静寂と騒めき
冬の終わりの夕暮れ刻、春の様に暖かく甘い薫りの漂う温室をゆっくりと歩いていると見慣れない護衛の騎士と共に侍女に案内されるリラ様の姿が見えた。
「殿下、わざわざ出向かれなくとも使いを下されば戻りましたのに」
右側を少し庇いながら私は足早にリラ様へ近付く。
「いいの、私が遅れてしまったのだから」
リラ様はそう言うと私の顔と背を透かす様に見て直ぐに視線を外し温室を見渡す。
母様が好きだった黄色の花を中心に色とりどりの花が一年中咲く伯爵家自慢の温室。
庭師が丹精込めて手入れをしている植物達は美しいけどリラ様が私から目を逸らしたのは美しい花と遅参だけが理由じゃないだろう、とチクリと胸が痛む。
長い時間をかけて少しずつリラ様に近付けたと思ったのに温室を眺めるリラ様の顔はまるで昔に戻ったみたいに硬かった。
「本当に。せっかく殿下の為に心を込めて美味しいお茶菓子を作りましたのにお茶の時間を過ぎてしまいましたわ」
私はそんな想いを悟られない様に頬を膨らませてリラ様に詰め寄る。
「え?…アリアが?お菓子を作ったの?」
空中に向けられていた視線がパッと私に戻る。
「そうです。家人達に小言を言われ、シェフには叱咤されながら懸命に作りましたのに」
そう言って俯き大袈裟に溜息を吐く。
「もう少し早く来れるはずが…所用が長引いてしまって…」
「もし殿下が夕食を御一緒して頂けるのならデザートとしてお出し出来るのですが」
「勿論、遅れたのは私なのだからアリアさえ良ければ夕食と菓子を馳走になりたい」
私の提案にリラ様はホッとした表情になり頷く。
「はい、では支度を致しますね」
半ば強引ではあるけどリラ様の硬い表情を崩す事が出来た私はニッコリと微笑んで侍女を呼びテキパキと指示を出した。
「これをアリアが作ったの?」
食事を終えデザートとして運ばれて来た美しく飾られたケーキをサクリとフォークで崩し口に運んでリラ様は目を丸くする。
「ええ、勿論!…と言いたいところですが結局大半はシェフが作りました」
私は苦笑いしながらケーキを口にする。
流石我が家のシェフ、口煩いだけあって私が中途半端に手を出したにも関わらず味も見た目も完璧だ。
「…そっか。いや、でも凄い。伯爵令嬢お手製の菓子か」
「私のお手製と言っていいのかは疑問ですが、暇を持て余していたので自分で作ってみようと思い立って…」
誉められ調子に乗った私がうっかりそう言ってしまった途端リラ様の顔が曇り手がぴたりと止まった。
しまった、と思ったけど放ってしまった言葉は取り戻せない。
「…殿下、お菓子に合わせてお茶も私が選びましたの。良い薫りでしょう?」
私は慌てて話を逸らす。
「…あぁ、うん。良い薫り」
止まっていた手が動きカタリとフォークを置いてカップに手を伸ばし口を付けるけどリラ様の表情はまた硬くなってしまった。
私の受けた傷も暇を持て余しているのもリラ様のせいではないのに。
冬の初めに国王陛下が崩御され、学園から王都への途中で賊に襲われ私はリラ様の替わりに右肩から背にかけて傷を負った。
そこまで傷は深く無く駆けつけた騎士達の適切な処置のお陰で無理をしなければ日常生活に不自由しない程まで回復したけど傷は生涯消えないだろうと父様から告げられた。
父様は『殿下を守る為に良くやった。誇りに思う』と口では言いながらも顔は苦渋に満ちていた。
何も後悔はしていないけど父様にそんな顔をさせてしまった事だけは悲しかった。
そして私が“傷物”になった、と知れ渡るや否や毎日の様に屋敷や学園まで届いていた多くの文や贈り物はぱったりと途絶え見舞いに訪れたのもほんの僅かな人だけだった。
伯爵家の娘、騎士団長の娘、そして母様に良く似た顔としなやかで丈夫な身体。
皆が求めた私の価値は背中に残る一筋の傷痕で失われた。
悲しさや虚しさよりあれ程甘い言葉を囁いていた人達が先が見込めないとなるとあっさりと切り捨てるその潔さに私はいっそ清々しささえ覚えた。
狭い貴族社会の中だ、何処かで会う機会があるかもしれないのに気まずくはないんだろうかとも思ったけど価値の無くなった私は彼らの目には映らないのかもしれない。
もう外出しても構わないと医師からは言われても茶会も催し事の誘いも途絶え返事を出す文も無く、訪れる人も居らず私は暇を持て余してまるで生きながら幽霊にでもなった様な気分だった。
だからと言ってリラ様に非がある訳では無いし万が一リラ様が傷を負っていたらと考えると自分が傷を受けた方が何倍もましだと思う。
でもリラ様は自分が王都に戻ると言わなければ、と負い目を感じているのは明らかだった。
王族としてもっと堂々と嘘でも父様みたいに「良くやった」と誉めてくれてもいいのに、と思う反面王族らしからぬリラ様だからこそ命を懸けても守りたいと思うのかもしれないと考える。
結局ぎこちない空気になってしまったまま帰られるのかと寂しく思っているとリラ様がおずおずと口を開いた。
「アリア、今日は遅くなってしまったし泊まっていっても構わないだろうか?」
リラ様の申し出を一瞬理解出来ずに刻が止まってしまったけど直ぐにハッと我に返り「…構いません!!」とつい大声で返答をしてしまった。
そんな私を見てまた目を丸くした後にクスリと笑うリラ様を見て嬉しさと恥ずかしさを隠す様に慌てて侍女を呼び「急いで客間の準備を…」と言いかけるとリラ様が「あ、いや、出来れば私もアリアの部屋がいいんだけれど…」と言って今度は私が目を丸くした。
「…いや、迷惑なら勿論客間でも構わないし…」と俯きがちに口ごもるリラ様に「いえ!それでは、私の部屋で!!」とまた大声で言ってしまいリラ様もまたクスッと笑って私もつられてフフッと笑ってしまう。
ふたりでひとしきり笑うとさっきまでのぎこちない空気はどこかに行ってしまい晴れ晴れとした気持ちになった。
こんなに笑ったのは学園を出てから初めてかもしれない。
笑うのがこんなに気持ちいいなんて。
後悔なんてしていない、切り捨てられても痛くも痒くもない、そう思っていた筈なのに今まで声を出す程笑えていなかったのは体だけじゃなく私の心も傷付いて弱っていたのかと今更気付いた。
そしてリラ様と一緒に眠るなんてあの日以来かも、と考えてふとあの日も『雨音が怖いからアリアの部屋で一緒に眠る』と言ったのはリラ様だったと思い出した。
私は今日もまたリラ様から何か問われるんだろうか。
あの日みたいに。
私の心が少しだけざわりと騒いだ。




