第二話 芳香臭の回想
妻の肌は、決して綺麗ではなかった。客観的に見ても、そして――主観的に見ても、そう。湿疹の発生頻度が人より少しばかり多かった。そして、その湿疹は、決まって、赤ではなく、少しばかり暗く黄色かっていた。
だが、私がそれを嫌いだったかというと――そうではない。そして、妻は今こうなっているような全身漏れなく湿疹塗れだった訳では決してない。
妻は、ある日突然そうなった。そして、私がそんな妻に向けて言い出したことが原因で、妻はまるで、定まっている、知覚している死期までの猶予を確かめるかのように、医者に尋ねに行くことになったのだ。
妻が確か、そのとき私に言った。虫に刺されたかのような数の湿疹をその身に浮かべながら。
『わたし、死ぬみたい。秋のまっただ中で。ごめんなさい』
そう妻は確かに言ったのだが、確かに、微笑んでいた。おかしかった。とてもとても、おかしかった。ちぐはぐだった。予言者みたいに何を言う? そのとってつけたような、形だけの謝罪は何だ?
私は、それに確かに苛立った。しかし、苛立ったから、大きく息をすることになって、そして、その匂いに、気づいた。
うっすらと、甘い、その匂いに。そしてそれは、これまでより、少しばかり、強い。
私はそのとき、取り入られたに違いないと思う。しかし――何に、だろう? 魔に? 妻に? それとももっと別の――あぁ、梨、か……。
「なら――どうしてお前からは、いつもよりも甘い匂いがするのだ。苦さでもなく、臭さでもなく、どうして、仄かに強く、甘く、香るのだ」
そうして、私は妻との最後のドライブをする羽目になったのだ。
妻には特に特徴という特徴がなかった。
一見、印象に残らないと言えばいいのか。少々控え気味で、一歩後ろを歩くような、ささやかな女だった。そういう、ありふれた女だった。
そして、私は、そんな妻が傍にあるのがとても自然なことになるまでに、そう時間は掛からなかった。
やるせなく、流すつもりで出るだけ出た、そういう見合いだったからこそ、風に流されるように消える筈だった。だが、そうはならなかった。妻が、袖口を掴んでいたから。私に気づかれないくらい、そっと。
私の態度など、分かっていただろうに、幾らでも断る糸口を、それも全て私の過失にできる形で、ぽろぽろと置いておいたというのに、妻はどうしてかそれを拾わなかった。
どうしてか、それらには目も暮れず、ゆったりと歩いてきて、それが自然とでもいうかのように、私の手を取った。気難しく偏屈な、私の手を。美形でもなく、愛想も糞もない私を、妻が、選んだ。私はそれを否定しなかった。
あぁ――気づいてみれば、随分に変わり者。なら、今際の言葉にも頷ける。一度否定したそれであったが、確かにお前は笑いながら、笑っていない目で、駄目、と逃げ仰せた。
自然と手が伸びた。布をめくる。彼女の全身を覆って余りある、大きな布団のような被せ方をされた布を。
そして、私は、在り得ないものを、いや、非ざるものを、見た。
梨。
巨大な、梨。
それは、人一人、すっぽりと中に納まってしまっても、まだ少し余りあるくらい大きな、等身大の、梨。