目覚め
身体が痛い。
喉が渇いた。
二日酔い?
昨日飲み会だったっけ?
今日は何曜日?
あれ?ウチのベッドこんなに固かったっけ?
もしかして床で寝ちゃった?
たくさんの疑問が頭の中でグルグル回るけど眠くて思考が纏まらない。
眠いしダルいし今日は会社休みたいな。
でも休むと次の日課長がネチネチうるさいんだよなぁ。
あとちょっと、あと5分だけ寝かせてー。
うとうとしながら寝返りを打とうとして右足に痛みが走る。
違うー。
一瞬で眠気が吹き飛び冷や汗が出る。
今の私は土井咲樹じゃない。
リラだ。
ユークレス王国の第一王女リラ・ルチル・ユークレスだ。
学園で父の死と兄の反逆の知らせを受け呆然とする私にアリア達は暫く身を隠すように言った。
兄がすんなりと王座に着くとは思えなかった。
王座を巡る争いが起きる。
そして内部で争いが起きれば他国が攻めてくるかも知れない。
平和なこの国は私達はどうなってしまうのか。
怖い。
寒くないのに震えが止まらなかった。
何もかも放り出して逃げ出したい。
前世みたいに。
でも、もう後悔はしたくなかった。
震える身体で王都に戻る事を告げるとアリアは反対したが渋々折れた。
「ーわかりました。どうしても王都に戻られると仰るのなら条件があります。王都に着くまで殿下には従者に扮していただき、私が殿下に成り代わります。そしてーもし、もしも敵に襲われたら何を犠牲にしても逃げて下さい。殿下。約束して下さい。絶対に生きて王都に戻ると」
私はアリアと約束し、少人数の護衛を連れて夕闇に紛れてひっそりと学園を後にした。
そして王都に向け馬車を走らせている途中襲撃を受けた。
「いたぞ!逃がすな!殺せ!!」
「怯むな!命に替えても殿下をお守りしろ!」
敵と味方の怒号が飛び交い王女に敵が迫る中、護衛の1人が敵の目を掻い潜り私を連れてそっと山の中に逃げ込んだ。
でも敵は見逃してはくれなかった。
「振り返るな!行け!!」
小さいが強い声と共に背中を押された私は転がるように駆け出した。
それからは無我夢中だった。
走れ。
逃げろ。
生きて王都に行くんだ。
それだけしか考えていなかった。
違う、考えるのを拒否していた。
アリアはあの護衛はー。
溢れそうになる涙を堪える。
泣くな。
泣く位なら足を動かせ。
そう自分に言い聞かせながらひたすら走った。
転び、泥だらけになっても絡む長い髪を切り捨てても走り続けた。
そして獣罠にかかり意識を失ったんだ。
そこまで思い出してようやく目を開く。
全部夢じゃない。
従者の服と短い髪。
痛む身体を少しずつ動かして状態を探る。
あちこち痛み、特に罠に締め付けられた右足は腫れて熱を持ちかなり痛む。
頭痛とめまいもするけど何とか上半身を起こした。
私はまだ生きている。
でも私は間違っていたの?
鼓動が早くなり息が浅くなる。
落ち着け。
間違っていたところで今さらどうにもならない。
今出来る事をしなければ。
何度か深く息を吸い込み、呼吸を整えて辺りを見回す。
狭い部屋の中にはベッドと小さなテーブルがあるだけだった。
敵に捕まったわけではなさそうだった。
体は拘束されていないし、窓にも格子がはまっていない。
何より枕元には私の短剣が置かれている。
だが油断は禁物だ。
短剣を手に取り胸に抱く。
足は痛むがこのまま窓から逃げようか。
王都まであとどれ位なのかー。
そう考えているとドアが開いた。
咄嗟に短剣を鞘から引き抜き身構える。
部屋に入ってきたのはまだ十代に見える男だった。
着ている服は粗末で焦げ茶色の髪の隙間から真っ黒な瞳がこちらを見ている。
背はそれほど高くはないが引き締まった体をしているのが服越しにもわかった。
数秒沈黙が続いたが声を出したのは男だった。
「…食えるか」
それだけ言うと手に持っていた盆をテーブルに置いた。
盆の上には木の椀とコップが乗っていた。
喉はカラカラでコップに飛び付きたいのをぐっと堪えて男から目を逸らさず睨み続ける。
警戒を解かない私に男は小さなため息を吐いて椀の中身を匙で掬って自分の口に運びコップにも口を付けごくりと飲む込む。
「食え。食わないと死ぬぞ」
そう言うと男は部屋を出ていった。
耳を澄ませると足音は遠ざかり別の部屋のドアが閉まる音がしてそれきり物音はしなかった。
痛む足を庇いながらおそるおそるテーブルに近付き盆の中を覗く。
古い木の椀にはドロドロの粥の様な物と緑や茶の植物が細かく刻んで入っていた。
匂いを嗅ぎ、ほんの少しだけ匙で掬って口を付ける。
暫く舌の上に乗せて刺激がないのを確かめてゆっくり飲み下す。
所々欠けたコップの中身はただの水に見えた。
粥と同様に舐めるように口に含み暫くして飲み込む。
即効性ではない毒の可能性もある。
口を付けた男も今頃解毒薬を飲んでいる可能性だってある。
疑いだせばキリがない。
だけど今毒を盛る位なら寝ている間に飲ませれば良かったはずだ。
喉はカラカラで体は食べ物を欲している。
このまま疑って食べなくても体力はすぐに限界を迎える。
覚悟を決めてコップの水を一気に飲み干したいのを我慢して1口ずつ喉に流し込む。
美味しい。
ただの水がこれ程美味しく感じたのは初めてだった。
粥も掻き込みたい衝動を抑えて1匙ずつゆっくり味わう。
植物の青臭さが残るが薄い塩味が身体に染み渡った。
ここはどこであの男は誰なんだろうか。
私を助けたのはただの親切心なのか他に魂胆があるのか。
何もわからないまま私は無言で水を飲み、粥を食べ続けた。