虚勢
「お久しぶりでございます、兄上」
項垂れていた兄は私の声を聞きゆっくりと顔を上げる。
手入れをしていない髪は輝きを失い、青白い顔に生気の感じられない青く暗い目が浮かんでいた。
“金色の王子”と謳われた姿はそこにはなかった。
私を見て一瞬驚いた表情をして暗い目に光が戻ったけどすぐにフイと目線を逸らした。
「そうか。お前生きていたのか」
兄はそう言って自嘲するかの様な笑みを浮かべた。
私は神殿を後にしたその足で兄が捕らえられている牢屋に護衛を引き連れやって来た。
牢屋と言っても身分の高い者が使用する牢だ。
質素ではあるけど一見普通の部屋だった。
それでも王子として過ごしてきた宮殿とは全く違う。
窓には鉄格子が嵌まり頑丈なドアには覗き窓が付けられ鍵も外側に付いていて内側からは決して開ける事は出来ない。
家臣も従者も誰もいない。
いるのは兵だけだ。
その兵も監視の為で自分を守ってくれるわけじゃない。
私は牢屋の中で質素な椅子に座る兄を見下ろす。
「お陰様で。学園から戻る際に賊に襲われましたが無事に戻って参りました。兄上も御健在で何よりでございます」
私はドレスの裾を持ち上げてお辞儀をし、嫌みたっぷりに言う。
「……何しに来た?俺を笑いにきたのか?」
誰もいない壁を見ながら兄は呟く。
「用がなければ兄上に会いに来てはいけませんか?ひとり寂しく捕らわれていらっしゃる浅慮な兄を慰めて差し上げようと思って参りましたのに」
私はわざとらしい声色で挑発する様に言う。
兄は壁を見たままだけどぴくりと体が動いた。
「それにしても兄上には本当に失望しましたわ。母上様も今頃どれ程落胆されている事か…。そうですわ!母上様もきっと寂しい思いをされているでしょうから私の宮殿にお呼びしようかしら」
私はいかにも名案を思い付いた、と言うように胸の前で手を合わせて微笑む。
「やめろ!これ以上母上に構うな!!」
兄はガタッと椅子から勢いよく立ち上がり私を睨んで叫ぶ。
元々青白い顔が更に青くなる。
兄の大きな声に兵達がざわつく。
私は笑顔を引っ込めてずかずかと兄に近付き胸ぐらを掴んで頬を殴った。
いきなり殴られた兄は呆然と私を見て声を上げる事も忘れているようだった。
「殿下?!」
私達に近付こうとする兵を護衛が押し留める。
「あなた達は外で待っていなさい」
私は振り返り護衛に目配せする。
「しかし殿下…」
「聞こえないの?私は出て行きなさいと言っているのよ」
尻込みする兵にありったけの虚勢を張って凄む。
「大丈夫、あなた達の責任は問われないわ。そのかわり今見た事は忘れなさい。いいわね?」
兄の胸ぐらを掴んだまま脅すように兵を睨む。
兵は私の護衛に促され渋々牢の外に出ていった。
「これでやっと兄妹水入らずですね」
甘い言葉とは裏腹に兄を睨みつける。
「…何のつもりだ」
そう言いながらも私の手を振りほどこうともせず相変わらず暗い目でこちらをぼんやりと見ている。
殴られた頬が赤くなっているが所詮非力な小娘の一撃だ、そう大して痛みはしないだろう。
なのに私の手はズキズキと痛み熱を帯びているようだった。
前世も含め人を殴ったのは初めてだった。
私は深く息を吸い込み掴んだ手に力を込めて顔を近付ける。
「は?それはこっちの台詞なんですけど?あんたこそどういうつもりなのよ」
兄は私の更なる豹変振りにポカンと口を開ける。
「あんたがこんなトコで腑抜けになってる間にこの国は沈むかもしれないのよ?そんな事もわからなくなったの?さっさと父上を殺した奴を見つけなさいよ」
私は強い口調で一気にまくし立てる。
「お前…俺が父上を殺したと思ってないのか?」
呆気に取られていた兄が漸く言葉を絞り出す。
「じゃあ聞くけどあんたが父上を殺したの?」
しっかりと目を合わせて問いかける。
「…俺は…殺してない…」
グッと顔を顰めたけれど兄は私の目を真っ直ぐ見ながら答えた。
「でも、俺が居たのに父上をむざむざ死なせてしまった。守れなかった。俺が父上を死なせたんだ…!」
そう言うと張り詰めた糸が切れたように小刻みに震え出し青い瞳からぼろぼろと涙を溢した。
胸がギュッと痛む。
いつも冷静で大人びた王子もまだ18才の少年だ。
父親を殺され、救えなかった罪悪感に苛まれている。
そんな震える兄を強く抱きしめる。
「そんなの兄上のせいじゃないでしょう」
兄は私の腕を掴んで嗚咽した。
もっとそうしていたかったけど今は時間がない。
「兄上、しっかりして下さい。この国を守れるのは兄上しかいません」
ゆっくりと体を離して涙に濡れた顔を見ながら語り掛ける。
「…何で俺なんだ。無理だよ。俺は誰も助けられない。母上だって守れないし、父上だって助けられなかった!」
兄は子供が駄々をこねるみたいにイヤイヤと首を振る。
「駄目です。兄上じゃなきゃ駄目なんです。自分でもわかっているんでしょ?アルはまだ幼いし何より優し過ぎます。宰相や王妃の後ろ楯があってもアルが王になればこの国は敵に付け込まれます」
濡れた青い目に絆されそうになりながらも必死に食らいつくが兄は目を伏せて拒絶する。
「兄上は全てを諦めるんですか?自分の人生もこの国も母上様もアルも私も」
まだ少し震える肩を掴み目を合わせようと覗き込みながら言葉を続ける。
私は酷い事をしているのかもしれない。
父を殺され、罪を擦り付けられて傷ついた兄に重荷を背負わせようとしている。
このまま王殺しの汚名を着るか冤罪を晴らして王座に就く為闘うのか。
罪が晴れたとしても、第一王子とはいえ兄が王座に就くのは容易な事じゃない。
力を持たない私は何も出来ないだろう。
なのに今決断を迫る事が本当に正しい事なのか?と心が揺れる。
「お前は俺を信じるのか?怖くはないのか?裏切ると思わないのか?」
不安を浮かべた目で私をじっと見る。
この人は今までにどれだけ人を信じ、そして裏切らてきたんだろうか。
私は少し考えてから言葉を口にする。
「私は兄上を信じる。…信じたい。信じるのは怖い。裏切られるのはもっと怖い。でも怖がって誰も信じられなくなるは嫌だから」
信じた人に裏切られる事は本当に辛い。
谷底に突き落とされて自分の全て否定されたみたいに思えて消えて無くなってしまいたくなる。
でも、この人もいつか裏切るかもと疑心暗鬼になって誰も信じられなくなってしまう事の方がもっと辛かった。
前世の私は誰も信じる事が出来なくなってた。
でも今は怖くても信じたいと思える人がいる。
だから信じたい。
「おま…リラは強いんだな。もっと無気力で周りに感心がないと思ってた。本当に俺の目は何も見えてなかったんだな」
苦笑いしながらそう言う兄の青い目には強い光が戻っていた。




