18. エレミアスの課題
グラウスタイン領都アイゼンブルク。城壁に囲われた教会堂の一室は、皇子との婚約を破棄され、グラウスタイン家に身を寄せる私──ギネヴィアの住まいとなっていた。そしてその隣の部屋に、新たな住人が住み始めた。私の従者であり友達の、カーヤ・シュヴァルツ。エンフェルト領の司祭シュヴァルツ卿の娘である。
あの救出作戦から十日が経ち、打ち捨てられたようにボロボロの状態で眠っていたカーヤの体力も徐々に回復していた。その回復を待ち、カーヤを休養中の部屋から連れ出し、私の部屋へ招待したのだ。
しかしカーヤは用意した菓子に手を付けず、私の世話をすると言って聞かなかった。
熱心に行っていた神前での祈祷も提案したが、彼女は私を優先した。姿見には、ぼさぼさの頭をした”平民”が映っていた。カーヤは私が教える前に櫛を見つけ出し、嬉しそうに私を椅子に掛けさせた。こうなっては断るわけにもいかなかった。
「ギネヴィア様、それは?」
カーヤは机に置かれた紙を指さした。やけに偉そうなメイドが「エレミアス様から」と何の説明もなく私の部屋に置き去りにしたものだ。仰々しい単語と数字の並ぶその書類には、初めにこう記されていた。
「この書類を渡した意図と、それが意味するところを答えてみてくれ」
これを聞いたカーヤは不快感を示した。
「何ですか、それ。あの人、ギネヴィア様を試そうと?」
「そうみたい。でも、何かしらの能力があるって認められれば、家臣として重用されるのも夢じゃないかもしれないから」
「家臣、ですか。なんだか悔しいです。ギネヴィア様は、皇妃としての厳しい教育を受けてこられたのに……」
「昔の話だよ。今の私は平民だから、家臣になるのも大変そうなのに、こんなチャンスが巡ってきたんだから頑張らないと」
今一度、書類に目を通す。カーヤは私の髪を櫛でとかしながら、数字の羅列を覗き込んだ。
「国防……えっ、国防費の内訳と推移、ですか? ギネヴィア様、これ、私が見ても大丈夫なんですか?」
「うん。私が信頼をおく人になら見せてもいいって。だからカーヤなら問題ないよ」
「そう……ですか」
そよ風で吹き飛んでしまいそうな声だ。顔は見えないが、声色と一瞬力の込められた櫛、それと頭皮の痛みから照れの混じるのがわかる。庇護欲、とでもいうのだろうか、見ずとも伝わるにやけ顔は私に、彼女を守り、二度と手放してはならないと訴える。
しかし、私には守るための力がない。兵士のひとりも従えていない現状では、この城壁とグラウスタインの騎士たちの力を借りなければならない。打開策は、どうやらこの書類に隠されているので、それを紐解く必要があった。
まず、これは意外だったのだが、皇家との関係が悪化した今でも、東方の防衛費用として予算が皇家から提供されている。戦争をするとまで宣言した敵性勢力に対し、資金が送られ続けているのだ。
「東方防衛の見返りとして?」
「そうでしょう。反皇帝派の立場を取っていたとしても、東方の脅威から帝国を守っているという事実は揺らいでいません。支援を打ち切れば、御恩と奉功の関係にヒビが入ることとなります」
この国には、御恩と奉功という考え方がある。奉仕の見返りとして、安全を約束する。小貴族は穀物の見返りに農民を守り、大貴族は忠誠の見返りに小貴族を守る。これは帝国の貴族社会において信頼の言い換えだ。あらゆる上下関係に御恩と奉功は現れる。
「辺境伯も、東方のグラウスタインだけではありません。南東の他宗教民族も厄介な存在ですから、辺境伯が存在します。その地を治めるバイエルン辺境伯は皇帝派にも反皇帝派にも属していません。そのため、皇家は自分たちの体制になにか問題があれば、バイエルン伯が敵性勢力と化す恐れがあると踏んでいるでしょう。辺境伯家への支援に手を加えられないのはおそらくこのためです」
「…………」
「ギネヴィア様?」
私は心の中で、カーヤの優れた知識と、彼女を頼った私を強く称賛した。それから自賛を省き、彼女へ賛辞を送る。
「さすが、教職者ね。カーヤに見てもらって正解だった」
「……い、いえ、それほどでも……」
帝国において知識を糧にして生きる者は大まかに三種類に分けられる。貴族、商人、そして教会の下で働く教職者だ。人に教えを説く者なら当然、自身も多くの了見を身に着けておかなくてはならない。
カーヤは声の調子を明るくして続けた。
「あそこは他宗教民族国家と隣接しているので、スレイ教の布教活動が非常に活発で、異端に対しての制裁も帝国内で類を見ません。そこに、皇帝軍に関するあの噂です」
「噂……。皇帝軍……異端……。アカ派の事?」
「はい。皇帝軍に巣食う異端の衆──アカ派。連中の噂は、グラウスタインを訪れる巡礼の修道者からも聞くことができました。バイエルン伯も、間違いなく異端の存在に気付いているはずです。彼らが異端の存在を認めることはありません。両家の関係は最悪でしょう。皇家はバイエルン家の機嫌を注意深く伺う必要があるのです」
「グラウスタイン家への支援を打ち切れば、同じ辺境伯家のバイエルン家はこの国防支援を信用しがたくなる……だから、資金が送られ続けてる……」
──カーヤ……すごい……! 金銭の動きひとつでここまで考察を張り巡らすことができるなんて。
この流れに乗って、私は次の気になる項目を取り上げた。
「それと、防衛費の内訳なんだけどね──」
辺境伯家にとって国家の防衛は何物にも代えられない使命であり、皇家からの献金を差し引いても予算を大きく圧迫している。これについても尋ねようとしたが、カーヤは遠慮がちに口を開いた。
「あ、あの……」
「ん、どうしたの?」
「申し訳ございません、軍務に関してはあまり明るくなくて……」
「い、いやいいんだよ! もともとこれは私に出された課題だし」
カーヤは窓の外を見る。図らずも、私も同じ西の太陽を望んでいた。同じ人を想っていたのだ。エンフェルト家の軍務の話を私にしてくれるのは、コンスタンツェという女性の騎士だった。
傭兵団が残した情報によると、コンスタンツェはあの街道で私たちを逃がした後、奴らによって生きたまま捕らえられたらしい。傭兵団のアジトにいなかったということは、皇家の手に渡ったということだろう。
「騎士……騎士の方なら、こういうことに詳しいかもしれませんが……」
「この資料を見せられる信頼のおける騎士……それこそ、コンスタンツェくらいしか……。あ、いや、待って。私が信頼している必要はないんじゃないかな」
「え、どういうことですか?」




