野良猫と忘却の行方③
ハァハァと肩で息をしながら額から流れる汗を手の甲で拭い険しい山道を登る。
普段は現場に出る事は無いけど部隊の一員として日頃から基礎的な鍛練は重ねてきたし体力はそれなりにある方だと思っていた。
だけどそれは思い上がりだったとスイスイとまるで平地を歩くかのように先を進むルドを見ながら痛感する。
重い足を引き摺るように進んでいると鳥の軽やかな囀ずりと一緒に後ろからパキッと枝を踏む音が耳に届き思わず息を止めて振り返る。
少し離れた茂みが揺れ「え?ラド!?こんなトコで何してんの?」と、ノアが驚きと喜びの混ざった顔でひょっこりと出て来る気がした。
「おい、ラド!何してんだ!お前遅せぇんだよ!足手纏いになんならとっとと帰れ!」
背後からルドの怒鳴り声が降ってきて俺の淡い幻想は掻き消され無意識に止めていた息を吐く。
揺れていた藪からは若い鹿があどけない顔を覗かせてじっと俺を見ていた。
『調査、仕入共に順調だが悪天候の為戻りが遅れる』とノアと一緒に調査に出たベテランのルカからの報告を最後にふたりからの連絡は途絶えた。
そして帰路の道筋で大きな山崩れがあり多数の死傷者が出たようだ、と知らせが王都に届きふたりの行方を探る為に俺とルドはテスの指示で王都を出た。
ルドはボスに俺じゃなく他の奴と組ませろと言ったけどボスはいつものように微笑むだけで指示を変える事はなかった。
「お前、邪魔だけはすんなよ。わかってんだろうな?」
結局ルドはあからさまに不機嫌な顔をしながらそう言った。
経験も実力も殆ど無い俺と組むのはルドにとっては迷惑なだけだから当然の反応だと思う。
だからせめて足手纏いにはならないようにしようと思ったのにこのざまだ。
だけど帰るわけにはいかない。
「…嫌だ。帰らない」
「はあ!?何が嫌だ、だ!子供かお前!ならさっさと歩け!んな中途半端な覚悟で来んじゃねぇよ!!」
ルドが更に苛立ちを強めて声を荒げる。
わかってる。
俺が子供で覚悟が足りないのも足が重いのがただ単に鍛練不足なんかじゃない事だって全部わかってる。
そしてボスもそれをわかっているからこそ俺を捜索に向かわせた事も。
ノアと一緒に調査に向かい消息を断ったルカは商会設立時から居る古株でそこまで腕が立つわけじゃないが優秀な諜報員だ。
癖があり取っ付きにくい隊員が多い中で穏やかで忍耐強いルカはみんなに慕われていて子供程年の離れた下っ端の俺にも自分の仕事の合間に商会と部隊の仕事を色々教えてくれた。
どんな悪天候でも多少トラブルにあってもルカならどうにかしてボスに知らせを寄越す筈だ。
だから俺達が向かう先で待っているのは恐らくふたりの“死”だろう。
だけど、だけどもしふたりが死んでなかったらー?
『邪魔だけはすんなよ』
ルドが俺に放った言葉がまた頭の中でこだまする。
『本当にお前にはその覚悟があるのか?』
ふとさっき見た若い鹿が値踏みするような目で俺を見ていたような気がした。
俺は雑念を振り払う為に犬みたいにぶんぶんと頭を振る。
駄目だ、余計な事を考えるな。今はただ足を動かせ。そう自分に言い聞かせ俺は汗を滴らせながら歩みを進めた。
その後もルドは始終苛立ち辛辣な言葉を吐きながらも俺を置き去りにする事なく俺も重い体をひたすら動かして何とか目的地に到着した。
崩落現場の麓の町は死傷者とその縁者で溢れていた。
普段は人通りはそう多くない山道らしいが季節外れの酷い長雨が止んで足止めされていた人達が通り始めた時に山が崩れた為多くの人が巻き込まれたそうだ。
町の小さな学校が負傷者の救護施設になり国から派遣された兵や医療関係者が慌ただしく動いていた。
受付でふたりの背格好や特徴を伝えたが学校に居る負傷者のリストには該当する人物はいない、との返事だった。
次に向かった神殿の支所は遺体の安置所になっていた。
神官や役人が故人の情報を記した紙を入り口に貼り出し訪れた人達はそれを元に不明者を探していた。
そして見つけたく無かった物を俺達は見つけた。
『男、年の頃40半ば、身長170程、茶がかかった金の短髪、左太腿に15センチ程の古傷有、所持品、短剣』
ルカで間違いない。
そしてその紙には埋葬済の印が付いていた。
ルドはじっとその紙を見つめて勢いよく引きちぎると神官の元に差し出した。
「…あぁ、この方の縁者ですか。申し訳ありませんが腐敗が進んでいたので既に埋葬は済んでいます。御遺体との対面は叶いませんが遺品をお預かりしていますので暫くそちらでお待ち下さい」
顔色の悪い神官はそう言うとフラフラと奥へと消えて行った。
ひんやりとした神殿のあちこちからすすり泣く声が聞こえ『こんな冷えたとこでずっと遺体と遺族に囲まれてたら神官でも体調崩すよな』と少し離れた場所に並べられた遺体をぼんやり眺める。
「こちらが遺品と衣類の一部になります。ご確認下さい」
戻ってきた神官から渡された包みを開くとルカの短剣と泥と赤黒い汚れで元の色を殆ど失ってはいるが見覚えのある上着が入っていた。
ルドがこくん、と神官に頷く。
「こちらで確認出来る所持品は身につけられていたこの短剣のみとなります。他の所持品は混乱の最中に不明となったようです」
土気色の顔色をした神官が申し訳なさそうにそう言い項垂れる。
「いえ、お気になさらないで下さい。故人の埋葬を行って下さり遺品を保管して頂けただけで十分です」
どんな時でも騒動に紛れて悪事を働く奴はいる。
死人を真っ裸にして全てを奪う奴らだっているから衣服と短剣が残っていただけでもマシかもしれない。
それに荷物はそこまで重要じゃない。
いざという時は荷を捨て事もあるし調査内容は暗号化して買い付け表の中などに巧妙に紛れ込ませているから万が一誰かの目に触れたとしても問題はなかった。
だけどルカの生きていた証がこの短剣と目を背けたくなる程酷く汚れた上着だけだなんて、そう思うと悲しさより虚しさが心を占めた。
「左様ですか。この方が神の元で穏やかなる時を過ごされますようお祈り申し上げます」
少しだけホッとした顔をした神官は遺品に簡易的な祈りを捧げ顔を上げると「それから、こちらの方がお話をされたいとの事ですが…」と躊躇いがちに後ろを振り返った。
そこには親子と思われる男女が居た。
背の少し曲がった老女と中年の男だ。
「この遺品の方の縁者でしょうか?」
「はい」
「母ちゃ…母を助けていただきありがとうございました」
中年の男がそう言うとふたりは涙を浮かべながら頭を下げた。
ふたりの話を聞くと崩落が起き、逃げようとして躓いた老女を岩の直撃からルカが庇った、との事だった。
「…そう、ですか」
内心の落胆を隠し俺はそれだけを呟いた。
ルカの行動は人道的には誉められても諜報員としては失格だった。
諜報員は何を犠牲にしても陛下とボスの為に生き延び、力をにならなければいけない。
ルカだってそれはわかっていた筈だ。
「あいつ、故郷にアンタと同じ位の歳の母親が居るんだ」
ずっと黙ったままだったルドとが不意に口を開いた。
「…そうだったんですか」
男はそう言うと俯きさっきより深く頭を下げた。
「あの時俺が直ぐに荷物を捨てて母ちゃんを助けに行けばあの人は死なずに済んだのに…。本当に、本当に申し訳ない」
真面目そうな男はそう言い涙を流して頭を下げ続けた。
“死人に口なし”じゃないけど混乱の最中だし誰も覚えてないだろうから別に黙っていてもわからないのにわざわざ俺達を待って言ってくるなんてバカ正直過ぎるだろ、と思いいや、ずっと罪悪感を抱えるよりは例え詰られ責められたとしても正直に話した方がいいのかもな、と俺は冷めた心の中で考えなおした。
何度も詫び、礼を言い去っていくふたりを見送ろうとして俺は大事な事を思い出した。
「すみません、待って下さい!」
俺の大声に驚いたのか去って行くふたりの背中が少しだけビクリと揺れゆっくりと振り向く。
「あの、ルカ…あの男には連れがいた筈なんですが知りませんか?」
ノアは救護所にも神殿にも居なかった。
埋まってしまいまだ遺体が見つかっていないのかそれともー。
「え?…あ…もしかして背の高い黒髪の若者ですか?」
責められるとでも思っていたのか強張った顔で振り向いたふたりは俺の言葉を聞きホッとした表情になり少し考えてから答えた。
「はい!その男です!彼はどうなりましたか?」
「その子なら…」
俺とルドは町外れの宿に来ていた。
ボロボロで普段は寂れてそうな宿にノアは居た。
俺達はもう一度救護所を訪ね、ノアの特徴と同じ男が以前いなかったかを聞くと似た男を手当てをした、と言う男がいた。
ノアも落石で頭を打ったそうだが命に別状はなかった。
記憶を失ってる以外は。




