序章
喚起せよ!我を喚起せよ!
ここはクィアと呼ばれる、この惑星…レッテンスパインの大きな都市のある場所。いつも煌びやかな音が響いて、そこに住む住人達は皆、幸せな笑顔を振りまく日々を送るのが普通だと思っていた。幸せなんてそこにはなかった。あるのは、貧困と、富裕と、金銭と、血液だけ。幻想の物質が流通する間にも、現実の人間は闇に引き込まれて、影すら残らないように消えていく。一部の人間だけが金銭を山盛りに持っていく。大勢は一銭も貰えないまま、鼻の先の食べ物に踊らされて命を落としていく……正直、どうしてこんな世界になったのか、どうしてこんな世界が存在を許されているのか、「私」には分からなかった。
今でも忘れない。「私」は恨み続ける。「私」を作った親友が命を手放した日。細った手で伸ばした先が、ただの暗闇の中に。暴行を加える追っ手どもの、ああそのおぞましさよ……すべてが始まった日を、今ここに思い出せ。
─
その運命は、小さな体にはあまりにも重すぎた。栄養のないその体は、載せられた運命に骨を軋ませ続けていた。決壊しないという事実自体が、まるで自身への罰のように思えていた。
クィア最貧層の人間は、今日の心臓の動きでさえ保証できない。赤子であればもっとだ。生まれてすぐに餓死する者もいれば、逆に乳母を殺して自分も死ぬ者もいた。母親の子宮に吸収され、死産にされた者もいた。その中で、生きて産まれる現象がどれだけの祝福で、どれだけの災禍か、理解できるだろうか? 何故そうなったのか、それは誰も知らない。クィアができた時からそうだったとさえ、思っている者もいる。
親の亡い子が大道を走る。腕にはたった一つのフェウバが握られて、その後ろを追っ手が追いかけている。最早子供は限界だった。職も学も手に入れられない立場の、子供だ。こうしてでも、生きていたいと思う何かがあったはずなのだ。
「待て! この泥棒が!」
「あんな細い体じゃ館にも売れねえな! 奪うもん奪って殺してやれ!」
この運命から逃れるには死しかないと子供は知っていた。その判断はあまりに重すぎるという真実も子供は知っていた。腹は膨らんで、手足は細く、内臓の機能もそろそろ失うほどに、痩せ細った子供。そして、その中にいる「私」は、子供を助けたかった。
助けられなかった。
「私」は俗に言う架空の友人、子供に寄り添う小さな空想だった。物理に干渉どころか、今ではこの子供の心にしか干渉できない。
その足で走るな、爪先には石が落ちて……
子供はフェウバと一緒に倒れた。「私」も倒れた。起き上がれ、と励ましたが、もはや立とうともしなかった。動こうともしなかった。ただ、もうすぐで昏倒するような糖分の少ない脳が、今を描き続けていた。
子供の無念が、「私」に伝わって来た。
「……シュペル、どうしてこんな世界なのかな、どうして生まれなきゃいけなかったのかな、こんな世界になるなら、お父さん、お母さん、シュペルのために無理しないで、シュペルを見捨てればよかったのに……」
子供は自身が産まれた事実、結果でさえ呪っていた。その呪いは「私」自身もそうだった。子供はあまりにも優しすぎた、その優しさは、この世界には不要だったらしい。
「シュペル、シュペルなりに頑張ってきたよ。それが、どうしてこうなるの? お父さん、どうして死んじゃったの? シュペルが悪い子だったから? お父さん、シュペルをかばって、怖い男の人から、殴られてた。お母さん、どうして死んじゃったの? シュペルが悪い子だったから? お母さん、シュペルを育てるためのご飯とか用意してた、そのときに……」
子供は自分の生涯を思い出していた。この星のように暗黒で、残酷な世界の中。基盤もないままに崩れ去る脆い肉体。
「ごめんね、セキラ……もう、シュペルは冷たいよ」
子供の体温が消えるのを「私」も感じ取った。このまま一緒に消えるのなら、それでもいいのかもしれない、と思った。
私は分離した。
子供と私は分離した。
最初は何が起こったのか分からなかった。
子供の肩を抱いても動きすらしなかった。
子供は死んだ。
追っ手達がやってくる。
苦しみの味が口の中にある。
追っ手達は子供が何も持っていないと知ると、亡骸を蹴りつけて唾を吐いた。
私はそれを聞いていた。
─
私は怒りを喚起した。
私は復讐を志す。
私は全てを呪う。
私の名前はセキラ。最貧層の子供、シュペルの架空の友人。私は彼女から分離した。私は戦う。この世界の間違いを正して、彼女にしたように権力を踏みにじってやる!
軽い用語説明
フェウバ:苺のような果実。日本円にして1個50円ほどで売られていた。
知っておいて損はないであろう概念リスト
・イマジナリーフレンド/空想の友人
・貧困の連鎖
・ストリートチルドレン