1-7
文化祭前日の午前。
「……と言うことなんです、辻先輩」
浅間澄は辻綾菜に会っていた。
澄の言葉を聞き、綾菜は少し困ったような顔を見せたがそのことに澄は気付かなかった。
「そうか~私は行けないや! こっちはこっちで色々準備があるのだ~!!」
「そう、ですか……」
顔を下げ、沈黙する。
澄は四月の頭、ライバルの『秋風』に乗せられ、部を巻き込んだ勝負に至ってしまたことを今でも悔やんでいた。
『秋風』との勝負を受けなければ、きっと今頃先輩を含めた『完全な温泉部』として文化祭を楽しむことが出来たのだろう。
そのことが澄の中では常に付きまとっていた。
彼女の気持ちを知ってか知らずか、綾菜は優しい口調で告げる。
「私は今すっごく楽しいよ」
「えっ……」
「少し心残りなことが今日できたけど、後悔してない。私は私なりの考えを持って今ここにいるんだ。楽しくないわけがない。すみすみは何も心配しないで良いよ」
いつもと打って変わった声音に若干の困惑を感じたが、話の内容をしっかりと受け止め澄は前を向く。
「ありがとうございます、辻先輩。先輩の方も頑張ってください」
「勿論さ! お互い頑張ろ~!」
*
片付けを終えて、澄の家――『あさま荘』に向かうことになった。
泊まり込みで饅頭を作るということなので、まず一度家に帰って着替えをとってくることになった。
昌平は僕たちと家の方向が違うので遅れるかもしれないと言っていたが、ものすごい勢いで帰っていったので遅れるどころか、僕より早くあさま荘に付きそうな予感がしてる。
寧ろ、走りすぎて汗だくになって饅頭作れないなんてなることの方が心配だな。
あさま荘は温泉旅館だし、汗とかはすぐに流せるからそこら辺は大丈夫か。
「ごめん兎莉。待った?」
「ううん……待ってないよ?」
何かデートの待ち合わせみたいなセリフだな。
たぶん普通なら「待ってないよ」を言うのは男の方だろうけど。
着替えを準備した僕と兎莉は足並みをそろえてあさま荘に向かう。
「そう言えば、兎莉。準備速かったな。女の子ってこういう準備とかって結構時間かかるものだと思ってたよ」
「………………。あはは……着替え持ってくるだけなんだから……男の子も女の子も関係ないと思うよ?」
「それもそうか」
兎莉はいつものように自信なくはにかんだ。
澄の家まではすぐに到着した。
まあ少し距離はあるけど、そこまで離れている訳じゃないからね。
予想した通り、僕たちが『あさま荘』に到着したころには、既に昌平が息を荒くしながら待っていた。
ものすごい速さだと思う。
「ぜぇ……颯太……はぁ……遅い……ぜぇ……な……はぁ……!」
「読みづらいから、単語ごとに『ぜぇ』とか『はぁ』とか入れないでくれるか!?」
書くのも面倒である。
あさま荘の外で喋ってると、ガラガラと戸が開き澄が現れた。
「皆さん、速いですね。準備はできています。厨房までお願いします」
「了解」
「おじゃましま~す!!」
「ちょっと、昌平さん? あなたは汚いので厨房の前にお風呂に入ってきてもらってよろしいでしょうか?」
「…………汗かいて丁度風呂に入りたかったんだぜぇ! 流石温泉旅館の娘! 気が利くなぁ……!」
精一杯の笑顔とリフレーミングで澄の言葉を受け入れ、昌平は一人浴場へと向かう。
僕たちは当初の予定通り厨房に向かった。
厨房に入るのは久しぶりだな。
兎莉はここ一週間毎日厨房に出入りしてたみたいだから、久しぶりって感じはしないだろうけど、なんせ僕は一週間ぶりだ。
そう言えば、澄のお婆ちゃんにもあってない。
慣れてきたとはいえ、久しぶりなので会うのがちょっと怖くなってきた。
また怒鳴られるんだろうな……
ここ気を落としていても仕方がない。
意を決して厨房の扉を開ける。
「失礼します! …………誰もいない?」
「はい。今日はお婆様は来ませんよ」
「そう……そうなのか、ちょっと緊張して損したな」
「お婆様もお饅頭作りに参加するかどうか覗ったのですが『自分たちの文化祭なのだから最後は自分たちでやりなさい。』とのことです」
なる程、澄のお婆ちゃんらしいな。
僕たち『温泉部』と秋風風子率いる『温泉研究部』の対決は、『あさま荘』対『秋風』と言う古くからの対立がもととなって起きていてるため澄のお婆ちゃんも協力してくれてるわけだけど……あくまで文化祭は学生たちのお祭りごとだ。
大人が介入すぎるとそれはもう学生のお祭りではなくなってしまう。
澄のお婆ちゃんはしっかりそのことが分かっていて、通すべき筋を通している。
素直に、カッコいいと思った。
「さあ、皆さん。お饅頭を作り始めましょう。一先ず、生地を作るところまで。昌平さんがお風呂から上がるまでに仕上げてしまいましょう」
*
昌平が風呂から帰ってきた。
少し暖かくなってきたとは言え、まだ夏ってほどの熱さはなく気温で言うなら寧ろ低いため、昌平の身体からは薄らと湯気が立っていた。
「おっす~! お待たせ」
調子のよい声で景気よく言う。
軽く挨拶を返す僕たちはと言えば……澄の宣言通り、一回目の生地を作り終えていた。
一回目と言ったのは、二回目があるからだ。
流石に二百個の饅頭を作るために必要な生地を一度にこねるのは不可能だったので、何度かに分けて生地を作っていくことにした。
生地を寝かせたりする工程もあるため、一回目の生地を作って寝かしている間に二回目の生地、二回目の生地を寝かしている間に一回目の生地を饅頭にして……と頭がこんがらがりそうになる。
そのことを昌平に説明すると……
「…………分かんねえから、やること言ってくれ! 何でもすっから!」
「思考停止かよ!?」
「では昌平さん、居間に行ってお婆様の相手をしてきてください。きっと暇してると思うので」
「それは勘弁してくれ……」
こんな調子だけど、昌平はきっと言ったことはやってくれるだろう。
頼りになるやつだってことは皆分かってる。
「冗談はさておき、昌平さん。早速手伝ってください」
「よし来た!!」
「……二回目の生地作り……だね?」
昌平が腕まくりをして気合を入れる。
筋肉質な腕が姿を現す。
ドキッ!
勿論そんな趣味は無い。
兎莉の一声から、僕たちは再び饅頭の生地を作り始める。
「颯太さん。先程と同じように、小麦粉の袋をとってくださりますか?昌平さんもお願いします」
「おう」
厨房の隅に置いてある大きな袋を持ち上げる。
この小麦は、勿論小麦おじさんに貰ったものだ。
僕と澄とで手伝って手に入れた小麦はかなり上等なものらしく、澄が一人で興奮していた。
実際買ったらどれくらいの値段になってしまうのだろう……?
今回、僕たちは体の調子の悪い小麦おじさんの仕事を手伝って、小麦を分けてもらったわけだけど、もし小麦を買ってたらそれだけで材料費がかかってしまい『秋風』との売上勝負で優位に立てなくなってたかもしれないな。
そう言えば少し気になることがあった。
僕は小麦の袋を運びながら澄に話しかける。
「澄? そう言えば売り上げ勝負を『秋風』とするって話だけど、文化祭で言う売り上げってどういう計算になってたんだっけ?」
「あ! 俺もそれ気になるわ~!」
昌平も相槌をうつ。
「あら、まさか颯太さんからそんな質問が出ますとは。案外抜けている部分もあるんですね?」
「俺は、意外じゃないのか!?」
「はい。まず、私たちの高校では文化祭で出し物を行う、クラス、部活には学校から予算が出ます。大体小さい部活では五千円、大きい部活やクラスでは一万円の予算が出ますね」
「と言うことは、僕たち温泉部は五千円のお金を貰っていることになるのか?」
温泉部は部員合計5人の部活だ。
お世辞にも大きい部活とは言えないだろう。
「そうなりますね。その貰った予算を使って文化祭の準備をし、文化祭で得たお金でその貰った予算を学校に返済します。そうして手元に残ったお金が売り上げとなるのです。因みに、光熱費は考えなくて良いそうです。好きなだけ、学校の調理室を使っても良いとのこと」
なるほど。案外計算簡単だったみたいだ。
安く材料整えて、沢山売る。
シンプルで分かりやすい……と思ったけど、隣の昌平の頭はパニック状態になってるようだ。
昌平、数学が苦手だからな……
「五千円学校に返す分以上は売らないとまず勝負の土台に立てないってことか。饅頭一個百円で売るとして……五十個か」
「あら、颯太さん。計算が間違ってますよ?」
あれ?僕も間違ってる?
そんなに数学苦手じゃなかったと思うんだけど。
僕は内心毒づいた。
「ん? なんでだ?」
「だって、私たち温泉部はまだ一円たりとも学校から貰った予算に手を付けていませんもの」
ドヤ顔とはこのことを言うのだろう。
澄が鼻を高くして決め顔でそう言った。
予算を全く使ってないってどういうことだ?
小麦にお金がかかってないのは知ってたけど、それ以外にまだ一円も使ってないのは知らなかった。
「そうなのか!? さっきまでやってた教室の装飾は?」
「去年の先輩方のおさがりです」
「饅頭に入れる餡子は?」
「あさま荘の裏には畑がありましたね」
「……クリーム饅頭に使う生クリームは?」
「そう言えば、そこでパニック状態になっている男の家は酪農家でした!」
「…………」
澄がわざとらしく演じて言う。
これっていいのかな……
僕は不正ギリギリなのではないかと思われる『温泉部』の所業に目を細めた。
田舎って怖い。
普通に自分の家が畑持ってたり、牛飼ってたりするんだからな……
「お金のことは、どれだけお饅頭を売れたかだけ考えていれば問題ないです。颯太さん、考えるよりまず行動ですよ」
「……あぁ! ごめん。小麦の袋早く運ぶよ」
僕は澄にせかされ急ぎ足になった。
小麦の袋を運び、開封する。
二回目の生地作りだ。
今回は昌平参加しているため、少しは効率よく作業が進むだろう。
それでは始めましょう、と言う澄の合図で僕たちはいっせいに生地を作り始めた。
*
「皆お疲れ~! これでひとまず、文化祭前の練習はおしまい!」
「ウェーイ!!」
三年A組教室の中心に立つ紅葉髪の少女が終わりを告げると、教室内にゆるりとした空気が漂う。
日はもう落ちていた。
一日すべてをかけた大がかりな準備を終えた彼らは、まだ本番を迎えたわけでもないというのに既に達成感のようなものを得ていた。
物品の点検、ステージのセッティング、演技の確認。
普段の学校生活では決してしない、一年に一度のお祭りに向けての特別な準備。
慣れない力仕事は体力を使い、疲れが達成感へと変わった。
紅葉色の髪の少女も同じように疲れを感じている――そんなわけは無い。
彼女は普段から先生に頼まれては机運びの仕事を買って出たり、放課後遅くまで残って熱心に演技の練習に励んだりと、こういうことには人一倍慣れていた。
「それじゃあ、綾菜ちゃんまた明日ね!」
「じゃあな生徒会長!」
「おうともさ! 寝坊なんかするんじゃあないぞ諸君! 何てね! わはは~!」
クラスの人たちを一通り見送ると、生徒会長であり三年A組の学級代表であり温泉部部長の辻綾菜は支度を始める。
帰宅の支度などでは無い。
これからの自主練習のための支度だ。 .
誰より頑張り、頑張ることが好きで苦にならない、努力の才能に恵まれれた彼女は文化祭前日と言うシチュエーションに燃えないわけが無かった。
「…………はぁ……」
長く、大きいため息をつく。
誰もいない教室でこんなことをするのは、何故なのか綾菜は自分で自分の行動が分からなかった。
唯一つ分かるとすれば
「……今日は颯たん居ないんだよね…………」
その事実だけが彼女の頭の中を駆け巡っていた。
*
三時間後
あれから、僕たちは黙々と饅頭を作り続け7時を迎えてしまった。
グ~~~~
誰かのお腹が鳴った。
「…………私」
控えめに手を上げる。
俯きながら顔を赤くする。
「そろそろご飯にしましょうか。皆さん」
「それが良いな。僕もお腹空いた」
「俺も俺も~!!」
生地に餡子を詰めるのを止めて僕たちは、一旦夜ご飯を食べることにした。
手を洗い、生地にラップをかけ片付けを終え、調理室を出ようと手を掛けた瞬間。
扉はひとりでにガラガラと音を立て、開いた。
まるで話を聞いていたのではないかと思うほど良いタイミングで澄のお婆ちゃんが現れる。
「あんた達、夜ご飯は食べなくていいのかい? 丁度料理が出来てるから部屋まで来なさい」
少し仏頂面でそう言った。
一週間ぶりに見た澄のお婆ちゃんは自分の想像よりも優しかった。
たぶん、饅頭作りの練習をしていた間は怒られてばかりで怖い印象だらけだったけど、一回その場から離れてみたら、怖いという先入観が少し薄らいだのかもしれない。
それにしても少し機嫌が悪く見えるのは気のせいだろうか。
「あ、ありがとうございます!」
きちんと頭を下げてお礼を言う。
お婆ちゃんに連れられ、旅館の一角にある部屋へとついた。
普段お客さんを泊めるための部屋のようだが……僕たちが入ってもいいのかな?
澄を見ると、少し首を傾げていた。
僕と同じように疑問を持っているみたいだ。
「さあお入り! 食事は中にあるからね」
「……お婆様? ここの部屋は予約が入ってたと思われるのですが?」
「ああそうだったね……」
澄は僕とは違う疑問を持っていたようだ。
それにしても旅館の部屋予約まで暗記してるのか。
文化祭の準備もしながら旅館の手伝いまでこなすなんて、澄風に言うならば、流石『あさま荘』の娘と言ったところだろうか。
「澄、良くそこまで覚えてるな」
「いえ、全部覚えてるわけではありません。毎年この時期に予約を入れてくださる方がいまして、それだから覚えていたのです」
「あの人はかれこれ十年はあさま荘に通ってくれてるねえ」
澄のお婆ちゃんがうんうんと頷く。
その後、何か嫌な間をあけてお婆ちゃんは額に青筋を立てて怒り出した。
「今年も来る予定だったんだけど、突然! それも今さっき! 来れないと言い出しおって! 夜には顔を出すとか言ってたけど、全く無礼なやつだねえ!」
自分たちが怒られているわけでは無いと分かってはいるがどうしても身がすくんでしまう。昌平何て涙目だ。
さっきお婆ちゃんの機嫌が悪そうだった理由が分かった。
「そう言うことだから、料理は食べてしまっていいよ。食べ終わったら、流しまで持ってきておくれ」
そう告げると扉開けて、部屋を出て行ってしまった。
兎莉が放心状態の昌平の肩を揺すり現実世界に引き戻した。
「……お婆様はあの方のことが嫌いなわけでは無いのです。寧ろ気に入っているぐらいだと思いますよ」
「そうなのか。本気で怒っているように見えたけど」
「実際本気で怒っていましたよ。でも、颯太さん?」
「……ん?」
「お婆様が本気で怒れるのは、相手が他人ではないからです。そのことは承知しておいてください」
他人じゃないから怒る……か。
僕たちはお婆ちゃんに結構怒られていたわけだけど、裏を返せばそれは僕たちのことを他人では無いと思ってくれてた証なのかもしれない。
昌平なんてダントツで怒られる頻度が高かったから特にお婆ちゃんのお気に入りなのかもな、と昌平に言おうと思ったがまた放心状態になってしまいそうなのでやめた。
「お料理が冷めてしまいます。早めに頂ましょうか」
「そうだな。僕もお腹すきすぎて早く食べたい」
「……私も」
席に着く。
卓の上にはたくさんの料理が並べられている。
真ん中には里芋の煮物と、澄の家でとっているという小豆の水煮。
それにお麩の和え物。たぶん辛子あえだろう。
汁ものに、ねぎの粕汁。
光るような米はおかずが無くても美味しそうだ。
……って、確かに全部美味しそうだけど、旅館と言う割にはあまり豪華じゃないんだな。
「「「「いただきます!」」」」
皆で同じように合掌して箸を持つ。
何を食べようかと迷っていたところ、隣に座る兎莉が声をかけてきた。
「……颯太くん。煮物食べる?」
「おう。食べる」
すると兎莉は僕の取り皿をさらっと取っていき、お皿に煮物をよそっていく。
左手で皿を持ちよそっていく様はさながら旅館の女将みたいで……とても綺麗だ。
兎莉も温泉旅館の仕事とか向いているかもしれないなと思った。
「……はい。どうぞ、颯太くん」
「ありがと、兎莉」
渡された皿を受け取る。
豪華じゃないと言っても空腹の僕にとって、唯の煮物も一番のご馳走に見えた。
里芋、レンコン、鶏肉、ぜんまい、ニンジン……ニンジン?
実を言うと、僕はニンジンがあまり好きではない。
何だろう、土っぽい臭さとかがどうしても好きになれないのだ。
でもゴボウは大丈夫なんだよな……今はそんな話じゃない。
僕がニンジン嫌いなことは兎莉知ってるはずなんだけど、よそってきたということは……
「兎莉、もしかしてお昼の事少し怒ってる……?」
お昼のこととは、兎莉に予知のようなことをさせたムチャ振りのことだ。
兎莉は口角を少し上げ、答える。
「えへへ……颯太くんちょっと意地悪だったから…………お返し」
「ごめんごめん、つい出来心だったんだ」
罪には罰を。
僕も罰として、このよそわれたニンジンを食べるとするか……
箸で、皿の上のオレンジ色のそれをつかみ、恐る恐る口へと運んだ。
「…………美味しい……?」
「颯太くん、ニンジン大丈夫なの……?」
「大丈夫……と言うかこのニンジン凄く美味しいぞ! 何て言うのかな、土っぽさが全くなくて味が染みてる」
本当に意外だ。
僕が最後にニンジン食べたの小学生のころだし、味覚が変わって食べられるようになったのかもしれないけど、それを差し引いてもこのニンジンは異常に美味しかった。
世界観変わったよ。
……それは大げさすぎるか。
兎莉は僕の顔を見ながら優しく笑っていた。
「ちぇ……颯太君の困る顔が見れると思ったのに…………」
「そう言わずに、兎莉も食べてみなよ。僕よそってあげるから」
「あっ……」
兎莉の前にあった取り皿をさらう。
僕は先程のお返しに、箸で兎莉の分の煮物を取った。
「はいどうぞ」
「……………………」
「ん? どうしたんだ?」
「…………ええっと……ね。これじゃあ……間接キスになっちゃうね……?」
俯き加減にぼそりと告げる。
兎莉に言われて初めて気づいた。
そう言えば、僕自分の箸で煮物よそっちゃった……。
一度意識してしまうと何とも恥ずかしい気分が襲ってくる。
鑑を見てないから分からないが、もしかしたら僕も今兎莉と同じように顔を赤くしているのかもしれない。
「ちょっとニンジン食べただけだから、こんなのは間接キスに入らないって! ノーカン!ノーカン!」
「…………そうだね……。でも『こんなの』って言われて済まされるのは…………ちょっと怒っちゃうな……?」
「うん。こんなのかどうか決めるのは兎莉の方だもんな……ごめん」
「…………ちょっと違うかも」
そう言うと兎莉は、不機嫌そうにふて腐れる。
また気に障ることを言ってしまったのか。
気を取り直して、煮物を食べ進めよう。
僕は、里芋レンコン鶏肉ぜんまい……と煮物を次々に口に運んでいく。
どれも最高に美味しい。
鶏肉の旨味が良くしみている。
鶏肉って牛肉、豚肉に比べて華やかさが無くて主人公ってより脇役って感じに思ってたけど、こんなに美味しいんだったらもう主人公だな。
「澄、この煮物すごく美味しいな。少し地味な感じはするけど、食べてみたらびっくりだったよ」
「あら、颯太さん。地味だなんて思ってたんですか? まぁ……仕方がないかもしれませんね。『あさま荘』では豪華で華やかな料理は出しませんから」
華やかな料理を出さない……
何か理由があるのだろうか。
ストレートに聞いてみた。
「何か理由があるのか?」
「勿論です。颯太さん、それでは……沖縄に旅行に行くとしましょう。お昼にゴーヤチャンプルーと普通の野菜炒めのどちらかが食べれるとしたらどちらが食べたいですか?」
「うーん……ゴーヤチャンプルーかな。せっかく沖縄に来たんだから、沖縄っぽい料理食べたいし」
「そうですよね。旅行に来たのですから、その土地の郷土料理を食べたいと思うのは当然です。これは、沖縄に限らず『あさま荘』にも同じことが言えますね?」
ああ、そう言うことか。
僕は澄のその言葉を聞いて納得した。
今卓に出ているのは、普段僕が家で食べているような感じの料理たち。
この土地に住んでいる人からしたら、いつも通りの料理で物足りない感じがするけど『旅行客』の立場で考えてみたら最高の料理かもしれない。
「わざわざ遠くから、こんな山に囲まれた田舎に来て下さるのですから『田舎らしさ』のある料理でもてなすのが最良でしょう? よく旅館では華やかな魚の生け作りが出されるイメージがありますが、そう言った理由でここの旅館では作っていません。山に来たのに魚が出てきては雰囲気が合いませんよね?」
「そこまで考えてるのか……。安直に華やかじゃないとか言って悪かったよ」
「構いません。ここ近隣に住んでいる方からしたら、華やかさが欠けるのは分かっていますから。ただし、味の方は颯太さんも満足するものになっていると思いますよ」
「勿論! 最高だと思うよ。今まで食べてきた煮物の中で一番美味しいって言える」
正直に思いを告げる。
澄は自分が作ったわけでは無いのだろうけど、鼻を高く自慢げだった。
普段クールだけど、旅館のことになるとこんなお茶目な一面もあるんだよな。
「兎莉もこの煮物は美味しいって思う?」
「うん……美味しいと思うよ。私……結構料理練習してるけどこの味はまだ出せないな……」
「ふーん。兎莉って料理とか練習してたんだ。……そう言えば小学校の時、調理実習で食べた兎莉のカレーは忘れられない」
「そのことはもう忘れて…………」
小学校のことだ。
僕と兎莉は調理実習で同じ班になって、その時カレーを作ったんだけど……何故かとんでもなく不味かった。
僕は野菜を切っただけで兎莉に味は一任したんだけど、まさかカレーで失敗するなんて思いもよらなかった。
鉄と炭の味がして自分の中のカレーの概念が覆り、頭が混乱したのは覚えている。
兎莉も自分のカレーが美味しくないのは分かっていて……他の生徒にばれたくないから、僕と二人でカレーを完食してあのカレーのことは抹消したんだったな。
帰り道、ずっと泣きながら謝る兎莉を宥めるのは大変だった。
「だから…………練習したんだよ? もう颯太君にあんな料理食べさせられないから……」
「そうか。だったら、今度兎莉の料理食べさしてくれよ。どれだけ成長したか審査する」
「ふふふ……楽しみにしててね。昔の私とは、半世紀ぐらいの違いがあるんだから……」
「なんで、半世紀なんだよ?」
「…………。えへへ……何となく」
なんだそりゃ。
優しくはにかむ姿は幼馴染の間柄で、見慣れている僕でも少しドキッとしてしまう。
兎莉は性格はこんな感じで引っ込み思案だけど、外見は美少女だからな。
それから僕たちは黙々と目の前の絶品たちを平らげていった。
口に入れるものすべてが美味しくて、まるで夢でも見ているようだった。
昌平なんて何杯お代わりしたか分からないぐらい米ばっかり食べていた。
美味しいからその気持ちも分かるけどね。
「「「「ごちそうさまでした!!」」」」
手を合わせ、終わりを告げた。
僕たちは満足したお腹と心のまま食べ終わった食器を流しに運び、その流れでお饅頭を作っていた調理室に戻る。
流しに運んだ時に澄のお婆ちゃんがいて、さっきの話に出てきたおじいさんはどうなったのかと聞いてみたところ「あいつは来るよ。同じ爺さん婆さんの私が言うんだから間違いない。気持ちは良く分かってる。」と言われた。
この言葉の意味は良く分からないけど、すごい自信で言っていたしきっとおじいさんは来るんだろう。
「腹を満たしたところで皆さん眠くなってしまうかもしれませんが集中して作業の続をしましょう」
「「おう!」」
「Zzzzzz……」
「…………あの頭お猿さんの金髪はわざとやってるんでしょうか?」
澄の怒りの鉄拳が昌平に飛んで行ったのは言うまでもない。
ごたごたとしたリスタートになったけど、再び僕らは明日に向けて、最後の一段へと足を掛けるのであった。