詞凶ミソギと駄目姉の場合
詞凶ミソギには、一つ年上の姉がいる。
無口で内向的な性格。友達がいるような様子もなく、本当に学校で上手くやっていけているのかは、妹ですら心配してやまない程の駄目姉で。
そんな姉が、今日は他所の家で晩御飯をご馳走になってくるという旨のメッセージを送ってきた。
そんな事があり得るのかとまず驚いて。
次にその電文自体の真偽の程を疑ってしまう辺り、ミソギ自身も大抵、駄目妹なのかもしれないと自嘲した。
それはともかくとして、事実ならば尚の事、ミソギは相手の顔を確かめなければ気が済まなかった。
万が一にも無いとは思うが、駄目姉がその体を目当てとして近寄ってきた駄目男にでも捕まっていたら、絶対に助け出さなければならない。
自己主張が全く出来ないあの姉の面倒を見る事が出来るのは自分だけなのだと、ミソギは考えていた。
『食べてくるのは良いけど、何処に行くのかは教えなさい』
駄目姉に向けてメッセージを返信し、その居場所を報告させる。
行き先を把握しておくのは、家族として当然の事だからだ。それ以上の意図は無い。断じて無い。
『ここ』
という短い文の後、地図上にピンが立てられた、位置情報についての画像が送られてくる。
学校からそう離れていない場所に有る、飲食店のようだった。
コトブキ、というその店名には、何故か聞き覚えがあって。
少し経って思い至ったのは、それが最近この辺りで密かな話題になっている店の名前だったという点。
何の店かまではよく知らないが、食べ物屋らしいとは聞いた事がある。
生憎と、まだ地図アプリには情報が載せられてはいない様子。最近出来た店らしい。
やはり情報が足りない。心配だ。
「……行こう」
思い立ったら即行動。何事も躊躇せず、テキパキと進めた方が良い結果に繋がりやすい。
そういう信念の下に、詞凶ミソギは歩を進める。
立ち止まってばかりの駄目姉とは対照的に、詞凶ミソギはせっかちな性格だった。
目的の店の前。詞凶ミソギはコソコソと姿を物陰に隠して、その様子を外から観察する。
どうやらこのコトブキという屋号の店の正体は、たこ焼き屋らしい。
通りに面していて、外から見える場所で店員の男性がたこ焼きを串で転がしながら焼いている。
個数に対して値段がリーズナブルで、この辺りに住んでいるらしいおばさん達が時折足を止めては、パックに入ったそれを購入して去っていく。
入れ代わり立ち代わりで、客足が途切れる事があまり無い様子。噂に違わぬ人気店だった。
だが当然、そこに詞凶ミソギの探している人物の姿は無い。
ここで購入したものを何処かで食べるつもりかとも考えたが、それならばメッセージでああいう書き方はしないだろう。
友達の家でご馳走になる旨と、この場所を示した地図。つまりは、この中で食事をしているという事か。
よく見れば、鉄板が並べられた通りに面した接客カウンターの横に扉がある。
飲食スペースと書かれている事から、購入したものをその中で食べる事も可能なのだと理解した。
さて。
「──よしっ」
入るしかない。外からは様子が伺えない場所な以上、その中を覗いてみるしかない訳で。
詞凶ミソギはせっかちで、思い切りのいい方だった。
横にスライドさせるタイプの扉を、がらがらと音を立てて開ける。
中を覗けば、そこに見慣れた背中があった。
「お姉ちゃん、見つけた!」
「────!」
「ん? お姉ちゃん?」
その時ちょうど、琴吹笑美と詞凶クスネは、焼き上がったばかりのたこ焼きを頬張っている所だった。
熱々のそれを、二人ではふはふ言いながら食べる。
会話は相変わらずの一方的なものだったが、二人にとっては楽しい時間で。
そこに突然、割り込んでくるのは、詞凶クスネを姉と呼ぶ人物だった。
「あ、どうも。姉がお世話になってます。妹の詞凶ミソギです」
「おお、妹さん! どもども」
琴吹笑美はとりあえず、へこへこと頭を下げておいた。
クスネが常に虚ろな表情で固定されているのに対して、ミソギはせかせかと動き回っていて落ち着きが無い。
何か怒っているのだろうかと少々不安になるくらいには、その姿には勢いしかなくて。
「────?」
「何しに来たの?、って表情ね。ううん、別に何でもないのよ。咎める気なんてさらさら無いし、お姉ちゃんが誰とどうしていようが自由。けど、そのお相手の事くらいは知っておきたいじゃない?」
「──────」
「呆れた、とでも言いたげね。でも私はやめないわよ。たとえ周りから過保護と思われようと、お姉ちゃんのお世話は私がするんだから」
そう言って薄い胸を張る詞凶ミソギは、どこか誇らしげだった。
姉の面倒を見る事にこそ、彼女は自分の存在意義を見い出している所があって。
だから、姉に近寄る相手に対しては、小さなライバル意識を抱いてしまうのだ。
「それで。貴方はお姉ちゃんとは、どういう関係ですか?」
詞凶ミソギは琴吹笑美へと向き直り、少し眉間に皺を寄せた怪訝な表情で尋ねる。
想像していた悪い男では無かったらしいが、同性だからといって油断は出来ない。
姉は何らかのイジメに逢っているのかもしれない。
脅されていて、この店の支払いを奢らされたりするかもしれない。
嫌々付き合わされているだけかもしれないし、本当はタコが苦手かもしれない。
そうした、かもしれないという考えだけで、詞凶ミソギは全速力を出せる。全力全開で、突っ込んでいける。
そういう、少しズレた人間だった。
そうでなければ、この駄目姉の妹は務まらない。
詞凶ミソギの剣幕に押されてか、流石の琴吹笑美も一歩引いてしまう所があって。
それでもめげずに、彼女は至って自然に、普段通りの明るさで口を開く。
「ウチは琴吹笑美。お姉さんとはクラスが一緒でな、まぁ、仲良うさせて貰ってんねん!」
早口で、ウチが一方的にな、と小さく付け足す。誰にも聞かせる気は無いが、思った事がすぐ口に出てしまう質だった。
「そうなんですね。それで、これは?」
二人が掛ける机の様子を観察する。
机には、たこ焼き器が埋め込まれていた。そこで焼いて、すぐ食べられるらしい。
「タコパやでー」
琴吹笑美が軽い態度でそう答えるのを、ミソギはふーんと納得する。
たこ焼きパーティーというのは聞いた事があるし、それ自体には特に抵抗が無かったが。
「……たった二人で?」
パーティーと呼ぶにはあまりにも寂しい。
特に、駄目姉に至っては当然ながら無言のはず。だって喋る事が出来ないのだから。
となると、この姉の友達を自称する人物は一人で延々と話している事になり。
「虚しくないんです?」
詞凶ミソギは言葉をオブラートに包むという行為が出来ないくらいには、裏表の無いせっかちだった。
「はうっ」
琴吹笑美は胸に矢でも刺さったかのように、痛がるような仕草で悶える。
これが関西人のリアクション芸か、的な事を考えつつ見ていると、琴吹笑美は呟いた。
「だって……」
「だって?」
「だって、ウチら友達おらんねんもん!」
「─────(こくりと頷く)」
詞凶ミソギは、呆れて言葉が出なかった。
「……なるほど。あんたも駄目姉と同じタイプね」
「ガーン! あんたて。駄目姉て。同類認定早ない?」
文句を垂れる琴吹笑美に嘆息をこぼしつつ、詞凶ミソギは姉の体を押しのけて詰めさせる。
その隣へと、腰掛けた。
「仕方ないから、私も参加してあげる」
「え?」
「────?」
少し頬を赤らめながら。
「だから! 私もその、た、タコパに加わってあげるって言ってるの!」
このまま放って帰る事など出来はしなくて。
かといって強引に姉を連れ帰る必要がある程、悪い相手ではない様子。
それに何より、詞凶ミソギも空腹だった。
食欲をそそるソースの香りと、たこ焼きを焼くじゅ〜っという音には耐えかねていて。
だから少し強引に、その小さな輪に加わる事を選ぶ。
「い、いいでしょ?」
「──────」
「勿論や、大歓迎やで! ようこそ、たこ焼き屋コトブキへ」
「……あ。コトブキって」
「そそ。ウチの家族でやってる店やで」
へー、と返しつつ、姉がたこ焼きを頬張る様子を見守る。
口に入れる前に多少ふーふーした所で、それを一口でいけば熱い物は熱い。
はふはふ言っている姉をやれやれという目で見つめつつ笑っていると、その姉も妹を見つめ返す。
「──────」
「ああ、うん分かった、とっても美味しいのね? それは良かったけど、火傷しないように気をつけてよ?」
まったく、と微笑んでいると、いつの間にか席を離れていた琴吹笑美が、詞凶ミソギの為に取皿を運んできてくれた。
それを彼女の前に置きつつ、関心したように言う。
「ほう、表情で詞凶ちゃんが何言いたいんか分かるんや? やっぱ妹さんはすごいなぁ。ウチにもコツ教えてぇな!」
「嫌よ。これは私が妹だから出来る事なの。伊達にこの15年間、お姉ちゃんの妹やってないんだから」
「おお〜。流石やで」
「ふふん、そうでしょうそうでしょう」
鼻高々といった様子で答えていた。
それをふと自覚して、少し恥ずかしくなる。
自分はこの駄目姉の妹である事に、誇りを持っていたのか、と。
それはそれでちょっと複雑なのが、詞凶ミソギの曖昧な立ち位置であった。
そんなもやもやを振り払うべく、その食欲に忠実に行動する。
「……いただきます」
ぱくっ、と。鉄板から救い上げてすぐの熱々の大玉を、冷ますのも忘れて口に放り込んだ。
「あっ、───」
どうなったかは、言うまでもない。
……百合なのか、これは?