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理崎えのんと弓入ミユリの場合


 理崎えのんには、想い人が居た。

 

 その人は尊敬する先輩で。 

 

 生徒会長で。

 

 何でも出来て、どんな問題も解決してしまう凄い人。

 

 完璧だった。理想の人だった。

 

 ただ一つ問題があるとすれば、その弓倉ミユリ先輩もまた、理崎えのんと同じく女性であるという一点に尽きる訳で、───

 

 

 

「理崎さん。どうしたの? さっきから、ぼーっとしてるけど」


「あ。いえ、何でもないですよ、ミユリ先輩! ちょっとだけ、気を抜いてしまってました。すみません」

 

「そう? なら別にいいんだけど……」

 

 些細な変化でも見逃さずに心配してくれる。それもまた、ミユリ先輩の良い所の一つだった。

 

 ただ、気が付き過ぎてしまうが故に、それと接する此方としては常に気が抜けないというのは、ほんの少しだけ問題なのだけれど。

 

「そうだ、理崎さん。例の野球部からの申請、どうなったのかな?」

 

「あ、はい。書類は届いてます! 軽くチェックもして、問題は無いように感じましたけど……」

 

「そう。それは良かったわ」

 

「えっと……あ、これですね。確認お願いします!」

 

「ありがと。うーん、と……」

 

 ミユリ先輩は眼鏡をくいと動かして調節すると、その申請書類に目を通す。

 

 内容は大した事の無い、よくある予算増額についての嘆願書だ。

 

 記入内容に問題が無い事は確認したが、予算増額の可否を判断するのは私達の仕事ではない。 

 

 よくある漫画やアニメみたいに、生徒会に部活動の予算をどうこうするような権限が与えられていたら、今とは活動内容も随分違っていたのだろうか。

 

 現実には、生徒会にそこまでの権力は無い。

 

 せいぜい形式的な雑務を週一でこなせば、その仕事は終わりであって。

 

 後はだいたい、自由時間だ。

 

 それは、私とミユリ先輩が時間を共有する事が出来る貴重な時間。

 

 私が今生きている意味と言っても過言ではない程に、その時間は至福のひとときである。

 

 私だけがミユリ先輩の時間を独り占め出来るというのは、本当にとんでもなく素晴らしい事であって、───

 

「理崎さん。どうしたの? またぼーっとしてるけど」

 

「あ。すみません。何でもないですよ、先輩。ちょっとだけ、感傷に浸っていただけですから」

 

「そう? なら別にいいんだけど……」

 

 こうしてミユリ先輩から気にかけて貰えるというのもまた、私にとってはご褒美なのである。

 

「理崎さん」

 

「はい、何でしょう?」

 

「野球の時間よ」

 

「野球の時間ですね! わかりました」

 

 ミユリ先輩の不意の呟きにも、私の体は素早く反応する。

 

 生徒会室の隅へと駆ける。

 

 雑に積み上げられている段ボール箱を漁る。

 

 各部活動からの接収品や、廃部となった部活から回収されたあれこれの中から、野球に使うグローブ等々を引っ張り出した。

 

「準備完了です!」

 

「ありがと。それじゃあ、行きましょうか」

 

「はい! って、野球部にですか?」

 

「ええ。この予算増額が本当に必要なのかどうか先生に進言する為にも、情報収集に向かいましょう」

 

「ラジャーですっ!」

 

 ミユリ先輩の思い付きから、珍しく《生徒会》らしい仕事をする事になった。

 

 こういうのも、たまにはいいものだ。

 

 ずっとこの部屋に二人きりでは、遠からずマンネリになってしまう。

 

 私と一緒に居る時に先輩に退屈を感じさせる事だけは、絶対に避けたかった。

 

 めんどくさい女だというのは自覚しているが、結局のところ私は、先輩に見捨てられたくないのだ。

 

 もしもミユリ先輩に見放されて、一人ぼっちにされたら。

 

 きっと私は耐えられない。

 

 私は寂しがり屋のうさぎみたいな存在で、───

 

 

 

 ──そんなうさぎは今、バットを握って迫りくる硬球を打ち返すべく、バッターボックスで構えていた。

 

「理崎さん、頑張ってー!」

 

 ミユリ先輩の声援が、ベンチの方から聴こえる。

 

「何故こうなった……」

 

 ぼーっと考え込んでいる間に、いつの間にかこうなっていた。

 

 こういう状況に、追い込まれていた。

 

「カキーッン!と、打っちゃってー!」

 

 要は、私がスリーアウトを取られると予算増額。

 

 逆に、私が一球でもヒットを打つ事が出来れば、野球部の来年度予算は据え置きのままとなる。

 

 明らかに不公平な条件だ。

 

 言っておくが、私は別に野球経験者とかではない。

 

 むしろ、運動なんか殆ど出来ない。苦手な方だ。

 

 だから無理だと、やる前から諦めそうになっていたのだが。

 

「理崎さん、頑張ってー!」

 

 そういう風にミユリ先輩が応援してくれているのだから、頑張らない訳にはいかない。

 

 思いっ切り振って、この勝負に勝つ。

 

 それがいま私に出来る、唯一の事なのだ。

 

「しゃあっ! バッチコーイ!!」

 

 自分の中で、何かが弾けた。

 

 やり切るしかなくなって、後戻りはもう出来ない。

 

 頑張って。やり切って。振り切って。

 

 それで、ミユリ先輩に褒めて貰う!

 

 それが私の抱く、少しだけ邪な決意だった。

 

「いっけー!」

 

 叫んで、振った。

 

 ──叫んで、振った。

 

 ──────叫んで、振って、駆けて。

 

「よっしゃああああ!!」

 

 その白球は、天高く舞い上がった。

 

 飛んで、飛んで。

 

 どこまでも飛んで。

 

 ──少しばかり、飛び過ぎた。

 

 

 

「ご迷惑をおかけしました……」

 

 私はミユリ先輩に頭を下げる。

 

 当たりどころが良かったのか、それとも悪かったというべきか。

 

 3球目は見事にバットの芯とかち合って、ホームランとなった。

 

 それだけならめでたい話だったのだが、そのボールは野球部員ですらも驚く程に遠くまで飛んで。

 

 結果として、職員室の窓一枚を木っ端微塵にぶち抜いた。

 

「ふふ。いきなりの事で、職員室に居た先生方も大わらわだったらしいわよ?」 

 

「うう……まさか、あんなに飛ぶなんて……」

 

「けれど、野球部の皆は喜んでいたわ。強打者が見つかったー、とか。助っ人に来て貰いたいー、とか」

 

「ま、まぐれですよぅ」

 

「またまたー。とっても良いスイングだったよ」


「もう野球はこりごりです」

 

「ふふ。でも、よく頑張ったね。これは何か、ご褒美をあげないといけないのかな?」

 

「えっ」

 

 意外だった。まさかミユリ先輩の方からそんな事を言ってくれるだなんて、思ってもみなかった。

 

「あら、いらないの?」

 

「い、要ります! 絶対に貰います!」

 

「もう、必死すぎるよ。ふふふ」

 

「あ。お恥ずかしい……」

 

 つい興奮してしまう自分の気持ち悪さを自覚して、頬を赤らめる。

 

 だが、憧れのミユリ先輩から直々にご褒美を頂けるとなれば、気持ちが昂ぶらないはずもない。

 

 ついつい鼻息が荒くなっていた。

 

「えと、それで……」

 

「ご褒美の内容? うーん、何がいいのかなー? 何か希望はある?」

 

「き、希望を言っても宜しいのでしょうか……!」

 

 体を震わせつつ、適当な敬語で確認する。

 

 本当に何をお願いしてもきいてくれるというのであれば、それは時間を掛けてしっかりと吟味しなければ……

 

「あ、えっちなのは駄目だよ?」

 

「わ、分かってます!」

 

 駄目なのか。そうか。

 

 ……そっか。

 

「あ。だったら、その……」

 

「ん?」

 

「えーっと……褒めて、貰いたいなぁ、って」

 

「褒める? よしよし、ってしてあげればいいのかな?」

 

「あ、はいっ! その、やらかしはしましたけど、一応ホームランを打った訳ですから、あの」

 

「なるほど。確かに、凄い事だよね」

 

 そう言うと、ミユリ先輩はその眼鏡の奥の瞳で、私をしっかりと見据えてくる。

 

 目と目が合って、視線を逸らせなくなる。

 

 そのまま先輩は、私の方にずいと顔を寄せてきて。

 

「ふぇっ!?」

 

 思わず間抜けな声を漏らす私を、ミユリ先輩は優しく見守ってくれている。

 

 薄く微笑みながら、優しい声で。

 

「とっても頑張ったね。すっごく、カッコよかったよ。えのんちゃん」

 

「───!!」

 

 天使の囁きかとも疑う程に穏やかな声が、耳元を撫でた。

 

 体が震えて、頭の中が真っ白になる。

 

 一拍遅れて、脳がその言葉の内容を理解していく。

 

 名前を呼ばれた。えのんちゃんと呼ばれた。

 

 それだけで、私にとっては何にも換え難いご褒美に他ならない。

 

「っしゃあ!!」

 

 思わず、叫んでいた。

 

「まあ」

 

 ミユリ先輩は、そんなおかしな私の姿を目にしても優しく微笑んでくれる。

 

 くすくすと笑うその顔が、とても愛おしく思えて。

 

 けれど、手が届く事はないのだろうなという事もまた、私はよく理解している。

 

 ミユリ先輩は、汚されていないからこそ美しい。

 

 私なんかが手を伸ばして、もしも、万が一にも届いてしまったら。

 

 それはもう、私の愛するミユリ先輩ではないのかもしれなくて、───

 

「えのんちゃん。どうしたの? またまた、ぼーっとしてるけど」

 

 そう問われても、私はとぼける。

 

「あ。何でもないですよ! 少しだけ、先輩について考えてました。すみません」

 

 はっきりとした言葉では、絶対に伝える事は出来ないだろう。

 

 どれだけ執着した所で、ミユリ先輩にとって私は所詮、生徒会の後輩でしかない訳で。

 

 それ以上を求めてはいけないのだと、私はよく理解している。

 

「そう? それなら別に、いいとは思うけど。でも……」

 

「でも?」

 

「……ふふ。何でもないよ、えのんちゃん」

 

 今日は少しだけ、先輩との距離が縮まった。

 

 少なくとも今だけは、他人行儀な理崎さんから、親しい後輩に向けたえのんちゃんへと、格上げされている。

 

 それ以上を求めるつもりは、私には無くて。

 

 夢見るだけで、求めはしない。

 

 もしかしたら明日には、理崎さんに戻っているかもしれないけれど。

 

 それでも今だけは、ミユリ先輩と二人だけの生徒会室を、満喫していたいのだった。


 

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