教皇
「岩をも切断する『アトラク=ナクアの糸』で首を飛ばせぬとは、やはり貴様人間では無いな」
アトラク=ナクアとは蜘蛛の邪神である、名前から推測するとこのワイヤーは魔道具で、邪神の名前を冠した最上級のものだ。
魔道具と言うものは物理法則を捻じ曲げる、この男の言う通り岩でも難なく切断できるのだろう。
首に魔力を集中してレジストしてはいるものの、現在進行形でジリジリと肉体に食い込んでくる、このままではジリ貧だった。
「動けまい、これには蜘蛛の概念を付与して拘束効果があるからな」
(でも私は動けるんだけどね)
そこら辺の上位魔人なら動けないだろうが一緒にしないで欲しい、私の格は桁が違うのだ。
「いい加減諦めろ、この糸に絡め取られた者は死あるのみ」
私は気付かれない様にアイテムボックスをオープンして短剣を取り出すと、それをひと振りした。
プツンとワイヤーが切断され、呼吸が戻って来る。
後方に向かって蹴りを一撃、結界の中なら手加減無しでも死なないだろう、基本的に人間は殺したくない。
想定外の反撃を受け、男は地面に転がった。
「ぜぇーぜぇー」
私は新鮮な空気を吸い込む。
「貴様、何故動ける!! それにその手に持っている物は…… カルンウェナンだと!!」
私はアイテムボックスから取り出した短剣でワイヤーを切断したのだ。
(マイラは祝福された短剣と呼んでいたけど、この短剣ってそんな名前だったのね)
そう、この短剣はマイラに襲われた時に、背後から私の心臓を貫通した短剣だった、この短剣もまた最上級の魔道具なのだ。
私が短剣に魔力を注ぎ込むと短剣が光り輝く。
『何も無い』空間に向かって短剣を振るうと、キンッと手ごたえがある場所があった。
短剣はそこで止まって火花を散らし、まるで溶接のシーンを見ているようだった。
そこからゆっくり短剣を動かすと、火花を散らして何も無い所に裂け目ができて広がっていく。
「貴様、何をして…… 空間ごと結界を… 切っているのか……」
男は信じられないと言うようにその光景を呆然と見ていた。
裂け目が広がった結界は、パリンと音を立てて崩れ去り、私の体が軽くなるのがわかった。
その時、後ろから声がした。
「カール神父引きなさい、禁域が破られた今、戦闘を継続するのは困難です」
ふり返ると、白い法衣を身に纏った少女が立っていた。
「誰?」
「化け物に教える名などありません」
彼女はそう言うと倒れている男を引き起こす。
「蹴りのダメージが礼装を貫通したのね、私の結界の中でもこれ程のダメージを与えるとは……」
(今、私の結界とか言ったよね)
つまりこの恐ろしい結界は、この少女が作り出したと言う事になる。
私は彼女に話しかけた。
「私はあなたがたと敵対する気はありません、どうぞそれを教会側にも伝えてください」
「貴女に理由が無くても、こちらにはあるのよ」
「そんな……」
おおよそ予想通りの回答だ。
「今日の所は見逃してあげるわ」
(それって敗者のセリフよね)
彼女はそう言うと男を連れて夕闇に消えて行く、私はその場に立ち尽くして2人の後ろ姿を見送っていた。
それにしてもあの少女、名前はわからなかったが、それなりに整った顔立ちをしていた。
聖女見習いをやっていたので教会との接点はあるつもりだ、あれだけの美少女なら、過去に会っていれば覚えているはずだが記憶に無い。
「名前ぐらい教えてくれてもいいのに……」
名前:エヴァ・シルフィード
性別:女性
年齢:登場人物は全て18歳以上です
「!?」
頭の中にプロフィールが流れ込んで来る。
「あの娘、攻略対象だったの!?」
幼少の頃、両親を亡くし修道院に引き取られて育ったと言う経緯が書いてあった。
「あの娘はあの娘で苦労しているのね……」
ふと職業の欄を見た私は、彼女の職業を二度見した。
職業:教皇
「はい?」
私が広場のテントに辿り着いた時は既に真っ暗な夜になっていたが、広場にはかがり火の明かりが灯されていて、それなりに明るかった。
「そう言えば、聖女の式典に教皇が来賓として海外から訪れるとは聞いていたけど、あの娘だったんだ……」
「えーと、教皇、つまりエヴァ・シルフィードが教会の最高指導者って事なのよね」
あの可愛らしい外見からは想像もできないけど、あの結界を作り出せるなら納得だ、彼女の能力は教会の中でも間違いなくトップクラスだろう。
私は軽く食事を済ませた後、テントを出た。
炊き出しをやっている場所には食料を求める人で行列ができている。
ここにとり残された人は怪我人ぐらいなものだ、その怪我もソフィーとクラウディアが治療してしまったけど。
特にクラウディアは体の欠損まで治せるのだ、怪我人らしい怪我人はもういない。
私は炊き出しをやっている人たちに声をかける。
「私にも手伝わせてください」
「そんな、聖女様に手伝っていただくわけには……」
「いえ、構いませんので」
「そうおっしゃるのなら」
「これも使って下さいね」
私はアイテムボックスを解放すると、ホカホカのランチプレートや果物、お菓子と言った備蓄を取り出した。
「こんなに大量に?」
私は一度誘拐されているので、アイテムボックスに食料の備蓄をしていた、でも個人の備蓄なのでたいした量では無いと思っている。
「家族揃って、本当に人望の厚い方々ですね」
「家族?」
私は何で家族が出て来たのか不思議に思う。
「ええ、既にバリスタ家から大量の食糧及び物資の支援を頂いております」
私の両親から寄付があったとの事だった。
父親の性格を考えると、善意と言うより領地運営のノウハウからだろう、どんな時でも民の衣食住の保証は絶対だ、『食べ物の恨みは恐ろしい、それは歴史が証明している』と常日頃言っていたのである。
民を飢えさせる領主は長続きしない、いつの世も変わらない法則だった。
「まぁお父様ったら、常に民の事を考えて下さっているのですね、嬉しいですわ」
とりあえず父親の支援をする発言をしておいた。
前世だったらマーケティングが含まれていますと小さい字で書かれるレベルである。
そんなやり取りの後、私は食料を配給する係として調理された料理を人々に手渡しする係をやらせてもらっている。
中には聖女様自らこんな事をと涙を流して感動している人も居た。
いや、怪我を治療したソフィーの方がどう考えても貢献度は上だろう、聖女様ブランドを有難がっていて本質が見えていない、感謝すべきはソフィーであって私は全くの無力なのだ。
食料配給の行列もあとわずかになった頃。
「あっ」
「あっ」
お互い、見知った顔だった。
「「何で貴女がここに居るの?」」
私と同時に同じセリフを相手も言う。
そう、食料を受け取りに来たのは『教皇エヴァ』だった。
引きつった笑顔で私を見ている。
「貴女ならVIP待遇なはずでしょ」
と私は彼女に問いかける、配給所に来なくても専用の宿泊施設と食事を提供される身分なのだ。
「それはこっちのセリフよ」
聖女もまたVIP待遇なので同じように申し出があったが、私はそれを断っている。そもそもVIP待遇の聖女にこのような手伝いをさせる事自体が考えられないだろう。
と言うわけでお互い、こんな所でバッタリと邂逅したわけだが。
私はフリーズしている彼女に話かける。
「どうしたの? いらないの?」
「化け物が配っている食べ物なん口にできないわ」
「今なら可愛い女の子には、お菓子をつけてあげるんだけどなぁ」
そう言ってアイテムボックスから取り出したお菓子を皿の上に乗せる。
「うっ」
「おっと手がすべってパンにハチミツかけちゃったぁ」
「うっ」
「この果物日持ちしないから、この皿に盛りつけておくわね」
「うっ」
「ねぇ、いらないらどいてもらえます? 次の人に渡すから」
「えっ!?」
「……」
「どうするの?」
「わかったわよ!!!」
彼女は私から食料を乱雑に受け取ると配給所を後にした、私は配給所の人たちに断りを入れて彼女の後を追う。