら、私が友達になります! それでは、不足でしょうか……!?」

「カーヤ、貴女は、私を裏切らない? ずっと、ずっとそばにいてくれるの?」

「お嬢様──」

 その時、カーヤの全身が一瞬強ばった。次に彼女は目を見開き、私の体にもたれかかってきた。

 彼女の体を抱きしめる。背丈は同じだが、彼女は頭が私の胸に来るくらい体を傾けているため、自然と見下ろす形になる。

 彼女は顔を上げ、私を見上げた。

「……カーヤ? カーヤ!!?」

 私を見つめるその目は大きく開かれ、口は痙攣のようにガクガクと震えていた。

 


「よっしゃあ!! 当たった!!」

「すげえ、五十メートルはあるんじゃないか!?」

「俺、実は弓のセンスがあるらしいな!」



「ごめんなさい……お嬢様…………」

 視線を下ろす。カーヤの足には、矢が突き刺さっていた。

 登り始めた太陽は、決して私の味方をしなかった。

「どうか……幸せに、なって────」

 カーヤはその言葉を最後に、私の体をずるずると滑り落ちていった。そして地面に倒れ込む寸前に、私の体を前へと押した。

 「生きろ」と、そう言うように。


「ギネヴィア・フォン・なんとかは討ち取った!!」

「もうひとりはどうする? 逃げてくぞ」

「おそらく付き人だろう。生捕にしろ! おいしくいただいちまおうぜ」

 カーヤの着る煌びやかなドレスは、彼女を貴族に見せかけたようだ。


 違う、お前たちの矢が当たったのは、そのギネヴィア・フォン・なんとかの友達だ。

 許すわけにはいかない。絶対に逃げ切って、お前たちにカーヤの愛したスレイ教の教えを説いた後、神とは反対の方へ送ってやらなければならない。

 私は、復讐のために生きねばならない。ヨハンと、それに連なる皇族たちを討滅し、裏切り者の首を、私が失ったものの代わりにはねてやらねばならない。

 そう、決意した。


 しかし、決意とは裏腹に、私は無力だった。朝の日差しが地に落とす長い長い私の影は、昨日までの自分を写しているかのようだ。

 カーヤが脱落してから、どれだけ走っただろうか。息も絶え絶えになり、気力を酸素の代わりにして走っているようだ。

 刻一刻と、後ろを追う男どもとの距離が縮まる。

 逃げろ、逃げろ──! 最後に私が足を止めるとすればきっと、心を擦り減らし、逃げるのが馬鹿らしくなった時だ。私には、確固とした目的があり、それに向かい全力で駆けている。

 それなのに、足はもう、前へと進んでくれなくなった。

 不意に咳が出た。咳は液状で赤かった。二回、三回と繰り返し、地面を染めた。

「────」

 自分を奮い立たせる声すら出せなかった。


 

 ……?

 遂に地面に手をついてしまった私の前方約三百メートルといった距離に、何かの影が見えた。

 馬車だ。こんな朝早くに、馬車を走らせる行商があるだろうか。

 これまでの人生で創り上げた脳という辞書の、直前に開かれた頁には、どうやら『待ち伏せ』とある。

 馬車から人が降りた。

 その人は、手に弓を持っていた。大きな弓だ。

 矢がつがえられた。

 まさか、その距離から撃つのか……? 三百メートルだぞ。後ろの連中は五十メートルで大はしゃぎしていた。

 矢は放たれた。斜め上空に飛び立った矢は、途中で折れ曲がり、こちらへ向かって落下を始めた。

 ……助けて、助けて、父様、母様、カーヤ、コンスタンツェ──!!


「がぁあ!!」

 矢尻が何か硬いものに当たり、大きな音を立てるのと同時に、男の悲鳴が上がった。

 蒼天を裂き、狂いのない弧を描いた矢は、後ろを追う男の脳天を穿った。

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