魔王退治は諦めて!
「クララ! 弁当にするからパンをくれ! 俺、今から魔王退治に行ってくる!!」
幼馴染のニックがはじける笑顔で店に入ってきて、私は「とうとうそこまで来たか」と思った。
◇
ニックと私、クララは、山間のヘイリーズという町で生まれ育った。
ニックは粉屋の息子で、うちはパン屋だから、昔から家ぐるみで濃いめの付き合いがある。同じ年に生まれて今年で16歳、丸々16年間の付き合いということになる。
ニックのいい所は、明るい性格と愛想の良さ、笑顔が常に最大級なあたり。作り笑いなんて見たことがない、寝ても覚めても満面の笑みだ。
悪い所は、夢見がちが行き過ぎている所。具体的には、昔から「魔王を退治する勇者」に異常な憧れを持ってている。ニックの口癖は「俺、いつかは言えないけど魔王退治に行くんだ!」で、今も昔も一切ブレてない。小さい子供じゃないんだから……。
ニックの「夢」は、いつも私にとって指先に刺さった小さな棘みたいな、些細だけど無視できない悩みの種だった。
体格も体力も平均的、ケンカが強いわけでも魔法の才能があるわけでもない。粉屋だから数の計算はできるけど、ずば抜けて賢いわけでもない。というか、ややおバカな方だ。16にもなって魔王退治に憧れてるんだから。
そんなニックがいつか本当に無謀な冒険に出かけてしまうのではないかと、私は彼が夢を語るたびに不安になった。一応、一緒に育った幼馴染だし。危ないことをして、もし死んでしまったりしたら皆悲しむし。
どうしてそんなに魔王退治に行きたいのか――その理由は、この日を境にして私の知るところとなった。
その日、ニックは大きな丸パンを買って出掛けたまま帰ってこなかった。
◇◇
「どこ行ったんだ、あの大馬鹿せがれは」
暗くなって捜索を諦めた粉屋のおじさんが、疲れた顔でこぼす。
ニックは「魔王退治に行ってくる」と言い残し、出掛けたそうだ。
ついにやったか――。
私もニックの親であるおじさんも、おばさんも、私も私の両親も、捜索を手伝ってくれた町の人も全員思った。
困ったことに、行き先が見当つかない。このご時世、魔王や魔王の住処なんて忘れ去られた話題だった。町にも都にも国にも周辺諸国にも近頃では魔物も出ず、何十年もいい感じに平和だから情報がない。
それなのになんで出掛けていった、あの馬鹿。
どうせひょっこり帰ってくるだろうと思っていたのに、翌日も、そのまた次の日になっても戻ってこないので、私は居ても立ってもいられずニックの家に押しかけた。彼の部屋へ飛び込み手がかりを探す。
実は、一つだけ心当たりがあったのよね。
「……やっぱり」
ベッドの下の木箱をどかすと、床板に穴が空いていた。
数年前に一度だけ、ニックここに何か隠しているのを見たことがあった。すごく慌てていたから、ずっと怪しいと思っていた。
床下の狭い隙間には、一冊の本が入っていた。
出たな、いかがわしい本……! ……ではなくて、無骨な革の表紙。日記かな? 正直、日記を付けるタイプには思えないけど……最近まで付けていたなら、有力情報が書かれているかもしれない。
幼馴染特権で開いてみると、それは日記ではなく物語の本だった。
『中央歴527年、勇者は山間の小さな町・ヘイリーズを旅立つ』
「527年? ヘイリーズ……今年だし、この町のことが書いてある本? そんな偶然……まさか」
まさか、ニックが書いたとか?
「…………」
イタい。我が幼馴染ながら、痛すぎる。この町が舞台で今年勇者が旅立つとか、自分を主役に夢物語を書いたも同然! アイタタタ……
と思ったけど、読むとそうではなさそうだった。
まずニックの100倍は字が上手いし、難しい言葉が出てくる。アイツの国語力でこれを書くのは不可能。
そして、素材。10年は経っていそうな黄ばみ方の紙に、革張りの高級な表紙。金文字で「ヘイリーズの勇者、魔王に挑む」と題が付いている。こんな立派な本を10年前のニックが作るのも、執筆と同じくらい無理だわ。
ともかく読んでみないと。私はどんどんページを読み進めた。
物語は、このヘイリーズ町で生まれ育った男が魔王の噂を聞きつけて旅立ち、さまざまな罠や魔物との遭遇を乗り越え、とうとう魔王の城へたどり着く――という筋書きが面白おかしく綴られていた。
様々な冒険のすえ魔王城へ乗り込んだ勇者は、鍛えた技を繰り出して魔王と戦い、危ない局面に陥りながらも見事勝利する。
『人間のくせに、なんて強いんだ。もしや昔と違って、人間は強くなったのか……?』
倒された魔王はそう言って怯え、今後人間の住処には手を出さないようにしようと考えを改める。また命乞いのため、勇者に「願いを一つ叶えてやろう」と持ちかける。
勇者は「町に魔物が出ないようにしてくれ」と願って、以後人の住む場所、特にヘイリーズの周辺には魔物が出なくなった。人々は安心して暮らせるようになり、町に戻った勇者はみんなに讃えられ、村の娘と結婚して幸せに暮らしましたとさ。めでたし。
「……なるほど」
読み終えた頃には、夕方になっていた。
いけない、すっかり夢中で読んでしまった。案外面白い本だった……ニックも夢中になったに違いない。絶対、この本の影響だわ。これを読んで、自分が勇者かもしれないと夢見る生活が始まったんだろう。
ただ、どうしてこの町が舞台かが謎だけど。
「でも、ニックがどこへ向かったのかは判明したわね」
私は本を閉じ、急いで「その場所」へ向かった。
日が暮れる前に、町外れの岩山にやってきた。岸壁にぽっかりと、嘘みたいに洞穴が空いている。こんな所に穴なんてあったっけ???
不審がりながら通り抜けると、森の中に出た。木々に囲まれた空間に、腰ほどの高さの柔らかい草が隙間なく茂っている。
そして、ニックがその中をウロウロしていた。
「ニック……!! やっと見つけた! 帰るわよ、みんな心配して探したんだから」
「クララ!? どうしてここに……あ、探しに来てくれたのか。ごめん、魔王を倒したら帰るからまた後で! 父さんたちには言ってあるから大丈夫!」
ニックは驚いた顔で振り向き、満面の笑みに変わる。言っていることは馬鹿丸出しだ。
「大丈夫じゃない! 誰がそんな話で納得するのよ! おじさんも困ってたわよ!」
「あはは……まあ、一月くらい掛かるかな? 必ず戻るよ。心配しないで待っていて」
「何を根拠に一ヶ月とか言うのよ。大体、このご時世魔王なんて本当にいると思ってるの!?」
いるかもしれないけど、会えないと思うし、会えたら会えたで生きて帰ってはこれないと思う。どうして必要のない危険に自分から飛び込んで行くのか。
……ところでニックは会話の間、笑顔で草の中をウロウロし続けていた。なぜか同じ場所をぐるぐる回っている。普通ならおかしな光景だ。けれど――
あの本の通りだわ……!
勇者の冒険一番最初の「迷いの草原」と全く同じで、私は驚いていた。
町外れにある洞窟を抜けると草原が現れ、いくら進んでも入り口に戻ってしまい、向こう側へ渡れない。生えている魔法の草は踏んでも刈り取ってもへたらず、すぐに元に戻ってしまう。
確か、そう書かれていた。
「馬鹿なことはやめてよね。今、おじさんを呼んでくるから!」
私はそう叫ぶと、すぐに来た道を引き返した。
実は、あの本を鞄に持ってきている。
ニックはやっぱりおバカな方だ。私が本当にこの冒険の通りに魔王退治に行くなら、絶対この本と一緒に旅立つ。重たいから、荷物になると思って置いてきたのかしら?
洞窟を出たところで該当ページ、「迷いの草原」を読む。
「えーと、草原の突破方……『しばらく迷ったが、勇者はふと魔力の流れに気づいた。流れの下流に向かって進むと、草原の終わりにたどり着いたのだった』……魔力ぅ? そんなの、魔法使いじゃなけりゃわからないじゃない」
再び洞窟に入り、そっと草原を窺うと、ニックはやっぱり草の中をぐるぐるしている。
……大丈夫かもしれない。
本も草原も謎だけど、無害そう。ニックの冒険は多分、ここで終わりだろう。
帰ろ帰ろ。明日も朝、早いし。
ニックは帰ってこなかった。でも今夜で野宿3泊目、うちで買ったパンもなくなるし、明日には諦めて帰ってくるはず。明日の朝、焼き立てのパンを持って様子を見に行ってみよう。もし諦めてなくても、パンの匂いで釣れば一度家に帰る気になるかもしれない。
……ということで翌朝、お店の準備の後でニック用の特製パンを作った。厚切りの食パンの真ん中をくぼませ、ベーコンと生卵と塩胡椒を入れオーブンで焼くと、いい匂いがしてくる。
ニックの大好物だ。
一緒に熱したグラタン皿に乗せて、皿ごとナプキンで包む。お茶も欲しいかしら……瓶に熱いのを入れて、木のカップと、トーストの包みと一緒にバスケットに入れる。
ニックは腹ぺこのはずだから、絶対飛びつくわ。おかわりを作ってあげると言えば、帰らせる自信がある。
「……って、ニック? ニーック!! まさか突破できたのー!?」
洞窟を抜けると、草しかなかった。
ぐるぐる回るニックがいない。
ぐるぐる回るニックがいない!!
慌てて草に飛び込んだ。ニックのことだから、お腹が減りすぎて倒れたか、草の中でまだ寝ている可能性もある。だけどニックはいなかった。
「やっぱり、ここを越えていったんだわ……!」
私はへなへなと草の上に座り込んだ。
一体、どうやって。昨日までは完璧に迷ってたのに。大体、人がこんなに心配して……
「腹立ってきた!!」
バスケットを開け、包みを取り出す。もし次にニックを見つけたら、このお皿でぶん殴ってやる。そのためにも、中身は私がいただくわ。
ベーコンエッグトーストは、包んできたお陰でまだ温かかった。
「いただきまーす」
「ちょいと、そこの娘ごよ~」
かぶりつこうとした瞬間、誰かに話し掛けられた。驚いて動きを止めると、目の前の草がカサカサ揺れて、でっかい動くサヤエンドウみたいなものが出てきた。
手から肘ほどの長さはある。緑色のさやに、同じ色の手足と胴体のようなものが生えている。
きもちわるい。
ヒョコヒョコと側までやってくると、かぱっと、サヤエンドウのさやの部分が開いた。
「腹が減ってるいるのじゃ~、そのパンをくれんかね~」
「い、いきなり何、っていうか、あんたが何!?」
「頼む! 腹ペコなんじゃ~!」
「知らないわ! 喋り方で変にキャラ立ちしようとしないでよ!」
さやをパクパクさせながら上下に揺らし、頭を下げてるように見える。……きもちわるいけど、話が通じるし妖精(?)の一種のようだ。この変な草原の中なら、妖精もあり得る。
正直関わりたくない。けど、少し悩んで交渉することにした。
「……まるまる全部はあげられないわ。私が食べようとしてたんだから」
「そ、そんな~!」
「半分だったらあげてもいいけど」
「半分でも結構です!」
「そのかわり、私の質問に答えてくれる?」
サヤエンドウが激しく頷くので、ナイフを取り出しトーストを切った。
「ここに昨日まで16歳くらいの人間の男の子がいたんだけど、どこに行ったか知らない?」
「その人間なら、草原の先へ進みましたですじゃ~!」
「やっぱり……どうやって先に進んだの? ここって、魔力の流れが読めないと抜けられないんでしょ?」
「ここは外に近いから、大体風向きと同じですじゃ~風下に向かって歩けば、魔力の強い方へ自然と向かいますのじゃ~! パンをおくれ~!」
口調は年寄りなのに動きは幼児。手を伸ばして跳ねるサヤエンドウにトーストの半分を差し出すと、受け取ってパカっと開いたさやに押し込み始めた。やっぱりそこが口なのね。
「うまいうまい!」
「そうでしょう、うちのパンは大陸一よ。……それにしても、ニックはどうしてそれに気付いたのかしら。あんた、何かした?」
「人間の男ごには、少し前に固いパンの端っこを貰ったので、風向きのことを教えてやったのですじゃ~!」
「余計なことすんじゃないわよ」
私は、トーストを食べ終わると立ち上がった。
「行くわ」
「パンはもうないのかえ~?」
「ないわ。欲しかったら町まで買いに来てね。沢山買ってくれたらおまけするわ」
サヤエンドウと別れ風下へ進むと、あっさり草原を抜けた。
振り返ってみると、草原はほんの狭い場所だった。そよぐ草の中に、時々虹色の輝きが見える。多分、あれが魔力の流れというやつだ。遠目に見ると見えるものなのかしら。
◇◇◇
「ニックー! ニーック!」
呼びながら歩いても、ニックとは出会えなかった。一本道のようだし、ここを通ったとは思うんだけど。
「一応、本を確認しておこうかな……えーと、迷いの草原を抜けた勇者は……やだ、また迷路? しかも、今度はただ正解の道が見つかるまで、ひたすら探しまくるだけ!? 運じゃない!」
書かれた通り、岩山と絶壁で仕切られた三叉路が現れた。私の目的は、迷路の突破じゃなくニックだ。ニックが見つかればなんでもいい。
「本の中の勇者は運任せに歩き回ったけど、最終的にどれが正解の道だったかは書いてあったわよね。ニックもそれを読んだはず……あの豆によれば、草原を抜けたのは私より少し前のはずだから、急いで追いかければ追いつけるんじゃないかしら」
勇者が迷路を抜ける所を、改めて読んでみる。
『まず右に入って、ずっと真っ直ぐ進んだが不安になって引き返す。引き返す途中でさっきは気づかなかった脇道を見つけ、少し進んでみるがまた二手に分かれていたので少々迷い、やっぱり戻ることにして最初の三叉路の真ん中の道を行くことにし……』
「……ダメだこの勇者、優柔不断」
どの道が正解だったのか解りづらい。ニックは本当に、どうしてこの本を持たずに出かけたの……何度も読んで暗記してるのかしら。案外、内容をまとめてメモに書き写すなんて知恵を働かせているかもしれない。重たい本を置いていきたいなら、私なら絶対にそうする。
ニックもそうしていると信じ、私は本をしっかり読んで正解の道を辿った。
でも……
「どうして……こんなに……ゼイゼイ……走ったのに……もう先に行っちゃったのかしら……」
出口に着いてもニックには会えなかった。
ふと足元を見ると、意味深に小石がまとめて置いてあった。
「なにこれ……ニックが置いた、のかな……じゃあもう、先に進んじゃったってこと……」
途中、分かれ道でもこうやって小石が置いてあった。多分、間違えた時のための目印に置いたんだと思う。迷路の中では持ち歩いていたけど、無事に出られたからここで捨てたんだわ。
「しょうがない……ええと、この先は……」
本を確認しようとしたその時、ガサッと音がして、脇の茂みから何かが飛び出してきた。
山羊とも牛ともつかない黒い獣で、目が赤くギラギラしている。魔物だ!!
「やだ、向かってこないでよ!!」
こちらに突進してきたので、とっさに手元にあった小石を掴んで投げた。連続で何個も投げつけると、幾つかが顔面にぶつかり魔物が怯んだ。
その隙に走って迷路に戻り、物陰で必死で本を開く。……あった、黒い牛みたいな魔物が出てくる! ニックはここを突破したのよね? 何か、弱点とか書かれてなかったかな……!?
勇者は風の呪文を唱え、魔物を遠くへふっ飛ばした。
「ふむふむ、なるほどね……って、魔法使いじゃないから無理じゃない!」
やっぱり物語なんて参考になんてならない。このまま来た道を逃げるしかない!
でもそうしたら、ニックのことを追いかけられない。
「……待ってよ。ニックは、この魔物を上手く躱せたのよね。……一回だけ、やってみようかしら」
本を片手に開き、振り返った時にちょうど魔物が迷路に突っ込んできた。
私は、魔物に向かって勇者が使った呪文を唱えてみた。
「ブヒーン!!」
旋風が起こり、魔物は思いっきり巻き込まれて空の彼方へ飛んでいった。
目元に手を翳し、その方角を眺めて呟く。
「……すごいじゃない、この本」
◇◇◇ ◇
その先も、本を頼りにどんどん進んだ。
さすが、魔王城に至る道とあって様々な困難が待ち受けていたけれど、本に全ての解決策が書いてあったのでなんとかなった。
つまり、ある時は水の呪文を唱え火の山の火を消して道を作り、ある時は木の魔法で深い谷間に橋を架け、襲ってきた怪鳥の群れを魔法弾で撃ち落とし、ゴブリンの謎掛けにカンニングで勝利し、道を塞ぐ大岩を強化した拳で打ち砕いた。
途中、樹木精を助けたり、小人や喋る魔物に交渉を持ちかけたりして、バスケットの中の皿は伝説の盾に、ナイフは光の剣に、ナプキンは呪いを跳ね返す魔法布に、瓶のお茶は霊薬に、木製のカップは聖杯に変化を遂げていた。
凶悪な魔物や悪魔が襲い掛かってくるたび、私は光の剣となったナイフを構え戦った。私が柄を握り魔力を込めると、刃を白い光が包み込み刃渡りがぐんと伸びる。パンや野菜しか切ったことがなかったので最初はおっかなびっくりだったけど、何度か場数を踏む内に慣れてきて、今では大型の魔物もパン生地のようにセパレートできるようになった。何事も訓練って大切よね。
邪悪な魔女と対峙した時は、魔法布が活躍した。伝説の盾をくるむと魔法や呪いをビシバシ跳ね返す。魔女は次々と魔法を放ってきたけど、私も素早く動き回りながら反撃する。本にあった呪文はもう全て暗記し、空で使いこなせるようになっていた。これも訓練の賜物だわ。惣菜パンのレシピも、毎日作ってれば暗記できるし。
最近では複数の呪文を組み合わせてより強力な魔法を作ったり、呪文のパターンから新しい魔法を編み出したり応用もしていた。勇者の本は、基礎的な魔法を幅広く扱っていて教科書にはぴったりだったのよね。もしかしたら、そういったことを目的として書かれたのかもしれない。
脚力を活かして距離を詰め、魔女の隙を突いて剣で心臓を貫く。
人型の敵を倒した時でも、今や何の感慨もない。うさちゃんブレッドを頭から齧るのに心が傷まないのと同じように。
ただ、何故かしら――そう、町でパンを焼いていた日々がひどく遠く、懐かしく思えるのは――……
――そしてとうとう、魔王の城にたどり着いた。
ニックには、まだ会えていない。
ここが最後だ。
きっと、今日こそ、私たちはここで再会できる。
「ニック、いるの!? ニック!」
「――よく来たな、娘よ。我が魔王城へ」
「……あなたが魔王ね」
城に入ったけれど、ニックはいなかった。
代わりに、黒く光る玉座に、禍々しいオーラを放つ美女が座っていた。体に沿った形の黒いドレスを纏い、雨雲のような銀灰色の長い髪を流していて、頭の両側から鉛色の角が生えている。
「ここに、私と同じくらいの年頃の男の子が来たはずだけど」
「男? 知らんな……」
「とぼけないで」
「とぼけてなどおらぬ」
睨みつける私を鷹揚に眺め、魔王は「ふふふ……」と愉快そうに笑った。
「しらを切るつもりなら、力尽くで口を割らせてやるわ」
私は剣を構え、事前に呪文を編み発動間際で止めておいた幾つかの魔法の構成に一気に魔力を流し込んだ。
◇◇◇ ◇◇
「参りました」
魔王との戦いはあっさり決着がついた。ぼっこぼこのそれが土下座している。
「ちょっと……なんかあんた、弱くない? 本当は魔王じゃないんじゃないの……? 途中で倒したでっかいドラゴンとか魔女とかの方が強かったんだけど。あれ、あんたの部下でしょ。なんかおかしくない?」
「ぶ、部下に……ドラゴンや魔女はおらぬが……」
「えっ。じゃあ、あいつら一体なんだったのよ」
「近頃……近隣に凶悪な魔物が出るようになって……わらわも用心し城に篭っておったゆえ、よく……」
知らないって。
どうやら私は道中、うっかり辻斬りをしてしまっていたようだ。
「私ったら、いらない苦労を拾ってたのね……まあいいわ、ニックを出して頂戴」
「その、ニックとやらは、本当に知らぬ。ここへ来たのはお主が初めてだ」
「本当? いまいち信じられないわ」
「ほ、本当だ。城中をくまなく探してもらっても構わん」
「そう……。じゃあ、違う話をするわ。この本によると、魔王を倒した者は、命乞いを聞く代わりになんでも一つ願いを叶えてもらえるらしいんだけど」
「あ、その冊子は……」
「覚えがあるのね」
「わらわが昔、部下に作らせたものだ。てっきり、あれきり失われたものと思っていたが……その中に、そのような事が書かれているのか……?」
「そうよ。何よあなた、本は知ってるけど内容は知らないの? 昔のことだから、忘れちゃったのかしら。ともかく、私の願いを叶えてくれるの? くれないの? くれないなら死ぬことになるけど」
「か、叶えます」
魔王の顔は引きつっていた。
嫌ね。別に、本当に殺そうとは思っていない。軽いジョークだから、そんなに怯えなくても。
「願いは一つよ。私の幼馴染のニックを探し出してほしいの。もしくは、居場所を教えてくれたら私が迎えに行くわ」
「人探しか……わかった。失せ物探しの術ですぐ見つかるだろう。しかしお主、それほどの力を持っているなら自分で探せば早かったのでは……武術のみならず、魔術も相当のものを修めた様子だが」
「人探しの魔法は、この本に載ってなかったのよ。載ってたらここに来てないわ」
「そ、そうか」
ニックの特徴を細かく伝えると、魔王が呪文を唱えはじめる。
不意を突く攻撃魔法の可能性を考慮して、それとなく構えたけど、杞憂だったようだ。攻撃魔法とは発動時の癖が違うわね。
「すぐ近くまで来ている。もうすぐここへ来るぞ」
言葉が終わる直前には、階段を駆け上がる足音が聞こえた。
「クララ!!」
振り返ると、ニックが城の大広間に駆け込んでくる所だった。
◇◇◇ ◇◇◇
「クララ、どうしてこんな所にいるんだ! 本当に本当に俺、心配したんだからな!?」
血相を変えたニックの顔を、私は目を丸くして見た。満面の笑みじゃないニックが珍しい。でも、今はそこじゃない。
「それはこっちのセリフよ! そっちこそ今まで一体どこにいたの!? なんでニックを追いかけてた私が、先に目的地に着いちゃってるのよ!」
「クララが途中で俺を追い抜いたんだよ! 色々あって、俺も一度戻ったりして……でもこのお爺さんがクララに会ったって、先に行ったって教えてくれたから、クララを追いかけて進むことにして……」
「よくわからないわ、もっと詳しく話してくれなきゃ。その『お爺さん』って……?」
「わしで~す!」
ニックの肩から、ヒョコッとサヤエンドウが顔を出した。
お前かよ。
「双方、遠い所足労だったはず。座って話してはいかがか」
魔王が玉座の横から、よっこいせとテーブルと椅子を持ってきた。申し訳なさそうに眉を下げて言う。
「せっかくならば茶も出したいが、生憎今この城には使用人が不在ゆえ……」
「ああ、気を遣わないで。霊薬か聖水しかないけど、よかったら飲んで。寿命伸びるわよ」
カップを借りて適当に液体を注ぐと、私は率先して席に着いた。
ニックやサヤエンドウ、魔王もテーブルを囲んで座り、行き違いのわけをそれぞれ明かすことになった。
「まず、これについて説明してほしいんだけど」
「あっ! それ、俺の秘密の本……!」
「悪いけど、持ち出させてもらったわ。持っていかない方が悪いのよ」
本を取り出してテーブルに置くと、サヤエンドウが興奮した。
「それは、わしが書いた本ですじゃ~!」
「嘘っ!?」
またお前かよ!?
「これは、100年前に魔王様に頼まれて書いたものですじゃ~」
「うむ。この表紙は確かに、わらわが依頼時に材料として渡した魔法の革よ。しかし、求人のビラになぜ皮革を欲しがるか疑問だったが……」
「求人のビラ!?」
「100年前、この城の使用人で最後の一人のコックが死んでしまったので、最寄りの町に使用人募集の知らせを出すことにしたのだ。わらわは人間同士のしきたりには疎い。そこで、この物知り爺に募集の文書を依頼した。しかし100年間、一つも応募がなかった……わらわは不老不死ゆえ、飲まず食わずでもやっていけたが、流石にこの頃は塩気などが恋しいわ」
魔王が年寄りじみた仕草で溜息をつく。
そりゃこの本が求人ビラなら、誰も来ないでしょう。「コック募集」のコの字もないし。
「大体、なんで本にしたのよ……」
「人間に魔王城へ来るよう言っても、おいそれと来れるものではないからですじゃ~行き方をしっかりと書く必要があったのですじゃ~! 当時の町では勇者物語が大人気だったので、内容を参考にして壮大な物語仕立てにしたのですじゃ~。楽しく読んでもらえるよう、知恵を絞って工夫をしたのですじゃ~!」
確かに結構面白かった。道順も必要な魔法の呪文も書いてあった。けど、求人要素は何も伝わっていない。一冊だけ本にして町の本屋に卸すとかも間違ってる。
「やり方が全然ダメよ」
「なぜですじゃ~! ちゃんと人間のカレンダーで100年前、道が開けるよう仕掛けもして、正しい求人になっているのじゃ~!」
「中央歴527年って今年なんだけど」
「なんですと~!?」
この本は、物語に綴られた年と場所を指定し魔界への入り口を開設する、という魔法の本らしい。このサヤエンドウは複雑な術を完璧に掛けたものの、年数を100年間違えたのだった。
「つまり今年になるまで、あの洞窟自体がなかったってこと? そりゃ、内容以前に誰も来ないわよ」
「それでか……」
「ごめんなさいですじゃ~」
「先程この娘が来た時には、ようやく応募があったものと喜んだが……」
「……ねぇ、もしかして、それで笑ってたの? なんかごめん、いきなり魔法ぶちかまして」
「よい、終わったことよ……」
ほほ……と儚げに微笑み、ボッコボコの魔王は霊薬をチビチビやりながら遠くを見ている。
「クララ、俺も聞きたいんだけど……」
話の切れ間を見計らって、ニックが身を乗り出した。
「何?」
「クララって魔法使いだったのか? あと、ここに来る途中にでっかい炭みたいなのが一杯あって、お爺さんは魔物の残骸だって言ってたんだけど、あれもクララが倒したの?」
「ああ、うん。そうよ」
魔物を倒した後は、一応ある程度燃やしてきた。火葬っていうか。まあ、倒した時に既に黒焦げのパターンが殆どだったと思うけど!
「魔法はこの本に全部書いてあったのよ。ニックだって、これを持って出掛けてればそのくらいできたわ」
「いや、俺はできなかったと思うなんとなく」
「わらわもそう思う」
「わしもじゃ」
「なによその目、人をばけものみたいに。それより、私っていつニックを追い抜いちゃったのかしら」
霊薬で怪我が治っていく魔王が、「うーん」と考える。
「わらわの記憶では、迷いの草原からこの城までは、迷路を除いて一本道だったはずだが……」
「そう、俺、その迷路で追い抜かされたんだと思う」
「あの絶壁の所? 嘘よ、だって分かれ道に小石の目印があったし、出口にも並べてあったわ。あれで私、ニックは先に行ったと思ったのよ」
「あの小石は、わしが五目並べで遊んだ痕跡ですじゃ~」
「おう、全部お前だな」
「俺、迷路で迷っちゃって。本持ってくればよかったな~って後悔しながら、草原に戻ったんだよね。そしたら今度は、草原から出られなくなっちゃって」
「メモ取ってなかったのね」
「ニック殿~洞窟に行きたい時は、風向きを読んではいけなかったのですじゃ~」
「ああ~そっか! 間違えばよかったんだ! ともかく、そこでお爺さんと再会して、クララの行き先を聞いて追いかけることにして。迷路の後は魔物も出るって本に書いてあったから、どうにかその前に合流しなきゃと思ったんだけど……」
サヤエンドウの案内で迷路を抜けたが、私はおろか魔物もおらず、ニックは首を傾げた。サヤエンドウが「私(パン)の匂いがする」と言うので、更に進むことにする。ていうかニック、この豆をお爺さんと認識してるのね。
ともかく、どんどん歩くが私には出会わず、魔物にも出会わず、火の山の火は消え、谷間には橋が掛かり、怪鳥もゴブリンも帰宅済み、全ての困難が片付いていて、私の苦労の1/100の楽々ハイキングコースでここへ着いた、という話だった。
なんか、微妙な気分。
「まあ……いいわ、結果的にニックも私も無傷だし。帰りましょう。一応魔王城まで来れたんだし、魔王もうっかり退治されたし、ニックも満足したでしょう? もう勇者に憧れて冒険に行くなんて言わないでよね」
そう言うと、ニックの満面の笑みが苦笑いになった。
「どうしたの?」
「……うーんと。あんまり、俺の目的は達成されてないっていうか……クララが無事だったから、今はそれだけで満足は満足なんだけど」
「はっきりしないわね。どういうことよ」
「わらわに何か、願いたいことがあったのではないか?」
「ああ、そういうこと」
魔王、冴えてるわね。
「一応、申してみてはいかがか? わらわが可能であれば叶えよう。他にもこの爺もおるし、このクララという娘も相当の腕だ。協力を仰げば、誰かしら力になれるやもしれぬ」
「あ……と、そうですね……」
魔王が優しく尋ねると、ニックの顔がみるみる赤くなってゆく。
たんこぶが消えた魔王は角生えてるけどものすごい美女だし、とんでもなくスタイルがいいし服装もお色気爆発だし、ニックがどぎまぎするのも当然かもしれない。……けどなんかムカつく。
魔法で町まで一緒にひとっ飛び、と思ってたけど、一人で帰ろうかな。ニックは歩いて帰ってくればいいわ。
「その……かわいくて、真面目で働き者なんだけど、ものすごーーーーーーーーーく鈍い女の子がいて……え、笑顔が好きって言われたから、なるべくニコニコするようにして、あと夢がある男は格好いいって言ってたから、そういう話もするようにして、アピールしてたつもりだったんだけど……本当に、全く、カケラも意識してもらえなくて」
「ふむ」
ニックが何かモゴモゴ語り始める。
「勇者の本を手に入れた頃は、まだ子供だったし、時間はあると思ってたんです。でもお嫁に行く年頃になってきてもそんなだから、俺、焦ってきて……ちょうど本に書かれてた年になった時、本当に魔王がいるのか、倒したら願いを叶えてもらえるのか、試してみようとか思って……そしたら本当に、岩山に洞窟ができていて」
「ニック、結局何の話なの? 本当に先に帰るわよ?」
魔王が笑い出した。
「本人に言えば良いと思うぞ。そこの娘なら、お主の願いをいとも容易く叶えるだろう」
「でっ、でも、幼馴染なんです。家も隣だし、ダメで気まずくなると困るんです!」
「ただの幼馴染のために魔王城へ乗り込む娘はおらん。……おーい、クララとやら。このニックが、お前に嫁に来てほしいそうだぞ」
「ハァ!?」
「ちょっ……!」
ニックの顔面がさっき以上に真っ赤になり、私も顔から湯気が出そうになった。ニックに釣られたのだ。何言ってるんだろう、この魔王! ちょっと美人だからって、調子乗っていい加減なこと言って、もう!!
もう!!!
◇◇◇ ◇◇◇ ◇
長距離移動用の複合術を新しく作りニック共々町へ帰った後、私はパン屋から粉屋になった。
粉屋でもパンは焼く。
かまどの火起こしや水汲みをはじめ、家でする主婦の仕事が諸事情により速攻で片付けられるようになってしまったため(なんなら橋の工事にも参加できる)、暇つぶしにパン屋でもパンを焼く手伝いをしていた。
ヘイリーズの町は相変わらず平和で、魔界への入り口が開いたままでも魔物が出てくるなんてことはない。某詳しい人物らによると、私がいるかららしくて……魔王に「魔王の座を譲ろうか」とか言われ、私は粉屋をやりたいから断ったのに、次期魔王が住む町としてあちらの住人に知れ渡ったんだそうだ。
なんだか激しい誤解があるけど、しょうがない。平和なら理由は何でもいいわ。
強いて上げれば、町中で時々走る巨大サヤエンドウが目撃されたり、頭を大きすぎるフードで覆った謎の美女がパン屋に買い物に来るようになったけど、それ以外は特に変わったことはない。
ニックの満面の笑みも変わらず。ベーコンエッグトーストが好物なのも据え置き。
私はというと、今は魔法より新しいパンを開発することの方に熱心だった。パン屋が儲かれば粉屋も儲かるし、私、元々パン作り好きだし。
とにかく「幼馴染が無謀な魔王退治を夢見ている」という悩みが消えて、もっと現実的な「良き家庭作り」とかを目指すようになってくれたので、私の心は安泰だ。
あの本には散々苦労させられたけど、お陰でもあるし、私も結末に倣ってこう〆ようと思う。
めでたし。