20.地下への階段
「さあ、行こっか。ローレンくん。
大丈夫、抵抗さえしなければ乱暴なことはしないから。人間素直が一番だよぉ」
銀髪の男はそうにっこりと笑うと、右手を振る。
するとそれを合図に、部屋に黒装束の集団がなだれ込んだ。俺の体を持ち上げ、部屋の外へと連れて行こうとする。
俺は訳がわからずされるがままで、オランジェットも握った拳のやり場を失って呆然とそこに立っている。しかしそれも、精霊教会の判が押された書状を突きつけられれば仕方がなかった。
俺はカイルの屋敷を訪ねに出かけたはずのダミアンを思う。ダミアンが出かけてまだ数十分、そこでの話し合いの結果がこの集団の登場とはさすがに思えない。
つまり――、カイルが持ち去ったあの研究資料は、すでに第三者の目に触れてしまっていたということだ。
男の言う通り、下手に抵抗するわけにはいかない。
状況をこれ以上悪化させれば、俺だけでなくダミアン達にも不利益が行ってしまう。だが押し込み強盗のような精霊教会のやり方に釈然としないのもまた事実だった。
俺は男に問う。
「一体どこに連れていくつもりですか」
「んー? だから精霊教会本部だって」
「そこで俺に何を聞きたいんです。あなた方に迷惑をかけた覚えなんてありませんが」
「さあ〜? 僕は連れて来いって言われたからここに来ただけだもん。君が何をしたのか、君がどうされるのか、それはうちのお偉いさん方が考えることで、俺の仕事じゃないんだ。ふぁーあ、ねむねむ」
「…………」
俺はこの銀髪の男との問答に意味がないことを悟って、歯噛みする。もとより説得が通じる状況ではないと分かっていたが……。
「――お待ち下さい」
そこでしばし沈黙していたオランジェットが言葉を発した。
部屋の扉を潜ろうとしていた銀髪の男はけだるげに振り返る。
「せめて……、屋敷の主人が帰るまで待つべきではありませんか。この方はダミアン様の親族でいらっしゃいます。いくら書状があるからと言って、敬意は払うべきでは――」
「なに言ってんの? 精霊教会の決定っていうことは教皇様の決定も同じなんだよ? 教皇様の命令より優先されることなんてあるわけないでしょぉ?」
「――――」
銀髪の男の放つ雰囲気がにわかに鋭くなる。
それは殺気と呼んでも差し支えないほどで、オランジェットは台詞の続きを口に出すことができない。
男はさらに言う。
「あとさあ、地味に気になってるんだけど、ダミアン・ハートレイ女史に歳の離れた親族がいるなんて情報、こっちで持ち合わせていないんだよねえ。なんでかなあ」
「!」
「…………何ですって?」
銀髪男の言った言葉に、場の空気がさらに鋭く凍る。
男は袂から、先の書状とは別の紙の束を取り出してこれ見よがしにめくって見せた。
「一応、王宮関係の要人の身辺情報は揃ってるはずなんだけど、ローレンなんて名前、どこにも載ってないんだよ。まあ膨大な情報量だし、漏れがあってもおかしくはないけど、そもそもこの屋敷に住んでるって言う情報自体が入ってきてない。なぁんかきな臭いよねえ、これ。まあそのあたりは、この子かダミアン様本人に詳しく聞いてからになるんだろうけど……、だから安心してよ。どのみちダミアン様も審問会に召喚されることになる。ならわざわざここでダミアン様を待ってたって時間の無駄じゃない? おっけー? じゃあ連れてっちゃって」
「――ッ、待ちなさい。そちらの言い分ばかり並べ立てて、元よりこちらの言い分を聞く気がない。いくら何でも無礼が過ぎるでしょう……!」
再び背を向ける銀髪の男に、オランジェットはなおも異を投げかける。
すると男は深いため息をついてから、面倒くさそうに体を反転させて、再びオランジェットの前まで近寄ってきた。
無機質な瞳でオランジェットを見下ろして言う。
「鬱陶しいなあ、もう。そういう文句はさぁ、上に言ってよ。僕は下っ端、お使いに出されただけなんだからさ。それとも何? やっぱり無理やり引き止めるのかい? そうすると君も教皇様のご意向に背く意志ありって判断になるけど、それでもいいの……?」
「……ッ」
剣呑な雰囲気が部屋を流れ、周りの黒装束の教徒たちも動きを止めてその様子を見守っている。2メートルを超える長身の男とオランジェットには大きな身長差があるが、互いに油断なく相手の挙動を観察している。
俺は一度強く目を瞑ってから、オランジェットに向けて行った。
「いい、オランジェット。ここはこの人達に従うことにする。ダミアン様が帰ってきたらオランジェットから状況を説明しておいてくれ」
「……ローレン様、しかし……」
「いいから。文句があるなら審問会で言え、そういう事だろう」
俺の言葉を受けて、オランジェットは銀髪の男から視線を外した。
そしてやっと諦めたように拳を解く。
「そーうそう、ローレン君の方が物分かりが良くていいよぉ。こんな狭い場所で闘り合っていい事なんてひっとつもないんだからさ。……でも」
男は背中を曲げ、オランジェットの耳元に顔を近づけて小さく囁く。
「君とは何となく同じ匂いがするねぇ。もしかして昔、裏の世界にいたのかな?」
「…………それは、精霊教会自体に不信感を覚える物言いですね」
オランジェットはあえて否定をせず、厳しい敵意をもって睨み返した。男はなにに満足したのか、うんうんと微笑みながらうなずいて踵を返す。
「なーんちゃって。ま、どうでもいいことだよ。大抵の事はどうでもいいさ。
僕は言われた仕事をするだけ。きっと君もそうだろうけど、より長いものに巻かれるのが賢い生き方だとアドバイスをしておこう。じゃあ改めて、行こうかローレン君」
俺はその男に名前を呼ばれると、どうにも背筋に冷たい感覚が走るのを我慢しながら、自分の足で部屋を出た。
○
「いくら何でも、遅すぎるな……」
私はすっかり空になってしまったカップをテーブルに叩きつけた。
場所はフーゴー邸。カイルの父、ドイル・フーゴー精霊教会司教の屋敷の応接間である。数本の蝋燭のみが灯る薄暗い部屋の中で、私とマドレーヌは待たされていた。
しかし、カイルと話があると屋敷の使用人に伝えてからはや20分。一度お茶を出しに来ただけで、その後一向にカイルが現れる気配はない。
元より夕食時に約束なしでの訪問なので、無礼なのはこちら側。いかに急ぎの用と言えど、多少待たされるくらいは仕方ないと思っていた。
しかしどうにも様子がおかしい。時間がかかるならかかる、不在なら不在と伝えに来てもいい頃合いのはずだ。
こうなってくると、したくもない邪推をせざるを得なくなってくる――。
「どう思う、マドレーヌ」
「先ほど扉の向こうを覗きましたが、使用人の姿もありません。仮にも王都最高魔術師が来訪している時の態度ではありませんわね」
「……仮にも、は余計だがやはりそうか。だとすると……」
私が立ち上がると、薄暗い部屋の中に大きく影が揺らぐ。
授業が終わってからはまだ2時間しか経っていない。いくら何でも、そこまで早く精霊教会が動く事はないだろう。
そう楽観視していた自身の甘さを悔やむ。
「帰るぞ、マドレーヌ。ローレンの身が心配だ」
「かしこまりましたわ」
私達がそう頷き合い、ドアノブに手をかけようとした時――、1人の男が入ってきた。
それはいかにも使用人然とした老人だった。
「大変お待たせして申し訳ありません、ダミアン様。少々バタついておりまして…………、いかがかされましたか」
私はまるで見計らったかのようなタイミングに眉を潜める。
「……いや……、それで、カイル殿は?」
「それが、少し体調が優れないと申されておりまして、お会いできるご様子ではないのです。ここまでお待ちいただいて大変恐縮なのですが……」
「そうか、では結構だ。また出直すことにさせていただく」
「お待ちくださいませ」
私が老人の横をすり抜けて屋敷を去ろうとすると、老人はわずかに体を横にずらしてそれを阻む。
「…………なにか?」
「せっかくお越しいただいて、このままお返しする訳には参りません。つきましては」
老人はそこまで言うと一歩下がり、道を開ける。
直後、老人の背後から姿を見せたのは壮年の男。私はその男の顔を見たことがある。
他でもない、ドイル・フーゴー司教である。
「カイルにご用向きとのこと、しかも何やら急用とお察しする。お話しでしたら、父親である私がお伺いいたしましょう。お掛けください」
「…………」
○
俺は馬車から降り、夜にそびえる白く巨大な建造物を見上げた。
数週間前、早朝に訪れた時とは印象を異にしていて、随分と不気味に映る。しかし、それは今の精神状況ゆえかもしれない。
俺を連行するため現れた銀髪の男の名は、ベイジャーと言うらしい。
話口調はあくまで軽薄だが、時折俺の挙動を観察するような目線からは、只者ではない何かを感じる。素人目にも手練れなのだろうということは分かるが、武術や剣術でのそれではなさそうだ。
魔術方面か、もしくはもっと根本的に違う何か――。
「審問会というのは、つまるところ何なんですか」
俺は馬車で教会にたどり着くまでの道すがら、ベイジャーに問うた。
「わあ、今更〜。なんて説明したらいいかなあ。ていうか、話の流れで大体雰囲気はわかってるでしょ?」
「精霊教の教えに背く疑いのある者を審問にかける会議……、なんでしょうが、生憎俺は今まで精霊教会がそうした事を行っている事実を知りませんでした」
「あはは、別に隠してるわけじゃないよ? 知ってる人は知ってるし、王宮でも認知されてるはず。でもまあ確かに、ここまで大掛かりなのってかなり珍しいかもねえ。……ローレン君、何したの?」
「さっきも言ったように、あなた方に迷惑をかけるような事は何もしてません」
「そっかあ。でも、呼ばれちゃったものは仕方ない。人生は仕方ないことの連続だから、諦めなきゃ仕方ないよね。まあ……、気休めになるか分からないけど、暴れなければ命まで取られる事はないからさ。人間生きてたらなんとかなるもんだよぉ。はは」
「…………」
ベイジャーはそう乾いた笑いを漏らした。
俺はそのあっけらかんとした物言いの裏に潜む暗さに気づきながらも、その先を聞く事をしなかった。この男に何かを問うたところで、これから起こる事はきっと変わらないだろうから。
果たして、審問会で何を問われるのか。
それを想像するにつけ、俺の背筋にはじとりとした嫌な汗が流れる。
ガチャン――。
精霊教会横手の重厚な扉が開かれ、その先に地下へと続く真っ暗な階段が伸びている。
ベイジャーが俺の肩を叩いて言った。
「審問会は明朝――、君にはそれまで部屋で休んでいてもらうよ。ちょっと狭いけど、我慢できるよね?」
「…………」
俺は無言をもって、それを受け入れるしかなかった。