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29.死ねない理由


意味が分からなかった。

意味が、分からなかった。


俺は今、誰に、何を、告げられたんだ?


なぜ俺と同じ姿をした男が……、俺の前に立っていて、しかも先に倒したはずの二人が部下であると言っていて、俺の杖を壊して、死ねと、そう俺に告げて、俺の格好をしていて、ジェイルと言葉を交わしていて……、夕日を背に剣を揺らして、こちらを見つめていて、俺と同じ顔で――――。


「――――」


そこで俺は思わず自分の唇の裏側をかみしめる。

思考がまとまりを失い、混乱していることを自覚したからだ。


だが、正直理解不能な事が起きすぎて、もうお手上げと言って諦めたくなるほど状況は混迷を極めていた。


俺を殺すと宣言した目の前の【俺】は、その表情に気付いたのだろう。

一つ鼻で笑うと、自分の頬に手を当てた。


「――ああ、これか? はっ、気味悪いよな、そりゃそうだ。ほれ」


そういって口腔内に指を突っ込んだかと思うと、ボコボコと泡の出るような音がし、俺の顔だったものがみるみる別物に変わっていった。

鼻が高くなり、輪郭の凹凸の場所が移動し、頬骨が出て――、まるで粘土細工のコマ送りでも見ているように。


「……ふう」


やがて、端正な若い男の顔が現れた。

整った眉に猫を思わせるような大きな瞳、やや童顔だが年齢は20代半ばほどだろうか、だがそれ以上取り立てて特徴のない、どこにでもいそうな男だった。


俺はすっきりとしたと言わんばかりに、首をごきごき鳴らす男に問うた。


「……お、お前がデリバリー・マーチェスなのか……?」


「あ? なんで知って…………。ああ……、また馬鹿共が名乗りやがったのか。自分たちだけならまだしも、俺の名前まで言うんじゃねえっての」


男は苛立たしげに力なく転がっている二人を見やる。

その様子からも、スピンとバーズビーが指していたデリバリー・マーチェスという男に違いない事が分かる。つまりこの男も、依頼をされて俺を殺しに来た一派だということだ。


しかしその前に見逃せない点がある。


「――――今のは何だ……? 魔法、なのか……?

そもそも、なんで俺の顔に…………」


「顔を変えたのは魔法だが、詳細についちゃあ企業秘密だ。

理由の方については少し考えりゃあ分かんだろ? どのみち今から死ぬ奴に説明してやる義理もねえしな」


「――――な、んだと……?」


俺はマーチェスの指すところの【顔を変えていた理由】について考えを巡らせた。

だがどれだけ冷静に洞察を行おうとしても、俺の脳は今、生き残る為の方法を考えることに容量を割いているらしく、マーチェスの行動の理由やジェイルとの関係性はまるでピンとこなかった。


だが――、生き残るといってもどんな方法が残されている。

杖も奪われ魔法は使えない。剣を持った相手に立ち向かうような身体能力など持っていないし、そもそもが満身創痍だ。

ならばどうする。目の前の男との会話を引き延ばし、せめて考える時間を確保するか……?


「じゃあ、さっき俺を殺しに現れた二人……、あの二人はお前の事を――」


「残念だが時間がねえんだ。おしゃべりに付き合ってやりてえのは山々だが、こっちも仕事なんでね。残業はしねえホワイトを売りにしてんだ、うちは」


マーチェスはそうきっぱりと俺との会話を打ち切り、左手に持った剣を短く振る。

足元の草が葉先を失って、ハラハラと散った。


マーチェスは無言のまま、スタスタとこちらへ歩み寄ってくる。

当然――、俺を殺すためにである。

そして、杖を失った俺はその歩みを物理的に止める術を持たない。マーチェスの一歩一歩がそのまま命のカウントダウンとなる。


俺はそこでようやく後ろのジェイルを振り返った。


気づけばジェイルは俺から距離を取って、丘の端でじっと俺とマーチェスのやり取りを見つめている。

だがジェイルには、心配する様子も、止める様子も、逃げる様子もない。

ただただ事が終わる事だけを待っているという風だ。


その振る舞いは、さっきのやり取りが俺の気を引くためのものだったこと、つまりマーチェスらとの明確なつながりを示唆していた。

自分が囮になって、後ろから杖を狙うマーチェスに気付かせないようにするために……。


俺は二人がそれを耳打ちして打合せする様を想像して、言いようのない口惜しさに見舞われた。


「ジェイル……ッ! 説明してくれ、なんでお前が……!? …………ッ、お、お前がこいつらを雇ったのか……!? どうして結託して俺を嵌めるような真似をしたんだ……!?」


俺から十数メートル離れるジェイルは沈黙ののちに冷たく言う。


「…………それにはお答えが出来かねます」


「いや、俺の事はこの際いい! や、屋敷はどうなってる……!! ヨハンは……、頼むから、それだけでも教えてくれ……!」


「お答えが出来かねます」


「なんで、だよ……!!」


「私には、お答えが出来かねます」


ジェイルの口調は冷たいまま変わらない。

俺はその態度に、拳を握って腿に叩きつけた。


スピンが言っていた、俺を殺したい奴がいるというのは、ジェイルの事だったのか?

だとすれば何故だ。なぜ俺がジェイルに殺されなければいけない。今日の昼まで中庭で親し気に言葉を交わしていたはずなのに、あの時既に俺を殺す算段をしていたというのだろうか。


「もういいだろ、あきらめろよ」


横から声がした。

マーチェスがもう剣を振れば届くほどの距離まで来ている。そして首をかしげながら俺を哀れそうに眺めている。


――――諦めろだと?

なんだそれは。なんだよそりゃあ。なんなんだよ、諦めろって。


「――――」


俺は唐突に、自分の腹からぐつぐつと怒りが煮えたぎってくるのを感じた。

理不尽もここまでくると度が過ぎている。俺がここまでの事をされなければならない、理由があるのか。今までずっと不遇だった俺が、せっかく手に入れかけた未来をまたすぐに絶たれなければならい理由が。


「納得が、できない……! 何でこんな事をする、せめて納得できる理由を言えよ……!」


「…………納得?」


ふとマーチェスの歩が止まる。


「そうだ! 前触れなく現れて、はい殺しますなんて納得できるわけがないだろ! もう頭の中がぐちゃぐちゃだ、いい加減にしろよ……ッ!!」


俺は今の自分に出せる全力の大声でそう叫んだ。

腹に力を入れた瞬間に、また血が噴き出した。


だが、背中の傷などもはやどうでもよかった。

いつの間にか痛みを怒りが凌駕している。


だが、マーチェスはそんな俺をなおも哀れそうに見下ろしている。


「……納得の出来る死なんて、元々ありはしねぇんだよ。何故なら死はいつも予告せず現れるからだ。誕生日だって、試験に受かったって、可愛い子供が生まれたって、使えなかった魔法がやっと使えるようになったからって、死はお構いなしに訪れるんだ。お前の場合はそれが今日だっただけだ。」


「人殺しが……ッ、聞こえのいいセリフを言うな……! お前が今、俺を殺そうとするのには理由があるんだろう! それをさも偶然のように、不運だと片づけようとするんじゃない! 俺には生きる理由がある……! 俺はやっとそれを見つけたばかりなんだ……!」


「そうだろうな。お前の大体の背景は伝え聞いてるさ。だが俺にもお前を殺す理由がある……。俺はこの殺し屋稼業で部下たちを食わせなきゃいけないんでね」


「そ……、そんなことの為に……ッ! お前たちが金を稼ぐために、俺はここで殺されなきゃいけないってのか……!? そんなのどう納得しろと言うんだ!!」


「恨むなら依頼人を恨め。そいつは今も呑気に紅茶でも飲みながら、俺が仕事が終了した報告を持ってくるのを待ってんだ。もしくはやっぱり、死を望まれるような境遇のお前自身を恨めよ」


「ふざけ……!! ごほっ、今俺を殺すのがお前であることに変わりは……、ぐ、げほっ」


「…………あんまり叫ぶと傷が痛むぜ?」


「――っ、知るか!! どのみちお前に殺されるんだろうが!!」


「もう言ってることが支離滅裂だな……。付き合いきれねえわ」



マーチェスが怠惰に剣を振り上げた。

そして何の感傷もない表情で、無言で振り下ろす。

その様はまるで床の虫を面倒くさそうに潰す時のような表情。

潰した虫の数など数えない、ただ当たり前の日常の延長線上のような。


そんな感じだった。



『嫌だ!! こんな風に死にたくない!!』



俺の中で悲痛な金切声が上がる。

幸せの一端をやっとつかみ取ったはずのロニーが、泣きそうな表情でそう叫んでいた。心の中のロニーが、顔をくしゃくしゃにして縋りつくようにそう泣いていた。


ああ、死にたくないよな。

俺もだ――――。


俺は振り上げられる剣を見上げる。

鋼の剣が夕日に照らされ、分かりやすく死を象徴していた。

俺は、ふと肩にかけたままだった鞄に意識を向けた。


こいつらの正体も分からない、ジェイルの目的も分からない、屋敷で何が起きているのかも分からない、バーズビーが人間離れした動きを見せたのは何だったのか、マーチェスがさっきの顔を変えたのは一体何の魔法だったのか、まるで分らない。

分からないことづくめだ。


しかし、故に俺の思いは強まる。


そんな状態で殺されるなんて――、あり得ない。

俺が死ぬのは納得してからなんだ。俺はまだ、魔法のまの字さえ理解していない。




知りたいことは、まだまだたくさんあるのだ――――。




ズッ、


という鈍い音がする。

それは俺の体を両断するために振り下ろされた剣が、阻まれる音だ。


「あ゛? …………だりぃな、つまんねえ時間稼ぎしてんじゃねえよ……」


マーチェスが俺を見て不快そうに顔をゆがめる。

杖を失ってもう抵抗する方法もないはずの俺が、肩にかけていた鞄を痛々しく持ち上げ、剣をそれで受け止めたからである。

本を持ってきていなかったらこんな悪あがきさえ出来なかっただろう。


しかし、一時俺の命をつなぎとめてくれた本も、剣を受け止めたことによって切り裂かれた穴からボロボロと零れ落ちて行った。


「――――」


だが、零れ落ちたのは本だけではない。

本と一緒に地面に落ちるいくつかのゴミや紙切れの中に、俺は【それ】を見つけたのだった。


鼓動が一つ大きく跳ねる。


それは知らない者が見ればゴミといっしょくたにされてしまいかねない些細なものだ。だが、俺にとって、そして今この状況において、あまりに大きな意味を持っていた。


杖と呼ぶにはひどく頼りない、木くずと呼んだほうがふさわしいものだったが、確かにそれは『プテリュクスの枝』だった。


俺はそれにありったけの魔力を込める。

魔力の蛇口としては余りに小さく心もとないものではあったが、果たしてそれは俺の望む役割を担ってくれたのだった。


「――――!」


マーチェスがその意味を理解し、怠惰だった彼の表情に驚きが生まれる。

彼は先ほど振り下ろした太刀筋が嘘だったかのように、激しく鋭い速度で俺の手首を切り落としにかかった。


だが、俺は一瞬動揺して固まった隙を狙い、マーチェスの懐側に潜り込むように地面を一回転し背面を取る。

杖をマーチェスの背中に向け、そして、



――――草原に、水の爆弾が弾けた。





次の瞬間、俺は自分の体が宙を飛んでいることに気付いた。


体を枝がひっかくような感触があり、やがて俺は背中を樹に打ち付けて止まった。衝撃で頭上から木の葉がパラパラと降って来る。

思わず舌打ちが漏れた。


「クソガキが…………っ」


俺は立ち上がる。

すると横の樹を支えにしようと伸ばした右腕に違和感がある。見れば太い枝が俺の右腕を貫いていた。


俺は苛立ちながら手のひらを数度開いたり握りしめたりし、枝を体外へと排出する。

周辺の肌がぐむぐむと盛り上がり、傷口を不格好ながら塞いだ。


「これじゃああの馬鹿二人の事を言えねえ、完全なる油断だった……。くそ、残業コースだぜ……」


俺はそう愚痴を漏らしながら林から再び草原へと戻る。

見れば地面が多少なり抉れ、なおかつ水浸しとなっていた。俺は水魔法でこんな芸当のできる奴を知らない。

王都の魔術師とやり合ったという話は本当らしい。


「さて、どこに逃げやがった…………?」


俺はあたりを見回す。

一瞬の出来事ではあったが、魔法の爆発が俺だけでなく奴自身の体も巻き込んでいるのを見た。とすれば同じようにどこかへ吹き飛ばされているはず。

それに走って逃げられるような状態でなかったことを考えれば、逃げていたとしてもさほどまだ離れていないはずだった。


ふと横を見ると、ナラザリオ邸へ続く林道の下方に吹き飛ばされた使用人の姿が見えた。爆発が及んだか、それとも風にあおられたか。それにしても随分と転げ落ちたものだ、当たりどころが悪ければ死んでるな。

まあどうでもいいが。


俺は巨大な大岩のささる丘の草原へ足を踏み入れた。

見ればところどころに血が飛び散っている。スピンやバーズビーのものもあるんだろうが、新しいか古いかくらいは分かる。


そして俺は、こぼれたばかりの血しぶきの跡を見つけた。


「あっちか……」


あいつの言葉に歩みを止め無駄な時間を消費してしまった事を後悔する。

問答する暇も考える暇も与えず、さっさと殺せばよかったものを。


あの鞄の中に他の枝を隠し持っていたとすれば、さっきのをもう一発かまされるかもしれない。もしくは全く別の魔法が用意されているかもしれない。


俺は左手に持った剣を握る力を強めながら、大岩へと続く血の跡を踏みしめた。





次の瞬間、俺は自分の体が宙を飛んでいることに気付いた。


俺の発動した魔法は、狙いも威力もあてずっぽうなひどい代物だった。

魔力の蛇口の役割を果たした小さな木の枝は、魔法が発現した瞬間に耐え切れないと言うように弾けて塵になった。


俺とマーチェスの間に生じた魔素空間では水分子が爆発的に増幅され、瞬間的に強いエネルギーに変換され俺たちの体を吹き飛ばした。

もはや魔術とも呼べない、水魔法を用いた自爆である。

魔力の通り道が細く小さかったことも影響していたかもしれない 。ホースの先を絞れば出る水の勢いが変わるように――。


「――――がっ……!!」


宙を飛んでいた俺は突如、硬い何かにぶつかり背中と後頭部をしこたま打ち付けた。

視界に火花が散り、背中の傷からまた派手に血しぶきが漏れ出した。


俺は明滅する視界で、何とか這いずりながら腕を伸ばして掴まれる引っ掛かりを探す。触っているのはどうやら、やけに大きな岩らしかった。


「――はっ、ごぶっ……、げほっ!」


マーチェスがどうなったかは知らない。だが、今この機会をいかせなければ、今度こそ間違いなく殺される。もう魔法は使えない。ここが生死の分かれ道だ。

逃げろ。逃げろ。早く立ち上がって、逃げろ。


俺は必死で硬い石の地面を這いずり、縋るように手を伸ばした。

すると震える指先につるつるとした球状の何かが触れる。


同時に、寝ぼけたような声が聞こえた。





「ロニー、何してるの?」




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