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11.象騒動終結



人が落ちてくる――――。



その事実を脳が理解した瞬間、俺は弾かれたようにその方向に駆け出した。


建物の影で正直よくは見えない。だが、おそらくテラスのような部分からバランスを崩して落ちたようだ。

落ちてくる人影は決して大きくない、どう見ても子供の大きさだ。

だからと言っても落ちてくる先は目算でも10メートル以上の高さがあり、俺の軟弱な体で受け止めれば俺だけでなく相手にも怪我をさせてしまうだろうことは自明。そもそも落下箇所に駆け込むのが間に合うかさえ怪しい。


ならばと、象向けに俺は用意しかけていた光魔法をキャンセルし、別の魔法を用意した。


「えっ、ローレン!?」


背後から遅れてシャローズの声が聞こえる。しかし、応えている余裕はない。

アニメなどで塔や何かから人が落ちる時の時間がやけにゆっくりと描写される場面があるが、距離や重さを考えれば地面までの到達時間は現実では1〜2秒くらいのものだ。

俺には最善手を考える猶予さえなく、一番発動しやすい魔法を発動するしかなかった。


それが後々考え直した時に、状況に即したものだったのはまぐれである。


「――――ッ」


俺が急場で発動したのは水魔法。

込める魔力量に気を使う暇はなく、瞬間的に込められるだけの魔力が服の袖に仕込まれた杖に供給される。


すると中空に生じたのは人を1人包み込むにはあまりに過剰な巨大な水の玉だ。

しかし落ちてくる30kgほどの人間を包み込むのだから、変に大きさを調整するよりは余分を持たせたのは悪くない選択肢だったかもしれない。

ともあれ、


ドボンッ――、という音を立てて回転する巨大な水球が人影を包み込む。頭から落ち込んだその人影は水の抵抗により落下速度を殺され……、中ほどで停止した。

それが10歳ほどの少年であることに、そこで初めて気がついた。


「あっ……、ぶねー……!」


それを見届けた俺は、全身から汗を吹き出しながら大きな安堵の吐息を漏らす。

心臓が今更のようにドクドクと胸を叩いた。


とにかく、少年が今度は呼吸ができずに死んでしまうので、いつまでも宙を浮かせておくわけにはいかない。

俺はいつもより慎重に回転を加えながら、それでも迅速に水の球を地面へと着地させた。


「――ローレン、子供は無事!?」


俺の背後から、すでに事態を把握しているらしいシャローズが駆け寄ってくる。


「わかりません」


俺がそっと水魔法を解除すると、大量の水が教会裏手の石畳の上に音もなく広がって跡を作る。

その真ん中に――、目を瞑った緑の少年が横たわっていた。

俺とシャローズは慌てて側に駆け寄って脈を確認する。


「…………はぁ、大丈夫です。呼気を確認しました。気を失っているだけのようです」


「それはよかったわ……! 急に別の方向に駆け出すから何事かと思ったけど……。

でも、ありがとう。貴方がいなければこの子はきっと頭を打って、怪我じゃ済まなかったでしょうから」


「ええ……」


本来シャローズから感謝の言葉をもらうべき事ではないだろうが、おれはその賛辞の言葉を素直に受け止めた。

自分自身でも、とっさに最善の動きをできたことには驚いていたからだ。


「と、とにかくこの子が無事で何よりでした。しかし、なぜ上から少年が…………、 !」


俺は少年がバランスを崩したと思われるテラス部を見上げた。

するとそこには新たな人影、それこそまたも身を投げ出さんばかりにこちらを見下ろしている人物がある。


しかも、その相手は俺のことを知っているらしかった。


「ローレン……!? なんでてめえがここに……、いや、それよりもダネルは無事か!?」


「その声は……、カイルか……!?」





「シャローズ様!! やっと見つけましたよ!! ……なんですか、その頭の布は! そんなものでこのケリードを誤魔化せるとお思いですか!? まったく、都が大騒ぎの時にどうしてまたいなくなるんです! 貴女の身体の中には王族の血が流れておられるんですよ!? シャローズ様に万一のことがあればそれはもはや貴女だけの問題ではなく、国家全体の問題となるわけです! それを今一度よくお考えいただいて――――、聞いておられるのですか!?」


「…………」


体を甲冑で覆い、装飾の施された刀剣を腰にさす巨漢の男がシャローズを説教している。

どうやら彼が先の話で名前のあがっていたケリードという人物らしかった。

体つきは鎧に隠れてはいるものの、巌のような顔つきに短い茶髪、丸太のような首だけで、すでに歴戦のつわものであることが窺える。

しかし、その口調と額に汗を垂らしながら説教をする様は、威厳を感じさせると言うより世話焼きの母親のような印象も抱かせた。


一方で壁を背に叱られるシャローズは不満げな表情を隠そうともせず、目線を俺へと向けて無言で何かを訴えかけている。

しかし俺に彼女をなんとかしてやることはできない、なぜなら俺も説教されているからだ。


「ローレン様。私は申し上げたはずです、危険だから部屋から出ないようにと。それはひとえにローレン様の身を案じてのことだったのですが、そういった忠告を聞いていただけないとなると、メイド長としては苦言を申し上げざるを得ませんわ」


「め、面目次第もございません……」


「私は、ローレン様はもっと物分かりの良い方だと思っていたのですが、その認識も改めざるを得ないのでしょうか」


普段は温厚なマドレーヌが、珍しくお小言モードになっている。

もとより怒られる覚悟で飛び出していた俺は、ただただマドレーヌの言葉に頭を下げ続けるしかなかった。


「……結果的に、暴れ象騒動をおさめるのに一役買われたこと、その結果1人の命をお救いになられたことには称賛の言葉を惜しみません」


「あ、ありがとうございます」


「しかしそれはそれ、これはこれですわ。ローレン様とシャローズ様がいないことに気付いてからの私どもの心労も些かお察しいただかなければ」


「はい、すみません。それはもう、本当におっしゃる通りです」


「ダミアン様にも一通り報告をさせていただきますので、そのつもりで」


「……ぐ、はい。わかっております……」


マドレーヌは平身低頭の俺の様子に、やがて呆れたようなため息を漏らして「もうよい」というジェスチャーをする。

俺は頭を上げて一息をつき、帰って以降ずっと脇に抱えていたものをテーブルにのせた。


「――それで? その本はなんなのですの?」


「ええっと、よく分からないままに持ち帰ってしまったんですが、おそらく教会の誰かの持ち物だと思うんですよね……」


「教会の方々とお会いになられたのでしょう? そのタイミングでお返しになればよろしかったのに」


「それがなかなかそういう雰囲気でもなくてですね……」





シャローズの登場、暴れ象騒動、空から落ちてきた少年。


立て続けに起こる予期せぬ出来事に俺はとっくに処理落ち寸前であったが、とどめを刺すように俺を混乱させたのは当魔術教室の生徒の1人、カイル・フーゴーが聖堂のテラスから姿を見せたことだった。


いや、カイルは精霊教会幹部の長男なのだ。そこにいること自体は不思議ではないのだろう。むしろ分からないのは落ちてきた緑髪の少年の方で――――、と俺が横たわる少年に目線を下ろした時、その間に割って入るように現れた新たな影がある。


それは黒い装束を身に纏った複数人の大人達だった。


精霊教会の教会員であることを示す黒を基調とする衣服を纏った彼らは、驚いて固まる俺を一瞥だけすると『ダネル』と名を呼ばれた少年を抱え上げ、何も言わずに建物の中に引き返していった。

挨拶も感謝の言葉も一切の言葉なく、ただただ事務的に少年を回収していったのである。

そこには現在進行形で起きている暴れ象騒ぎに動じている様子も、少年を労る様子もない。


奇妙な教会員達が聖堂に入っていく様をしばらく呆然と眺めていた俺だが、思い出したようにテラスを見上げればそこにはもうカイルの姿はなく、かわりに複数の大人の影が無言でこちらを見下ろしている。しかしその影もすぐに引き下がっていってしまった。



取り残された俺とシャローズは狐にでもつままれたかのような出来事に目を見合わせるしかなかった。


気づけば表の象騒動は、後から駆けつけてきた応援によっていつの間にか収束しているようで、首輪を繋がれておとなしくなった象が厳重な警戒態勢のもとで王宮へと引き連れられていくところだった。


俺は足元に転がった本をどうしていいものかわからず、とりあえず持ち帰ってきてしまった。そして屋敷に帰ると眉をつりあげたケリードとマドレーヌが待っていた――、というのが今回の騒動の顛末である。





テーブルに置かれた本を少しめくってみる。

それはどうやらこの世界における創作小説のようだった。


「テラスから本が降ってきた……、というのは不思議ですが、内容としては変哲のない子供向けの本のようですわね」


本を覗き込んだマドレーヌもそう言う。


「まあ、カイルにならまた教室で会えるでしょうから、その時に返すべきかどうか聞いてみます」


「では、それまでは書庫に保管させていただきますわ」


「お願いします」


マドレーヌが土に汚れた本の表紙を軽くはたきながら手に持つ。

そこで、ずっと横で説教が続いていたケリードとシャローズの会話が途切れたことに気づいて、俺は首を振った。そして目に入った光景にギョッとする。


ケリードがシャローズの体を肩に抱え上げていたからだ。

マドレーヌはそれを見て「あらあら」とさして驚いていなさそうな声を漏らす。こちらの視線に気づいたケリードは、その体勢のままずんずんとこちらに歩み寄ってきた。


「ローレン殿……、とおっしゃられましたか。この度はシャローズ様が無理に手合わせなどとわがままを申し上げたようで、大変失礼いたしました」


「ちょっと! 下ろしなさい、ケリード! 今日は泊まって行くって決めたんだから!!」


抱え上げられた方のシャローズは手足をバタバタとさせてもがくが、ケリードの巨体をいくら叩いてもこたえている様子はない。

ケリードもシャローズの言には一切返答をせずに俺を見下ろして続ける。


「あわせて此度の王都で象が逃げ出すと言う王宮側の不祥事。その最中でもシャローズ様の安否をご心配いただいたとのこと……。本来ならこのケリードの為すべきところであり、自分の職務怠慢を恥じるとともに感謝の念を禁じ得ません。またこのような形での物言いになることもお許しいただきたい」


「いやいや、とんでもないです。えーと、シャローズ様がご無事で何よりといいますか……」


「ちょっと、ローレン!? あなたからも言ってやってちょうだい! この男に誘拐されて王宮に連れて行かれそうなのよ!!」


「シャローズ様、それは誘拐ではなく帰宅と言うんですよ」


「ダメよ!! だってこの屋敷に泊まって行くっていう話だったじゃない! 約束を破るなんて最低、最低よローレン!!」


「事態がおさまるまで様子を見るという話だったでしょう。またダミアン様がいるときに、ケリードさんと一緒に来ればいいじゃないですか」


「いやんなっちゃう! みんなして正論を並べ立ててもう……!」


そんなふうに不満げに声を上げていたシャローズだったが、自分の異議が聞き入れられないことを理解したのだろう、やがて諦めたようにぐったりと動かなくなる。

まさか一国の王女がおつきの兵士にされていいような体勢ではないが、シャローズのおてんばぶりを目の当たりにした後だと、さもありなんと納得してしまうのが恐ろしい。


「では、ローレン様、マドレーヌさん。王女様は私が責任を持って連れ帰りますのでご安心を。失礼いたします」


「あ、はい。お疲れ様です……」


「毎度のことではありますが、ご苦労察しいたしますわ」


「ちょっと、マドレーヌ! 何よその私が問題児かのような言い方は! ……まあ、事実だとしてももう少しオブラートに包んだっていい――――」


バタン、


とシャローズがまだ何事かを言いかけている途中で無情にも扉は閉められた。


あらゆる意味でセンセーショナルな王女様だったなと、俺はソファの背もたれに身をうめながら思い起こす。朝起きた時はまさかこんな出会いが待っているとは予想だにしていなかったが、というかこんなてんこ盛りな1日になると思っていなかったが、ともあれ先の言い方だとシャローズとはまた会う機会がありそうだと思った。


「ローレン様」


マドレーヌが俺の名を呼ぶ。見れば先ほどまでの厳しめな表情はいつの間にかやわらいで元に戻ったようだ。


「お飲み物でも、お持ちいたしましょうか」


「……ええもう、是非いただきたいです……」


「ふふ、かしこまりましたわ」



マドレーヌが出て行ったので応接室に残されたのは俺1人。

今日起きた騒々しい出来事の反動で、静寂がやけに印象的に感じられた。俺はソファーの背もたれに首を預け、ぐったりと身を沈めた。



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