侵入者
しんと静まり返った真夜中。
暗闇の中ドアが音もなく開かれ隙間から人影がスッと部屋へ滑り込む。
足音を殺した侵入者は暗闇をものともせず見えているかの様に軽やかに障害物を避けながら寝室へと続くドアへ近付く。
だがドアノブに手を伸ばそうとしたところでピタリと動きが止まる。
侵入者の首には冷たい刃物の切っ先が押し当てられていた。
少しでも動けば刃が皮膚を切り裂くだろう。
たが侵入者は当てられた刃には構わずグッと力を込めて体を捻る。
刃が皮膚に食い込み首から血が流れ落ちる。
ピクリと刃物を持つ手がほんの僅かに緩んだ隙に侵入者は相手を押し退け間髪入れずに蹴りを繰り出す。
相手は体勢を崩しながらも身を引き腹に入る筈の蹴りを左腕で受ける。
「クッ…」
鋭い蹴りをまともに受けた腕がビリビリと痺れる。
暗闇の中じりじりと次の動きを探っているとカタリと音がして寝室のドアを開ける気配がした。
「馬鹿!開けるな!!」
ライが必死に叫ぶも虚しくドアが薄く開き灯りが漏れる。
咄嗟にドアに目を向けた俺は部屋の灯りの眩しさに一瞬目が眩んだ。
しまった。
あの時首を切り裂いてでも手を緩めるべきじゃなかった。
全身の血の気が引くのを感じながら遅いとわかっていても駆け出すが侵入者は既にリラの腕を掴み寝室から引き摺り出していた。
どうする。
どうすればいい。
ドアが開き灯りに照らされた侵入者の姿が浮かび上がる。
小柄でまだ若い赤茶けた髪の男だった。
首からはまだ血を流しながらも気にする風も無くリラの首に腕を回し俺を見てニヤリと笑った。
引いていた血がブワッっと頭に昇るのがわかった。
落ち着け焦るな、そう思っているのに剣を握る手には力が入り柄をぎりぎりと締め上げる。
侵入者が腕に力を込めればリラの細い首はあっという間に締め上げられ俺が助け出す前に折られてしまうだろう。
「……!」
侵入者を見て青ざめるリラの口を侵入者が手で塞ぐ。
「おっと騒ぐなよ、大人しくしてろ。さぁ、騎士様はどうする?」
明らかに挑発する口振りで俺を見る。
挑発には乗るな、だがどうすればいいー背中に汗が伝うのを感じながら俺は侵入者の目を睨み付けた。
「俺の負けだ、殿下から手を離せ」
暫く考えを巡らせた俺はそう言いながら剣を鞘に納め両手を挙げる。
侵入者は一瞬驚き、でも直ぐにムッと顔を顰めてリラから手を離した。
「ちょっとあんた何やってんのよ…!」
解放されたリラは男の首から流れる血を見て青い顔で詰め寄るが男は素知らぬ顔だ。
「ああっ、もう!!」
そう言うと男の手を引き寝室に連れて行きながら振り返る。
「大丈夫、敵じゃないから」
そう宥めるように俺に言うと男は「今は、な」と茶化すように笑いリラがキッと睨み付ける。
光の中対峙した男の目から殺意は微塵も感じられず遊ぶ様な試す様な感情が伺えた。
リラの目からも戸惑いはあったものの怯えは感じられなかった。
恐らくリラの言っていた第一王子の使いはこいつの事だろう。
何の為に夜中に忍び込み試す様な真似をしたのかはわからないが俺が判断に迷い誤った事には変わりない。
命令とリラの安全。
どちらも手に入れようとして失敗した。
深いため息を吐いているとドアをノックする音が聞こえた。
寝室に入るとリラが男を椅子に座らせ薬箱を出していた。
「殿下、家臣の方が様子を見に来ています」
「わかった。ライ、一緒に来て。あなたはこれで傷口を押さえてここで大人しくしてて」
そう言って男に布を渡し寝室を出る。
廊下には家臣数名が心配そうな面持ちで待っていた。
「殿下、声と物音がしましたが何かございましたか?」
リラの顔を見てホッとした年配の家臣が声を出す。
「何でもないわ。水を飲もうとしたけど寝惚けていてグラスを落として割ってしまっただけ。心配をかけたわね」
「いいえ、殿下に何事もなければ構いません。では片付けに侍女を寄越します」
「ライが片付けたから大丈夫。私もまだ眠いしもう休むわ。おやすみなさい」
「畏まりました。おやすみなさいませ」
ドアを閉め家臣達の足音が遠ざかるのを確かめて寝室に戻るとニヤニヤした男は布で首を押さえて待っていた。
リラはそれを見てため息を吐き「ライ、傷の手当てをお願い」と言って椅子に座る。
「何だよ姫さんが手当てしてくれるんじゃないのかよ」
俺が薬箱を持って近付くと男は不満そうな顔をする。
「はぁ?何言ってんのよ。全く…」
あからさまに不機嫌な顔をしたリラはテーブルの水差しからグラスに水を注ぎ口を近付ける。
「はい、ダメー!」
グラスを持つリラの手がビクッと揺れる。
「俺が誰もいない間に毒でも混ぜてたらどーすんの?お前達さ揃いも揃って危機感が無さ過ぎなんだよ」
リラはぎょっした顔をしてグラスを持つ手が一瞬止まったがそのまま水を飲み干す。
「あんた…確かルド…だっけ?そんな事しても兄さんにもあんたにも何の得もないでしょうが。それに今さらそんな回りくどい事する位ならさっき私の首を折ってたでしょ」
「まーしないけどさ。それ位用心しろって事だよ。だいたい姫さんは何でドアを開けた?俺が本当に刺客だったらあんたもこいつも死んでたぜ?」
ルドと呼ばれた男はニヤけた笑いを引っ込め真剣な目でリラを見る。
「…それは軽率だったと反省してる」
リラの行動で状況が一変したのは確かだったが俯いて今にも泣きそうな顔でグラスに目を落とすリラを見ているのは辛かった。
「お前もな、どうせ上から侵入者は殺さず捕らえろとか言われてんだろうけど戦闘中にごちゃごちゃ迷う位なら護衛なんざ辞めちまえ」
同じ真剣な目で俺を見据える。
わかっている、と思いながら目を反らしても全てを見透かされた言葉が俺の心に突き刺さり体が強張る。
「ま、そんな事より姫さん俺の名前覚えてくれてたんだ。嬉しいねー」
コロッと口調を変えたルドはさっさと手当てしろとばかりに俺に首を向ける。
俺は薬箱を開け無言で傷の手当てをする。
もっと深く切れているかと思った首の傷は思ったより浅く出血も少ない。
「思ったより傷が浅くて良かった?それとも不満?」
ルドはまたニヤけた顔に戻り反応を楽しむように俺を目を見る。
どちらもだ。
今となっては深い傷を追わせなくて良かったと思うが、もしあのまま俺が切り裂くつもりで力を込めていたとしてもこの男の首を切り裂く事は出来なかったのかもしれないと思うと不満だった。
「なー。返事位しろよ。…ってか何で俺が敵じゃないってわかったんだ?」
ピイピイと煩く囀ずる男に包帯を巻きながら出来るならこの包帯を声が出なくなるまで締め上げたいと思っているとリラと目が合った。
リラの目にも同じ感情が浮かんでいて何故かフッと強張っていた体の力が抜けた。
過去は変えられない、失敗も無かった事には出来ない、だけど生きて努力をすれば失敗を生かす事は俺にもリラにもきっと出来るはずだ。




