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25.興味の行方


ヴォルーク王子の居所たる離宮、2階。

今にも落ちてくると錯覚するほど巨大なシャンデリアの下、細長いテーブルには3人分の料理が並び、中央の(さすがにプロの料理人が手を加えたらしい)巨大鹿肉ステーキが目を引いている。


食堂の構造はマギアのそれとほぼ同じだが、装飾の趣味が違うので受ける印象は別物だ。エキゾチックというかエキセントリックというか、なんというか。

ちなみに明日の夜、マギアとハイドラの騎士団員も招き入れての大規模な酒宴が執り行われるのは、一階にある大広間だそうだ。



会食も半ば――、離宮の主は頬袋を肉でパンパンにしながら首を振った。


「王家からの褒賞……? 知らん。数百年も前の一商人にやった水晶玉など、記録に残っているかも定かではない。それに」


ヴォルークは口に含んでいた料理を飲み込み、言う。


「――宝物庫も然りだ。余の生まれた年に起こった大火でその3分の2が失われたと聞く。不始末の責任は、管理を任されていた衛兵長の首一つでは足りなかったらしいがともかく、今までにそのような水晶を見た記憶はないな」


「……左様でございますか」


想定しなかった反応ではなかった。

実際、アフィリオー王家が褒美をやった相手など無数にいるはずだし、重要度としても決して高くないだろう。

なので俺は、用意していた通りの提案を行う。


「では、王宮の書庫を調べる許可をいただけないでしょうか。記録を見つけ、ヴォルーク様の下に持って参ります」


「……ハイドラ王国の公文書が収められた王宮書庫を調べさせろ、と」


「無論――、ハイドラ王宮のどなたかに代行して資料を確認いただくことになるかとは思います。しかし、大まかな年代は分かっているので探し当てることは可能ではないかと」


「だとしても書物の量は膨大である。あの文字の山から目当ての記述を見つけ、余の前に提示し、ノイオトの商人の元から水晶を届けさせる……。とても此度の遠征中に間に合いそうにはないがな」


「た、確かにおおせの通りかと思います。しかし、ヴォルーク様の許可さえいただければ、あとは後日、マギア行きの船に乗せていただくだけで結構です。手間賃や水晶代の相談はボイシーチ商会と行いますので、それ以上お手間をかけることも――……」


しかし俺の提案の中途で、ヴォルークは右手で払うように却下する。


「不要だ」


「…………ふ、不要とは」


「そんなものは時間と手間の浪費である。必要性を感じない」


「……!? し、しかし、それでは…………」


交渉に入ることも許さず突っぱねるような反応に、俺は戸惑う。

しかしそんな俺に、横に座っていたノノが小さく首を振った。

それは、話の続きを待つようにと言っているように見えた。


ヴォルークが笑う。


「わざわざ記録を紐解く必要などないと言っている。ノノからの頼みでもある、水晶玉くらい好きにするがよい。一度王宮に返還されたという形式が保たれれば、例の狸のような商人も満足なのだな? おい、紫髪――」


そこまで言ったヴォルークが手を上げ、柱の影に控えていたアニカを呼んだ。


「はい、殿下」


「鳩を飛ばし、そのイハイオット水晶とやらを王宮に届けさせろ。明日中にだ」


「かしこまりました」


アニカは深々と礼をし、食堂の外へと退出していった。

その背中にしばし目を向けていた俺は、はっとしてヴォルークを振り返る。


「手間ばかり掛かり大した意味も伴わぬような交渉は、余のもっとも忌避するところである」


「…………!」


ヴォルークの言葉の意味を理解した瞬間、大きな安堵の波が押し寄せる。

気付けば、いつの間にか俺は胸元のペンダントを握りしめていた。


霊水晶が手に入った。

霊水晶が手に入ったのだ。

あれだけ必死にノイオト中の金持ちの邸宅を駆けずり回ったことが馬鹿馬鹿しくなるくらいに容易く、ヴォルークのたった一言で。


ここ数年間研究活動の半分を捧げていた水晶探しが、こうもあっさり解決を見るとは思いもよらなかった。実際、時と場所が許すのなら、眠っているセイリュウを叩き起こして小躍りでもしたい気分だった。そうだ、スザクにも無事の報告をせねばなるまい。今回の遠征中にもう一度ノイオトを訪ねる余裕はないだろうが、それでも4日ばかりの船旅で国を越えられることが分かったのだ。霊水晶の成り立ち自体にもまだ調べる余地が残っていることを考えれば、出来る限り早くハイドラを再訪したいところ……。


と、帰る前からまた来る算段を立てていることに気付いて、思考を今いる場所へと戻す。俺は立ち上がり、ヴォルークに頭を下げた。


「ヴォルーク様、寛大なるお取り計らいに感謝いたします……!」


「大袈裟だな。たかだか水晶が、よほど重要な代物と見える」


「ええ、マギアではどれだけ手を尽くしても手に入らなかった貴重な水晶なのです。此度も、ヴォルーク様のご助力がなければ決して手に入りませんでした。何とお礼を申し上げてよいか分かりません」


「わが国で数百年前に採掘された水晶が、現代の魔術研究の助けになるというのは興味深い話だ。時を越え、国境を越えて、魔術はこれからも進化していく。そうであろう。ローレン・ハートレイ……」


「――は、はい」


不意に、ヴォルークが俺の名を呼ぶ声色が変わった気がして、俺は思わず顔を上げる。

真正面からこちらを見つめるヴォルークの表情は、先ほどまでと同様に薄い笑みをたたえたままだ。しかし、その瞳の奥の光が不穏に揺らめきはじめたのは、きっと気のせいではなかった。


「いいや、はっきり言おう。余が真に興味を持っているのは、魔術の行く末ではない。卿に対してだ」


「――――は?」


「氷魔法発見の第一人者であり、マギア精霊教会の闇を暴き、第一王子ヨルクから先進魔術研究室室長という特別な役職を与えられ、魔術師としての実力も国内有数……。ただならぬ肩書だ。しかし、実際にはどこにでもいる若造にしか見えない。その矛盾に興味をそそられている」


ヴォルークはテーブルに手をつき、身を乗り出してそう言った。


反射的に、俺は体を背もたれに押し付けた。

体が勝手に身構えて、目の前の男を警戒している。いや、気圧されている。

嫌な予感が、俺の背筋をぞわりと走った。


「卿はどうしても水晶が欲しい――、そうだな?」


「――」


俺が辛うじて首だけで頷くと、「しかしその水晶はまだ余の持ち物である」と言い、ヴォルークはゆったりと右口角を持ち上げた。


「…………気が変わった。卿とて目的の物があまりあっさり手に入っても甲斐がなかろう。中身のない交渉は嫌いだが、余興となるならば話は別である」


「よ、余興……?」


「明日、演習場にて卿の魔術を披露して見せよ。余の目の前で、だ」


「!」


驚く俺のかわりに、口を開いたのはノノだった。

ノノは眉をひそめて、諫めるような視線をヴォルークに向けた。


「ヴォルーク様。恐れながら、お約束と違うように思われるのですが……」


「――なに、無茶を言う訳ではない。元よりローレン・ハートレイはわが黒狼軍に氷魔術の指南をするという約束であっただろう。その方式を、いささか変えようと言うのだ」


「……?」


「わが黒狼軍の若い衆の中には、氷魔法について未だ懐疑的な者が少なくない。実在はよしとしても、マギアが己が国の功績を声高に吹聴しているのではないか……。より言葉を選ばずに言うならば、我々の魔術の方が上である、とな」


「なっ、何故そのような――……」


「言葉でそれを否定してもどのみち水掛け論だ。それで納得できぬゆえに、黒狼軍の団員は騒いでおるのだ。

ローレン・ハートレイ。その者たちを実戦にて黙らせてみよ。多少のハンデがあっても、卿の魔術が勝ることを示してみせよ」


俺とノノは同時に眉を顰める。

それはヴォルークの言った『ハンデ』という部分に強く引っかかったからである。


「そうだな、どのくらいがよいか。……ハイドラの若い兵士30人との真剣試合、くわえて卿が扱うのは氷魔術のみ、あたりでどうだ」


「30人と、真剣試合……!?」


驚きが思わず声に出る。

多対一にしてもあまりに不公平。しかも相手はハイドラの精鋭が選りすぐられた黒狼軍の団員なのだ。俺は無数の刃が向けられる光景を想像した。


「そのくらいでなければ、場が盛り上がるまい。何事も極端な方がよいのだ。30人の兵士を氷魔法で打ち負かしたとなれば、氷魔法を異議を差しはさむ者はいなくなる」


「お、お待ちください。ローレン様は戦闘を本職とする騎士団員ではありません。真剣など使って万が一のことがあっては……! それに、魔術を研究なさっている理由も決して魔術で戦うためではないのです。ヴォルーク様のおっしゃられるご提案は、魔術指南の域を明らかに出ているように思います」


ノノは立ち上がらんばかりの勢いで言うが、そこで――、ふとヴォルークの表情が固まる。

同時に場の空気も一転、静まり返った。


「何と言った……? 今おかしなことを言ったな、おかしなことを。そんなはずはない。なあおい、ローレン・ハートレイ」


ヴォルークは大きな目をぐるりと一回転させ、ノノから俺へ視線を移す。

笑みの消えたヴォルークからは、先ほどまでと別種の迫力を感じた。俺はごくりと唾をのんでから答える。


「…………お、おかしい、とは」


「魔法とは精霊が与えたもうた奇跡の御業。人間が生まれながらに持っている力の奔流。あるいは、より別の何か。その捉え方は人それぞれであり、余もそれを否定しようとは思わぬ」


「はい」


「しかし本質が何であれ、魔法とは人が人を殺しうる手段の一つ――。

このこともまた、否定は出来ぬはずだ。卿が発見した氷魔法も、人を殺すための新たな手段であろうが」


「…………!」


「そんなことも認識せぬまま魔術研究をのたまうほど愚かではあるまい。氷魔法の指南とは剣の振り方を教えるのと同義なれば、戦いを想定しないなどと矛盾もいいところだ。違うか」


「――――」


俺が思わず言葉をのんだのは、ヴォルークの言葉が一側面の真実をついていると思ったからだった。


俺はマギアで魔術研究をするにあたって、多くの人々と意見を交わして来た。

しかし、王都最高魔術師も、王国騎士団長も、精霊教会員も、誰もヴォルークのように無遠慮な物言いはしなかった。

それは、人々が無意識に目を逸らしてあえて語ろうとしない部分――。

だからこそ足元にずっとあり続けるどうしようもない真実。

魔法はこの世界の誰しもが持っていながら、人を傷つけるためにあまりに便利な方法であるという事実だ。


ヴォルークの言にノノはぎゅっと口を結ぶ。

そして申し訳なさそうな表情で俺に目くばせをした。

言うまでもなく、彼女がそんな顔をする必要はない。


この交渉は最初から俺とヴォルークのものである。


「……魔法が人を傷つけるに有効な手段であることは事実です。しかし、俺が魔術を研究しているのは、人々が魔術を正しく扱うためです。子供にナイフとフォークの持ち方を教えるように、自分や誰かを傷つけない術を身につけておくべきと思うからです。理性の下に御して初めて、魔術と呼ばれるべきなのだと」


「確かに力を持て余し闇雲に振り回すのであれば獣であろう。しかし我が兵士たちは理性の下に力を御し、手段として魔法を扱っている」


「はい、彼らには彼らの存在意義があり、守られている国民がいる。彼らに魔術の扱いを教えるのは、極めて重要な責務だと考えます」


「なればこそ、戦いの術を教える卿に、戦いの場に身を置く覚悟がないとは滑稽な話だ。そうではないか」


「覚悟ならばあります。魔術研究に生き、死ぬと決めているのです。しかし、魔術を尊重するからこそ、無用な暴力として扱われることには憤りを感じざるを得ません。力は使わないからこそ本当の意味を持つのではありませんか」


「使わないことが力の意味だと? 矛盾しているな」


「――矛盾こそが真理です」


俺とヴォルークはしばし睨み合う形になった。

静かな緊張感が空間を満たし、壁際に控える家来たちが体に力を込めたのが分かる。しかしヴォルークは、それを打ち破るように大きな笑い声をあげた。


「………………ふっふ、はっははは! なるほど、弁が立つ。うっかりすれば言い負かされそうだ! 面白い、面白いぞローレン・ハートレイ!」


俺とノノは驚きのまま、視線を交わし合う。

ひとしきり笑い終わったヴォルークは、満足したように「まったくよき夕餉である」と言った。


「ローレン・ハートレイ。卿の理念は分かったが、なおのこと噂の魔術がいかほどか確かめたくなった。真剣試合は水晶と交換だ、どうしても嫌と言うならば水晶を諦めよ」


俺は小さく息を吐いてから、深く頭を下げる。


「……かしこまりました。明日の真剣試合、引き受けさせていただきます」


「よし。言っておくがあからさまに手を抜いては面白くない。余の満足するような見せ物を用意せよ」


「お気に召すよう、最大限努力いたします」


ヴォルークは右手を振り、背後の家来たちに合図をする。

会食は終わり――、という意味らしかった。


いつの間にか戻ってきていたらしいアニカも俺の後ろへ来て、「お部屋へご案内いたします」と言った。

俺はアニカの案内に従って立ち上がり、


「――ん」


ふと服の袖を引っ張られる感触を得て、俺は振り返る。

するとノノが申し訳なさそうにこちらを見上げていた。俺は声を小さくして尋ねる。


「どうしましたか、ノノ様」


「……申し訳ありません、ローレン様。力及ばず、このような運びになってしまいまして……、何とお詫びしてよいか……」


「いえいえ、だから謝らないでください。実際驚きましたし、想定外ではありましたが、水晶代と思えば妥当だと思っています。問題は、王子の満足のいくような試合を演じられるかどうかですが……。それはやってみなければ分かりませんね」


「くれぐれもお気をつけくださいませ。ヴォルーク様のことです、遠慮なしに斬りかかってよいと命じられるに違いありませんから」


俺はそう言われ、4年前のことを思い出す。

草原の上で、前触れもなしにナイフを背中に刺してきた殺し屋たちのことである。あの時のことを思えば、まがりなりにも真正面から仕掛けてくれることは、むしろ親切とさえ思えた。


「そうですね……。必ず、とまではお約束できませんが、なんとか上手くやりますよ」


そう頭を掻きながら答えると、先ほどまで心配気だったノノの表情が、頬を膨らませてこちらを責めるようなものになっていたので俺は驚く。


「あの……! 本当の本当に、お気をつけ下さいね。シャローズやダミアンもそうですが、ローレン様は自分のことをあまり顧みないきらいがございます。いいですか? 多少の怪我なら構わないだろうという考えが、大事故を招くのです」


「だ、大丈夫ですよ。ちゃんと気をつけますので」


「…………これは、命令でございます。決して怪我をしてはいけません。よいですか?」


それはむしろハードルが上がっているのでは?

と思いつつも、心から無事を願ってくれているのであろうノノの思いを無下をするわけにはいかない。


「分かりました。……もし命令に背いた場合は、首をお刎ねいただいて結構です」


「――もうっ!」


ぽこぽこと柔らかい拳で叩かれつつ、俺とノノは正面扉方向へと案内される。

一方、ヴォルークは奥の小さな扉から出て行くようだ。


と――、開かれた扉の奥から姿を見せた銀髪の男が、ヴォルークの耳元に口を寄せたのが見えて、俺はなんとなく歩を止める。

明らかに使用人ではない。ヴォルークと同じ、鍛え上げられた屈強な体つきをしている。そして、何よりも印象的なのは、右目にあてられた黒の眼帯だった。


銀髪に眼帯という特徴に心当たりがある。

黒狼軍副将サーベージ・ドノバン――、ハイドラの英雄……。


そう記憶を参照しかけたところで、男の左目がこちらを射抜くような視線を放ったので、俺は慌てて目を逸らし、食堂を後にした。





「何故貴様がここにいる、サーベージ。明日の準備をするように命じていたはずだ」


「申し訳ございません。本日の共同演習にて少々予定外の事態が起こりまして、一応お耳に入れておくべきかと……」


「……?」



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