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第二章 幕間①

※三人称視点




「――――この際だから、はっきりと言わせていただきますが」


司教の1人が語気を荒げて言う。

ネロ・モロゴロスはうんざりとした表情で、向かい側に並ぶ数人の司教達を眺め見た。聞く前からうんざりとしているのは、話の内容に察しがついていたからである。


「ダネル様を如何様に扱うべきか、我々司教の間でも既に意見が分かれ始めております。

精霊教会教皇のご子息が精霊の加護を受けておられない事実。これが教会員や外部に知れれば、教会の立場自体が危ういのです。早くご決断いただかなければ」


「…………意見が分かれている、とは」


「容認派と、排斥派にです」


「…………」


場所は聖堂の最上階、教皇の私室――。

大きな窓からは王都が一望できる。

空は青く、花が咲き、小鳥が歌っている。

人々はきっと希望に満ちた信仰心を持って、この建物を見上げている事だろう。

白く荘厳に聳え立つ精霊教会の総本山。その中でこんな後ろ暗い話し合いが行われていることなど、知る由もなく――。


「まだダネルは幼い。ようやく言葉がいくらか話せるようになったばかりだ。何もそう結論を急ぐことはなかろう」


「いえ、教皇様。その期限が2歳のお誕生日というお話だったのです。医者にもよくよく診察をさせましたが、魔法への適性はなしとの結論は変わりませんでした。これ以上引き伸ばしても、精霊教会への不利益にしか働きません」


切実に訴える司教の男。

それを受けて、ネロはゆっくりと腰を上げた。


「…………お主らは皆、排斥派という事か?」


「! い、いえ、私達が、と言う話ではありません。

我々はあくまで、精霊教会という組織を存続させる為の意見を申し上げているだけです。

教皇様、身内だからという甘い考えはお捨て下さい。いえ、むしろ逆に教皇様のご子息だからこその問題なのです。ここで判断が遅れ、情報が洩れる事だけは避けねばなりません」


「この事が洩れれば精霊教会への信用が揺らぐ、か……。

はっ、確かにお主らの言う通り、教皇の孫が精霊の加護を受けておらんなどとは、冗談のような話だからの」


ネロはそう言って、乾いた笑いをこぼした。

しかし瞳は笑っておらず、けん制するような目線である。

ここまで言ってしまったのだから、司教たちも引き下がるわけにはいかなかった。


「いい加減、ロネリ様へお話を通していただけませんでしょうか。我々としても、これ以上は待ちかねます」


「……しかし、それは余りにも酷じゃろう。我が子を殺せとでも言わせるつもりか」


「とんでもない。…………いろいろ方法はございましょうが、一番穏便な方法は、療養などを名目に僻地で暮らしていただくことでしょう。むろん場所は極秘事項とし、ダネル様には教皇のご子息であることは伏せます」


「それでも、まだ2歳のダネルを親元から離す事になる」


「そこは致し方ありますまい。ロネリ様ご夫妻には、王都にいていただかねばなりませんので」


「…………」


ネロは表情を険しくしながら、真向いの司教たちを見る。

司教たちの言うことはあまりに全体主義が過ぎ、冷淡である。一祖父としては「出ていけ」と怒鳴りつけたい衝動に駆られるが、しかし――――、ネロが真に憤りを感じるのは、同じように孫と精霊教会を冷静に秤にかけている、自分自身に気づいていたからだった。


精霊教会は日々、清く正しく慎ましく生きるよう人々に説いている。

そのような者にこそ精霊の加護は与えられ、魔法という奇跡として顕現するのだと。


しかしどうだろう。厚い精霊信仰を語る仮面をはがした瞬間、その裏には利権や地位、金と欲がどす黒く渦巻いている。

精霊教会側は今、影響力を日増しに強め、ついには国政の中枢――、王宮内部の人材登用にも食指を伸ばし始めている。ここで精霊教会の求心力が弱まるようなことがあっては、努力が水の泡だ。

たかだか赤ん坊一人、されど赤ん坊一人である。古くは【忌み子】として敬遠された、ごく稀に生まれる精霊の加護を受けず、魔法を扱えない子供。

数万か、数十万に一人の割合で生まれてきてしまう特異体質。

その原因は今もなお分かっていないが、よりにもよってその外れくじがこの国で一番引いてはいけない者に渡ってしまった。

何たる運命のいたずらか――。

ネロはその現実を受け入れたくないと無意識に深く考えることを避けていたが、いよいよタイムリミットらしかった。


「…………分かった。今夜こそ、儂からロネリに話をしてみよう。とても素直に首を縦に振るとは思えんがな……」


「まずはお話を通してみなければ分かりません。

教皇、再三申し上げておりますが、先に延ばせば延ばすだけお辛くなりますぞ」


「……分かった。もうよい、お主らは下がれ」


「かしこまりました」





その夜、ネロは息子であるロネリの寝室を訪ねた。

最上階に近い上層ではあるが、不用意に立ち入る者がないように奥まった所に移動してあった。ネロも日中にロネリと顔を合わせることは多いが、部屋を訪れることはほぼなかった。


「――――」


ドアノブを握る手は重く鉛のよう。

ネロは強く目を閉じ、大きく深呼吸をしてから扉を押し開いた。


「ロネリ、起きておる――――」


「しっ」


扉を開けた瞬間に、ネロは固まる。

ロネリが静かにするよう、人差し指を立てていたからだ。

ロネリの隣に座り、寝息を立てる我が子を眺めていた妻――、キャロルが、驚いた表情のネロを見てほほ笑む。


「お義父様、ようやく寝付いたところなんです。起こさないであげて下さいますか」


「――お、おお、そうであったか。す、すまん」


ネロは咄嗟に謝りながら扉を静かに閉めた。

ロネリ夫婦の寝室には、ロネリとキャロル、ダネルが一緒に寝起き出来るだけの広いベッドがしつらえられており、枕元のランプが3人を柔らかく照らしている。

手招きに誘われ、ネロはベッドへと歩み寄った。


「父様も見てやってください、この可愛い寝顔。1日の疲れも吹き飛ぶというものです。こうして見るとキャロルそっくりでしょう」


「ほぉ、確かによく寝ておる。……ん、この本は?」


ネロはぐっすりと眠る孫息子の顔を覗く。

そこで枕元に置かれた一冊の本が目に入った。


「この前2歳の誕生日だったでしょう。その時のプレゼントとしてやったんです」


「2歳に読み聞かせるには少々難しそうだが…………、どうした?」


「……気付きませんか?」


「気付くとは?」


「これは私が子供の頃、父様にいただいたものですよ。覚えておられませんか、火魔法を使う騎士の話です」


「儂が、お主に……?」


ネロは少し眉を顰めてから、本を手に取る。

こうして開いてみると、昨日今日買ったものではないことがわかる。表紙は色褪せ、手垢がつき、ところどころ破けている。

しかしそれらのが合わさって、ネロの記憶を刺激するきっかけになった。


「……おお、おお、思い出した。

本屋で買ってやったあの本か、もう何十年も前の昔にのぅ。まだ持っておったのか……」


キャロルが傍らに眠る赤ん坊のお腹を撫でながら、クスクスと笑う。


「ダネルもその本がとても気に入ったようなんです。それをロネリ様が読んで聞かせると、驚くほど寝付きがいいんですよ。今度お義父様も読んであげて下さい。きっと喜びます」


「そうか、ダネルも気に入ったか。これも血かのぅ…………」


それはロネリがまだ小さい頃、ネロもまた寝かしつける為によく読み聞かせてやっていた本だった。こうして軽くページを捲るだけで、当時の記憶がずるずると呼び起こされ、思わず頬が緩む。


そこでふと、本の真ん中あたり――、見開きに描かれた大きな挿絵が目に止まった。

ドラゴンに跨った騎士が、空に向けて魔法を放つ勇ましい場面だ。ロネリはこれがいたくお気に入りだった。


「――――」


ネロの心臓が鈍く痛む。

自分がこの部屋を訪れた理由を思い出したからだ。


もしダネルが魔法を使えさえしたら。

本の英雄のようになどとは言わない、ただ人並みに使えさえしたら。

ただそれだけで、ネロはこの幸せな家族を引き離さなくてすむというのに。

どこにでも転がっているような、当たり前の幸せを享受できるというのに。


「どうかしましたか?」


本に目を落としたまま表情を固めたネロを、ロネリが首を傾げながら窺う。


「そう言えば、何かご用事だったんでしょうか。父様がこの部屋を訪ねてくるなんて珍しい。それもこんな夜更けに」


「…………」


「少し顔色が悪いのではありませんか? 一度お掛けになってはいかがです?」


「…………いや、よい」


ネロはロネリに対して小さく首を振り、振り返って部屋の外を顎で指し示した。

するとロネリは何かを察したような表情に変わり、静かに立ち上がる。


扉を閉めて廊下に出る。


ネロの体を足元から這い上がるような冷気がよじ登ってきた。体が小さく震えていることを自覚したが、それが寒さのせいか、それ以外のせいなのか分からなかった。


「……ロネリ」


「はい」


「早いものじゃ。ダネルは2歳になった」


「ええ、そうです」


「これからは、少しずつ言葉も覚えていこう。物も分かるようになるじゃろう。精霊教会のことも、自身の立場もの」


「そうですね。ダネルはきっと賢い子に育ちます。父様や私に似て」


そう答える言葉に、淀みや迷いはない。

ロネリは暗い廊下の中、真っ直ぐにネロを見つめていた。


自分でもそう言った通り、ロネリは出来の良い息子だった。

体の弱かったネロの妻が幼い折に病死して以降も、息子として、一教会員として、ネロを最も近い場所から支えてくれていた。

賢く、壮健で、信仰に厚く、精霊教会内での評判もよい。


しかしだからこそ、ダネルの体質のことが明らかになった時には、ひどくがっかりしたものだった。ネロにとってすれば裏切られたような思いにもなった。

それでもロネリに罪はない。勿論ダネルにもだ。

では一体誰が悪いというのだろうか。

もはや何が善で悪なのか、ネロには分からなかった。


「…………」


言わなければならないことがある。

しかし、扉の向こうで健やかに眠るダネルの顔を想像すると、それは喉より先になかなか出て来てくれない。


逆に痺れを切らし、本題へと先に切り込んだのはロネリの方だった。


「――――ダネルを、どこかへ遠ざけろと言われているのでしょう」


「!」


ネロは小さく驚いて、思わず問い返す。


「…………誰からそれを聞いた」


「聞かずとも分かります。魔法の使えないダネルが、精霊教会にどのような影響を与えるか……。私に直接言ってはきませんでしたが、司教方々の目線はダネルが生まれてからずっと冷ややかなものでしたよ」


「――――」


「そして、それはあなたもです。父様」


ネロはロネリの言葉を咀嚼するのに、暫し時間を要した。

自分の名前が呼ばれたことにも、すぐには気づかなかった。


「……なんじゃと? 儂が、どうしたと言うのだ」


「この2年間は私を……、いえ、キャロルとダネルも、憐れむような目で見ておられました。可哀想な物でも見るかのような目です。あるいは、目を合わそうとされなくなりました。つい先ほどもですよ、気づいておられましたか?」


「――――」


それは、全くもって想定外の指摘だった。

しかし言われて初めて気付く事がある。

現にネロは、ロネリの指摘に反論することが出来ない。


「私は父様のことを心より尊敬しております。教皇として、長くこの精霊教会を率いてきたその背中を一番近くから見ていたのは私です。ずっとあなたのようにありたいと、心の底から思っていた。今もです。なので、ダネルのことで父様を悩ませてしまった事については、申し訳ないと思っています」


「ロ、ロネリ。違う。儂はお主を責めようというのではない。ただ――――」


「言っておきますが、私はダネル1人に寂しい思いをさせるつもりはありません」


「…………何じゃと……?」


暗闇の中で、ロネリが強く自分を睨んでいる。

その瞳に、言葉に、強く固い意思が宿っているのが分かる。


「ダネルを辺境に送ると言うのならば、私とキャロルも一緒に行きます。

誰とも知らない相手に子育てを任せるつもりはない。どんな子供にも、家族が必要なんです。そして魔法が使えなくとも、どれだけ風当たりが強くとも、ダネルは私の息子です。

父様が忙しい身でありながら、母様を亡くしてもなお、私を真っ直ぐに育ててくださったように、ダネルにとっての私も同じでありたいのです」


「…………お、お主の言うことは分かる。しかし、お主にも今や精霊教会内での立場がある。ダネルとともに辺境へ身を隠すなど、それこそ精霊教会内にどれほどの混乱を巻き起こすか、分からないお主ではあるまい」


「ならばこの精霊教会内で今まで通り、ダネルを育てさせていただきたい。人前に出せない事情については、キャロル共々理解しています。

ただ、あの寝室――――、家族3人の空間だけは壊さないでいただきたいのです」


「――――」


「私は、教皇の意向に従います。あなたが出ていけと言えば出ていきましょう。

……申し訳ございません、父様。これは私の最初で最後のわがままなのです」



その夜、結局それ以上の会話はなされなかった。

ネロはまたしても、結論を先延ばしにすることしかできなかったのだ。


司教達はそんなネロを苛烈に責めた。そして直接の話し合いが設けられたが、もちろんロネリに譲る様子はない。結局は教皇の意向次第という、元の結論に落ち着いてしまう。


ネロは両天秤に乗せた精霊教会と我が子を、何度も比べては溜息をつく。

その間にも時は流れ、ダネルは日増しに大きく成長していく。


はっきりとした結論が出されないまま、半年が経った。


そんな折――――、

ネロにとっても、この国の誰にとっても、あまりにも唐突な悲劇が起こった。

両天秤のどちらかを選びかねている間に、優柔不断を責めるかのように、その片方が無情にもこの世から失われたのだ。





初めは、少し用事が長引いて帰りが遅れているだけだと思った。

隣国を訪問するという長い旅程であったし、しかもちょうど帰りの日に大雨が降ったので、足止めでも食らっているのだろうというくらいにしか考えていなかった。


しかし、一晩明けても二晩あけても、いっこうにロネリとキャロルは帰ってこなかった。

流石に心配になったネロは迎えをやった。しかし、帰ってきたのは『迂回路として通った崖道で、馬車もろとも崩落した』という、思いもよらぬ凶報であった。


ネロは大いに動揺した。何かの誤りであることを望んだが、後日目も当てられない姿で自分の息子と再会し、かすかな希望さえも断たれた。

人目も憚らずネロは号泣した。何も知らず眠るダネルの部屋へと赴き、また泣いた。

その日は誰とも口を聞けないほどの有様だった。


しかし、追い討ちをかけるようにネロの元に更なる悪い報せが届く。


ロネリ一行の馬車が崖から落ちたのは、事故ではなかったという疑いが生じたのだ。

大雨による通行止めが行われていた記録はなく、仮に行われていたとしても細い崖道へ誘導するはずがないという地元民の証言があったのである。

ネロは教会員達に命じて、早急な事実確認を行わせた。


結果――、事故当日に確たる理由もなく都外へ出たという、5人の容疑者が挙げられた。

容疑者の特定に大いに貢献したのは、双子の若い教会員だったという。

しかしその容疑者の発見は、王宮や国家憲兵団に報告されることはなかった。



ネロの独断により、聖堂の地下にて異端審問会が行われた。



教会側は挙げられたいくつかの証拠をもとに、5人の容疑者を別々に厳しく責め立てる。

そのあまりにも苛烈な取り調べに、やがて1人が罪を白状した。

そこで判ったのは、彼らが精霊教会の権力拡大に否定的な『反精霊教会過激派』と呼ぶべき者たちであったこと。馬車に誰が乗っていたかは関係なく、精霊教会の要人であれば誰でもよいという無差別的なものだったらしいことだ。


教会側はその5人の存在を公にはせず、聖堂の更に地下で秘密裏に処刑した。

そしてネロは司教たちにこう命じる。


「二度とこのような事件を引き起こしてはならん。精霊教会に異を唱える輩を根元から刈り尽くせ。多少手荒い方法をとっても構わん。よいか、ダネルに愚かな者どもの凶刃が届くようなことだけは、決して許さん。決してだ。

ダネルは此度の事故で共に命を落としたこととする。葬礼にはダネルの名も加えよ」


「それは、ダネル様をどこか僻地にお隠しになるという事でしょうか」


「――――いや、それもならん。

ダネルはこの聖堂の中で、秘密裏に匿え。儂の目の届かん所に連れ出すことを禁ずる」


「は。しかし、そうしますと結局……」


「やかましい!! これは教皇命令である!! この決定は決して覆らん!! よいか、決してだ……ッ!!」





それから数年が経った。


ネロは1人――、最上階の椅子に座り、王都を見下ろす。

何が間違っていたのだろうかと、毎日のように考えてしまう。


ダネルは自由に歩き、本も読めるような歳になった。

ダネルは相変わらず、ロネリが与えた例の本がお気に入りで、ネロが部屋を訪れるとしきりに本を一緒に読むようにせがんだ。


しかしその純心な笑顔が、日を追うごとにロネリやキャロルの顔と重なり、ネロの心臓はまた鈍く痛み出す。

ダネルは自分の親が死んだ理由を聞くことも、自分が部屋からあまり出られないことに対して文句を言うこともしない。自身の体質については、医者を通して魔法を使わないように注意しているので、本人もまだよく判っていないだろう。


だが、いつまでもこのままという訳にはいかない。

小鳥もいつかは籠を狭く感じ、空を羽ばたきたいと望むだろう。

親の死の真相や、魔法を扱えない体質についても、いつかは気づくかもしれない。そうすればダネルは、自身の運命を深く嘆くことだろう。そしてきっとネロを恨むだろう。

それを思うと、ネロは尚更、ダネルの顔を真っ直ぐと見つめ返すことが出来なくなる。

ネロは司教の1人に伝え、ダネルの遊び相手を用意させるように命じた。


やはり、ダネルを聖堂の一室で匿うようにした事が誤りだったのだろうか。

最初はダネルを守りたいという思い、ロネリの言う家族が必要という言葉を思って、ダネルを近くに置く事にした。

しかし、時が経てば経つほどその決断は、ネロの首を真綿で締めるようにじわじわと苦しめる。


ネロは思う。


自分は優柔不断な人間だ。

悩んで、迷って、決断を先送りにして、そしていつも大切なものを失ってしまう。

同時に自分は運が悪い人間だ。

精霊の加護が本当にないのは、ダネルではなく自分なのではないかと思う。

早くして妻を病で亡くし、一人息子を殺され、孫は魔法が使えず教会員にさえ隠さなければならない始末だ。

どうしてこんなに悲しく、辛い出来事ばかり降りかかるのだろうか。

自分はただひたすらに精霊に祈りを捧げてきた。その結果がこれなのだろうか。捧げた祈りになんの意味があったのだろう。この人生に意味はあったのだろうか。



ネロには分からない。もう何も分からない。

今はもうただ、終わることだけを願っている。

人生を賭してきた精霊信仰を、他でもない教皇たるネロが否定するなど許されない。

ダネルが魔法を使えないのも、大切な人が自分よりも先に死んでいくことも、全ては精霊様の計り知れぬ御心であり、ネロに与えられた試練なのだ。

それを推し量ろうなどという考え自体が誤りなのである。


だから、誰か早くこの人生に幕を引いてほしい。


ネロはただ――――、それだけを待っている。




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