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37.躍進


「――――ん」


ふと視界に影がよぎった事に気付いて、俺は体を起こす。

しかしその人影は「そのままでいい」と言いながら横に腰掛け、芝生の上に寝転んだ。

この屋敷の主人であり紅い髪の魔術師、ダミアン・ハートレイである。


「せっかく気兼ねなく外に出られるようになったと言うのに、庭で日向ぼっこなんかしていていいのか?」


「これがいいんですよ。外に出て人混みに揉まれても疲れちゃいますから」


「はは、なんだか年寄りくさい物言いだな」


ダミアンはそう笑いながら、腕を枕にして目を閉じる。

昼下がり――、ダミアン邸の裏庭には涼やかな風が吹いており、絶好の昼寝日和だった。


怒涛の最終審問から、はや2週間が経った。


最終審問にて俺に下された判決は『無罪』。

それはつまり、教会側の言い分が棄却され、俺の研究の正当性が公に認められたという事だ。審問会が始まった時、このような結果を予想していた者はほとんどいなかっただろう。しかし、ダネルの生み出した火魔法を目の当たりにした後では、もはや異議を挟める者はいなかった。


ヨルクが無罪放免の判決を下したのち、俺は真の意味で解放されてダミアン邸に帰還した。研究資料も手元に戻り、もう不毛なやり取りに巻き込まれる心配もない。

全ては元通り――、王都での日常が戻ってきたと言っていいだろう。


しかし対照的に、世間は大騒ぎだった。

言うまでもなくダネル・モロゴロスについてだ。


降って湧いた『7年前に死んだはずの教皇の孫』というニュースは、瞬く間に国中の人々に知れ渡った。

魔法が使えないがゆえに7年も閉じ込められていたという事実――、そしてとてつもない規模の火魔法に目覚めたという事実――、精霊教会の光と闇がないまぜになったその2つのニュースは人々を驚かせ、千差万別の反応を引き起こした。

精霊教会は何か裏で悪いことをしていると思っていたのだと訳知り顔で宣う者もあれば、不遇な境遇の少年が見せた奇跡に胸を打たれる者もあった。どちらにせよ、絶対的な影響力を持っていた精霊教会という存在が根幹から揺るがされ、この先のあり方を問われていることは間違いない。


今回のことは当然のように国王の耳にも入り、結果、精霊教会には厳正な調査が入った。

そして改めて、7年前の事故の際にダネルの死を偽装したこと、また今回、資料が盗難され、不当な審問会が行われ、俺ごと存在を抹消しようとしたという証言は事実であったことが、認められた。

加えて聖堂の地下へも足が踏み入れられたらしい。

そこには今回の審問会以前にも、似たようなことが行われていた事、半強制的に精霊教会員としての奉仕に従事させられていた者がいる事の証拠が残されていた。

俺は自分が放り込まれた地下の一室に、朝食を運んできたアザの女性の事を思い出す。

ああした『精霊教会の被害者』達にも順次、事情聴取が行われているそうだ。

全てが片付くには、まだまだ時間がかかるだろうが――――。


俺はダミアンと並んで寝ころび、空を仰ぎながら尋ねてみる。


「結局、カイルとダネルはどうなったんでしょう」


「さあ、精霊教会そのものへの処分が決まっていない以上、まだ何とも分からないな。

……ただカイルについては、少し話を小耳に挟んだ」


「なんです?」


「ローレンの研究資料を盗み出した張本人ということで、刑罰を下すべきかどうかは王宮の裁定次第となっていたのだが、どうやらドイル司教がカイルを罪に問わないように嘆願したそうだ。息子の罪は自分が償うとな」


「…………ドイル司教が……、そうですか……。

その申し出は受け入れられたんでしょうか?」


「受け入れられたそうだよ。元々悪意あってのことではなかったし、年齢を考慮しても妥当な判断だろう」


「それはよかった…………、いえ、あまりそう気安くは言えませんね。資料盗難の件が不問になったとしても、精霊教会の今後を考えれば、カイルとダネルの未来は前途多難でしょうから……」


俺がそうため息をつくと、ダミアンはごろりと横になって俺の方を向く。

顔がぐっと近付いたので思わずどきっとするが、ダミアンは真剣な眼差しで俺に問う。


「ローレン、君が今抱いている気持ちは後悔か?」


「…………」


難しい質問だった。

今回の騒動は、ふとした不運と偶然が、誰しもの思いもよらない方向へと転がってしまった結果のものだ。精霊教会側に資料を盗まれ、それで命の危機に晒されたというのだから、俺としては被害者面を決め込みたいという思いもある。

しかし最終審問に関しては、真っ向から精霊教会と戦う覚悟を決めて臨んだものだった。

結果的に最終審問は俺とダミアンが描いたシナリオ通りに幕を閉じた。

それで精霊教会というこの国の一大組織が瓦解しかけているというのだから、被害者面ばかりをしているのは卑怯だろう。


「後悔というのとは……、少し違うと思います。

紆余曲折ありましたが、俺は今回のことで第一王子からのお墨付きをもらい、包み隠さずに研究活動に励めるようになった。いいきっかけになったとさえ思います。

でもカイルとダネルは、得たものに対して失ったものが大きすぎる。

もっと上手く出来たのではないかと、もっと双方への影響なく丸く収める方法があったのではないかと、そう考えてしまうんです……」


それが今の俺の、隠すところのない本音だった。

あちらとこちら、得たものと失ったものを、どうしても天秤にかけてしまう。

審問会は終わった。よかったよかった――、とはなかなかいかないものである。


そう複雑な表情を浮かべる俺に、ダミアンが言った。


「ローレン……、君は少し気を回しすぎだな。

とはいえ私も別に偉そうに言えた義理ではない。そもそも問題が起きてしまったことについては、今もなお申し訳なく思っている。

だけれど、人生というのはどうしようもなく、そういうものなのだとも思う。全て丸く収める方法なんて最初からなくて、それぞれの立場の人が自分にできる精一杯をするしかないんだ」


「自分にできる精一杯……」


「君は頑張った。私も頑張ったし、カイルもダネルも、そして教会の連中も頑張ったのだろう。その結果がこれなのだから、それは一度受け入れるしかない。もし結果が不満ならば、各々がこれから頑張るしかないんだよ」


大真面目にそう言うダミアンのセリフに、俺は思わず笑みをこぼす。


「頑張るしかないですか。これだけ科学だ魔法だのやり取りがあって、最後が根性論というのはなんとも皮肉ですが……、でもその通りかもしれません」


そう言えば、ダネル・モロゴロスの名が紙面を踊った一方で、俺とダミアンの名前が新聞に載ることはなかった。とは言っても、現時点では王宮側から情報規制がかかっているというだけで、今後どうなるかは分からない。

ヨルクやシャローズからの気遣いの可能性もあるし、一度にあまりに多くの情報が公表されると混乱を招くだろうという国民への配慮だったかもしれない。

だが行われているのはあくまで一部への情報規制であり、箝口令が敷かれているという訳ではない。俺の名前や氷魔法、魔法の杖についてのことは遅くとも確実に、人々の口の端に乗って広まるだろう。


その結果、ナラザリオ領に『ローレン・ハートレイ』の名前は届くだろうか。

届いたとして、氷魔法、魔法の杖、ハートレイ姓は『ロニー・F・ナラザリオ』と結びつくだろうか。……こればかりはなんとも言えない。人の口に戸を立てられないのは、いつの時代どの場所でも同じだからである。


俺が空を見上げ、思わず遠いナラザリオ領の風景を思い浮かべているところへ、ダミアンが顔を覗いてきて、そしてくすりと笑って言う。


「まあ、ヨハンなら勝手に頑張っているさ。兄が心配せずともな」


「…………こ、心を読まないでください」


「あっはっは、君は存外考えが顔に出るからな。

そう言うところは可愛げがあって好きだぞ」


「マドレーヌさんあたりに言われるならまだしも、ダミアン様には言われたくありません」


俺がからかわれたことに言い返すと、今度はダミアンの方がムッと口をへの字にする。


「……ん? 聞き捨てならないな、どう言う意味だそれは。私は感情を表に出さない謎めいたクールビューティで通っているんだぞ」


「どの口が仰ってるんですか……。ビューティの部分しか、当てはまるところありませんでしたけど」


「ビュ……!! やめろ、ローレン! 真顔でそういう不意打ちをかましてくるんじゃない!!」


「自分で言って恥ずかしがらないで下さいよ……。大丈夫ですか? 顔真っ赤ですよ。謎めきクールビューティ路線は諦めたほうがいいんじゃないですか?」


「真っ赤じゃない!! ニヤニヤするな!! 顔を覗いてくるな!! そういうところは可愛げがなくて嫌いだ!! 言っておくが私は君よりも――――」


「――――なにイチャイチャしてるの?」


「どわああああっ!!!?」


不意に頭上から声をかけられて、俺たち二人は驚いた。特にダミアンは驚きすぎて、ひっくり返らんばかりの勢いだ。

声の主はシャローズだった。


「シャ、シャローズか……、全く。はぁびっくりした。はぁ暑い暑い」


ダミアンはそう言っ顔を背け、誤魔化すように顔を仰ぐ。

シャローズは俺とダミアンの顔を交互に見比べ、ニヤニヤしながら言った。


「久しぶり。昼下がりにお庭で日向ぼっこなんて、仲良しさんなのね2人とも。私もご一緒していいかしら、それともお邪魔?」


口ではそう言いつつ、俺とダミアンの間に割り込むシャローズ。

ドレス姿でも芝生に躊躇なく寝転ぶあたりは、おてんば王女健在といった感じだった。


「シャローズ様、また急な来訪で……。まあいつものことかもしれませんが」


「何言ってるの。ローレンに約束を守ってもらいに来たのよ。忘れたの?」


「約束? ああ……! もしかして、手合わせの件ですか?」


「もう、忘れてたんじゃない! 私ずっと楽しみにしてたのに!」


「す、すみません。忘れてたというより、そんな急な話とは思わなくてですね――」


俺が急いで弁明しようとすると、シャローズは舌を出して笑う。


「ウソウソ。別に今日すぐじゃなくてもいいの。これから機会はいつでもあるでしょうし、楽しみは取っておいたほうがいいしね。今日来たのはただ王宮にいても暇だったからよ」


「……よ、よかった。では手合わせは、また日程を決めてということでいいですか?」


「うん! それでいいわよ!」


にこやかに快諾するシャローズに、俺はほっと胸を撫で下ろす。

さすがに、ここで今から本気の魔術試合となれば大変だったので一安心だった。


俺とダミアンの間に寝転ぶシャローズは、両側と腕を組んでご機嫌な様子だ。

最終審問会ではヨルクの背後に座り、発言をすることもなかったシャローズ。

最終審問会後、話す機会もなかったので、そのまま2週間ぶりという事になる。


「しかし、シャローズ。暇だからと言っていたが、王宮はまだ大忙しなんじゃないのか?」


「ヨルク兄様は忙しそうだけど、込み入った部分は兄様とお父様が判断する事だもの。むしろお邪魔しちゃ悪いかなっていう、私なりの気遣いよ」


ダミアンに問われたシャローズは、そうあっけらかんとした風に言う。


「精霊教会の処遇は、もうそろそろ決まりそうなのか?」


「まだまだ。数週間で片が付くような話じゃないわ。精霊教会は王宮側にも深く根を張ってたし、引き抜くのにも一苦労みたい。

でもとりあえずネロ教皇はこれを期に引退という形を取るって聞いてるわ。元々かなりのお爺ちゃんだし、あんな事があったらしょうがないでしょうけど」


「そうか……。まあ仮に続けると言い張っても、今や世論が許しはしないだろうな。

しかしそうなると教皇の席が空いてしまうことになる。それはそれでまた問題だと思うが」


「教会内ではダネル・モロゴロスを推す声が大きいみたいよ」


「!? ダネルが、教皇ですか?」


俺は驚き、思わず聞いたそのままの言葉を繰り返してしまう。

シャローズは少し口を尖らせながら頷いた。


「もちろん精霊教会の運営なんて出来るはずもないけど、元々教皇って聖霊信仰のシンボル的な意味合いが大きいから。それに今の司教の中の誰かが取って変わるより、一番国民の支持を得られるのは間違い無いでしょうしね」


「7年間、人目に触れないように必死で押し隠されていた少年が、魔法に目覚めた瞬間、教皇の座に担ぎ上げられる……。なんとも皮肉な話だな」


ダミアンが眉尻を下げながら言う。

俺もそれに頷いた。


「……本人は、きっと乗り気ではないでしょうね」


「まあしかし、教皇子息という立場はどのみち目立たずにはいられない運命か……。

いいように捉えるならば、唯一精霊教会という組織を組み立て直しうる立場とも言える。今は不安が先に立っても、数年後に見える景色は随分と違うかもしれない。

我々としては、彼がよき教皇となってくれることを祈るしかないな」


「事が落ち着いたら一度ゆっくり話してみたいなんて思っていましたが……、気軽にそんな事も言えなくなっちゃいましたね」


「事態が落ち着けば話す機会はあるだろう。ダネルも君と会いたいはずだ」


「そうだといいですが、どうでしょう…………、ん?」


そこでふと、足音が近づいてくることに気付く。

ドスドスと重量感のあるその音の正体は、シャローズお付きの騎士ケリードだった。


「シャローズ様! やはりここに居られましたか……! いい加減誰にも言わず王宮を出るのはお辞めください!」


「げっ」


「げっ、とはなんですか。私はシャローズ様の身を心配して言っているのですから、そろそろ王女であることの自覚を持っていただいてですね…………、おお、ローレン様!」


シャローズへのお小言が始まるのかと思って見ていると、ケリードの視線が不意に俺の方へ向けられたのでまた驚いた。

ケリードは重厚な甲冑の胸元をまさぐり、何かを探している。


「?」


「…………ありました、ありました。ダミアン様のお屋敷を訪ねると報告したところへ、ちょうどヨルク王子に呼び止められたのです。あなたに渡して欲しいということで」


「……ヨルク様が、お、俺に……?」


思わず身構える俺に、ケリードが手渡したのは言伝の書かれた一枚の紙である。

そこには確かに、ヨルク・M・バーウィッチという署名がなされていた。


俺と、シャローズとダミアンが一緒にその手紙の中を覗き込む。

そして3人は同時に息を飲み、顔を見合わせた。


「――――」


「――――」


いや、正確に言えば2人が目をまん丸にして俺の顔を見つめている。

俺はしばらく思考停止していたが、どうやら冗談の類ではなさそうだと理解する。書面を何度も何度も読み直した後、ようやく絞り出した俺の感想は、何とも間抜けなものだった。



「…………マ、マジ…………???」





その1週間後、なんと俺は1人で王宮を訪れていた。

見上げれば歴史の教科書でも覗いているかのような、豪勢で巨大な石造りの建造物。惜しげもなく煌びやかな装飾で彩られた壁や天井。すれ違う人々のきらびやかな服飾。至る所に飾られる彫刻、陶器、絵画。全てが貴族の邸宅にあるものと一線を画している。

「…………」


急拵えで用意してもらった慣れない正装を身にまとい、あちこちに目移りしながら、案内役の騎士の後ろをおっかなびっくりついていく。

その様子は側から見ればお上りさんみたいだと笑われてしまいそうだ。


いや――、現に周りを飛ぶ水色の蛇がケタケタと、腹を抱えて笑っている。


「あっはっはっはっひゃっひゃっひゃ! なんだいなんだい、ロニー。そんな露骨に緊張して君らしくもないなあ。もっと堂々としなよぉ、すごいことなんでしょ?」


(う、うるさいな……。緊張もするだろ。今から一対一で、この国の王子に会うんだぞ)


「え? でももう会って話もしてるんでしょ? じゃあ友達みたいなもんじゃん。友達のお宅訪問だよ、楽しんで行こうぜぇ」


(人間同士の関係性はそんな気楽には出来てないんだよ……! ていうか何でこういう時に限って起きてくるんだ、毎回毎回)


「いやあ、なんだろうねぇ。なんだか面白そうな予感がしちゃうんだよねぇ。精霊様の嗅覚ってやつかな?」


(潰れてしまえ、そんな鼻)


「おっほほほほ、ひどいこと言うぜぇ。ダネルは可愛げがあってよかったけどなあ。そうそう、あの後ダネルは結局どうなった…………おっと? 前のお兄ちゃんがロニーのこと睨んでるよ? こわ」


(空中に向かって話しかけてるおかしなやつに見えてるからだよ。今すぐ引っ込め)


「いやいや、多分目的地についたんだよ。ほら、あれがきっと王子様のお部屋だ」


セイリュウの言った通り、案内役の騎士は扉の前で立ち止まっている。

扉をノックすると、中から「入れ」という声が返ってくる。聞き覚えのある、明瞭な声だった。


騎士が扉を開き、促されるままに俺とセイリュウは部屋へと足を踏み入れる。

通されたのは広く整然とした私室。王宮の中がやたらと豪奢な装飾だったのに比べると、茶色を基調とした家具や調度品はどこか質素にも見える。

しかし――決して俺が抱いていいような感想ではないのだろうが――、入った瞬間にどこかヨルクらしいと思ってしまった。


扉のまっすぐ先、大きな執務机に腰掛けたヨルクが顔を上げる。

最終審問の時に比べると少しだけ疲れが覗いているが、それでも美麗な姿に陰りはない。


「来たか、ローレン・ハートレイ」


「は、はい」


「先日の審問会は大義であったな。その後はどうか」


「い、いえ、お陰様で平穏に過ごさせていただいておりますが……、大変だったのはどちらかと言えばヨルク様であると聞いています……」


俺がそう言ってぎこちなく頭を下げると、ヨルクは少し目線を斜め上に向けてから微笑んだ。


「そうか、妹も其の方らの屋敷に赴いたのだったか。迷惑をかけたのではないか? シャローズは魔術の腕は騎士団も顔負けだが、如何せん落ち着きがないのでな」


「いえいえ……! 今回の件についてはシャローズ様にもご助力をいただきました。それにつきましては、とても感謝しています」


「そうか」


ヨルクは静かに一度頷くと、手元に目線を落とす。ヨルクの座る机には山と積まれた書類の束が重なっており、その多忙さは一目瞭然だった。

セイリュウがふわふわと宙を泳ぎ、静かに腰掛ける王子へと鼻先を近づける。興味深げに周りを何周かした後「なんかこの人いい匂いするよ、ロニー。この人が王子? うわ~、ぽい~~」と場違いな感想を漏らしていた。もちろん俺は無視する。


問題は、そんな彼が何故わざわざ俺のために時間を割いているのか――、である。


「要件については、すでに了承の返事を受け取っている。ゆえに今日行うのはあくまで必要最低限の儀礼的なものだ」


「…………は、はい。しかし、何と言いますか……」


「? なんだ、了承したから今日ここへ来たのではないのか」


「了承……、はしています。このお話を断ったら、俺はダミアン様に「馬鹿者」と怒鳴られてしまうでしょう。しかし、それでもあまりに寝耳に水なお話だったので、本当に気軽にお受けしてよい話なのかと思いまして……」


「ふむ」


ヨルクはそう小さく漏らすと、手元に開いていた書物をパタリと閉じる。

そして優美な所作で立ち上がり、俺に歩み寄った。ヨルクの美麗な金髪が揺れるだけで映画のワンシーンのようで、審問会場でやり取りした時の印象ともまた違う。


「其の方が及び腰になるのも、此度のような騒動があれば仕方のないことだ。

聞こえのいい話には裏があるとも言うしな」


「…………」


「では、先に少し打算的な裏話をしておこう。

其の方にこのような提案をしたのは、勿論その研究の価値を高く評価したからではある。しかし、あまりに世間の常識から逸脱しすぎた先進的な魔術研究は、反面危険でもある。

例えば、其の方がまた新たな魔術を発見したとしよう。

その魔術が先の氷魔法のように、戦闘やそれ以外にも応用が利くものだった場合、問題となるのはその情報の流れる先だ。万が一、私の目の届かない誰かの手に渡ってしまった場合、私としては不利益を被る可能性がある。

ならば、其の方を目の届く範囲内にとどめておいた方が何かと都合がよい――――、というあたりでどうか」


「……なるほど、分かりやすくなりました。これは俺への温情によるものだけではないという事ですか」


「つまるところ、切れ味の鋭すぎる刀剣は収める鞘を選ばねばならないという話だ。

特に、此度の審問会でその脅威は人々に知られてしまった。私がこのような申し出をせずとも、どの道いつまでもダミアンの下でという訳にもいかないのではないか」


「……ええ、おっしゃる通りかもしれません。分かりました、ありがとうございます。

そもそも、俺にとっても願ってもない申し出であることは言うまでもなく、ヨルク様に取っての利害関係についても得心いきました」


「そうか。では……」


「しかし――――、不躾ながらひとつだけ、条件は付けさせていただきたいと思います」


「条件?」


俺が唐突な物言いをした事により、対面のヨルクが一瞬眉をひそめた。

扉の近くに控えている騎士の甲冑が、カチリと音を鳴らしたのが聞こえた。


「…………よい。申してみよ」


「俺は魔術研究を行うにあたって誰の指示も命令も、損得勘定も受け付けません。俺はただ魔術を解明したいだけなんです。なので『やりたいようにやらせていただく』。

それが絶対に譲れない条件です」


「――――はっは!」


俺からの条件を理解したヨルクは、少し目を丸くした後に大きく笑いをこぼした。


「何かと思えば、それが其の方の条件と言うか。はっはっは! 案ずるな。其の方は今まで通り、ただ魔術を解明すればよい。その先の面倒ごとは全て私の領分、その事が言いたいのだろう?」


「はい」


「相分かった。では改めてここに任命の儀を執り行う。

新たに新設される『()()()()()()()』その()()へ――、其の方、ローレン・ハートレイを任ずる。既存の枠組みに囚われない魔術研究にて、この国の魔術を更なる発展へ導くことを求むるものである」


ヨルクが改めて書面に書かれていた内容を読み上げる。

俺は改めて、深々と頭を下げた。


「――――はい、謹んでお受けいたします」


長い礼の後に顔を上げると、満足そうに微笑むヨルクと目が合う。

その横を水色の紐状生物が浮遊しているのだけはいただけなかったが、何やら感無量と言った感じに目をウルウルさせていたので許す事にした。



それは王宮の一室で、あくまで密やかに行われた任命式。

しかし、今までの俺の半生を考えればあまりに大きな前進であった。


俺にはまだ魔術研究の全容さえ見えていない。あくまでこれは長い長い階段の、一段に過ぎないかもしれない。それでも、確かに俺は一歩前に進んだ。

今はただただ、その事が嬉しかった。



そこから二言三言ヨルクと交わしたのち、俺は部屋を後にした。

話した時間にすれば10分にも満たない、とてもあっさりしたものだった。


再び案内役の騎士に連れられ、俺は来た道を戻る。

その時、ふとセイリュウが声を上げたので、俺はつられて足を止める。渡り廊下から、ちょうど王都が一望出来るようになっていたのだ。



「見てよ、ロニー。すっごい景色。覚えてるかい、ナラザリオを出てく時に見た山の上からの街並み。あれからそんなに日は経っていないけど、思えば遠くにきたもんだよねえ……」


「…………ああ、本当だな」


ここからは、ナラザリオで見た景色よりも、聖堂の最上階から見た景色よりも、さらに多くのものが見渡せた。


この景色を忘れずにいよう――――、俺は静かにそう思った。










        ――――――第二章 完――――――



※ここまでお読みいただきありがとうございます。

二章の後日談を挟んだ後、三章『予感』へと続いていく予定です。

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