14.実験器具
俺の部屋が一つ上の階に移ってからあっという間に3日が経った。
3日前のあの日、フィオレットらと朝市に赴いた俺は、別れた後に本来の用件をすませるためいくつかの店を回った。
それは手にしたばかりの資金を元に、ある『依頼』をするため。
今後の研究活動において、必要なものの調達である。
俺からすれば見慣れたそれらも、しかし彼らからすれば随分と風変りな『依頼』に映ったに違いない。
ともあれ、依頼料だけは無駄に積んでおいたから優先的に仕事をしてくれているはず。いつできるか約束はできないとの事だったが、今日あたり様子を見に行ってもいい頃合いだろうと思っていた。
今が朝の10時ごろ。夕方に一度、町へ降りてみよう。
そんなことを思いながら、俺は寝巻から部屋着へと袖を通す。
――コンコ、ガチャ「兄様」
「……ノックから開けるまでが早いぞ」
「あ、起きてた」
振り向けばいたずらげに笑うヨハンが、そこに立っていた。
「もう具合は大丈夫なのか」
「うん、もう問題ないって。ちょっとまだ気怠い感じだけど」
「そうか」
ヨハンの意識が戻ったのはちょうど、俺が朝市から帰ったタイミングだったようだ。
街から帰ってみると、屋敷の者が皆、上から下へバタバタ駆け回っていたので聞かずとも分かった。
他のことなら人が集まる場所は控えるのだが、今回ばかりはさすがに俺も様子を見に行かないわけにはいかなかった。
二日ぶりに目覚めたヨハンは最初は意識が朦朧としていたものの、やがて記憶が蘇ってきたらしく、ぽつぽつと父母の質問に受け答えを始めた。
マルドゥークに再試合を申し込んだこと、わがままを言ったのは自分であること、水魔法を放ったのは自分であることを証言し、口を噤んでいたマルドゥークもようやくそれに同意した。
ドーソンは渋い顔をしていたが一応なり納得したようで、今回の件は双方不問にするということで話し合いは終わった。
フィオレットからのどうしてもという頼みから、結局修繕費はグラスターク家持ちとなったようである。まあ彼女の側にも体裁というものがあるのだろう。
ともあれ、初めは手足の痺れを訴えていたヨハンもさらに一日休むと起き上がれるようになり、今はこうして歩き回れるようにはなっている。それでも使用人らからは、あまり無理をしないよう咎められているようだが。
(同じように俺が寝たきりになった時と周りの心配度合いがあまりにも違うことについては何も言わなかった)
「フィオレットがこれから帰るみたい。兄様も見送りに行く?」
「……ああ、そうなのか。今回は少し話す機会もあったし、顔を出しておこうかな」
「うん、フィオレットも兄様の話をしてたよ。友達になれてよかったって」
「友達……とは違うと思うが……、まあそれなら尚更見送りはしないとな」
「そうだよ、行こ行こ」
「ちょっと待ってくれ。今着替え終わるから」
俺はそう言いながら、鏡を探し最低限の身嗜みを整える。
ふと、鏡の向こうのヨハンが小さな声で言った。
「あの……、兄様、その…………ごめんね?」
「んぁ? なんだ急に」
「部屋、僕のせいで移ることになったでしょ?」
ヨハンはやや俯きながら、家具の配置が随分変わってしまった新しい部屋に目線をやる。
「それならもう気にしてないと言ったろう。俺にとって収穫もあったし、お前も俺も無事なんだ。なんの問題がある」
俺はそう言ってもはやすっかり慣れてしまった新しい部屋を見渡す。
ベッドも書棚もある。机も椅子も用意した。なんの過不足もない。
「で、でも、もし兄様が部屋にいたらまた怪我をしてたかもしれないし……、それにせっかくの兄様の書き留めたやつとか台無しになっちゃったから」
「心配するな。所詮あれは本の内容を取りまとめて、俺の予想を付け加えたものにすぎん。内容のほとんどもうはここに入っている」
そう言って俺は頭を人差し指でトントンと叩いて見せた。
「真の研究はここから――、いや、ひょっとするとそうだ、今日からかもしれない。そういう意味では絶好のタイミングだったとさえ言える」
「……真の研究が今日から? 今日、何かあるの?」
「街に行ってみないと分からんが、首尾よく行っていればな」
「え? 兄様、今日街に行くの?」
ヨハンは俺の言った『街』と言う部分に強く反応し、とたんに目を輝かせ始めた。
「ああ。夕方にでも行こうと思っている」
「え!! 僕も行く!! 街!!」
「まあ別に構わ…………、いや、待て。よくよく考えると、病み上がりのお前を連れて行くのはよくないんじゃないのか?」
「大丈夫だよ、何言ってんの! この通り元気満タンだよ、見てよ! びゅっ! びゅっ!」
「いや、まだ少し気だるいとさっき……」
「今治ったんだよ! 逆にここ三日は外に出してもらえなくて大変だったんだ! あ! それに兄様、僕を見捨てて一人で祠にいったでしょ!? あの埋め合わせをしてもらわないといけないんじゃないのかな!?」
「いや、あれは別に見捨てたわけじゃない……。
……はあ、仕方ない。俺は連れて行ってもいいがその事で責められるのはごめんだからな」
「大丈夫だよ、バレなきゃいいんだって、バレなきゃ」
「お前その考えでマルドゥークと落ち合って、寝たきりになったんだからな……?」
俺が四日前の件で全く痛い目を見ていなさそうな弟を冷ややかに見るが、ヨハンはそんなものどこ吹く風だ。
「じゃあ予定早めてさ、フィオレットを見送ったらさっさと行こう! 時間が余ったら買い物でもすればいいんだし! ね?」
「自分の許嫁にその言いぶりはどうかと思うぞ、お兄ちゃんは――」
ヨハンはもはや俺の言葉さえ耳に入っていないようで、俺の手を引いて玄関の方へと向かい始めるのだった。
〇
「重ね重ね、この度は申し訳ございませんでした。ドーソン様」
フィオレットが馬車を背に、改めて深くお辞儀をする。後ろのマルドゥークも当然それに倣う。
「フィオレット様……、申し上げました通り、今回の事はヨハンの我儘が引き起こしたことでもあるのです。むしろご迷惑をおかけしたのはこちらなのですから、もうお気になさらぬ様に」
「いえ、父からも重ねて謝罪をしておくようにとの手紙がございました。修繕費につきましては必ず当家で支払わせていただきます。また此度の借りは他の形でお返しいたしますわ」
「参りましたな。当家はグラスターク家とは対等にお付き合いをさせていただきたいのです。貸し借りのお話など無粋でしょう、これからも変わらぬご交誼のほどをお願いいたしますよ」
「そう言っていただけると助かります」
フィオレットはようやく頭を上げ、柔らかな笑みを見せた。
「それではヨハン様、お邪魔いたしました。なにとぞお体にはお気を付けください。元気になられましたら、今度はグラスタークへ来てくださいませ。最大限のおもてなしをさせていただきますので」
「うん、分かった。またね。あ、マルドゥーク」
ヨハンはフィオレットに微笑みを返した後、背後のマルドゥークを見る。
「はい、何でございましょう」
「今回は巻き込んじゃってごめん。でも楽しかった、またちゃんとした場でやろう」
「とんでもないことでございます。またお手合わせできる機会を、マルドゥークも楽しみにしております」
「それとあの約束、僕忘れてないからね」
ヨハンが少しいたずらっぽく笑い、そう言う。
するとマルドゥークは少し驚いた顔をした後に、目を細めて笑って言った。
「約束……、ええ、左様でございますね。ふふ、負けるのが楽しみと言うのは、なかなか珍しい感覚でございますが」
実力を出し合った二人にしか分からない空気感に、フィオレットは何となく疎外感を感じている表情。母エリアも復調したばかりのヨハンがすぐに再戦の約束を取り付けていることに渋い顔で、ドーソンなどはマルドゥークを少し睨んでさえいたが、さすがに口出しはしないようだ。
フィオレットがそんな中、俺に顔を向ける。
「ロニーお兄様も、是非ヨハン様と一緒にいらしてくださいね。グラスタークにはまだお越しになったことがないでしょう?」
「……そう言えばそうですね」
「絶対来てください? 約束ですよ? ロニーお兄様にもご迷惑をおかけしたのですから、おもてなしさせていただかなければ」
「いえ、フィオレット様には俺の方が助けられたではないですか」
「あらそうでした。ではお礼をしにいらしてください」
フィオレットはそう言ってコロコロ笑う。その無垢な笑顔に、俺からも自然と笑みがこぼれた。
彼女はそれから二言三言交わしたのち、すでに仲直りをしたのだろうマルドゥークの手を取りながら、馬車に乗って屋敷を後にしていった。
その背中を見送った後屋敷へと引き返す父母と使用人らの中、俺の袖を引っ張るものがあった。もちろんヨハンである。
ヨハンは満面の笑みを浮かべながら、無言で「さあ、街へ行こう」と訴えていた。
〇
俺が店を訪れると、店の奥から坊主頭の初老の店主がのっそりと顔を出した。
そして俺の顔を見て「ああ、来たか……」と言いながら唇を歪ませる。
俺が訪れたのは街の一角にある工芸品店のひとつだった。
「どうですか、進み具合は」
「ううむ、出来てるにはできてるが……、果たしてこれでいいのかどうか……」
「見せてもらっても?」
「じゃあ入って確認してくれ」
俺が店主に続いて店に入ると、ヨハンも首をかしげながらくっついてくる。
「工芸品店…………? 何で兄様がこんな所に?」
扉をくぐって店に入ると、四方に設えられた棚に皿やガラス細工、皮の装飾品などが並べられている。
まだ午前中という事もあり店の中に客はいない。だが、並べられた商品は俺から見ても手が凝っておしゃれな物が多く、よく分からないが女の子などはこういうのが好きなのではないかと思う。
よく分からないが。
店主をしている坊主頭の男の名はルノルガ。
表情に乏しくやや強面で、俺を伯爵家子息と知りながらなお平時の態度を崩さない彼は、俺の無茶な依頼を引き受けてくれた唯一の人物だ。
他のめぼしい工芸品店にも同じ依頼を持ちかけたのだが、ごくつぶしのロニーがよく分からない注文を持ってきたという事で門前払いするところがほとんどだったのだ。
依頼料さえ余分にもらえればという前提ではあったが、この街に依頼を受けてくれる店がないと、別の街まで行かなければいけないところだったので素直にありがたかった。
店舗部分の奥に進むと案外広い工房がある。
工房は土の床で一番奥にかまどがあり、裁断機や作業台などが乱雑に並べられている。陶器もガラス細工も全て製作はここで賄っているらしく、しかも全てルノルガ一人で行っているのだそうだ。
そんな工房の作業台の一つに、透明なガラスで作られた容器らしきものが複数並べられていた。俺はそれを見た瞬間、かつての記憶がよみがえり思わず感動をしてしまった。
「おお……!」
「貰った図面通りにはなっていると思うが、ガラスの厚さなんかは若干儂の独断で作った所がある。気に入らない所があれば言ってくれ」
「拝見します」
俺は頷きながらそれらを手に取る。
「何これ? どれも見たこともない形してるけど……、兄様はこれを頼んでたの?」
「ああ」
「何に使うために?」
「もちろん研究に決まってるだろう」
そう、俺が頼んだのはいわゆる『実験器具』と言うやつだ。
ビーカー、フラスコ、試験管、スポイト、シャーレ、砂時計――その他アルコールランプ用の容器や、鉄製の三脚台、ピンセットなども依頼した。
これらはこの世界には存在しないものだが、技術力を考えれば十分用意できるだろうと考えたのだ。
俺は試験管の一つを摘まみ、窓から刺す光にかざす。
透明なガラスに光が走るそれは、科学者の頃に見たものととても良く似ている。この工房で手づくりしたとは思えないほど、曲線や直線なども図面に描いたとおりである。
おもえば十数年ぶりの再会となることに気付き、胸の奥から熱いものがこみ上げるような感覚さえあった。
「こういう模様入りの皿を焼いてくれとか、こういうデザインのガラス細工を作ってくれって言う依頼はたまにあるけどな、ここまで正確に長さや口の大きさを指定されるってのは珍しいな。正直何度か造り直したよ」
「ああ、素材費などは足りましたか? 必要なら追加料金を用意しますが」
「馬鹿言え、あれで素材費が足りないなんて言ったら俺は工芸屋を引退する。一か月は店を閉めても十分な程貰ったんだからな。それで――」
ルノルガは腕組みをしながら、台の上を一瞥した。
「これでいいんだな?」
「ええ、完璧です。大満足ですよ」
「そうか、そりゃ結構だ。じゃあとっとと持って帰ってくれ。儂は慣れない作業でくたびれたから今日は寝る」
ルノルガは俺がオーケーを出したことに納得して、大きなあくびを漏らしながらのびをした。
これだけ丁寧な仕事をしてくれているのだ。もしかしたら夜遅くまで作業をしてくれたのかもしれないと思うと、尚更ありがたみがわいた。
「本当にありがとうございました。……あ、最後に一つお願いなのですが」
「……あん? 完成品には納得したんじゃなかったのか?」
「ああいえ、文句ではなくお願いです」
「なんだ」
「今後もこういったものが必要な際は、またルノルガさんにお願いをしてもいいですか? お恥ずかしい話、他の店では依頼さえ受けてもらえなくてですね」
「? …………ふん、そういう事か。ばかばかしい」
ルノルガは俺の言ったことに、あきれたようにため息を漏らした。
「相応の金さえ貰えれば儂は仕事を引き受ける。今までもこれからもそれは変わらん。お前が領内でダメ息子と噂されていることなど儂にまるで興味がない」
「ちょ、ちょっと、兄様はダメ息子じゃあ……!」
「いい、ヨハン」
ヨハンが俺の評判の部分に対して過敏に反応するのを手のひらで制する。
俺がそう噂されていることは事実だし、ルノルガはそこが言いたいのではないと分かるからだ。
「分かりました、ではまた次回からもルノルガさんにお願いをさせてもらいますね」
俺がそう頭を下げると、ルノルガは無表情のまま小さく顎をしゃくった。分かりにくいが、彼なりの同意と受け取ってよいのだろう。
「…………ちなみにだが」
「?」
「よほど複雑なものでない限り今回ほどの金はもう取らん。今回作ったものなら大体作り方は覚えたからな」
「それは助かりますが……、それを言わない方が俺から金はとれたのに」
「毎回こんなに貰ってみろ、働く気がなくなるだろ」
「――――はは」
ルノルガはそう言い残して、工房の階段から上の階へと上って行った。
最後に少し口の端が持ち上がったように見えたのは、きっと気のせいではなかったろう。
俺は三日前に会った骨董品店主パテとその背中を重ねていた。
おべっかを使いながら裏で金をむしり取ろうとした男、ぶっきらぼうだが確かな仕事と正当な料金を求める男。
どちらがより信頼に値するかなど、馬鹿でもわかる。
この世界では人を見る目が求められる。
世間知らずだったロニーにはいい経験になったのだろうと思いながら、俺とヨハンは机の上の実験器具を布に包み、店を出たのだった。