31.罪人 ロニー
ガシャン、
と錠前の落とされる音が、薄暗い石の地下牢に響いた。
俺は乱暴に石牢に投げ入れられ、肩を壁にぶつける。
「――つッ」
反射的に投げ入れた甲冑の男達を見上げるが、暗がりに浮かぶ瞳は冷たく無機質だ。装備から見るにこの屋敷の者ではない。恐らく街から派遣された憲兵だろう。
だが俺にはすぐに反発する気力が起きない。
自分がなぜここに放り込まれたのか、悔しいが理解してしまったからだ。
嵌められた――、と改めて思う。ここから無実を証明する大変さを思うと、あまりにも気が重かった。
ややあって新たに地下への階段を下りてくる足音が聞こえ、ドーソンが重々しく姿を現す。
「……御苦労だった。だが今晩は引き続き屋敷の警護にあたるよう伝えてくれ」
「かしこまりました。ドーソン様はいかがされるのですか」
「こいつと話をしなければならんだろう……、当主としてな」
「まことに心中お察し致します……。しかし密室で二人きりとなりますが、問題ありませんか。我々憲兵団としても伯爵殿に危機が及ぶ事は万一にも避けなければならないのですが」
「こいつは道具がなければ魔法の使えない欠陥品だ。丸腰で牢に閉じ込めれば何が出来ようはずもない。
――だが確かに、万が一という事はある。では一人だけ残ってもらおう」
「承知いたしました――。
ではバルエルド、伯爵殿をお守りしろ。私は他の者に指示を伝えてくる。
…………ドーソン様、しつこいようですが彼はもはや犯罪者です。くれぐれもお気を付けを」
「……ああ、分かっている」
ドーソンと短かな会話を交わした憲兵たちは一人を残し上階へと上って行った。
この地下牢は普段誰も足を踏み入れることのない先代の遺物だ。
俺も幼い頃にかくれんぼに使って怒られてからは十年単位で降りてきていない。ゆえに地下牢の石畳は苔だらけで、鉄格子は錆び、犯罪者を入れるにしてもあんまりな環境となり果てている。
背後を見上げると、上方にわずかに地上が伺える小さく薄い小窓が付いていた。だが給気口以上の役割を持たないその窓からは、ろくに夜空さえ見えない。
耳にカーラが俺を拒絶する悲鳴が張り付いている。
俺の顔を見ておびえた彼女の表情と一緒に。
しばらくの沈黙ののち、鉄格子の向こうに立つドーソンが無表情で問う。
「情けない姿だな。まさか自分の息子のこのような姿を見ることになるとは思わなかった。何故……、こんな真似をしたのだ」
その問いかけは余りにも冷たい。少なくとも本来息子に向けられるべきではない、刃のような鋭さが声の端々に埋め込まれていた。
「…………こんな真似とは、何を指しておられるのですか」
「この期に及んでとぼけるつもりか。屋敷を破壊して回り、使用人達に怪我を負わせ、ヨハンにさえ危険を及ぼしたことについてに決まっているだろう。大人しく牢に入った時点で、お前も自分の犯した罪を自覚していると思ったがな」
やはりそういう事になっている訳か――。
俺はデリバリー・マーチェスが俺の顔を借り、怠惰そうに笑う表情を思い出した。
「その事であれば……、俺はやっていません」
「やっていないだと……? 襲われた屋敷の者全員がお前の顔を見ているんだぞ、無用な言い訳をするな……!」
ドーソンは拳でさびた鉄格子を殴る。
その顔には見覚えがある、相手が自分の思い通りにならず苛立っている時の表情だ。
だが俺だって、やっていないことをやりましたと言う訳にはいかない。
「それを為したのは俺ではありません。姿を偽った者が俺に罪をなすりつけようとしたのです。現に俺も殺し屋のような輩に襲われました。――俺の顔をした男にです」
「お前も襲われた……? はっ、たわごとだな。論ずるにも値しないたわごとだ。
屋敷の者達をお得意の水魔法でなぶっておきながら、よくもそんな事が言えるものだ。反吐が出る」
「…………お父様が誤解をされている事は分かりました。
ですがその話の前に、ひとつ質問をしてもよろしいですか」
「この状況で、お前に質問をする権利があると思うのか?」
「真実を知る権利は、俺にもあると思いますが」
「…………」
まっすぐな目線の俺に対してドーソンはすぐに返答しない。
俺はその沈黙を了承と受け取った。
「この屋敷から、誰か死者は出ましたか」
「屋敷から、死者が出たか……だと? 抜け抜けとよくもそんな……、馬鹿にしているとしか思えんな。貴様のやったことは貴様が一番よく知っているはずだろうが……ッ!!」
ドーソンが再度、鉄格子を強く殴る。
鈍く震えるような音が地下牢全体に響いた。
「教えて下さい。俺が今一番知りたい事――、知っておかなければいけない事なのです」
「…………」
ドーソンは忌々しいという目線を向けながら、吐き捨てるように答えた。
「……今のところ死者は出ていない。怪我人のみだ」
「ヨハンは」
「ヨハンに怪我はない……。今は部屋で寝かしつけている」
「そう、ですか……!」
それを聞いた瞬間、全身の力が抜けていくのを感じる。
ずっと自分の中にどろどろと渦巻いていた不安が消えうせ、心がぐんと軽くなるのが分かった。
だがその態度を見てますます苛立つのはドーソンである。
「――その不愉快な臭い芝居をやめろ! 虫唾が走る……! いっそ開き直って犯罪者らしく振る舞われた方がよほど気が楽だというのに!」
「…………」
一番の心配事が解消された今、ようやく俺は目の前の父と対面する心構えが出来た。
カーラの怯えた顔や、ヨハンが怪我をした姿を思えばどうしても心は痛む。だが、彼らが無事であるという事だけは確かな救いだった。
それに死人が出ていないという情報は、奴らの目的を暴く一助ともなるはずなのだ。
「…………犯罪者、ですか」
「ああ、そうだ。私はもうお前が分からない。私はお前が恐ろしい。お前はせっかくの明るい未来も棒に振り、頭がおかしくなってしまった。一体何が不満だ、ようやくろくでなしから一丁前になったかと思えば、覚えたばかりの魔法を使って屋敷を襲うなどと……! 買ってもらったばかりのおもちゃを見せびらかす子供のように!」
頭がおかしくなってしまった――。
確かに客観的に見ればそうとしか見えないだろう。屋敷と使用人を傷つけるだけ傷つけて長男が逃げ去っていったとなれば、ドーソンが俺を不気味がるのも当然だ。
だから、まずは冷静に状況を見てもらう必要がある。
「お父様は本当に、俺がこの事件を起こしたと思っているのですか」
「何度も言わせるな! 私自身も見たのだ、愉悦に満ちた表情のお前が使用人たちに手をかける様を。一通りいたぶり終えた後に、満足げに屋敷を去っていく様をな!」
ドーソンはなおも声を荒げる。
せっかく人払いをしたというのに、もはや上階まで届いてしまいかねないほどだ。
俺はそんな父に向ってあくまで冷静に言葉を返した。
「しかし、それならばおかしいでしょう」
「ああ……!? 何がおかしいと言うのだ!!」
「お父様の言い分からすると、俺は頭がおかしくなり使用人たちを傷つけた後に屋敷を去ったのでしょう?
ならば、何故こうして素知らぬ顔をして戻ったとお思いなのです。犯罪者が現場に戻るという通説も今回は事情が違う。お父様の言によれば、俺は顔を隠すこともせず自分の犯行をさも印象付けるように振る舞っていたというのですから」
「――――なに……?」
「お父様、これから俺が言う事こそが真実です。
俺は祠のある丘で殺し屋を名乗る集団に襲われました。そしてそのうちの一人は顔を替える妙な魔法を使っていた。そして、ジェイルと結託して俺を嵌めたんです。これは罠です……!」
「――な、ジェイルだと……?」
「そうです。そもそもジェイルはこの屋敷に帰ってきているんですか。彼が殺し屋どもと繋がっていたことは明白です!」
「……ジェイルなら怪我を負ってつい先ほど怯えた様子で帰ってきた。頭に大きな怪我をしてな。ジェイルが何と言っていたか教えてやろうか。お前を追いかけて返り討ちにされたのだと言っていたんだぞ……!」
「ならば、俺か彼かのどちらかが嘘をついているのです。何ならこの場に呼んでもらっても構わない!
そもそもお父様の中の俺は、使用人たちを傷つけて愉悦に浸るような狂人ですか。俺がこの16年間でそんな素振りを見せたことがありましたか。ヨハンを傷つけて笑っていられるような性格だと、そう思っておられるんですか!?」
ドーソンは、俺の問いかける勢いに一瞬逡巡する様子を見せる。
そしてややうつ向くように呟いた。
「…………確かにお前は、そんな子供ではなかった」
「! そうお思いならば――――」
「――しかし、強力な魔力を得ておかしくなってしまったのだ。そもそもが、魔法の研究などとのたまって精霊をないがしろにするような考えに取りつかれたのも、お前が階段から落ちて頭を打ってからだ。そうだ、あの時からお前はおかしくなってしまった。部屋にこもるようになり、怪しげな行動が増えた……!」
「…………!? そ、そんな、今朝お父様は俺の研究を認めると、そう仰ったばかりではありませんか! 俺の見つけた氷魔法を褒めておられたではないですか! それでは言ってることが正反対です!」
「黙れ! そうだ、ダミアン殿が来た手合わせの場でも、私に反抗して言いつけに背いた! 今思えばあの時、既にお前の目は自分が得た力におぼれる狂人の目をしていたのだ! 私は覚えている! あの時にお前の内側に眠っていた本質に、少しでも危機感を抱いていればこんな事にはならなかった!!」
「な……! お父様、それは、本気で言っているのですか?」
「本気に決まっている! 貴様はナラザリオ家の恥晒しだ! ナラザリオ家の名を汚し、取り返しのつかないことをしてくれたのだ! ナラザリオ家の長男が狂ったという報せはあっという間に他所にも広がるんだぞ! お前など…………、う、生まれて来なければよかったのだ……ッ!!」
「――――」
俺はドーソンのあまりの支離滅裂さに思わず口をパクパクとさせる。
そしてそれよりも、生まれてこなければよかったという言葉の重さに打ちのめされていた。俺は、今のは嘘だと言って欲しいという一心で縋るように問う。
「で、では、あの食卓での言葉は嘘だと……? 誇らしいと、そう仰ったではありませんか……?」
「…………そんなことを、言った覚えはない……!」
「そ、そんな……!」
あまりにも滅茶苦茶だ。これではどちらの頭がおかしくなってしまったか分からないではないか。いくらなんでも、俺の父親はここまで話が通じない相手ではなかったはずだ。
それが今や父は俺と目を合わせようともせず、冷たい石の廊下を見下ろしている。まるで自分で嘘と分かっていることを無理に信じ込もうとしているように。
「――余計な話をしすぎた。本来一言で済むはずだったのだがな……」
ドーソンはそう短く息を吐くと俺に背を向けた。
しばし首をうなだれるようにしていたドーソンだが、やがて重く静かに言う。
「――――ナラザリオ家の当主として、お前の行いを看過することは決してできない……! 明朝、ナラザリオ領の法に則り、お前を断罪する」
俺は思わず口を開け、聞き間違いかと思い言葉を繰り返した。
「だ……、断罪…………?」
「これはもはや決定事項だ。お前がどれだけ無罪を訴えようとも、誰に何を言われようともこれは覆らない。憲兵団も状況的証拠から疑いの余地がないと認めている」
「決定事項……!? そんな無茶苦茶な……! 俺の話も聞かず、ここに連れてこられた時点で有罪が決まっていたと……!? そんな法が通るはずがありません! せめて俺の言い分を検証したうえで罪の多寡を判断していただかなければ…………、そんな、だってあまりにも理不尽ではないですか……!」
「この地における法は私だ。
そしてその私が、お前を一秒でも長く野放しにしていることがナラザリオ領全ての民にとって危険であると判断したのだ。加えて、お前をナラザリオ家の長男としてではなく、一人の犯罪者として処刑することを伝えておく」
「ま、待ってください! お父様、その言いぶりではまるで――」
俺は思わず鉄格子に縋りよる。
だがそれでも父は振り返ることをしない。
「……その先を私に言わせるな。せめて自分の罪を悔いながら眠ることだ。
……今夜が最後の夜なのだから」
「――――――」
言葉が出ない。
俺は明日、自分の父親に殺されるのか――。そう思った瞬間、頭の中が真っ白になった。それはもう驚きとか絶望とかいう感情を通り越したものだった。
弁明の余地があると思っていた。
それをするだけの時間もあると思っていた。
理路整然と自分の身に起こった事を述べれば、真実が為されるはずだと思っていた。
ドーソンも、せめて今の俺の声に耳くらい傾けてくれると思っていた。
情けをかけろと言っているわけではない、ただ少しでも俺の言葉が真実である可能性に気付いてほしかった。
ジェイルの行動の時系列を追えば、きっと矛盾が出てくるはずだった。
この傷と合致するナイフがないことを証明できれば、第三者の存在が示唆できるはずだった。
カーラやヨハンと、一言でもまた交わせたならば、きっと手を差し伸べてくれるだろうと思っていた。
だが、ドーソンはそれら一切に目を向けようとしない。
むしろ頑なまでに目をそらしている。
もうすでに決まった事実が歪まないように。
ただただ俺が犯罪者であることだけを望むように。
「――ドーソン様、よろしいですか?」
奥に控えていた憲兵が声をかける。
「ああ……、伝えるべきことは伝えた。もういい」
ドーソンは俺に背を向けたまま頷くと、鉄格子の前から去っていく。
「待ってください! まだ話は終わっていないはずです! もう一度俺の話を聞いてください! お願いです、ジェイルを……! せめてジェイルと話をさせてもらえれば……!」
さびた鉄格子を掴み、顔を押し付けて歩み去る父の背中に声をかける。
だがドーソンは立ち止まらない。振り返る事さえもない。
「お願いします、お父様……! お願い……、《《僕》》の……、話を聞いてください……!!」
もう鉄格子からでは姿が見えない。
僕は鉄格子に頭をこすりつけて喉から声を絞り出した。苔むした石の床に涙の雫が音も無く落ちる。
「僕を見てください……。僕の言葉を聞いてください、当たり前の家族みたいに、ただそれだけでいいんです……。それ以上は望みません……。我儘も言いません……。この家から僕の存在を消さないで……。僕はここに居るのに……」
父の足音は階段に差し掛かり、やはり僕の声が届くことはない。
これまでの16年間と同じように。
僕は鉄格子に掴まっていた手を放し、床に崩れ落ちた。
頭を床にこすりつけて泣く。悲しいのか、悔しいのか、怒っているのか、怯えているのかは分からない。きっとその全部がごちゃ混ぜになっているのだろう。
死ぬんだ。
この家の長男としてでさえなく、一人の頭のおかしい犯罪者として。
結局僕は、最後まで家族の一員になることは出来なかった。魔法が使えるようになったって、僕はお父様にとって不要な存在なのだ。
「――――せめて」
ふと、一階へと続く階段から呟くような声が聞こえた。
「せめてあの時、階段から落ちて死んでいれば……、こんな思いをすることもなかったろうに……。ロニー……」
父はそうとだけ言い残して階段を上り、地下牢への扉の鍵を閉めたのだった。