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10.みーちゃった


広場での暴れ象騒動を見届けた後、俺は建物の側面を伝って人目のない路地裏に降り立った。

降りたと言っても、もちろんそんな所に都合よく階段などはない。用いたのは先ほど見たばかりの光魔法の応用。壁を足場として使う方法であった。


もちろん見様見真似であり、シャローズほどのバランス感覚もない俺は、壁にもたれかかりながらのおっかなびっくり透明な階段を降りる。

地面に足をついた瞬間、安堵で小さく息を吐く。扱いが難しいが、たしかにこれは便利だと、そう思った時――、



「みーちゃった」



「!?」


驚いて振り返るとそこには、ニヤニヤとした表情を浮かべてこちらに歩み寄ってくるシャローズの姿があった。


「な……! なんでここに……、危ないから外に出ちゃダメじゃないですか……!」


「その言葉そっくりそのままお返ししてもいいのだけれど、どう思う?」


「うぐっ」


俺は思わず左右を見回す。しかし不幸中の幸いと言うべきか、シャローズ以外の姿はない。


「なんだか嘘をついてるような返事の仕方だったから、食堂から出たあなたを追ったのよ。そしたら部屋に入って鍵を閉めちゃうでしょ? そのあとすぐ窓から外に降りて行ったのが分かったから追ってきたの」


「もう少し背後に気を配るべきでしたね……。しかし、シャローズ様まで出てきちゃったってことは、運よくバレずに屋敷に戻れるという目が絶望的に……。いやまあ、もとより怒られる覚悟だったからいいんですけど」


「マドレーヌに怒られたら私が言い訳してあげるわよ。ずっと見てたけど広場での騒動がおさまったのはあなたのおかげじゃない。個人的には報奨金を出してあげたいくらいの働きだわ」


「だ、駄目ですよ。そんなの受け取るわけにはいきません。報奨金は憲兵団の方たちに出してあげてください」


「無欲なのか、それともよほど目立ちたくないのね。例の事情ってやつかしら? まあいいわ、そんなことよりもよくない知らせがあるの」


「――よくない知らせ?」


シャローズがそこで少し眉をひそめる。目線を一瞬だけ背後に向けてから、やや背伸びをして俺の耳元に口を近づけた。


「あなたを追いかけている最中に聞こえてきたんだけれど、逃げ出した象はこれで全部じゃないみたいなのよ」


「…………えっ!?」


「情報としては不確かではあるみたいなんだけど、逃げ出したのは『最低でも3頭』だそうよ。だから少なくとももう一頭が、ここ以外の場所に向かってる可能性があるわ」


「……マ、ジか……!」


二頭の象が捕縛されるのを見てすっかり安心しきっていた俺に、再び緊張が走る。確かに俺は詳しい情報も持たない状態で抜け出してきてしまったし、憲兵たちもこれで終わりだとは言っていなかった。

俺は細い路地の最中でほかの場所で騒動が起きている様子がないか耳を向けてみるが、近くからそれらしい音は聞こえない。


シャローズがそんな俺の様子を見上げながら問う。


「……生徒の子たちが心配だから抜け出してきたんでしょう?」


「――――」


「それとも単なる正義感かしら? どちらにせよ、知り合いに迫っている危険は見逃せないのが人間よね。ならまだ帰るわけにはいかない。今帰ったらせっかくマドレーヌに内緒で屋敷を抜け出した意味がないものね。どうせ怒られるんなら最後までやりきっちゃいましょうよ。ね?」


「…………え、え? それはつまり、どう言う意味ですか?」


「もう一頭の象の行方を追うのよ、私と一緒に。 ――はい、これ」


そう言ってシャローズが差し出してきたのは手拭いサイズの布切れだ。俺は訳の分からないままにそれを受け取らされる。


「なんですか、これ」


「とりあえず目立ちたくないんでしょ? それは私も同じだもの、だったらこうすればいいの、見てて…………」


シャローズが布を頭に巻いて鼻の下で結びを作った。


「ほら、ばっちり!」


「…………いや、こそ泥以外の何者にも見えませんけど……」


「バレなきゃいいのよ、バレなきゃ。大丈夫、私これで追いかけてくるケリードを巻いたことがあるもの。安全は保証するわ」


「バレないにしても、目立ちはしますよこれ……。ほっかむりをした2人が並んで歩いてたら」


「もう! 文句が多いわね、じゃあローレンはどうすればいいと思うのよ!」


「とりあえずシャローズ様は危ないので帰ってください、事態の確認には俺が行きます」


「なにそれ!! だめよそんなの!! ローレンばっかりずるいじゃないの!!」


「ずるいって……。シャローズ様、これは遊びじゃないんです。怪我人が出ているのだって見たでしょう」


「そうよ、だからいてもたってもいられなくなったのよ。ローレンだって同じでしょう? 怪我をする憲兵を目の当たりにして、あれが教え子たちの身に起こったらと思って怖いんでしょう? 私もそう、私にとっては国民全員が心配の対象なんだもの」


シャローズが腕組みをし強い語気で言い放つ。

それを受けて、俺は二の句を継ぐことができなかった。彼女の瞳にはいっさいの淀みがなく、それが冗談ではないことを物語っている。


「ちなみに今、私1人で屋敷に戻ったらあなたの言い訳してあげないから。むしろあることないことマドレーヌに告げ口するからね」


「えっ」


「王都の混乱に乗じて女性ものの下着を盗みに回ってたって言うから」


「なんですか、そのとんでもない冤罪は……!!」


「分かったらさっさと来るの! こうしている時間さえ惜しいわ、もう一頭の象が大人しく捕まっているのであればよし、まだ暴れているのであればローレンと私でやっちゃえばいいのよ」


「やっちゃえばいいって……」


シャローズはそう言って無理やり俺の頭にもほっかむりを作った。

すると、表通りの方からちょうどよく憲兵たちの話し声が聞こえてくる。


「おい、手が空いているものがいたら応援に来てくれ。もう一頭の象が下の住居地区に逃げ込んで、精霊教会の周りで大暴れしてるんだ……!!」


俺とシャローズ、ほっかむりをした2人は無言で目を交わし合った。





俺はシャローズに先導されるがままに精霊教会の方向に向かった。

居住地区に降りるにしろ検問はどう抜けるのだろうと思って見ていたが「ここの金網が実は外れるの」と言って狭い抜け穴に身を通し始めたときは流石に苦笑いしか出来なかった。

彼女が王宮を抜け出し慣れているのがとてもよく分かった。


時に光魔法の足場を使いながら、俺とシャローズは居住地区に降り立つ。

壁を隔てると町並みの様子が貴族地区と明らかに様変わりし、人々の営みの匂いが濃く香ってくる。しかし街中に人の姿は少なく、まばらに見える人影も皆どこかへ急いでかけていく最中で、俺たち2人に注意を向ける者はいなかった。


「精霊教会はあっちね」


「……ええ、象の鳴き声が聞こえますね」


「少なくともまだ収拾はついてないみたい。やっぱり来てよかったわ、ねえローレン」


「その格好で言うと火事場泥棒のセリフにしか聞こえないんですよね……」


「あらダメよ? 下着を盗んじゃ。ダミアンので我慢して」


「いつ俺にそんな下着大好きキャラのイメージがついたのか!」



俺たちがそんなやり取りをしながら精霊教会のある広場に出ると、同時に地面が震えるような大きな音が響く。

広場には遠目から事態の成り行きを心配げに見守る人々の群れがあり、その奥に巨大な象と奮闘する憲兵団たちの姿が見えた。


さっきも確認したことだが、暴れている王宮飼いの象は通常のそれより2回りほど大きい。地球最大の象が確かアフリカゾウで、全長がたしか6〜7メートルだったと記憶しているが、こちらの世界の象は計るまでもなくその大きさを上回っている。あれが果たして何ゾウと呼ばれるのかは知らないが、鼻としっぽ含めればヘタをすると10メートルに届くのではないかと思われ、そこまで巨大な生物が暴れ回る様は動物というよりもはや恐竜の印象に近い。

鼻の両端には体躯に見合った巨大な牙が生え、あれが敵意を持って人に向けられればどうなるかはあまり想像したくなかった。


俺とシャローズは人混みに紛れ、渦中の広場を覗き込む。


「あーら、すっごい怒ってる。あ、見て人があんなに簡単に弾き飛ばされちゃった」


「剣を持って追いかけてくる人間を見て、さらに興奮してしまっているのかもしれませんね」


「兵士の姿を見慣れていないわけじゃないはずだけど、知らない場所に来ちゃって困惑してるのかしら。ともかくお互いが怪我をする前になんとかしなきゃね」


「どうするつもりなんですか、この人混みの中で」


「さっきみたいに目立たない場所から、って言っても教会の広場ってかなり開けてるから難しいわね。…………ローレン、どうするつもり?」


「質問を質問で返さないでくださいよ」


「とにかくここからじゃ何もしようがないわ、せめて教会の裏側に回りましょう。確か小さな果樹園になっていたはずだから。 来て」


シャローズは俺の腕を掴んで、また強引に引っ張り始める。


俺は腕を引かれながら首で後ろを振り向いた。

憲兵たちは魔法でねじ伏せるというよりも、一定の間合いをとりながら象の体力が消耗するのを待って持久戦に持ち込む作戦らしい。時間を稼げば応援も増えるだろうし、さきほどの騎士団長何某かがこちらに来てくれれば、象は比較的すぐに取り押さえられるだろう。

周辺で見物している人々も半ばそれを察しているのだろうか、中にはまるでサーカスの芸でも見ているかのようにはしゃぐ者もいた。貴族地区とはうってかわっての人々の様相には、そもそもの危機感の違いが見て取れるようだ。

まあ、見たことのない巨大な動物と悪戦苦闘する憲兵たちの姿が物珍しいのは確かだろう。


俺が心配なのは、象が時折頭を震わせて突進するそぶりを見せていることだ。

憲兵たちの光魔法によってある程度動きを抑制されているにしろ、暴れる象相手の障壁としてはこころもとない。木の板で壁を作ってもたやすく踏み潰されてしまうように、光魔法は生成されたそばから打ち破られていた。

消耗戦に持ち込まれて不利なのは、はたして人間側なのでは……、と思ってしまう。


俺がそう危なっかしく眺めていると、牙の矛先を変えた象が不意に教会の建物に頭突きをかました。

激しい音とここまで伝わってきそうな振動に、この場にいる全員の表情が凍り付く。


象は教会の壁に埋め込んだ頭を振るうと、今度は肩で教会の壁に体当たりし始める。その様はもはや頭を打っておかしくなってしまったのではないかと心配になる程だ。

と、そこで、



ミシッ――――



という不吉な音が、頭上から聞こえた。


人々の視線が音の聞こえた方向に注がれ、そして原因に気づいた者が悲鳴をあげた。


悲鳴が起こった数秒後、外壁に設えられていた彫像が衝撃に耐えきれず頭上から降ってきて、地面にぶつかって粉々に弾けたのである。跳ねた小石の一つが群衆の足元まで飛んできて、好奇の視線を向けていた人々の表情が途端に青ざめる。

神聖な精霊の像が白い石の粒になって散る様は王都の人々に分かりやすく危機を実感させ、自分たちがいる場所がその圏内であることに気づいた人々は、今更のようにどよめいた。

それに追い討ちをかけるように、もうひとつ精霊の像が崩れ落ちた。


悲鳴が起こり、人々は群衆の端から後退りを始める。

目の前の光景が見世物ではないことに気づいたのである。


群衆からすでに距離をとっていた俺たちも、風に煽られ、もうもうと立ち上がる砂煙に頭の布を取って口を覆った。


「ごほごほっ――! あー、ビックリした。心臓止まるかと思ったわ!」


「だ、大丈夫でしたか、シャローズ様」


「うん、大丈夫よ。それにしても思ったより大ごとになっちゃったわね……。まあ、人目が減ったのは御の字だけれど、きっと精霊教会から王宮にクレームが来るわぁ。ただでさえ仲良くないのに」


「精霊教会と王宮が……、ですか?」


「ああ、いいのいいの、この状況でするような話題じゃないわ。とにかく事態の早期解決を求める理由がまたひとつ増えたって事」


シャローズが口を結んで難しげな表情を浮かべる。

俺は象が暴れ回る広場を、教会の建物の影から具合はどうかと覗き込んだ。向こうからは未だぐるぐると暴れ回る象の様子が窺い知れるが……、


「どう?」


「…………今ならいけるかもしれません。街の人たちはほとんど何処かへ行ってしまいましたし、土煙が凄いので壁伝いに近づけばよっぽど見られることはないと思います。あとはあの動き回ってる巨大な生き物をどう沈静化させるか、ですが」


「ローレンが使えるのは水魔法と光魔法ね?」


「……あ、そっか、バレちゃってるんでしたっけ……」


「バレちゃってるわよ? さっきの手合わせであなたが手加減していたことは言い訳のしようがなくなったわね」


「…………そう、ですね……。あれ!? するともしかして打ち首になりませんか、俺?」


「何言ってるの。手加減をされた上にこっちは負けてるのよ? そんな不格好なこと出来ないわよ、もう」


シャローズはそれでも少し悔しげに口を尖らせたが、怒っている様子ではないので俺はほっと胸を撫でおろす。

ダミアンよりも先にシャローズにも明かすことになるとは思わなかったが、いずれ知れることだと思えばタイミングは大した問題ではない。今目の前の状況の方がよほど逼迫した問題だ。


「じゃあ2人の光魔法で力を合わせて、象の足を押さえつけましょう。暴れさえしなければ、憲兵たちが取り押さえてくれるでしょう」


「光魔法を足枷にしようということですか――、なるほど」


俺は感心しながら頷いた。

光魔法初心者の俺にとって、シャローズの柔軟な応用方法は単純に興味深い。光魔法の障壁の厚さや形を変更できるのを前提とすれば、技術さえあればより任意の形状に変形させることは理論上可能。なぜなら形の定まった壁を生み出したり消したりしているのではなく、そこにある魔素を固定しているのだから。


しかし光魔法適性を持つ憲兵たちが同じような発想に至らないのは、単純に魔法技能や魔力量の差なのだろうか。

ひょっとするとシャローズの人柄に見られる固定概念に固執しない点や、若いゆえの発想力もその差を大きくしているのではないかと思った。


「あとは憲兵たちが異変を察して、迅速に捕縛してくれることを祈るばかりですね」


「いよいよとなったら諦めて私が出ていくわ。王女の指示なら一応聞いてくれるでしょうから」


「いいんですか? せっかくほっかむりまでしたのに」


「まあ、怒られるとしても象を捕らえられたらプラスマイナスゼロだから大丈夫だと思うわ、多分」


「なんとも怒られ慣れてそうな物言いで……」


俺が呆れて言うが、シャローズはまるでこたえていない風に笑みを浮かべる。

彼女のお付きの人々はさぞ振り回されていることだろうと、ややも同情せざるを得なかった。



ドゴォォオン――!



再び轟音が響く。

教会の表で象がまた体当たりをしたのである。その凄まじさで硬い皮膚には微かに血が滲み、建物からはひび割れが連鎖するように装飾部が地面に落ちてくる。

それは体当たりをする象の体をも叩き、またそのことに象は怒り狂う。負の連鎖だ。


俺とシャローズは身に力を入れて、魔力を練り始めた。




ボトリ……、バサッ




「ん?」


妙な音が聞こえて、俺は思わず集中を解いてしまう。

頭上から外壁が落ちてきたのではない……、ならばなんの音だ? と、俺は思わず目線を横にやる。


そこに転がっていたのは分厚く古びた書物だった。汚れているのは地面に落ちたからではない、人の手で繰り返し開かれたからだ。大切に何度も読まれたもの、そういう雰囲気が落ちてきた本からは感じられた。


俺は本が落ちてきた原因を探るべく頭上を見上げる――、


「!?」


俺は思わず目を疑った。



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