1話
「そのまま、そのままだ」
レミオンは手を組んで神に祈る。
男としては小柄な体躯に柔らかな金髪。だがその目は貴族の翡翠ではなく、庶民の茶色がかった虹彩だった。
地面に描かれた精緻な文様が光を放つ。今回の実験のためにレミオンが一月の歳月をかけて描いた大作だった。
まばゆい光にレミオンは一瞬目をそむけた。
「どうだ?」
確認するもそのあとには何も残っていない。
肩を落とす。これで何度目の失敗か分からない。気力をなくして敷いてあったゴザに寝転ぶ。レミオンがこうして失敗するたびに寝転ぶため、妹が敷いたものであった。
そこで扉をノックしたあとに少女が入ってくる。
「兄様、主様がお呼びです」
伸ばした黒髪で目を隠した少女が寝転んでいたレミオンを起こす。妹のルナであった。身長は妹の方がわずかばかり高いため並ぶとどちらが上の子か分からなくなる。
「なんだろう?最近は特に要はないはずだけど」
本土への旅もこの前終えたばかりであり、自分の仕事はないはずだった。
「私には分かりません。ただあまりよい知らせのようではなさそうでした」
「・・・・・・すぐに行くよ」
そうしてレミオンは外していたこのゴエティア領の紋章を彫った短剣を腰に下げる。
道すがら窓から外を見る。空には今日も暗い雲が立ち込めており、太陽の光は見えない。
ここはギブオン王国の北西にある島、ゴエティア領。領民わずか50名程度の罪深き小さな島だった。
「お呼びでしょうか、公爵様」
目の前には一人の初老の男性が簡素な椅子に腰掛けていた。ギブオン王国ゴエティア領領主ハイゼンベルク・ハルムンド公爵。彼は入ってきたレミオンに手招きだけでそばに寄るように促す。レミオンもまた付き合いは長いので促されるままそばに寄った。
「研究の方はどうだ?順調か?」
「いえ、行き詰まっています。召喚事態は問題ないので、おそらく下位の悪魔召喚や転移であれば行えるでしょう。ですが、その先へはまだ進めません」
先程の実験を思い出す。歯がゆかった。理想は遠く、自らの贖罪には足らない。
「そうか。であれば此度の任務はお前には少し酷なものになるかもしれんな」
「酷、ですか」
「ああ。勇者達をこの島に招待することになった」
勇者、それは異世界より招かれた超常の英雄であった。
英雄召喚により呼び出された歴代の勇者は神よりギフトと呼ばれる特別な力を賜り、皆良きにせよ悪きにせよ、歴史に名を刻むことになる。
今現在人族は魔族と争いを繰り広げていた。
その流れもあってレミオンの所属するギブオン王国は何人かの魔法使いを集めて英雄召喚を行ったのだ。
「勇者様たちは王都で戦うための教練を受けていたはずです。それがなぜこの島に」
どうしてこんな島に、といいそうになったのをレミオンはこらえた。敬愛する主の前なのだ。自重すべきだったからだ。
だがそれはそれ。レミオンとしてはハイゼンベルクには危険なことには関わってほしくなかった。
力を持つものの業ではあるのだが、英霊召喚にて呼び出された者たちは皆、何かしらの問題を起こすというのが通説だ。中にはメイドに折檻した領主を可愛そうだからといった理由で切り飛ばすようなものもいる。あまりにも勇者たちとは文化が違いすぎるのだ。
「お前も知っての通り今回召喚されたのは一人ではない。全員で35人だ」
「・・・・・・」
通常英雄召喚で呼び出される勇者は一回に付き一人だ。だが今回はどういうわけか35人という大所帯での召喚となってしまったのだ。その関係で王都がかなりもめたのをレミオンはよく知っていた。
「呼んでしまったものは仕方がない。だがどうやら王都の方でトラブルが合ったようでな。勇者達の王国の貴族への印象は最悪だ。それもあってか詳しい経緯はわからないが勇者達も幾つかの派閥に別れてしまったらしい。中には下手をすれば魔族に力を貸しかねない者たちまでいるそうだ。人数が多いのも考えものだな」
ハイゼンベルクは説明を続ける。
「そしてそのうちの一派がこちらに会いに来たというわけだ。今回の召喚を執り行った私にな」
ハイゼンベルクとレミオンの間に奇妙な沈黙が生まれる。ハイゼンベルクは当代きっての魔法使いだ。その降霊術の分野では間違いなく王国一の実力を誇る。そのため咎人でありながら今回の一大儀式の全権を任されていたのだった。色々と不具合はあったものの英雄召喚事態は行えたため、教会から一応の罪の軽減はなされていた。
「目的は、帰還でしょうか」
「おそらくな。人数が多いこともあってか、どうやら戦いに否定的な者も多いらしい。その者達からすれば帰郷を望むのも仕方がないだろう」
「ですが、それは」
そのあとに言葉が続かなかった。
残念ながら勇者たちの望みは果たされない。なぜなら古代より伝わる英雄召喚の術式は召喚のみで帰還用など用意されてはいないのだから。
「そうだ。現時点では不可能だ。要するに、あの王からの今回の指令はやってきた勇者を適当にだまくらかし、その気にさせろ。最悪でも裏切らないようにしろ、っといったところだ」
その不遜なハイゼンベルクの言い方に、慣れてはいてもやはりレミオンはためらいを覚える。信仰深いレミオンにとって信仰の対象である勇者を貶めるような言い方はあまり好ましいものではなかった。
「そんな顔をするな。お前はまだ会話したことがないからわからないだろうが、勇者というのは案外俗物だぞ。少なくともお前の信仰を捧げるようなものではない。故にそう思い悩むな」
「分かりました。ですが私は一体何をすれば?武力においてはこの領内でさえ私を超えるものなど数多くいますが」
経緯は分かったがレミオンには未だにここに呼び出された理由がわからなかった。歓待の準備であれば侍従長がいる。また教練というのであれば軍より護衛の名目で派遣されている男がいる。一介の学士に過ぎないレミオンに出番はないように思われた。
「実はな、お前には勇者達の付き人になってもらいたいのだ」
「は?付き人、ですか」
「そうだ。それこそ問題なんぞ起こされてはたまらぬからな。現地の案内人、といったところか」
「で、ですがそうであれば適任者は他にも多くいます。それこそ王都には自分よりも遥かに腕利きの方や聡明な方がいらっしゃいます。ここの地理に明るい方もいるはずです。自分のような身分のものが勇者様とともにあるなどふさわしくありません」
いくら主であるハイゼンベルクからの頼みとはいえ、承諾しかねる内容だった。
それほどに勇者というのはレミオンにとって大きな存在だったのだ。
「どうももめ方がひどかったようでな。王都の学士連中は皆勇者達を忌避しているようだ。そして腕利きに関しては勇者達が警戒する。さらにいえば我らの目的は勇者達に気分良く戦っていただけるようにこの王国を好きになってもらう必要がある。となれば、財や色を使うのがてっとり速い。実際それで何人かは取り込んでいるそうだ」
財や色という俗物的な言葉にレミオンは顔をしかめる。押し付けがましいとは分かっているが、神聖な勇者にそのような者に染まってほしくはなかった。第一、そういったものに慣れていないのなら溺れすぎてしまう可能性もある。
「お前が考えていることは分かるが、政治とはそういうものだ。なにより欲に溺れたほうがこちらとしても扱いやすい。だが中にはそういった者に惑わされないものもいてな。そこでお前だ」
そこでハイゼンベルクはレミオンの姿を見る。
「話が飲み込めないのですが・・・・・・」
「見目麗しく、教養があり、そして私が信頼できるものなどお前しかいない。何よりまだ幼いというのがよい。それこそ未だ成人していないように見える」
そう言われて部屋に備え付けられている鏡を見る。
一応成人である15は越えているが、見た目は追いついていない。王都に行けば童に間違われることもある。未だ中性的な体つきは治らず、レミオンにとっては悩みの種だった。最低でも妹の身長くらいは越えたいと常日頃思っていたのだ。
「人間とは単純なものだ。年上からあれこれ言われれば反感を覚えるが、お前のような年下から言われれば案外奮起するものだぞ」
「そんな馬鹿な・・・・・・」
あまりにも突拍子もない話にレミオンがためらいを覚えていると、ハイゼンベルクが口を歪めてと指を立てる。年齢に合わないそのふるまいが妙に様になっていた。
「一つ面白い話をしてやろう。勇者たちが王都で起こした事件のうちのひとつなのだがな。あやつら貴族の奴隷を勝手に解放したらしい」
「は?」
「はははは!しかもそのことを咎めた宮仕えの学士の腕を切り飛ばしたらしい。しかもその理由というのが『子供にこんなことをさせるのは間違っている』だそうだ」
ハイゼンベルクは愉快に笑っているが、レミオンはにわかには信じられなかった。確かに奴隷の待遇は良くないが、それは何らかの罪によるものだ。親の罪、自身の罪。子供だというのだからおそらくは親の借金の方にでも売られたのだろうと当たりをつける。であれば少なくともその料金分は働かねば道理が通らない。
「それでは秩序が乱れてしまいます」
「そのとおりだ。だがな、レミオン覚えておけ。世界を救うのは案外そういった馬鹿者かもしれんぞ?そしてそういった者に刺激されてようやく周りは気づくのだ。あれは間違っていたのだとな」
「よく、わかりません」
「ならば今はそれでよい。とにかく、勇者は幼き者に優しいということだ。それに異界の地は遥かに我らより発展しているという。そういった話を聞くのも面白いかもしれんぞ」
ハイゼンベルクが何を期待しているのか、レミオンの瞳をじっと見る。だがこのときのレミオンは掴みきれていなかった。
断ることは難しいようだった。
「若輩者ですが、その役目引受させていただきます」