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2. 追放

 ……理解できない。ヨハンは何を言ってるんだ!?

『婚約を破棄する』だと? これは平民の浮かれた婚約話じゃない。家と家がする、同盟や条約と同じような意味を持った婚約だ。それを当事者である私に一切の報告もなく、一方的に棄却するなど、重大な裏切り行為に他ならない。

 皇家は信頼を地に落とすつもりなのか?

「容認、できません。ヨハン殿下はすでにエンフェルト領を幾度も訪問され、領民の多くもヨハン殿下の統治に期待を寄せています! エンフェルト領主の娘として、民の期待に背くことなど──!」

「君の言うエンフェルト領の統治に関して、心配には及ばないと意見しておく。予定通り、私が統治を主導する」

 ヨハンは淡々と言う。まるで、出来上がった報告書を読み上げるように。

 エンフェルトと縁の無い者が、領の統治を……。それは、内政干渉とどう違うんだ。ヨハンが皇族であり、私と婚約したことでようやく信頼できていたに過ぎない。婚約状態でなくなった、いや、一方的な消滅があった以上、どう信頼しろというんだ。

「君では話にならない。エンフェルト伯の意見を要望する」

 先程からなぜか口を開かなかった父に、諸侯の視線が集まる。

 そして、飛び出た言葉は、信じ難いものだった。

「エンフェルト領主として…………ヨハン殿下の意見に賛成する。娘の戯言は私の監督不届行によるもの故、どうか許していただきたい」

 体が震えた。悪寒、そして危機感。父が、私の味方をしてくれなかった。政治の道具としても扱えない娘には、それだけの価値もないらしい。婚約者だけではなく、父にまで裏切られるのか。

 私は今、皇子や諸侯らに同情の目を向けられている。仕方ない、許してやろう、と。ありがたいとは思わない。許されて当然だ。そもそも、なぜ私が許される側なんだ。裏切ったのは、悪行をはたらいたのは、皇子の方じゃないか!


「だめだ。これはギネヴィアを側で見ていた一個人としての見解だが、彼女は皇妃としての常識に欠け、領主としての才もない。帝国貴族のあるべき姿を成しておらず、その生産性に目を向ければ、平民にすら劣る」

 顔と言動が一致していないじゃないか、ヨハンめ。少し食い意地が張っているだけのことをそこまで脚色するか。それに、多くの諸侯は私を許すべきだという顔をしているぞ。周りの顔色も伺えないとは。

 なぜこんなのが第一皇子なんだ。

「よってギネヴィアは帝国に不要であると断言する。明後日以降、君がシアハウゼン領及びエンフェルト領に存在すれば、それを領地侵犯とみなす」

「────え」

 領地侵犯……追放、だと……。それも、エンフェルト領まで? いったい、なんの権利があって、こいつは馬鹿げた事を放言しているんだ。

 これに抗弁したのは、私の従者だった。彼女は、カーヤは私の隣に並び立ち、手を震わせ、陰で私のドレスを不安げにつまみながらも堂々と発言した。

「も、申し立ていたします! いくら皇族であろうと、他家の領民に対し生命権を脅かす行為など、越権であると言わざるを得ません!」

「君は──何だ」

 ヨハンが問うたのは誰か、ではなく、何であるか。追放の確定した女の従者、これがどんな立場であるかもう一度考えてみよ、という言葉だ。

 しかし、カーヤは食い下がった。

「エンフェルト伯爵の長女ギネヴィア様の侍女を務めるカーヤ・シュヴァルツと申します! 殿下がエンフェルトを治めると、そう仰るのなら、エンフェルト公民のひとりである私の声をどうかお耳に──」

「結構な事だ。だが、申し訳ないことに、私はまだエンフェルト訛りがよくわからなくてね」

「……っ!?」

 なんなのだこれは。間違いなく、権力というのを勘違いしている。

 ヨハンの言動は、皇家の信頼をかなぐり捨てるようなものだ。いくら皇家といえど、周辺諸侯の信頼が底をつき、次々と反帝国派に寝返れば、公爵家と手を組んでも破滅、よくて没落だ。

 見ろ、諸侯らは皆顔をしかめているぞ。ここからどう信頼を回復するつもりだ。それともなにか裏があるのか? そうに違いない。でなければ、このような愚行……!


「ふむ、どうやら、私ひとりがギネヴィアの人格を否定するだけでは不十分のようだ。セリカ嬢、こちらへ」

 セリカ……? まさか。

 ヨハンに呼ばれ、その隣に立ったのは、私の友人であるセリカ・フォン・ゴーセスラントだった。彼女は俯きつつ、たまにちらりと私を見る。私に何かを訴えるように、眉尻の下りきった目で。

 ヨハンは立ち上がると、右腕でセリカの腰を抱き寄せた。あれは、ヨハンがかつて私にもよくしていた癖のような行動だ。節操なしめ。

「ギネヴィア、君はセリカの事を無二の友だと認識していたようだが……その考えは改めるべきだ。さあ、セリカ嬢」

「はい」

 セリカは細々とした声色で、恐ろしい事を言い出した。

 いわく、「ギネヴィアから凄惨ないじめを受けていた」「殿下の婚約者たるギネヴィアはその立場を利用し傍若無人な振る舞いを繰り返した」等々……。ギネヴィアという女がいかに信用するに足らず、無知で高慢であるかを、その理由とともに、ひとつずつ確かめるように話す。

 全て、嘘だ。私を悪女たらしめるその『理由』には、私のしたことのない言動が多分に含まれていた。私はまずい食事をテーブルごとひっくり返したことなどないし、自分が美味い食事をするためだけに民から租税を徴収しているわけではないし、「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」だなんて一言も言った覚えがない。

 悪質なプロパガンダだ。ヨハンめ、セリカにこんな事を言わせてまで私の人格を否定したいのか。

「ねえ、ギネヴィア」

「セリカ、馬鹿なこと言わないで。おかしいよ、こんなこと」

 私はセリカの姿に違和感を覚えていた。きっとそれは私だけではなく、セリカのことを知る者の全てに言えることだろう。

 普段のセリカは、天真爛漫という言葉がよく似合う、無邪気で可愛げのある女性だったはずだ。彼女が風邪をひいた時でさえ、ここまで元気のない顔は見せなかった。

「聞いて、ギネヴィア。私ね」

 セリカは私の友人だ。小さな頃からよく互いの家に訪問して、一緒に遊んだり、一緒に美味い食事を囲んだり、一冊の本について一日中語り合ったり……楽しかった思い出が、いっぱいあって……

「私ね──ギネヴィアのことが、大嫌いだった。貴女の勝手に振り回されるのは、もう散々」

 体から力が抜けていった。

 ずっと、セリカが見せる笑顔が本物だと思っていた。今だってそう思っている。けれど、もしもあれが偽物の笑顔だったら。貴族同士であることなんて関係ないと、独りよがりの友情ごっこにセリカを無理やり付き合わせているだけだったら。そんな不安が、私の胸を貫いた。

「セリカ様……それは、本当なのですか」

 カーヤが尋ねた。

「ええ、そう。貴女と同じ、ギネヴィアに迷惑しているひとり」

「なっ、私はそんなことは!?」

 私のドレスを掴むカーヤの力が強まった。シワが広がる。後でカーヤがのばさなければならないシワが。カーヤは、私がいつもしわくちゃにする衣服を、どんな気分で洗濯しているのだろう。セリカの言う通りなら、必要以上の仕事を煩わしく感じているのだろうか。そんなこと、考えたこともなかった。

「そっか…………ごめんね、セリカ──」

「…………」

 セリカは何も言わず、私から目を背けた。



 ヨハンはセリカの腰をさらに強く抱き寄せた。まるで、婚約者にするように。

 ──ああ、そうか。諸侯を油断させようとしたわけに、私はようやく気が付いた。

 公表するはずだった事柄の本文は、私との婚約の破棄ではない。

 重要なのは、おそらくセリカ・フォン・ゴーセスラントとの婚約だ。

 ゴーセスラント家はシアハウゼン領の西に隣接する伯爵家だ。豊かな自然と、広大な穀倉地帯を有している。皇家は、裏切り行為によって信頼を傷物にしてでもこの地を押さえようとしているのだ。

 東方のグラウスタイン領を睨んだ皇家にとって背後にあたり、かつ大穀倉地帯を抱えるゴーセスラント領。それを強行手段をもって手にする。

 まさか、皇家は本格的にグラウスタイン家と敵対しようというのか。ならば、帝国諸侯間における信頼関係の意味合いが大きく変わる。どっちつかずの態度は許されず、皇帝派か反皇帝派かの二択を迫られる。

 その上で皇家は、シアハウゼン領の東、グラウスタイン領の喉元を狙えるエンフェルト家、そして、後顧の憂を断ち、兵士の空腹を満たすためのゴーセスラント家、この二家の支援を確定させた。

 少なくとも、皇家、公爵家、エンフェルトとゴーセスラント伯爵家。それだけでも十分な戦力を確保できるのに、そこに、皇家の武力にすがりたい諸侯が加わるというのか。


「皇家は、戦争でもするのですか」

「そうだ。帝国に巣食う害虫を処理するのだ」

「!? 戦争、それは、市民の安全が確保されたものですか」

「諸侯の対応によるだろう。エンフェルト伯は利口だったぞ。一歩違えれば、エンフェルト領の駆除をするところだった」

 こいつは、私から多くを奪った挙句に、領民の生活さえも脅かすのか……!!

「ヨハン、お前は! 帝国を戦火に晒す、最悪の愚帝にでもなるつもりか!!」

「黙れ! 炎で照らしてやらねば、帝国の抱える諸問題に見向きもしない貴様らのためだ! ギネヴィア!!」

 ヨハンは腰に下げていた剣を抜き、こちらへ向けた。

 皇帝は牙を剥いた。揺れる諸侯に対し、お前の首など容易に狩れるぞ、と。しかし、従順な諸侯には安全を提供するらしい。

 もしヨハンのシナリオ通りなら、油断して判断力の鈍ったところに、この選択肢が眼前に突きつけられたことになる。帝国貴族というのは普通、そもそも皇帝派であり、鞍替えには多大な勇気と体力、判断力、そして決断力を要する。


「どけ! どけ!」

 突然、会場に荒々しい声が響いた。同時に、近衛の静止を振り切り、ひとりの女性が走ってきた。

「コンスタンツェ? 何をしているの!?」

 コンスタンツェ、私の護衛として連れてきた者だ。別室で待機していたはずじゃないのか。どうしてここにいて、それに、どうしてヨハンに剣を向けているのだ。

「こいつの不合理的な振る舞いはもはや看過できません! ここで除かねば!」

「馬鹿なことはやめて!」

 コンスタンツェの腕を掴み、なんとか静止する。

 討ちたいという気持ちと討っていいか別問題だ。私の従者がここでヨハンを討てば、これを契機に皇家が軍事行動を起こす可能性がある。エンフェルトに侵攻し、実質的な従属状態を絶対的な従属に確定させる、もしくは反皇帝的な思想の危険性を説き、反皇帝派諸侯を攻撃することも考えられる。

 とにかく私は冷や汗の命ずるまま、コンスタンツェの腕を引っ張り続けた。

 これに対し、ヨハンは淡々と対応した。こうなる事を予想していた? エンフェルト出身の近衛がいないのはこのためか。

「捕らえよ」

 近衛が集結し、私たちを取り囲んだ。

「三日後には牢の中で領地侵犯だな、ギネヴィア──!」


「──逃げろ!」

 私の前に大きな影が走り寄り、そう告げた。

 私はわけもわからないまま、コンスタンツェとカーヤの腕を掴んで走り出した。

「待て──ぐっ」

 コンスタンツェが近衛の一角を突進で切り崩し、私たちは会場の出口へと走る。

「逃亡を幇助するか、ジェラルド・フォン・グラウスタイン!!」

「逃げろ、とは、危険の迫った殿下に進言したところでございます。どうぞ、危険分子を殿下より遠ざけて見せましたよ」

「詭弁を──!!」



 私たちは、会場のシアハウゼン城から逃げ出した。西に太陽が沈むところで、辺りは闇に飲まれようとしていた。

 外に配置された憲兵は中の様子を分かっていないようで、私たちを引き止めようとはしたが、すぐに追ってくることはしなかった。

 放射状に伸びる道が、私たちを惑わせる。どこに行けば良いのか、見当もつかない。とにかく、今に来るであろう追ってから身を隠すため、ひたすらに走った。

「お嬢様……」

 薄暗い路地に、コンスタンツェの声が響く。弱々しい声がしかし、今はどうしようもなく頼もしかった。

「申し訳、ございません……」

 コンスタンツェは夜風にさらされて頭を冷やしたようで、今になって謝罪をした。まったく、一国の皇子に刃を向けるなんて、どれだけヒヤヒヤしたことか。

 だが、そんな彼女の蛮行ともとれる行為に、私を想う気持ちが滲み出ていることがわかる。何もかもが私の手を離れていく中で、従者たちが最後まで私の味方をしてくれたことが、なにものにも代えがたい幸運だった。

 せめて、このふたりだけは失うわけにはいかないと、そう思った。


 そんな私たちを見守りにきたか、監視でもしにきたのか、東から、月がのぼりはじめた。

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