3.臨時講師
「ローレン先生、おはようございますっ!」
「うお、あいてっ!」
俺が庭に降りた瞬間、青い髪の少女が胴に抱き着いてきた。
その勢いで俺は尻をついて後ろに倒れる。
「今日はローレン先生の日なんでしょ!? ルフ楽しみにしてきたの!!」
「あ、ああ、その通りだがひとまずどいてくれないか、ルフリーネ」
「じゃあ抱っこして」
「やれやれ……」
俺は馬乗りになった少女を抱え上げてから立ち上がる。
抱き抱えられて屈託なく笑う少女の名前はルフリーネ・ジスレッティ、5歳。
ジスレッティ公爵家と言えば古くから続く名家として有名である。ルフリーネは現当主アンドルフ公爵の孫娘の一人だ。
ルフリーネに促されて芝生が敷かれる中庭に入ると、3つほどの人影が立って並んでいる。
今日、魔術指南を受けに来るのは4人と聞いているのでもう全員揃っているようだ。
「おはよう、みんな」
俺がそう呼びかけると、まず眼鏡の少年がびしっと背筋を伸ばして応じた。
「お、おはようございます!」
レレル・ヘグワース、7歳。王宮で歴史書を編纂する文官の次男。
「おはよぉ、先生……」
眠そうに返事を返す黒い長髪の少女の名はアメリジット・ザーリ、8歳。王宮専属肖像画家の長女。
「…………」
……そして、不満げに口をとがらせ目も合わせようとしない銀髪の少年がカイル・ヒューゴー、9歳。精霊教会幹部の長男。
身分や年齢や性格は三者三様。
だがダミアンの教育方針によって、この場においては生徒全員が平等であるとしている。そして教師と生徒との関係性も同じく、教える者と教えられる者とするように徹底されている。
のではあるが――、
「……ちっ、今日こいつかよ。なら来るんじゃなかったぜ、時間の無駄じゃねえか」
カイルが、俺にではなくあくまで独り言の体でそう毒づく。
当然、急に現れた新米教師が気に入らない生徒もいる。
これもまた教師と生徒の有るべき姿……、と言えなくもないだろう。
俺は苦笑しながら4人を見渡して言った。
「じゃあ、授業を始めよう」
○
国王仕えの魔術師ダミアン・ハートレイは、王都騎士団の魔術指南や要人護衛、式典への参列や本国防衛の会議出席などなど多忙を極める。
そんな彼女が少ない空き時間を使って、半ば無理に開いているのがこの魔術教室なのだが、そもそも王都の教育事情とはいかなるものだろうか。
大抵の貴族は家庭教師を家に招き、我が子に魔術や勉強を教えさせる。それはナラザリオ家も同じだったのだが、強いて違いを挙げるとすればここでは隣の家の様子が良く見える……。つまり皆競って優秀な家庭教師を雇おうとするという点だろう。
突き詰めればただの見栄の張り合いに過ぎないのだが、貴族たちにとってはそんなことが最重要事項らしく、そんな中、もし王都最高魔術師に教えを請うことができればこの上ないステータスとなるのだそうだ。ゆえにダミアンにそういった依頼が舞い込むのは当然のこととも言えた。
ダミアンは初め、貴族たちの自慢合戦に付き合ってなどいられるかと依頼を断ろうとしたそうである。
しかし少し後に思い直し――、
場所はハートレイ邸。
貴族という立場は授業中は一切考慮しない。
本人と一対一の面接でダミアンが気にいる場合のみ。
以上を条件として依頼を受ける事に決めたそうだ。
ダミアンいわく「よくよく考えれば、未来の魔術師の育成こそ我々の行うべき一番重要な責務なのだ。私は貴族どもが嫌いだが、子供たちまでをも憎んでいるわけではないのだから」だそうである。
そんなこんなで、この魔術教室は基本週二回、ダミアンが屋敷に戻っている日に3時間ほど開かれることとなった。
ダミアンがこの試みを始めてから1年だが、生徒の数は俺の知る限り6人。この少人数体制の理由は、多忙さゆえに彼女が抱え切れる生徒に限界があることに加え、一対一の面接が予想以上にシビアだからだ。その基準は俺やマドレーヌさえ知らないが、ダミアンは自身の人を見る目に確かな自負を持っているらしかった。
彼女はある日俺に「ちなみにその最たる例が君だよ」と言ってきたとき、俺はうまく言葉を返すことができなかった。
しかしながら、そんな狭き門をくぐりぬけた貴族子息への臨時講師の話を最初に持ちかけられた時、当然ながら俺は断固辞退しようとした。
その少し前にした、目立つような行動をしばらく避けようという話をダミアンは忘れてしまったのか。そもそも俺に魔術を教えられるような素養などない。数ヶ月前まで魔法が使えなかった奴が誰かに魔術を教えるなど、とんだ笑い種じゃないか、と。
ダミアンは別に無理にとは言わなかった。
しかし、俺にとってもダミアンにとってもメリットのある話だから持ちかけたのだと、そう言った。
○
「メリット……ですか?」
「当面の間は屋敷にこもって魔術研究に没頭する、それが本来君も望んでいることだろう。しかし、人との関わりを早々に絶つことには研究の視野を狭めてしまう危険性もある。
ナラザリオ家での研究にヨハンの存在が欠かせなかったように、生の魔法を見られることはおおいに役にたつはずだ。しかも、それが発展途上であればなおよい」
「自分たちの生徒を研究材料に使え、とおっしゃっているんですか」
「そう受け取ってもらってもかまわん。
君は彼らの指導から新たな着想を得て、彼らも君の指導で魔術を上達させる。利害が一致していていいじゃないか。ついでに私の負担も減る。三者両得だ」
「――いや、そもそも俺が指導をして彼らが上達するという前提が誤りなんですよ。俺の研究がかなりの色ものであることはご存じでしょう」
「しかし君の魔術は私に匹敵するレベルなのだぞ? 一本を取る寸前だったじゃないか」
「あ、あんなのズルみたいなもんですよ」
「仮にそうでもすごいこと、なのだよ。
君が魔法を使えるようになってすぐにあれだけの試合を演じて見せた点を、私はとても評価している。本来魔法というのは子供のころから練習して徐々に【実戦レベル】に鍛えられていくものなのだ。
では君の経験不足を補っているのは何か。
それは莫大な魔力量もさることながら、あの研究の骨子――、すなわちイメージと理論にある。それをある程度噛み砕いてさえくれれば、彼らにとって実のある授業になると私は考えている」
「イメージと、理論……」
「もちろんあの研究を一から十まで教えるわけにはいかない。
あの研究資料を私以外に見せるのはまだ控えておくべきだ。公表するには足場を固めてからのほうがいいだろうからな。
君の膨大な魔力量が露呈するのも良くない。あと杖のことも……、これは今袖口に忍ばせているんだったな。ではまあ、案外そんなところか」
「いやいや、なんだか話が進んじゃってますけど、そもそも俺は人に何かを教えられるような立派な人間じゃないんですって」
「私はそうは思わない。実際に君の魔法研究の一環で、ヨハンの魔法が一歩先に進んだじゃないか。それこそが共に学ぶということだ。
氷魔法云々は刺激が強すぎるから禁止だが、ここの生徒はそもそも魔法の発現と維持もおぼつかないような子たちがほとんどだ。
なぜ彼らの魔法が安定しないのか、君の観点から見てやってほしい。
そうそう、安心してほしいんだがこの屋敷に来るのはあくまで生徒の子供たちだけで保護者の参観は一切禁止だ。ゆえに君の話が伝わるとしても伝聞形式だし、今の君の見た目と名前から遠く離れた【ナラザリオ領伯爵子息、ロニー・F・ナラザリオ】と結びつくことはまずあるまいよ」
「…………」
「はっは。難しい顔をしているな。
しかし優秀とはいっても君もまだ16歳、彼らから見ればお兄ちゃんくらいのものだ。そう気張る必要もない。
それに、これはあくまで一つの提案であって、強制でもないのだから」
「…………で、では、せめて一度授業の様子を見てから考えてもいいでしょうか」
「もちろんだとも」
「……ダミアン様は、俺を過大評価していると思います。俺はそんな大層な人間じゃないんですよ、本当に」
「君こそ自分を過小評価していると思うがね。
まあ君の人生を思えばそれもやむなしだが、私はいついかなる時も君を正当に評価すると約束しよう。再三言っているだろう? 人を見る目には自信があると」
「…………」
〇
そんなこんなで結局、俺はダミアン不在時のみの臨時講師として魔術を教えることになった。
そして、俺が王都に来てから4カ月、臨時講師に着任してから2カ月が経とうとしていた。