暗号
私の自室に文を括り着けた小鳥が来たのは昨日の昼、大雨の翌日だった。
薄いベージュの暖かそうな羽毛に覆われた小鳥はテラスの柵に止まりピュルルルルと涼やかな声で囀ずった。
私がテラスに出てそっと手を差し出すと素直に乗って来たので指先で優しく頭を撫でて紙の入った筒を外し握り締める。
部屋に戻って小鳥を水の入ったグラスの淵に下ろすとチョイチョイと小さな嘴で水を啄んだ。
鳥籠と餌を用意する為に侍女が部屋から出ると本棚の前に立ち1冊の本を取り出す。
学園を舞台にしたこの分厚い恋愛小説は巷では人気だとかでアリアが以前勧めてきた本だ。
恋愛にも学園にも興味が無かったけど「絶対に読むべきです!因みに私の本はあるのでこちらは差し上げます」と頬を紅色させ無理やり置いて行った。
本を持って机に座り小鳥が届けた小さな紙を見ながらページを捲る。
紙には数字が幾つも書かれていた。
この数字は兄の配下達が使う暗号だ。
テスとルドと名乗るふたりに合ったのは兄と牢で再会した数日後だった。
兄から聞いた接触方法を実行し、その翌日商人を装ったふたりが私の元を訪れた。
テスは30代半ば、濃いグレーの髪をした優男で散らばる配下の纏めで頭だと名乗った。
笑顔を絶やさない一見人の良さそうな商人風だが醒める様な冷酷な目を隠そうとはしなかった。
ルドは20代前半位、小柄で赤茶けた髪に人懐っこい目をした遊び人風。
人好きする見た目と軽く明るい喋りで人の心を掴むのが上手そうだった。
情報収集力と足が自慢だと明るく笑ったが時折探る様な値踏みする様な目で私を見た。
彼らは王家や国に仕えているわけではなく兄の直属の配下だ。
兄が冤罪で投獄されている今、兄しか知らない方法で接触して来たとは言え私を信用出来ないのも無理はない。
テスに兄から預かった手紙を渡すと少しは信用したのか冷酷な目は鳴りを潜めた。
そして「必要な時はこの暗号を使ってこちらから連絡をします」と数字が文字に置き換えられた暗号解読の表を見せる。
紙を受け取ろうとするとひらりと躱され「渡す事はできません。書き写すのも禁止です。今覚えて下さい」と当然の様に言われた。
暗号は文字1つに1~3桁の数字がランダムで割り振られている。
メモも禁止で今すぐ全てを覚えろなんてあり得なかった。
学校の勉強は中の中、凄く頑張っても中の上だったし暗記は苦手だった。
無理だと伝えると兄は一目で覚えた、と怪訝そうな顔をする。
どうせ私は平凡ですよ、と口には出さず心の中で悪態をつきながら席を立ちアリアがくれた恋愛小説とペンを持って戻る。
「写しはしませんがヒントは残させて下さい」
そう言ってランダムに振ってある数字のページを開き該当する文字を探して文字の横にほんの僅かな印を付ける。
これなら本があれば私にも解読は可能だし小説を読む振りをしながら暗号を覚える事も出来る。
テスに説明すると少しだけ目の色が変わり暫く考え込んでいたけど結局「わかりました、いいでしょう」と頷いた。
私は全ての文字に丁寧に印を付け念の為テスに確認してもらい平凡な私の暗号解読本が出来上がった。
私は暗号を解読し終えると本を同じ場所に戻し机の上のランプの蓋を外す。
そして指先で摘まんだ紙に火を移すとチリッと小さな音を立てて一瞬で燃え尽きた。
私は掌で灰を受け止めると扉を開けてまたテラスに出る。
ヒュッと冷たい風が吹き抜け髪を揺らし掌の灰を拐った。
雪を思わせる灰が空に舞うのを見ているとチラチラと本物の雪が降ってきた。
「フシンナウゴキアリシジヲマテ」
燃やした紙には暗号を用いてそう書かれていた。
「そーだ、お前も後で腕の手当てしとけよ。なんなら俺がしてやろーか?」
ルドは薬箱を片付けるライの後ろ姿に声をかける。
「…必要ない」
ライは振り向きもせずに答える。
「何?ライ怪我したの?」
私は回想から引き戻されてライを振り返る。
「別に大した怪我はしてません」
「またまた強がっちゃってー。俺の渾身の蹴りを腕で受けたんだよ」
ケラケラ笑いながらルドが言う。
「信じらんない。ライ、ちょっと見せて」
「ヒデーな。俺は切られたんだぜ?」
「それはあんたが仕掛けるからでしょうが。ライ、見せてって言ってるの!」
私は立ち上がりライから薬箱を取り上げて睨み付ける。
ライは小さくため息を吐いて上着を脱ぎシャツの袖を捲り上げる。
ルドの蹴りを受けた左腕の外側は内出血を起こして痛々しい位赤くなっていた。
「…座って」
「本当にこれ位何でもありません」
そう言うライを無理矢理椅子に座らせると腕の内側を触る。
ピクッとライの腕が跳ねて私は慌てて手を引く。
「ごめん、痛かった?」
「痛くは無いですが…本当に大丈夫です。手当てが必要なら誰かにしてもらいますから」
椅子から立ち上がろうとするライを牽制する。
「誰かって誰よ。それに何で怪我したって言うつもり?」
「それは…」
「だから俺がしてやるって」
ルドがまた茶々を入れる。
「あーもーいいからふたりとも大人しく座って!」
言う事をちっとも聞かないふたりにキレ気味になりながら言う。
ライはそれきり黙ってしまいルドはブーブー文句を言っている。
私はやんちゃな子供達の面倒を見る先生かお母さんになった気分だった。
もう一度手を伸ばしてライの腕に触れる。
「大丈夫?折れたり皹が入ったりはして無さそう?」
掌でそっと包むようにして腕を押す。
長年弓を使っているライの腕は思った以上に逞しくちょっとやそっとじゃ折れる事は無さそうだったけどルドもこう見えて兄の優秀な配下だ。
「大丈夫だってー。俺だってそこはちゃんと加減してるんだからさ。てかお前だけ姫さんが手当てするのってズルくねー?」
さっき『渾身の蹴り』と言ってなかったか?と思ったけど言い返しても無駄な気がして無視する。
「…打ち身だけです」
「ならいい…いやよくないんだけど」
私は薬箱から打ち身用の塗り薬を取り出し赤くなっている所にそっと塗り柔らかな布を充てて包帯を巻く。
手当てなんて殆どした事がないからあんまり上手くは出来なかったけど何とか巻き終えた。
ふーっと息を吐き薬を仕舞うと包帯の上に手を当て『いたいのいたいのとんでいけ』と口の中で呟く。
暫く大人しくしてたルドが口を開く。
「なー、お前さ何なの?只の騎士じゃねーだろ。もしかして姫さんが拾った犬?」
「「違う!」」
私とライのムッとした声がぴたりと重なる。
「オイオイ、ムキになんなよ」
「私がライに拾われたの」
私の言葉にルドは勿論ライまで狐につままれた様な顔をしている。
「はっ、マジか。鉄の王女が拾われた?おもしれーなお前ら。クハハハハッ…イテテッ」
ルドは今までのニヤけた笑いではなく子供みたいな顔でひとしきり笑い首の傷が開いたのか顔を顰めた。




