琴吹笑美と詞凶クスネの場合
転校初日の挨拶で、琴吹笑美は宣言した。
「ウチは、この学校で一番おもろいやつになるから! 皆、よろしゅうな!」
あんまりにもあんまりなその一言がきっかけで、当然クラスからは浮いた存在になる。
ここは東京。少しばかり、冷たい街だ。
少なくとも大阪特有のあの熱さと比べれば、天地ほどもかけ離れた場所ではある。
だからこそ、琴吹笑美は退屈していた。
イジり甲斐の有る相手を探していて。
それで目を付けたのは、同じくクラス内で腫れ物に触るような扱いを受けている彼女だった。
「……詞凶クスネ。なんやスゴい字やな」
「─────?」
「ウチは、琴吹笑美! なあなあ、良かったらでええねんけどさ。ウチと友達になってくれへん?」
「──────」
詞凶クスネという、字面だけで威圧感たっぷりの名前の彼女は、虚ろな表情で琴吹笑美をじっと見つめる。
そこに秘められた感情は、どうにも平淡で読み取り辛い。
だがそれでもなお、琴吹笑美はへこたれない。
決して折れない強い心を持った彼女は、粘り強く交渉を続ける。
「なあなあなあ」
「──────」
「何か好きなもんとかないん? ウチはなぁ、やっぱたこ焼きやな! 美味いやんなぁ、中身トロトロのたこ焼き。食べた事ある? あ、こっちのはあかんで。銀だこもまあ美味いのは美味いねんけど、あれはたこ焼きとちゃうねん。銀だこは銀だこいう別の食べもんでな、ウチが思うにたこ焼きっていうのは、もっとこう外もええ感じに柔らかいんが最高なんであって───」
「──────」
弾丸のように繰り出されるたこ焼き語りにも、詞凶クスネは一切表情を変える事はない。
ただ興味なさげな顔をして、琴吹笑美の口から絶え間なく繰り出されるマシンガントークを聞き流すだけで、───
「あ。ウチばっかり喋ってごめんな」
「──ぃぃ」
「いい? ってことは、もっと語ってもええんやんな? 任しといて! 詞凶ちゃんが退屈せんでええように、ウチがい〜っぱい話したるからな!」
「──────」
詞凶クスネはそれ以上、何も言わない。
ただ、琴吹笑美が馴れ馴れしく近寄ってきても逃げるような事はないし、ただ黙ってその話を聴くだけで。
何か言葉を返す訳でもない。意見する事もない。
本当にただ、耳を傾けるだけで。
それで互いに、満足していた。
ある日の放課後のこと。
詞凶クスネは珍しく、屋外に居た。
夕暮れ時の、誰も居ない校庭の隅。
「──ぁ。────ぁぁ」
それは、消え入るような小さな声で。
辺りを撫でる風の音にすらかき消される程に、儚い呟き。
それでも、その声の主にとっては必死の事だった。
痛みに耐えて絞り出されるそれは、彼女なりの全力の叫び。
──詞凶クスネは、ほとんど声を発する事が出来ない体だった。
生まれつき、という訳ではない。ちょっとした、事故だった。
小学生の頃の彼女は快活とまではいかないにしろ、今よりはずっと豊かな感情を持つ少女であった。
それが変わってしまったのは、ある日の些細な出来事が原因だった。
クラスの男子による、ほんの小さな出来心から来る悪戯。
林間学校で行われる行事の中で、クラス全員に配られる甘いお菓子。その中の一つに、タバスコが仕込まれていて。
ちょっとした罰ゲーム感覚だった。
まさかそれを食べた少女がひどく咳き込んで、血を吐いて、意識を失って。
それで声を失うだなんて、誰も想像だにしなかった事だ。
それ以降の詞凶クスネという少女は、ひどく寡黙な少女であった。そうあろうとした。
本当は、話したい。
今だって、沢山話し掛けてきてくれる変な転校生に、ちゃんと返事がしたい。
けれど、それは出来ない。出来なくなっていた。
小学生の頃からずっと、他人と関わる事を避けてきて。
誰にも迷惑を掛けないように、何でも自分一人でやろうとした。
他人を頼る事を、頑なに避け続けた。
その結果、いつしか笑い方すらも忘れてしまった。
昔の自分はどうやって笑顔を作っていたのか、それすらも思い出せなくて。
そんな自分が、ひどくもどかしい。
だから叫ぶ。必死に叫ぶ。
「───ぁ。────ぅぁぁぁ」
けれど、その叫びは声にならなくて。ただ痛々しいだけで。
喉が痛い。心も痛い。
ズキズキとした痛みが全身を駆け抜けて、目元に何かが込み上げてくる。
笑い方は忘れたくせに、涙の流し方だけはしっかりと体が覚えている。
流れる雫に頬を濡らしながら、詞凶クスネは口惜しむ。
せめて彼女に伝えたい、と。
この胸に渦巻く感情を、せめて伝えられたら。
あの常に明るい彼女なら、自身の辿った間抜けな過去を、笑い飛ばしてくれるのだろうか。
──琴吹笑美は、企んでいた。
何とかしてあの無表情な友人を笑わせたいと思い、画策していた。
無論、詞凶クスネの置かれた状況など、呑気な彼女の知るところではなく。
結局のところ、私利私欲だった。
常にポーカーフェイスの寡黙な彼女が、声をあげて笑う姿が見たかった。ただそれだけの事。
複雑な事情など知る由もなく、当然誰かに過去を尋ねて回るような事も有り得ない。
何せ、琴吹笑美は自負していたから。
この学校の生徒の中で、詞凶クスネと一番仲が良いのは自分なのだ、と。そう思い込んでいた。
だから、自分よりも彼女の事をよく知っている人物など存在しなくて。
そんな琴吹笑美ですら、詞凶クスネの事を殆ど知らない。
だからこそ、直接話して、直接聞きたい。
色々話して、沢山笑い合いたいと。
そういう短絡的な発想の元に、琴吹笑美という人間は生きている。
日々を直感的に生きている彼女だからこそ、詞凶クスネに近付いて、話し掛けて。
もっと仲良くなりたいと、ただ単純に、そう願うのだった。
だからこそ、二人の邂逅は必然だったのかもしれない。
「──ぅ。───ぁぁ」
「あっ! やっと見つけたで、詞凶ちゃん!」
「────!」
いったい、どうやって見つけたのか。
校庭の隅に独り隠れるようにして佇んでいた詞凶クスネの元に、満面の笑みを携えた彼女が駆け寄ってくる。
元気いっぱいのその様子は、片や孤独に涙を零していた少女とは対照的で。
「ん? どないしたん?」
「─────っ」
詞凶クスネは慌てて涙を拭ってから、琴吹笑美へと向き直る。
一人ぼっちで感傷に耽って涙していたなどとは、知られたくなかった。
話したい。全てを語りたい。
けれど、いつも馬鹿みたいな笑顔を見せている彼女には、心の底から笑っていて欲しいのだ。
もしも、琴吹笑美にまで、自分の事を憐れむような冷たい視線を向けられたら。
詞凶クスネの心は、きっと耐えられない。
今度こそ折れて、より深い所へと閉ざされてしまうだろう。
それを自覚しているからこそ、───
「なあ、詞凶ちゃん! 今から時間ある?」
それは、唐突な言葉だった。
小学生の頃以来に耳にする、放課後のお誘い。それが意味するのは。
「もし良かったら、これからウチでタコパせえへん?」
タコパ。
耳慣れない言葉だった。
何の話だか分からずに、首を傾げる。
その意図を読み取ってか、琴吹笑美は笑顔で説明する。
「あ。タコパっちゅうんはな、たこ焼きパーティーの略やでっ! 晩御飯はウチでたこ焼き一緒に食べようや! 自分らで作んねん! 食べ放題やで!」
ハイテンションに、彼女ははしゃぐ。
どれだけたこ焼きが好物なのかが一目で分かるくらいには、まるで子供みたいに騒いでいて。
それに影響されてか、詞凶クスネも少しだけ、気持ちが高揚していた。
「どう? ええやろ?」
そう問われて、詞凶クスネは覚悟を決める。
「──────」
小さく、こくりと頷いていた。
陰と陽。対照的な二人の関係性は、まだこれから始まったばかりで。
ゆっくりと少しずつ、積み重ねられていく事になる。
作者は大阪出身です。