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第三節

無知なる人々の脳髄は、そこで殺しておけ。

 私の名前はセキラだ。大切な親友から、今は亡き親友から貰った名前だ。私が如何なる姿であろうとも、声であろうとも、匂いであろうとも、温度であろうとも……他の誰でもない私だ。私は私であり続けている。

 声と心を荒げて辿り着いた過去を思い出せば、私はまだ、この剣を手に持てる。血に塗れた足跡を、踵を返して触れてみては、随分遠いところに来たではないか……。


 シュペル。

 ずっと、あなたのために歩いてきた。あなたが、あなたのような不幸な子供が、もう一度生まれないために、私は尽力してきた。

 褒めて、なんて言えない。

 認めてとも言えない。

 せめて、今だけはやつれた心を、そっと癒してほしい。

 そして、私が願望を実現して、あなたの元に帰る日が来るのならば、私はやっと休めるのだろう。その日が来るのか、私が歴史の藻屑となって消えるのか、結末は私の腕に宿っている。つまり、望むなら動けと、体が、魂が訴えかけているような感覚だ。


 今から、会った覚えもない他人を殺しに行く。

 セレラーシュに頼まれたから?彼女に良い様に仕向けられたから?

 いいや、私の意志だ。

 ガレム=オ=ファーゼン。妹であるセレラーシュの、殺された言葉から、響きから、何度も憎悪を味わって、自分の憎悪に変えていく。セレラーシュを殺したのは紛れもなく私、セキラだが、自身を滅ぼしてでも焼き尽くしたい相手がいる、というのは嫌でも伝わった。

 そして、殺させなければ伝わらない、いいや、伝えられないような憎悪を持っていたのだと、今にして思い知る。殺人とは、情報の決定だ。

 お前が、恨みを買われる存在なのだと、決定するために。三生をかけても償えぬ罪を償わせるために。お前を、ガレム=オ=ファーゼンを殺しに向かう。


 そんな中。

 ふいに声がした。


「セキラや」


 ああ。老人か。なんだ。

 と楽観的に考えた後、何かしらの違和感を持った。もしかしてこの老人は、私の考えを予測してしまうのでは……?


「お主は、考え事をする時に、部屋の中を歩き回る癖があるんだな」


 考え事をしている、という行動は、老人に予測されていた。この点、私は、老人に予測される未来を先読みしていたので、私の勝ちだ。

 もう少しじっとしていた方が良いだろうか? クレイフェンやアヤの頃は良かったが、今の体はどうにも落ち着かなくて……。

 この言い草なら、おそらく考えていた内容には気づかないのでは?


「……さてはお主、あれを考えていただろう?

まだ、復讐などという、甘い予測に踊らされているのか?」


 甘い予測?

 私の選んだ道を、そのように愚弄できるなら、お前の人生は幸せな選択だっただろうな。

 決断を、単なる娯楽として扱う者共を心から軽蔑する。

 この老人とは最早関係は持たない。これ以上語る話も、積もる話も持っていないはずだ。時間の無駄だ。この層に火山灰を重ねても無駄だ。さっさと出て、ガレムを殺しに行く。


「待ちなさい、セキラや。

お主は、しようと思えば、

贅沢に過ごし、約束された幸せを享受する選択もできたというのに、

完全に独立した、一人の女子として生きる選択もできたというのに、

金と時間と権力を所持して、素敵な家族を作る選択もできたのに、

それでも尚、お主は、

セキラは、復讐を選んだ。

何故、お主は、幸せな生き方を選ばずに、血に塗れた人生を選んだ?」


 うるさい。

 先程出会ったばかりの、表層しか知らない愚か者が。何を、私の全てを聞き知った気持ちでいるんだ。そして、説教などしようと言うのか。


「無理に答えなくて良い、セキラ。

普通の、肉持つ人間ならば、自身の人生しか経験できないところを、

お主ならば、あらゆる赤子の人生も、あらゆる児童の人生も、あらゆる生徒の人生も、

あらゆる社会人の人生も、あらゆる主婦の人生も、あらゆる老人の人生も、

老若男女、貧富も問わず、何でも経験できる。そういった選択肢もあったろうに。

半永久的に、自分の好きなように生きる決断もできただろうに。

自分を創り出した者の意図から離れて、お主の欲望と共に生きる決断もできただろうに」


 私が間違っていた、とでも言いたいのか? そんな言葉は絶対に言わせない。

 確かにシュペルは、自分を取り巻く環境に対してあまりにも無知で、そして、受け入れ過ぎていたから、私のように復讐を志す意識も持たなかっただろうが、それ一点だけを指差して、『シュペルは復讐など求めていなかった』と考えるのは、粗暴な文化人の行動だ。

 何も知らないなら、何かを求めたりしない、などと、誰が決めるのか?

 何も知らないからこそ、真実を求める生物ではないのか? 人間は。


 いよいよもって、この老人との会話を取りやめたくなってきた。

 何故、信頼してしまったのか。決してセレラーシュのように、殺して、などと迫って来ない相手だとは思ったし、実際にそうだった。しかし、この老人は、逆に思想的に私を殺そうとしている。

 別々の人間だ。そして、これまでも、これからも別々の人間であり続けるのだ。

 決別の言葉を胸に、私は口を開いて、別れることにした。


「お前なんかに何がわかる。

私の人生を経験したわけでもない、ただ年だけを重ねて生きた、薄い経験しかしていないお前に、私の心がわかるわけがないだろう?

その決断にシュペルは何も関わっていない。ただ私が、個人的に。極めて個人的な感情だ。

私がただ、個人的に復讐したかっただけだ。

幸せなんてどうだって良い。たかが個人である私が、幸せになったって、他の面に影響を及ぼせるわけでもないだろうに。

これは私の戦いだ。邪魔をするな」


 それでも、と、対話を諦めない哀れな老いぼれが、自論に縋り付くように話す。


「なら、セキラ、お主は……これまでの人生で、人間の暖かさを、経験した覚えがないと言うのか?」


 クラヒッサ(シュルディンガだった時の、彼の娘だ)との一件は確かに暖かかった。だが無垢な子供だ、その内人類という怪物にでも食われて、無知なる群衆どもの一員になるのだろう?

 ならば暖かみも存在しない。

 セレラーシュに暖かみを感じた、その過去は消し去りたい。欲する心臓の名の通り、彼女は碌でもなかった……いくら血が通っていたとしても、臓器である限り、本能には抗えない。

 人間なんて、冷たい土の塊。死して積もる、単なる土の造形。


 もういい。もう、どうでもいい。

 人間が残酷で、どうしようもなく罪深い生物である、と、私は既に知っているんだ!


「何をわかりきったように!

私に人間の感情を巻き込ませるな! 感情を考えさせるな!

もういい……お前との会話は、非常に無意義だった!」


 お前も人間である限り。人間の姿である限りは、人間のふりをしていなければならない。だって、そうだろう? お前も。

 ここにはもう用はない。何もない。真空の空間から、息の詰まるような安寧から、扉を開けて抜け出でる。


 夜になり、地面に生えた草が閉ざされている。彼らは葉を閉ざして寒い夜を耐え凌ぎ、そうできるからこそ、繁殖し、世界に蔓延る生命体になった。

 私も、草になりたい。私が正しいと、世界に証明したい。私の思想で、世界を埋め尽くして、今よりもより良い世界にしたい。すべての子供に、暖かな家庭と、暖かな家族がある世界に。誰も搾取しない世界に。いいや、「誰も搾取を必要としない」世界に。

 なんだ、私もまだ人間じゃないか。まだ欲する物があるではないか。

 この自我地獄から抜け出すのにさほど時間は経過しなかった。


 その夜は、月が出ていた。

 最早何物も通さない、私の不必要な目玉に、わずかに光る円形の物質が『見えた』。私の背後に、赤い月が、浮かんでいる。

 おかしい。

 普段ならこんなにも、感覚を覚えない物質なのに。

 誰も月の存在なんて気にせずに歩いて、生きて、そして死んでいくのに。


 風が強くなっていく。虫の声を、人の声をも殺していく、その音量でも、私の得た視覚は鈍らなかった。

 月が丸い。

 私は月に刃物を突きつける。しかし、血も流さなければ、当たった感覚もない。

 目の前の大地が黒くなっていく。私の形か?

 知らない感覚なのに、五感のうちにも入らないのに、それでも訴えかけてくる器官。目玉。


 ふと、何かが囁いていた。

「失敗しないでね、セキラちゃん」


 セレラーシュの声だった。けれど、今は仮初だと知っている。昔はこの声に向かって走っていた。今はもう、懐かしい思い出だ(決して良くはないが)。

 ああは思ったものの、かつて手助けしてくれた相手だ。葬いはしよう。

 私は口に、言葉を纏わせる。


「……大丈夫、私なら」


 社会情勢だって、変えてみせる。



 しかしだ。

 あの少女……『セキラ』と言ったか。

 小さな空想が、夢が、よくもあそこまで踏ん張ったと思う。


 お前にとっては無意義だったろう、こんな老いぼれとの会話は。

 だが、少なくとも我には、得られる成果の多い、会話だったと記憶できた。

 確信を持って言えるだろう。


 全てを破壊するまで止まらないような、猛進さ。

 大切な存在を失ったと自分では思っているが、実は失っていない、愚鈍さ。

 言葉の節々に宿る殺意。


 セキラは、刃物だ。

 それも、破壊の女神「グルケモール」の、ただ一つの武器。

 その女神は、言い伝えによると、愛する子供を人間に殺されて、人類全てを滅ぼし、人類の作品であるところの人類史ですら破壊しようとする、文化に属する人間からすれば、純然たる悪神。 しかし、その悪が、救いになり、善神になる、いいや、善神にする人間が存在する。

 それが「貧困層」だ。


 セキラの行いは率直に言えば悪そのもの。自覚がないにせよ、エレイディナは富める人たちを確かに救済していたし、シュルディンガは差別感情渦巻く議会で、ただ一人、反抗を示していた。

 しかし、誰も明確に救おうとしていなかった。

 その中を、確かにセキラは、道を示した。道と言っても鉄の道、それも人間の鉄なのだが。


 たった一人の、作品にも残らないような無名で、無力な少女の、それも空想の友人が。少女の復讐に参る。須らく破壊された社会に人が立ち、また文明を築くならば。


 セキラや。誰にも忘れられないでおくれ。

 お主の存在が、人類史に傷をつけ、人々がそれを戒律にするのだから。

 後世に語り継がれてくれ。

 お主の存在が、欲望の影を踏みつけている音を、響かせるように。


 月が出ている。

 そうか、セキラは……


 不吉な未来など考えるべきではない。

 行っておいで、セキラ。


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