21. 思い違い
「つまり、サボってただけ?」
「す、すみません……」
「ふぅん」
ペーターは弱弱しく頭を下げる。彼は教会堂の清掃という神への奉仕を怠り、異性との歓談にふけっていたのだ。なんという冒涜か。新興貴族の子息がこのような不敬をはたらいていることが世にしれれば、フロッシュ男爵は貴族社会から消滅することとなるだろう。おや、もしかしたら私は強力な脅し文句を得てしまったのではないか。
「聖堂の掃除を」
「うぅ……」
「サボった」
「……はぃ」
「帝国貴族の息子が」
「…………」
「まずいよ、これ、知られちゃったら。お父さんどこかに埋められちゃうんじゃない?」
短く脅しを重ねるが、ペーターは顔を伏せ続けるばかりだ。なんというか彼の様子に変化がない。もっと焦っていいはずだ。この国の貴族名鑑に名を連ねられる程度の家に生まれたのなら、神への奉仕がどんな意味を持つかを理解していないはずがない。掃除のサボり程度といえ、言いようはいくらでもあるのだ。
フロッシュ家と皇家の密な関係を報告することができれば、外套に隠した例の書類と関係がなくともエレミアスによる私の評価が上がるのは必然というもの。
心を痛めつつも、少年を揺さぶる。彼の弱み、たとえば「”なにがし”だけは……!」なんて文言を引き出せたならもはや私の勝利だ。
「ペーターだって、ただじゃすまない」
「…………」 違う。
「せっかくの男爵領も取り上げられる」
「…………」 これも違う。
ペーターは沈黙している。自分の家のことなど二の次だといわんばかりに。
なら次だ。彼の周りにあるもので、彼にとって家よりも重要なもの。このかわいい見た目で初めて狩った鹿のはく製なんていう線は薄いし、だからといって、まさか婦女子の好むような人形や指輪などでもあるまい。
……ひとつ、実に貴族らしいのが思いついた。
主君だ。御恩と奉功の時代に、主君への忠誠心を貴族が携えていても何の疑問も生まれない。つまり、彼にとっての最重要事項がグラウスタイン辺境伯か、もしくは直接仕えているエレミアスであるという説だ。
これを投じてみる。
「ペーターの不埒は、エレミアスたちの監督不行届ってことになるね」
「え……」
しかし、もしこれがペーターにとって何よりも肝心なものだとしたら、私は一体エレミアスに何を報告すればよいのだろう。「ペーターは以前からエレミアスに心から仕えていたけれど、やっぱりその忠誠心は本物だよ」……とかだろうか。なんの報告だ、それは。
待て、ペーターがエレミアスに強固な忠誠心を持っているのだとしたら……。彼の父は確かに皇帝から男爵を受け取ったのだから、フロッシュ家は実は新皇帝派であり、息子をエレミアスの従者とすることで情報を奪取しようという算段なのだと踏んでいたが、その読みに狂いが生じる。
くっ、これも違っていろ。ペーターにはきっと何事にも代えがたい人形か指輪かはく製があるのだ。沈黙を続けろ!
ペーターは口を開いた。
「ま、待ってください! エレミアス様だけは……!」
それは必死の訴えのように聞こえた。エレミアスの名前を出した途端血相を変えた彼の様子から読み取れるのは、自身よりもエレミアスの信頼が失墜する方が問題だと考えているということだ。
つまり、私の推測であったフロッシュ家の叛心は存在しなかったという……。
「それは……本当?」
念入りに問う。聞き間違いかもしれない。
「は、はい! 僕がどうなっても構いません! 望みとあらば、一番槍となって皇帝の座すシアハウゼン領に乗り込む所存です! ですから、どうかエレミアス様の名声に傷をつけるのだけは……どうか!」
「…………」
見上げた忠誠心だ。カーヤといい、従者というのはみんなそうなのか? 貴族には個人主義的で自己中心的な連中も多いが……。
従者の生態はともかくとして、ペーター自身に叛心はないとみていいだろうか。あとは彼の父であるフロッシュ男爵だが、先ほどルートヴィヒから聞いた言葉を思い出す。
──子が親と同じ考えを持っているとは限りません。
そうだ、ペーターは男爵の息子だが男爵ではない。彼が個人主義的な思想の持主であれば、親の考えよりも自分を優先してもおかしくはないはずだ。まだ私の推測に致命的な誤りはない。
「ペーターだけだとちょっと頼りないかな。お父さんも一緒だといいんだけど」
「もちろんです。父も喜んで一番槍を務めることでしょう」
……もちろん…………。それはつまり、男爵もグラウスタインに堅強な忠誠心をささげているということか? いや、口だけならどうとでも言えてしまうのだ。何か忠誠を示すような実績がないと……。
「だめだよ、ペーター」
その時、少女の声が飛び込んできた。ペーターとふたりで話していたユリアの声である。敬語を省いた口調は耳慣れないが、年相応だ。
「もっと自分を大切にして。もう貴族なんだよ。自分ひとりだけの命じゃないの。フロッシュ男爵になにかあったら、領地を継ぐのはペーターなんだから」
「でも、父さんが貴族の仲間入りを認められたのは、東部戦役での活躍があったからで……」
「確かに戦争での活躍もあるけど、それだけじゃない。それ以前から父様との深い関係があってこそ。シュトゥール帝国の民だからって、武功だけが全てじゃないんだよ」
…………ん? 東部戦役での活躍?
東部戦役といえば、当時は侯爵だったジェラルド・フォン・グラウスタインが東方から攻め寄る騎馬民族の撃退に成功した有名な出来事だ。この功によってグラウスタインは辺境伯となった。ペーターの父はそんな戦役で活躍したらしい。これを忠誠を示す実績と言わずしてどうするというのか。
果たして、フロッシュ男爵と息子のペーターに、さしあたり叛心は見られないということだ。
喜ぶべきか、悲しむべきか。辺境伯家の硬い地盤を垣間見た代わりに、叛心を報告する予定が水の泡となってしまった。そんな私をよそに、年若いふたりは「武功は大事」だとか「別にやるべきことがある」だとか言い合いをしている。主導権はユリアが握っているようだ。
しかしこれでは、私は無垢な少年をいたずらに脅した酷い悪女ではないか。まさかユリアにそんな姿を見せてしまうとは……。彼女には貴族社会と私とを繋ぎ止める役割を担ってもらわないといけないのだから、嫌われるわけにはいかないのだ。
「ゆ、ユリアはしっかりしてるね……! ペーターも見習わないと」
「そうですよ! 父様も兄様も、領民を守る貴族が自ら戦場に立つなんてありえません」
貴族が戦場に出るのは致し方のないことだが、ここでわざわざ指摘しては心象が悪いだろう。十と少しの歳の少女にとって、身近な者が戦地に赴く際の不安は、実際に戦地に立つ者のそれよりも大きいものだ。
彼女に同意して、機嫌をとることとする。ペーターは膨れっ面だ。後で何か埋め合わせを考えておこう。
「ふふ、この国の男はなぜだか戦場が好きなきらいがあるよね」
「ほんとにそうですよね。兄様なんて、弓が得意なはずなのになぜか殴られた痕をつくって帰ってくるんですよ? どうしてそんな事態になるんでしょう」
弓が得意な貴族……。ひとりの顔が思い浮かんだ。
「エレミアスみたいな人だね」
彼も傭兵団の討伐のおり、見事な打撲痕をつくっていた。それ思い出し、少しにやける。
そして、ユリアの家族構成について詳しく知っていない事を、彼女の言葉で思い出した。
「えっ、あの、エレミアスは、私の兄です……」




