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36.杞憂


「ふわぁあ」


思わず欠伸が一つ漏れて、俺は慌てて辺りを見回した。

ヴォルークとノノは中央の席で歓談、その背後にベルナール、奥の席にバルドーアとロズヴィータ。そのほか、両国のお偉方が話忘れたことはないかと忙しそうだ。幸い、俺の漏らした欠伸を見咎める者はいなかったらしい。


背後、裏手へ通じる舞台袖に目を向ける。

ヨハンが出て行ってしばらく経つ。その間、すれ違いでアニカが戻って来るという事もなく、俺はノノの様子だけを窺い、席に一人座ってただ待っていた。

待ち遠しい、早く終われと願えば願うほど時間の流れは遅くなる。

行き交う人々の動きはスローモーションになり、会話もぼうぼうとしてよく分からない。


相対性理論だ――。


かのアインシュタインは相対性理論を説明する際、こう言ったとされている。

『ストーブの上に手を置くと1分が1時間に感じられる。しかし、綺麗な女の子と座っていると1時間が1分に感じられる。それが相対性である』と。

無論、世界を流れる時間は一定で、1分はあくまで1分である。

しかし、時間の概念は主体となる観測者によって変わる。これは感覚的に真実だ。

退屈な授業は無限に感じられ、眠っているとき間違いなく時間は飛んでいる。


4年前、階段から落ちたときのことを思い出す。

際限なく時間が引き延ばされるような世界、全神経が研ぎ澄まされる感覚。16年間の思い出がフラッシュバックし、絶望と諦めが同時に襲ってきた。


実時間にすれば1、2秒だが、あの時たしかに時間は圧縮され、それを知覚していたと思う。

生命活動の停止という圧倒的危機に瀕した時、脳が最大限まで活性化して、生きるための方策を模索する――、それが走馬灯であるという話を聞いたこともある。脳科学的な見地から見ればそのように、超感覚ではなく論理で説明がつくことなのかもしれない。どれほどの根拠があるのかは分からないが、事実そういう事が起きていたのだろうと実感する部分もある。


しかし反面、論理で説明が出来ない部分もあるのでは、と思う自分がいた。

それは魔法という不可思議な現象を解き明かす上でも思ったことだ。科学はあくまで世界を切り取るためのツールで、万能な訳ではない……。


いや、その言い方は正確じゃない。

科学以外の視点を一切認めない科学者は、むしろ科学者失格なのではないか。

そう考えるようになったのだ。



ノノの語った『予感』は、根拠のない非科学的なものだった。

イコール、気に留める必要のない戯言だ――。

そう切り捨てるのは容易い。

容易いはずなのに。





「ヨハン・F・ナラザリオ」


サーベージ・ドノバンが暗闇から一歩足を出し、月明かりの下に姿を晒した。

ただそれだけの所作に迫力があり、僕は思わず身構えてしまう。


「何か用か」


じり、と足下を鳴らしてサーベージが問う。

僕はハッとして、視線を横にずらした。


「ローレン・ハートレイ殿より、案内係のアニカさんという方を探してくるようにと言いつかりました。そちらの女性がそうではないかと思ったのですが」


「……成程」


サーベージは納得の声を漏らして、後ろを振り返った。

半歩前へ出たアニカさんは物静かそうで綺麗な女性だった。紫色の髪は月光の明かりと相まって不思議な色で光っている。


「心配をおかけいたしまして誠に申し訳ございません。少々、荷下ろしに手間取っておりました。至急戻ると、そうお伝えいただけますでしょうか」


アニカさんはそう頭を下げた後、視線で大量の荷馬車が並ぶ方向を見た。

どれが例の水晶を運んできたものかは分からないが、夜の離宮裏手がこれだけ混んでいれば手間どりもするだろう。

兄の心配は杞憂だったのだ。


「すぐにと伝えていいんですね?」


「はい。晩餐会の終了までには必ず」


「分かりました」


用件はあっけなく終了し、いっそ拍子抜けなくらいだった。

ともかくこれ以上話す用事もないのでと思い、踵を返――そうとしたところで、サーベージの腕が俺の肩を掴んだので、僕はぎょっと身を固めた。


「私も戻ろう」


「――は」


僕は言葉の意味が分からず眉をひそめた。

しかし、サーベージは表情も変えずに言う。


「ちょうど用が終わったところだったのだ。何か問題があるか?」


「……いえ、勿論、構いませんが……」


「アニカ、出来る限り速やかに水晶を大広間へお持ちするように」


「かしこまりました」


そうとだけ伝え残して、サーベージはすたすたと歩き出した。

僕はその背中を追いかけるようについていく。いや、さっさと来いと背中が語っていた。

奇妙な気分だった。実際、ハイドラ黒狼軍副将とマギア王国騎士団員見習いが並び歩いている様子は傍目から見ても奇妙に映るらしい。すれ違う黒狼軍団員はどこか探るような表情で敬礼をよこしていた。


コツコツ、という二人分の足音が石の廊下を叩く。

サーベージ・ドノバンは基本的に無口で、必要最低限のことしか話さない。一緒に歩いていても、同じ方向へ向かっていても、僕たちの間に会話はなかった。


本当に何てことはないお使いだったな、と思う。

僕が来ても来なくても、アニカさんが戻るタイミングは変わらなかったらしいことを考えれば、無駄だったと言ってもいい。

まあ別に構わない。

大広間に戻り、あと数十分もすれば晩餐会が終わる。

此度の遠征における全てのイベントが消化されたことになるのだ。

騎士たちは演習場へ戻り、酔いで満たされたまま眠って、明日の朝の出発を待つのみ。


馬車に乗り、船旅を経た先――、遠いマギアの事を思う。

魔術学校の学長から急遽言い渡されたハイドラ遠征は、確かに学園では得られない学びを与えてくれた。勿論、本人たちさえ意図しない再会を見越していたはずもないが、願っても得難い機会となったことは間違いない。

精霊の導きなどと言えば、兄は首をかしげるかもしれないが――、


「お前は何番目だ」


「え」


僕はそれが自分に向けられた問いだと、すぐに気が付かなかった。しかし前を歩いているサーベージが歩調を落として、かすかに振り返っている。

そして、先の問いに重ねるように言い直した。


「お前の魔術は、マギアで何番目だ」


「!?」


僕は思わず足を止め、サーベージを見返す。

何だ? どいう意味だ? いや、意味は分かる。しかし、それは考えたこともないような突飛な質問だった。

何を答えるべきか、何と応えるべきか――。何故、そんなことを尋ねるのかが分からない。

サーベージは動揺する僕をしばし眺めて、ふっとかすかに吐息を漏らした。


「純粋な興味だ。殿下も大層褒めておいでだった通りに、先の試合は素晴らしかった。一対一の睨み合いという状況において、あれほどの水準に達している者は両国合わせても相当限られるだろう。その上で聞いてみたい。マギアにおいて、魔術でお前に勝てる者はどれほどいるのかを」


「ま、魔術で、ですか」


「ああ」


急に饒舌になったサーベージに驚きつつ、立場上、問われたことには答えなければならない。

僕は少し考えてみる。

自分が魔術師としてどの程度の立ち位置にいるのか。


神童ともてはやされることは嫌いだったが、僕は僕自身が優秀であることを自覚している。僕はたしかに魔術に優れている。魔術学校での授業を経て自分と同年代の者たちの実力を知っている。今回の騎士団同士の演習を見て分かったこともある。

しかし――、


「せっかくお褒めいただいたのに申し訳ございません。騎士見習いとして配属されてまだ日も経っていない身分では、お答えが難しい質問かと存じます。氷魔術に関しては騎士団の中でも上位だろう、それゆえに参加を認められたのだろうと推測しますが、魔法の属性はそれだけではありませんので」


「……そうか、そう言えばまだ騎士見習いという話だったか」


「は、はい」


サーベージは僕の答えを受け、顎を撫でながら「さすが魔法大国だな」と呟いた。

一見感心している風に聞こえる。しかし、無表情なサーベージの横顔は、褒めそやしたいわけでも、皮肉を言いたいわけでもないように見えた。ただ事実を事実として認識しているだけ、という感じなのだ。

サーベージはひとしきり考え込んだ後、ふと顔を上げて言う。


「では、ローレン・ハートレイについてはどうか」


「――ロ、ローレン殿でしょうか?」


「あの男は実力の半分も出していない。まさしく氷山の一角。あの底知れなさは、そう…………」


そこまで言ってサーベージは言葉の続きを飲み込んだ。

返答を求めるようにこちらをじっと見つめている。

僕は首を振った。


「そ、それこそ到底分かりかねます。自分はたった一度、手合わせをしていただいただけです」


「実際に相対した者にしか分からないことがある。少なくとも、氷魔法しか使わないという制約を負っていたことは気付いているだろう」


「……! それは、確かに……」


サーベージは、僕が表情に出す驚きや戸惑いをじっと観察するように、薄暗がりの中からこちらを見ている。

その様は、この男には感情というものが備わっているのだろうか、と心配になるほど温度がなかった。


「氷魔術、という一点に絞れば両者は互角に近かったかもしれない。しかし、かのダミアン・ハートレイに並び立つと噂される魔術師がそれしか使えないとは考えられない。お前はどう思う」


「見ていないのに、どう思うも何も……」


「いや、お前ほどの実力者ならば、感覚的な部分で何か感じ取るものがあったのではないか?」


それは、案外的外れな質問でもないように思った。

自分がそうだから分かる。2属性以外扱える魔術師というのは、1属性のみの魔術師に比べて戦い振舞い方が違う。脳内に常に複数の選択肢があり、即座に切り替えられるように準備をする癖がついている。


僕が知っている4年前の兄様は、たしかに水魔法、および氷魔法しか扱っていなかった。しかし、今日相対した兄様からはそれ以外の魔術の気配を感じた。

具体的にそれが何かは分からない。だけれど、今まで聞いた功績や噂話を複合すればなんとなく見当がつくものもある。

サーベージはきっと、そういった解答を求めているのだろうと思った。


ごくり、と一つ唾を飲み、僕は言う。


「買いかぶりです。それこそ、会場にいらっしゃるのですから、直接お尋ねになられてはいかがでしょうか……」


しばしの沈黙が流れる。

言いようのない、居心地の悪い沈黙だった。

足元を吹き抜ける冷気が、服の隙間から僕の体をよじ登った。


「…………」


やがて、サーベージは身を引き、「お前の言う通りだな」とだけ呟いて、再び大広間への道を歩き始めた。





どこかで鍵の締まる音がした――。


そう思ったのは、ヨハンが戻ってしばらくのことだった。アニカに会い、すぐ戻るという伝言を持ち帰ってきた弟は、会が間もなく終わるからと言って騎士団員たちのいる広間の方へ降りて行った。

驚いたのは、ヨハンが黒狼軍副将サーベージ・ドノバンと一緒に帰ってきたことだった。理由を聞いても、ヨハンも首をかしげていた。


ともあれ、お使いを徒労に終わらせてしまったことを申し訳なく思いつつ、俺は水晶を待つことにした。晩餐会の終了までもうあと30分ほどだろうか。会場の盛り上がりを見れば、すんなりお開きになるとはとても思えなかったが、ノノや俺が部屋へ戻る許可は下りるだろう。

改めて、ノノの横顔を窺う。同じように安堵を抱きつつあるのか、ヴォルークの横で相槌を打ちながら微笑む彼女の頬には、やや血色が戻っているようにも見えた。


と、そこで――――、

2人の背後から近寄る影がある事に気が付いた。

つい先ほど戻ったばかりのサーベージだ。

背の高い銀髪隻眼の武将は、ヴォルークの左耳に口元を近づけて何かを耳打ちをしたようだった。


するとヴォルークの表情がふっと消え、静かに立ち上がる。

そして何も言わずに、向かいの舞台袖へと姿を消した。


その一連の動作があまりにもスムーズだったので、俺は一瞬、この会の主賓が消えたということに違和感を感じなかった。

おかしいと気付いたのは、背後に控えていたベルナールがノノに近寄ったあと、こちらへ不思議そうな視線を向けたからだ。その様子からは、ノノも耳打ちの内容が聞こえなかったことが分かる。


「なんですか?」


「いや、分からん。急用にしても、いささか様子がおかしいように思ったが」


だからと言って、追いかけるのも不自然。

俺たちは何だろうと訝しく思いながらも、この場で待つことしか出来ない。



果たして、ヴォルークはすぐに会場へ戻ってきた。

5分程度の短い離席だった。サーベージも一緒であることを確認した俺は、同時に、アニカも姿を見せたことに気が付いた。


水晶について、やはり何かあったのだろうか。


……いや、だとすればおかしい。

アニカの手には何も持たれていない。彼女は水晶を持ってくるように命じられ、荷下ろしに手間取って、ようやく戻ったのではないのか。

俺は眉を顰める。

しかし彼女はこちらを見ようとしない。

嫌な予感が――――、



ドン!



と鈍く大きな音が会場に響いた。

騒がしかった会場が、噓のように静まり返り、全ての視線が壇上へと注がれる。

つまり、床を叩き鳴らしたヴォルーク・H・アフィリオーへ。


ヴォルークは席に座らず、ノノの横に立って会場をゆったりと見まわした。

ぞわりとした悪寒を感じたのは、きっと俺だけではないはずだ。ただならぬ気配がヴォルークの体から迸っているのが分かる。


身に力が入ったのは、本能的な何かのせいだ。そしてそれは王国騎士団員のみならず、ハイドラの黒狼軍団員たちも同様らしい。

巨大な黒い狼がのそりと起き上がり、こちらを睨みつけているような光景が脳をよぎった。だとすれば狼の瞳に映るのは何だろうか。


ヴォルークが、唇を開き、歯を覗かせた。

そして静かにこう言った。








「サバーカ・H・アフィリオーが殺された」



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