27.目に見えぬ怒り
「――ふぁあぁあ。
ねえ、ロニー。僕ってどれくらい寝ちゃってたのかなあ」
「!!?」
突如として目の前にセイリュウが現れたので、俺はあわやソファから転げ落ちそうになった。向こうの席の教皇と、斜め横の教会員が怪訝そうに俺を見ている。
俺は空中を飛ぶセイリュウの胴体を掴み取り、隠れるように二人に背を向けた。
(……なっ、なんで今なんだよ……! もっと色々タイミングあっただろ!)
「はあ? いきなり何の話…………。
って、うわ。何ココ。どこココ。ロニーったら、また引っ越したの? へぇ、今回はまた随分見晴らしがいいとこに引っ越したんだねえ。まあ高い所は嫌いじゃないけどさ」
(そんなわけないだろ……! ちょっと、後で説明する。頼むからもうしばらく寝ててくれよ……!)
「おほほほい、久しぶりに目覚めたってのにそりゃあないぜ。おかげさまでこちとら結構体力回復…………、んん?? ちょっと待って、誰? この人たち。僕とロニーの愛の巣に立ち入るなんてどういう了見だ!」
セイリュウは耳も貸さず、俺の手元からするりと抜け出して宙を飛ぶ。
俺は慌てるが、既に誰もいない空間に話しかけている危ない奴になりかけている。こんな所で晴れかけていた危険人物の疑いを証明する訳にはいかない。
「ローレン・ハートレイ……? 何をしておる」
「――いえ、失礼いたしました。えーと……、む、虫が、飛んでいたもので」
「虫が? こんな高い場所で珍しいの……」
「はあぁ!? おいおいおい、今なんて言ったんだいロニー!? 事もあろうに偉大なる精霊様を虫扱いとは……、ちょっと罰当たりにもほどがあるんじゃあないかい!? 精霊に対する冒涜だよ、これは!?」
お前が言うと本当にややこしい…………。
俺はやかましいのをなんとか無視しようとするが、視界の端を泳ぐ紐状生物を見ないふりをするというのは、なかなかに困難だ。
と、俺に向かって喚いていたセイリュウの表情がふと真顔になり、教皇の周囲を浮遊し始める。
ふと気づく。もしかしたら俺は、精霊教会教皇と自称精霊というかなり貴重な共演を目の当たりにしているのでは?
俺がそんなことを思っていると、自称精霊の方がおかしなことを言った。
「…………ねえ、ロニー。何でこの人、こんなに怒ってるの? ロニー、何かとんでもなく失礼な事でもしたのかい?」
「――――?」
怒っている?
俺は思いもよらないセイリュウの言葉に、眉を顰める。
教皇の表情はここに来てから一貫して同じ、声色も穏やかだと思っていた。審問会の連中に比べれば、はるかに話がしやすいのでありがたいと思っていたくらいだ。
目の前の老人は今、怒っているのか? それは、俺に? それとも他の何かに?
教皇が首を傾げた。
「……どうした。先ほどから様子がおかしいが」
「いえ、本当に何でもありません……。それよりも教皇様、話の続きを……」
「――えっ!? このお爺さん、教皇なの!? 精霊教会の!? あっはっはははははははは、すげえ~! ロニー、僕の寝ている間に何やってんの!?」
「そうであるの。儂が詳しく聞きたいのは、そもそもお主が魔術をどのように考えておるか。精霊教会にとっての魔術は、精霊の加護が具現化したもの。精霊への信仰が奇跡の力として返ってきたものである。
……しかしお主は、そうではないと言いたいのじゃな?」
「はい。精霊自体の存在については、この場合論じることを避けますが――」
「避けるなよ。いるじゃん、目の前に」
俺はセイリュウに「うるさい」と強い目線を送ったあとに答えた。
「――魔術とは、精霊への信仰心の多寡に影響するものではなく、その者の体質、技術に左右されるものでしかないと考えています」
「……そうすると、精霊へ日々祈りをささげる我々の行為は無駄だということになるのか?」
「別に無駄とは言っていません。しかし、単に魔術の技量を上げたいと思って祈りをささげておられるのであれば話は変わります。
……たとえば料理を食べる前に手を合わせるように教わります。しかしそれは、あくまで料理と料理人への感謝の姿勢であり、料理の味の良し悪しには関与しないのと同じです。ここで論じているのは、レシピの部分です」
「ほほ、聞いていた通りなかなかに弁が立つものじゃ……。
つまるところ精霊への信仰と、魔法の技術については別物であると言っておる訳か。
しかし全ての始まりは信仰からであるという精霊教会の考え方とは、到底相いれないものである。そこについてはどう思っておる。お主は我々の教義自体が誤りだと思うのか?」
「…………」
「言葉を選ぶ必要などない。それこそ、今更であろう」
「……この研究は、まだ始めて日の浅い、足場の固まっていない研究です。
そもそもこの段階で人目に触れること自体が想定外。
こんな事になるはずではありませんでした。
ですが、あえて言わせていただくと――、精霊教会の考え方は魔術の本質を捉えていない。俺はそう考えています」
「本質を……、捉えておらんか……」
「勿論、あくまで一意見です。物事には様々な見方があるというだけで、どちらかが正しくてどちらかが間違っているという話ではないと思います。
ただ今の俺が望むのは許容、それだけです。こうした魔術の研究もあるのだと、黙認していただきたい。お互いがお互いの信じる道を進めば、まだ見ぬ境地へ至るという事もあるのではないでしょうか」
「…………許容。許容な。難しい言葉を知っておるものだ」
教皇はしばし俺の言葉を噛みしめるように、小さく口元で繰り返した。
「まだ見ぬ境地と言ったな。
では、お主の思う最終的な目的地とはどこなのだ。お主は何を目指してこの魔術研究を行っておる。……望みは何だ」
「望み、ですか……?」
俺はその質問の返答に、少し時間を要する。
正直言って、それは俺自身にもまだ分からないものだった。
科学研究に果てはない。故にこの世界の魔術研究にも果てなどない。
常に沸き起こり続ける疑問に、自ら問いを探していくしかないのだ。
しかし、あえて俺の望みを明言化すると、きっとこうなるのではないだろうか。
「……誰もが例外なく魔術を使える世界。精霊からの恩恵の差も、属性の壁もなく、魔術のあるべき姿を全員が正しく理解する世界。
それが俺の見てみたい、未来です」
「…………」
俺がそう言うと、教皇は立ち上がり、窓際へとゆっくりと歩いて行った。
取り付けられた大きな窓の取っ手を引くと、部屋の中に冷たい風が強く吹き込んでくる。
「世迷言だと、一笑に付してしまいたいというのが本音である。お主の考えが広まれば、やがて人々は信仰心を失ってしまうじゃろう。
生まれてから今まで、ひたすらに精霊にこの人生をささげてきた。お主のように教義に疑いを挟み込み、反論をする者はいないではなかった。だがここまで筋を立てて精霊教会を否定した者はいなかった。しかも、それを未知の魔術によって証明したというのだから…………」
ソファから窓際にたたずむ教皇を見れば、ちょうど逆光で顔に影がかかっている。
教皇の言葉はこちらに問いかけているのか、独り言なのか分からない。俺は座ったまましばし沈黙していた。
ふと、教皇が手をパタパタと振る。
俺はしばらくしてから、それが手招きをしているのだという事に気が付いた。
「ローレン・ハートレイ、風が気持ちいいぞ」
「…………はい」
俺は立ち上がり、呼ばれるままに窓際へと歩み寄る。
その時、俺の首元へとセイリュウが帰ってきた。そしてなぜか囁くように言う。
「気を付けて、ロニー。あのおじいちゃん、なんかヤバいよ」
(ヤバい……?)
「ここからだって分かる。魔力の流れがぐちゃぐちゃだ。……怒りだけじゃあないね。悲しみとか虚しさとか自責とか」
(お、お前ってそう言うの分かるキャラだっけ……?)
「僕には魔力の流れが見えるんだよ。人間の魔力の流れは感情に左右される、つまり感情の動きも僕くらいになると分かるのさ」
「…………」
体内の魔素の流れが脳に影響を受けるのであれば、確かに道理は通っているか。
すると気になるのはやはり教皇の方である。
窓際に腰をまげて佇み、風を浴びる教皇からは、やはり不穏な雰囲気は感じない。隅に立つ教会員の様子にも変わった所はない。
俺は教皇に並び、窓際に立った。
開け放たれた窓からはまさしく王都全体が一望できる。
円形を描く王都の外郭、陽光に映える城壁、その先に広がる地平線。
白い鳥が青い空に、数羽羽ばたいている。
そこに数万人の暮らしがある事を一瞬忘れてしまいそうになる。
「美しいであろう。儂にはこれも全て精霊の加護による奇跡と映っておる。
でなければこうも美しいはずがないと……」
教皇は眼下の光景に目を細める。とても眩しそうに。
「…………のぅ」
「……何でしょう」
「これは儂からの頼みである。
お主の研究を、諦めてはくれんか。あの資料が二度と人目に触れないように、今後永遠に表に出ないように、葬り去ってはくれんか。
そうすれば、儂の権限でお前をダミアン・ハートレイの元へ帰そう。今後精霊教会がお主に関与することもないと約束しよう。
だから……、あの資料を今儂の目の前で燃やしてくれ。そして誓って欲しい」
「――――は」
俺の体にぞくりとした悪寒が走り、思わず息が漏れた。
横に立つ教皇の表情は変わらない。ただ淡々と、俺に語り掛けている。
審問官に精霊の冒涜だと責められた時とも違う、こちらの意図も考えも一度飲み込んだ上での申し出。それはもはや、この人物に対する論理的な説明や説得が、何の意味も持たないことを示していた。
「…………俺の手で、あの資料を燃やせと……?」
「そうじゃ。……どうか、頼む」
「それがここを無事に出る事との、交換条件という訳ですか」
「……ああ、そう取ってもらって構わん」
「拒否をすればどうなるのでしょう」
「逆の事を、しなければならん」
「…………」
俺は教皇の横顔を見る。
しかし教皇は相変わらず眼下をぼんやりと眺め下ろすままだ。
俺は教皇から持ち掛けられた取引を、一度よくよく考えてみた。
この場所から今すぐ帰してもらえる。それはありがたい。
だが思い返してみれば、ここへ無理やり連れてきたのも教会側の横暴であり、無事に帰してやる代わりにこうしろという取引は、誘拐犯と同じである。
それに、ここで俺が資料を燃やして研究を二度としないと誓う事に、どれほどの意味があるのだろうか。
もし俺がその誓いを破り、隠れて研究を再開したら?
同じことの繰り返しではないか?
それとも教皇は、俺が一度した誓いを破らないと信じているのだろうか。
俺が信念を持ってこの研究を行っていると、そう理解した上での申し出なのだろうか……。
だとしても、どの道俺の答えは変わらない。
それがつまるところ口約束に過ぎないとしても、である。
「出来ません。俺はもう既にこの研究に、一生を捧げると誓いました。
だからその取引に応じることは出来ない、絶対」
「そうか。あくまで精霊教が間違っていると言い張るわけか……」
「――――ロニーッ!!」
セイリュウの叫び声と同時に、確かな殺気を感じて俺は窓際から飛びのいた。
同時に可能な限り大きな光魔法の壁を生成すると案の定、ボグッという音が響く。
「――――ッ」
その正体は風魔法。
放たれたのは背後、扉の方向からである。
見ればどこから湧いてきたのか、十人あまりの黒装束達がぬるりと部屋の中に入り込んできた。しかも風魔法を放った犯人は、俺の知った顔だ。
不自然な銀髪に、鋭い目、長い四肢、全身から漂う不吉な気配。
ダミアン邸に俺の身柄を確保しに来た男――、ベイジャーである。
「ベイジャー……!」
「…………」
俺が名を叫ぶが、ベイジャーは細い目でこちらをじっと見つめ、何も言わない。
以前言葉を交わした際の軽薄な笑みは、どこかへ行ってしまったらしかった。
「あっぶないなあ!! 窓から落ちたらどうすんだ!! 僕の大事な大事なロニーにとんでもないよ、こいつら!!」
歯をカチカチと鳴らして怒りを露わにするセイリュウ。
俺は戦闘態勢を見せる黒装束達に魔法の矛先を向けたまま、窓際にたたずむ教皇を睨んで言った。
「……これが本当に、あなた方の正しいと信ずる精霊教の教義なんですか? ネロ教皇……!」
俺が責めるようにそう問うと、教皇は小さく首を振りながら呟くように言った。
「正しいと思うものを守るためには、致し方ない。
正しいと信じてきたものを守るためには、こうするしかない。
この紙束の存在に儂は耐えられない。
お主個人に恨みがあるわけではない。
ただ、ここに書かれていること全てが、腹の底で燃える炎に薪をくべる。
胸が掻きむしられるようで、どうしようもない。
お主の思想を、儂は永遠に理解できない。
お主の存在は、儂の生涯の否定でもある……」
「……俺も、あなた方の事を永遠に理解できそうにありません。
一体何にそうもしがみついておられるのか。どうしてそうも変化を恐れるのですか」
「変化は恐怖だ。それを恐ろしく思わないのは、お主がまだ若いからじゃ。
いずれ分かる。守るべきものを得て、失って、長すぎる時間に身を焦がした後にな」
教皇はそう言って手を振る。
すると黒装束の教会員たちは一定の間隔を保ったままに散り、俺を包囲しにかかる。教皇はゆっくりとした歩調で、黒装束達の背後に身を隠してしまった。
「この神聖なる場所で殺してはならん。捕らえて、地下牢へ入れろ。
……二度と儂の前に姿を晒すな」