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31.ここで働け


いつにも増して上機嫌だな――、と私は思いました。


演習場から帰る馬車でも、王宮へ帰ってきた後も、ヴォルーク王子の口数は多く頬も緩みっぱなしです。以前、遠乗りに同行した時、森の洞穴で特別大きな猪を仕留めたことがありましたが、その時にもこれほどではありませんでした。

さぞ、先の魔術試合がお気に召したのでしょう。


実際のところ私も、あの氷魔術の応酬には驚嘆し、息を呑みました。

感動したと言ってもいいかもしれません。

あのような戦いを見たのは初めてでした。本来争いには必ず付き纏うはずの血生臭さや泥臭さはなく、鮮烈さと美しさのみがそこにはあったのです。


果たしてローレン様が実力の何分の一を見せたのか、到底計り知ることは出来ませんが、相対する見習い騎士も称賛に値することは明らかでした。氷魔術を扱うレベルを見ても、かのローレン・ハートレイと戦わなければならないという責務を考慮しても、彼は極めて優れた実力を示しました。

よく聞けば今年魔術学校に入学したばかりとのこと。18で王都最高魔術師に任じられたダミアンを初めて見た時のことを、想起せざるを得ませんでした。


何はともあれ――、ヴォルーク王子の喜びようを見れば、昨晩に取り交わされた『満足のいく見世物を用意する』と言う交渉条件が達成されたことは間違いありません。


急遽変更された演目、その上で誰もが納得のいくような魔術を披露してみせたのです。挙句、怪我をしないようにという私との約束もしっかりと果たして見せたのですから、先進魔術研究室室長――、氷魔術発見の第一人者――、ローレン・ハートレイに懐疑的な目を向ける者はもはやいないでしょう。


私はそこまで考えて、不意に小さな笑みを漏らしてしまいました。

きっと今回のことを本人に聞けば、運がよかっただけだと謙遜をするに違いないと思ったからです。

ローレン様は本当に不思議な雰囲気の人物です。あれほどの実力を有しているのに、対面して話せばただの柔和で穏やかな男性なのですから。



「――父上、ノノを連れて参った」


私の数歩先を歩いていたヴォルーク王子が、黒く大きな扉を見上げながら言います。

少しの静寂の後、くぐもった声が聞こえ、扉の片側がゆっくりと開かれました。


演習場での観戦を終えた私たちは、離宮ではなく、その隣の宮殿に足を運んでいました。サバ―カ・H・アフィリオー現王が居所とされている場所です。

妃を亡くし、息子を亡くし、娘たちを他国へ嫁にやってからは、この広い宮殿敷地内に肉親はヴォルーク王子ただ一人。

そのヴォルーク王子も生活のほとんどを離宮で過ごしておられ、お二人が顔を合わせる機会は驚くほどに少ないのです。


「――失礼いたします」


まだ夕暮れ前だというのに、部屋の中はひっそりと薄暗い様子でした。

大きな窓が設えられているにもかかわらず、分厚いカーテンが引かれているからです。

広大な部屋の奥でぽつりと灯る暖炉の火だけが、唯一の明かりとなっていました。


暖炉の手前の揺り椅子に座った人影が、こちらを振り返り、両手を挙げました。


「――おお、ノノ王女。遠路はるばるようおいでなさった。昨日はせっかく訪ねていただいたのに申し訳ない」


以前お会いした時よりも、白髪が増えて皺も深くなったように感じられました。

かつてはヴォルーク王子同様に野山を駆け回っていたサバ―カ王も、御年75を超えて体の衰えが顕著になり、一日の半分を寝て過ごすようになったのだそうです。

昨日、私が王宮に到着した際に挨拶が叶わなかったのもその為でした。


「いいえ、とんでもないことでございます。本日のご気分はいかがですか」


「はっは、幸い今日は腰の痛みもなく具合がよくてですな」


「それは何よりでございます。今年の冬は冷えるそうですので、国王様に置かれましても体を冷やされませぬよう」


「ええ、ご覧の通り暖炉にしがみついて、本など読んでおったところです」


耳元で少し言葉を強調させるように言うと、サバ―カ王は目元のしわを深くして微笑まれます。揺り椅子の横――、小さなサイドテーブルには、茶色の装丁の本と水の入ったグラスが置かれていました。


「演習の方はいかがでしたかな」


「とてもよい演習でございました。既に氷魔法の一端を扱えるようになった軍団員の方もいらっしゃると聞きました」


「そうですか、それは素晴らしいことだ。ぜひ氷魔法は死ぬ前に一度――――、失礼。……お帰りは明日の朝と聞きましたが」


「はい、左様でございます。朝早くに馬車に乗って港町へ」


「であれば、別れの挨拶もままならないかもしれませんな。マギアはこちらよりもなお冷えるでしょう。ノノ王女もお体にお気を付けを」


サバ―カ王は申し訳なさそうにそう言った後、首を右に振り、やや離れて場所に立っていたヴォルーク王子に顔を向けます。


「ヴォルーク、くれぐれも大事がないように、ちゃんと送り届けなさい」


「……言われるまでもない」


「今夜は離宮で晩餐会を執り行うのだろう」


「――――何だ。顔を出される気になったのか? ならば席を用意せねばならんが」


ヴォルーク王子が少し意外そうに眉を上げました。

その言葉には驚きに混じって、面倒だから来るなというニュアンスも含まれているように思われました。

ハイドラではすでに行事のほとんどをヴォルーク王子が担うようになっており、サバーカ王が参席されるのは本当に重要なものだけ。王宮関係者もそういう予定で既に用意を始めているので、色々と予定に狂いが生じるのでしょう。


サバ―カ王は考えるような間の後、下を俯くように首を振りました。


「……いいや、この老いぼれには離宮に赴くだけでも骨が折れる。若い二人の邪魔をするつもりもない。ただ――」


サバ―カ王は、ちらりと私に視線を向けて言います。


「残りあと何度機会があるか分からぬ。一度、ノノ王女と話させてもらってもよいか」





離宮に到着し、ベッドに身を倒すと、どっと疲れがのしかかってきた。

身体的な疲れもさることながら、精神的な疲れの方が深刻だ。目を瞑れば、あっという間に意識を手放してしまいそうになる。


本音を言えば、このまま欲求に身を任せて眠ってしまいたい。

しかしあれだけ盛大に魔法を披露しておいて、晩餐会を欠席するわけにはいかないだろう。またぞろ質問攻めに合うか、はたまた氷魔法の実演を催促されるか。

なんにせよ面倒だ。適当なところで酔ったふりをして退散するなら一応の言い訳となるだろうか――、


などと目論んでいるところへ、ふと、ひそひそとした話し声が耳に入ってきた。


ノノ王女と同等とは言わないが、俺も一応なり客人扱い。

そこそこいい部屋をあてがってもらっているので、隣の部屋の会話が聞こえているわけではないだろう。

俺は寝転んだまま首を左右に振って、その声の正体が、どうやら扉のすぐ向こう側でなされている会話だということに気が付いた。


「……?」


しばらく待ってみたが、ノックがされる様子も、扉の前から立ち去る様子もない。

俺は身を起こして、耳を澄ましてみる。


「いつまで――――、もう僕は帰――、勝手に――」

「バカ、――――にしないで――、今ノック――――」

「――――、そもそもなんで僕が――」


扉の目の前で何やら男女が二人で話しているようだが、詳しい内容までは分からなかった。しかしこのまま放置するのも気が休まらない。

俺は少し迷った末、こちらから扉を開けてみることにした。


「あの……、何か用ですかね……?」


「!!」


瞬間――、扉の向こうにいた人影が転げ、派手な音がしたので驚いた。

ぶつかったわけではないようだが、俺は思わず駆け寄る。


「だ、大丈夫ですか?!」


「ろれっ、あばばばばば! だ、だだ、大丈夫だからッ!」


「…………あれ、貴女は……」


尻もちをつきながら首をブンブンと振るのは、灰色の髪をした小柄な女性だった。


目のすぐ上でまっすぐと揃えられた前髪、濃い隈の刻まれた吊り目、口の端から覗く八重歯。そして身にまとった鋼の甲冑。

どうして見覚えがあるのだろうかと、俺は首を捻る。


「……ごめんね、騒がしくして。一人じゃ不安だからって付いてきたんだけど、なんだか扉の前で尻込みしちゃっててさ」


そう横から現れたのは、左頬に縫い傷を持つ大柄な男――、つい先ほど行われた魔術試合で開始の合図を行った、黒狼軍軍団長バルドーアだった。

そこで俺は気づく。先ほど両軍が一堂に会した場面で、この女性がバルドーアの横に並んでいたのを見たのだ。何となく見覚えがあるわけだった。


灰色の髪の女性はほこりを払いながら立ち上がる。

そして、ゴホンと誤魔化すように咳払いをしてから、改めて名乗った。


「し、失礼した。黒狼軍軍団長のロ、ロズヴィータ・インゲボルグだ。その、なんだ、えーと、お疲れのところ急に訪ねてしまって申し訳なく、本日は、先ほどの、演習での氷魔法、非常に、感動を受けて、ん? 感銘を? 感激を……」


しかし明らかにろれつが回っていない。

すかさず横からツッコミが入る。


「もう……、何言ってるか分からないって。ちゃんと喋らないと、ローレン殿が困ってるじゃないか」


「うう、うるさい黙ってろ! きょ、今日は乾燥して口が回らないんだよ!」


「別にいつも通りでしょ」


「ならお前が代わりに説明しろ! せっかく付いてきたんだからなんか役に立て!」


「はあ? なんだよ、めんどくさいなあ……。こんな子守にかまけてる時間ないんだけど……」


「こ、子守だと、貴様! 身長のことをいじったら殺すと言っただろ! ちょっとでかいからって馬鹿にしやがって、独活の大木め!」


「どちらかと言うと、身長よりも精神年齢の話なんだよなあ」


「…………ええっと……?」


急に訪ねて来たハイドラ軍の最高戦力2人。そして目の前で繰り広げられる謎のやり取りに、俺の頭の周りを疑問符が飛び回る。

そんな俺に気付いたバルドーアが、ロズヴィータを後ろに押しのけるようにしてから頭を下げた。


「ごめんごめん。ええとね、うちのこのロズヴィータが、ローレン殿が披露した魔術試合にとても感銘を受けて、好きになっちゃったから挨拶に来たんだって」


「――――す、好きに――?」


とんでもないことを、何でもないことのように言ったバルドーアに、俺の頭の疑問符が驚きで吹き飛ぶ。しかしバルドーアの背後から響く大声が、その驚きをさらに吹き飛ばした。


「ババ、バルドーア、てめぇ!! 何言ってんだ! 何言ってんだお前ェ!! だだ、誰もそんな事言ってないだろ!!」


「あれ、違うの?」


「全然違う!! マギアの優秀な魔術師に一度挨拶しておきたいって、ただそれだけだろうが、馬鹿!! 変な勘違いされたらどうすんだよ!!」


「え~? でもロズヴィータ、普段から強い男が好きだってよく言ってるじゃない。試合中にも目をキラキラさせて『カッコよくない? カッコよくない?』って言ってたじゃない。挙句の果てには『国際結婚ってどう思う』って言い始めてさ――」


「ま、じで今日こそ殺してやる、てめえをッ!!」


涙目を浮かべながらロズヴィータはバルドーアに掴みかかる。しかし巨体に見合う長い腕で首元を掴み上げ、猫のように吊るしてしまう。

2メートルはある巨漢のバルドーアが、150にも満たないほどのロズヴィータの拳を諌める様子は、どつき漫才でも見ているかのようだ。


ロズヴィータがバルドーアの胸を押し、後ろに押しのけて言う。


「――ゴホン、この馬鹿の言ったことは忘れてくれ。えーと、とにかく何が言いたいのかっていうと、アンタの氷魔法はすごかったってことだ。正直見くびってた。しかも、多分アンタはまだ力の全部を見せちゃいないだろ?」


「――――」


「ああいや別に探り入れようってんじゃないんだ。アタシはほら、タッパも足りねえ、腕力も足りねえからさ。ほとんど魔術だけでここまで来たんだよ」


「な、なるほど」


「だからアンタの戦い方にはすごく共感できた。要は戦い方次第、発想次第で、ここまでの戦いを演じられるって再認識できた。アンタの魔法はすげえ」


ロズヴィータは照れ臭そうではありながらも、実直な賞賛の言葉を述べる。

俺は思ってもいない方向からの賞賛に少し驚いたが、屈強な男たちに囲まれてなお軍団長の座を勝ち得た彼女の苦労をなんとなく察せられる気がして、深く頷いた。


「はい。人は勝手に限界を決めてしまいがちだけれど、魔術の可能性はいまだ無限に広がっていると思います。より新しくより柔軟な魔術を見出す気概が、その可能性を押し広げる――。俺の本職は戦いではありませんが、通ずるところはきっとたくさんあるでしょう」


「可能性、か……。そうだよな。うんうん。やっぱ魔術研究室室長様は言うことが違うぜ」


「いえ、そんな。若造の戯言という程度に取ってください」


大袈裟なリアクションに苦笑を漏らしたところで、ふと、なにやら意を決したようにロズヴィータが言う。


「あ、あのさあ。アンタさえよけりゃあよ……。こ、ここで働かねえか」


「――――えぇっ?」


思ってもいない提案が飛び出したので俺は面食らう。

ロズヴィータは頬を掻きながら続けた。


「い、いや、なんだ。今回こっちに来たのはハイドラのなんとかっつう石が目当て……、なんだろ? この王宮で働けば、マギアよりよっぽど研究活動がしやすいんじゃねえかと思って。べ、別に他意はないぞ。マジで。それにほら、うちの親分もあれでなかなか話が分かるからよ、場所と人材だってきっと貸してくれる。ア、アタシからも口利きするから」


「それはさすがに……。俺はマギア第一王子よりこの役職をいただいておりますので、そんな勝手なことはなかなか……」


水晶問題をもうほぼ解決している俺にとって、ハイドラに残る意味はほとんどない。

マギアとハイドラの魔法文化の違いは興味深いが、書物ならいくらか取り寄せられるだろうし、わざわざ居残ってまで行うものではない。

ヨルクやノノ、テルビーやマリオローク、ダミアン、そしてヨハンのことも含めて、マギアに帰らないという選択肢は、今の俺にはないだろう。


しかしロズヴィータは食い下がる。


「大丈夫、なんとかなるって。いや、なんとかするさ。アンタさえ首を縦に振ってくれさえすりゃあ、アタシが今すぐ王子に掛け合ってやる」


「いや、しかし」


「マギアのことはよくは知らねえが、ハイドラはいいとこだぜ。絶対気にいる。行きたいところがありゃどこでも連れてってやるし、何にせよ不自由は絶対に――――」


「――ロズ」


「!」


俺の両手を握り、ハイドラで働くべきだと熱弁するロズヴィータを、短く低い声で諌めたのはバルドーアだった。

ロズヴィータは肩を震わせて、どこか怯えたように振り返る。


「その辺にしておきなよ、君にそんな権限はないだろう」


「…………で、でもよ、お前だって」


「でもじゃない。さあ、気が済んだだろ。軍団長が2人、酒宴の準備をサボってたんじゃあ示しがつかない。戻るよ」


「…………」


無言で口を尖らせるロズヴィータを、バルドーアは右腕で抱え、担ぎ上げた。


「本当に申し訳なかった、ローレン殿。戦い戦いで、少々おつむの出来が甘いんだ、許してやってほしい」


「え? いや、俺は別に、そんな」


「じゃあ、準備が出来次第また使いに呼びに来させるから。そうだなあ、日が落ちる頃合いには済むと思うよ。それまで仮眠でも取っておくといい」


「はあ……」


戸惑いながらも頷いた俺を見て、バルドーアはにっと微笑み、ロズヴィータを担いだまま階段の方向へと歩いていった。

ロズヴィータは手足をバタバタとさせ異議を唱えているようだったが、最初ほどの元気はない。やがて2人の姿は見えなくなった。


俺は2人が消えた廊下の先をしばし眺めていたが、「結局何だったんだろう……」と首を捻ってから、部屋の扉を閉めたのだった。


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