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ボクらの世界、湯けむりのセカイ  作者: 長雪 ぺちか
第1章 文化祭のエトセトラ
5/28

1-5


 今日は珍しく雨だった。

 まだ五月だからと甘く見ていたが、五月下旬ともなればもうほとんど梅雨入りしててもおかしくはないのか。

 変わらないことと言えば、通学路を兎莉と歩いているということだろう。

 ふと隣を見ると、緑色の水玉の傘をクイッと上げて兎莉が微笑みかける。

 通学路は舗装されていなく、砂利道であるため地面はぬかるみ水たまりも多い。早く舗装されないかと切に願う。

 澄とはいつも一緒に学校に行ってるわけだけど、彼女の家は僕や兎莉の家よりも学校に近いので途中から合流する感じだ。

 傘をさし、並列して歩く兎莉が口を開く。


「颯太君……雨は好き?」

「何だよいきなり。……好きか嫌いかと言われたら嫌いかな。濡れるし、こうやって二人で話すにも雨の音が邪魔するし。兎莉はどうなんだ?」

「……うん。私も嫌いかな。昔は好きだったんだけど……」


 いつものことながら声に覇気がない。

 でも今のは、自信が無いとかそう言った理由で覇気が無かったわけでは無かったような気がする。幼馴染の勘だ。


「何か、雨にトラウマでもあるのか?」

「…………。ううん! 大したことじゃないんだけどね。ええっと……。その……私も子供のころに比べたら……」

「比べたら?」

「子供のころに比べたら、その……体重、とかも増えてるわけで、濡れた地面で転んだら大怪我しちゃうなって……。別に私の体重が重いとかじゃないよ! 昔に比べたらってだけだからね!」


 傘で顔を隠してしまったため、どんな顔をしているのか分からないが恐らく赤面しているだろう。

 女の子に体重の話させちゃって何か罪悪感を感じる。

 と言っても僕は兎莉の体重を知っているので今頃何だって話だけど。

 世の中のお母さんと言うのは末恐ろしいもので、最近流行りのSNSなどよりも高速な情報網を持っており、そしてそのセキュリティ面はガバガバである。

 プライバシーなんてあったもんじゃない。

 要らぬ心配をしている兎莉に僕は突っ込みを入れる。


「転ぶって……兎莉は心配性だな。普通に歩いてたら転んだりしないだろ」

「その通りじゃ、お兄様! ほれっ!」


 聞き覚えのある幼い声。

 雨音の中でもきちんとその声は耳に届いた。


「その声はヒメ……って、うわああああ!?」


 合羽を着たヒメが突然後ろから現れ、何かを投げつけてきた。

 それが何かは良く分からないが、僕の心臓は跳ね上がる。

 驚いた拍子に、僕はバランスを崩し尻餅をついてしまった。


「普通に歩いてたら転ばないのでは無かったのかえ? お兄様?」

「普通じゃないことが起きたんだ。仕方がないだろ。それで、ヒメ。さっき投げたのはなんだ?」

「ああ、カエルじゃよ?」

「カエル!?」

「そうじゃよ。童はカエルがとっても好きでな。雨が降ったからカエルを捕まえていたのじゃ」


 成る程、さっき感じたひんやりヌメッとした感触はカエルだったのか。

 子供のすることは全く予想できない。

 投げられたものの正体が分かると僕の心はなんとなく落ち着いた気がする。

 中身の見えない箱に手を入れるのは怖いみたいなやつだ。

 でも、服が濡れちゃったし……少し怒っているかもしれない。


「ところで、お兄様。いや、お兄様方は何をしているのじゃ?」

「学校に行くところだよ。というわけで、ヒメに構っている暇はない。ヒメも早く御家に帰れよ」

「う……少し怒っているな。隣のお姉様はさっきから童を見つめてどうしたんじゃ?」 


 ヒメが唐突に不敵な笑みを浮かべつつ兎莉に話をふった。

 見ると、兎莉はジト目で疑い深くヒメを見つめていた。


「…………。颯太君ってもしかして、こういう小さい女の子が好みなのかなって」

「断じて違う」

「嘘。颯太君がこんな小さな子と知り合うなんて……何かいかがわしい理由があると思うの」

「お兄様! まさか童の体を狙って!? これは大問題じゃな。わはは!」


 兎莉は疑いの目をヒメから逸らすことなくそう言う。

 ヒメはそれに合わせて雨音すら跳ね除ける大きさで笑った。


「童はお兄様のことが大好きだから、いつ告白してくれてもオッケーじゃぞ?」

「告白なんてしない」

「童のことが嫌いなのか……?」


 ヒメが急に潤んだ瞳を向けてくる。

 まだまだ幼いお姫様だが、少し色っぽさを感じた。

 たとえ相手が子供だと言っても、こういう反応は慣れないし困るな。


「別に……嫌いという訳じゃ……」

「じゃあ他に好きな人がいるのかえ? 例えば……隣のお姉様だったり」

「…………!? ヒメちゃん突然何言うの!?」


 ヒメが小悪魔のような笑みを浮かべる。

 お姉さまと呼ばれた兎莉は顔を赤くして慌てふためいていた。

 突然僕が兎莉のこと好きかもなんて言われたら恥ずかしがりやな兎莉は当然こんな反応するだろう。

 予想通りの反応で僕は心中でクスッと笑いながら余裕かましながら、実は僕も少し恥ずかしさを感じた。


「それとも、黒髪の温泉娘かえ?紅葉色の髪の娘かえ?」

「ヒメ、澄たちのことも知っているのか!?」

「もしかして、本当に童のことが好きだったり……これはいけないのう? 反省せねば」


 僕はヒメに問いかけるが、その質問は彼女に届かなかった。

 ぴょこんと後ろを向いてヒメは歩き出す。


「何にせよ、お兄様。童はお主の恋路を応援しておるぞ。さてさて、楽しみじゃの~」


 あんなことを言われた後に意識するなという方が無理な話で、残された僕と兎莉は気まずい雰囲気の中、学校に向かうのだった。


 *


 放課後。

 僕は昨日と同じく澄と一緒に小麦おじさんの畑に行き、お手伝いをした。

 二日目ともなると仕事にも慣れてきた感じがする。

 僕は冷たく湿っぽい土を弄りながらも頭では自分を褒め称えていた。

 サクサクと仕事を終わらせ、早速帰宅。

 と、いきたかったところだが実は今日は綾菜先輩に呼ばれて演劇の練習をすることになっている。今日も、と言うのが正しいかも知れない。

 そのため申し訳ないが、澄には先に帰ってもらって学校に向かった。

 時刻は六時丁度。

 夏が近づいているといってもまだ日がそこまで長くないため、六時になればそこそこに暗い。

 白結第一にはナイター設備がないので活動できなくなった運動部の生徒たちが学校から出ていく中、僕はその流れに逆らって学校の時計台へ歩いた。

 綾菜先輩が待つ時計塔まで距離は無い。

 すぐに目的地には到着し、彼女はすでにそこに居た。

 グランドと舗装路の境目に腰かける彼女は初め月を見ていたが、僕の足音に気付くとひょいと飛び起きてこっちを見据える。


「早いね、颯たん。用事は済んだの?」

「はい。仕事にも慣れたんで昨日よりは早く終わりましたよ」

「そうか、それは良かった! 早速だけど練習手伝ってもらいますか!」


 明るくそう告げると昨日と同じように僕に台本を渡し、練習を始める。

 辺りは暗いはずなのに、気持ちは全くそう感じない。

 きっとそれは先輩が輝いているから。

 演技をしている先輩は普段の元気溌剌な彼女とうって変わってどこか高貴さを感じる。

 先輩の演じる役は、王国軍を率いる戦乙女。

 戦乙女は軍隊の下級兵士に恋をしてしまい、しかし身分の違いからその恋には障害が多く、両親を説得し、許嫁を跳ね除け最後には結ばれるというのが劇の話の流れになっている。

 僕はわずかに差し込む時計塔の光を頼りに台本を読んだ。


『心はあなたを求めているのに、その思いに私は気付いているのに! どうして! ああ、どうして! 一歩踏み出すことが出来ないのだろうか!』


 あの日聞いたセリフを先輩が復唱する。


『私は一軍を率いる戦乙女。欲しいものは全て手に入れてきた。だが、本当に欲しいものは未だ手に入らない。勇気が欲しい。ただ一言、思いを告げる勇気が!』

『勇気が欲しいのですか?』

『そうだ、勇気が欲しい……!? お、お前何時からそこに!?』

『最初からです』

『……っ! コ、コホン! ところで、お前はどうしてここに来たのだ? 何か連絡を伝えに来たのか?』

『いえ、違います』

『なら、何故だ? 主の様子がおかしかったから心配して来てくれたのか?』

『いいえ。私は決して貴方が困ったり、何か悲哀に満ちた様子だったからここに来たのではありません。貴方の姿が見え、貴方の声が聞こえ、貴方の匂いがした。私がここにいるのはただそれだけが理由なのです』

『……っ! ああ、このようなことは主である私からするべきだというのに。戦乙女として軍を率いろうとも! 引どんなに高貴で気高く振る舞おうとも! 私は未だ乙女なのだろう。其方の言葉を聞いて、頬はだらしなくにやけ、ルージュを纏った様に火照ってしまっている。喜びを隠せない。兵士よ。今一度、其方の口で告げてはくれないか?』

『……お望みとあらば。戦乙女よ、私はあなたを愛している』


 僕の台詞を最後に物語は終わりを迎えた。

 台詞を読んでいるだけなのだが、面と向かってこのような台詞を言うとなんだか先輩に告白しているようで恥ずかしい。

 演技を終えた先輩は鞄に入っていたタオルで額を拭う。

 その後水筒を取り出しグイグイと飲むと、プハァっと「体にしみるねぇ」などとまるで会社帰りのお父さんがするようにそうした。水筒には一体何が入ってるんだ。


「あれ? 颯たん、タオル忘れたの?」

「あ、そう言えば忘れちゃいましたね。思ったより汗かいたし、明日は持ってくるかー」

「それじゃあ、今日は……ほれ、貸したげる~」


 そう言うと先輩は持っていたタオルは下投げで渡してくる。

 突然のことなので、僕は投げられたそれをあたふたと受け取る。

 地面に落ちかけて肝を冷やしたが、何とかギリギリ大丈夫だった。


「ナイスキャッチ! ほらほら、遠慮せずに! 私、颯たんだったら別にタオル使っても気にしないから!」

「気にしないからって……僕の方が気にしますよ……」

「あはは! 颯たん面白いな、その反応。乙女か! 君は乙女か!」


 あははと先輩は満面の笑みで笑い飛ばす。

 僕の気持ちなど知る由もなく、先輩は腹を抱えていた。

 こういうことを気にしないのは思春期の女の子として良くないと思う。

 特に僕の心臓に良くない。

 だが、先輩が気にしないなら……僕が気にしなければ済む話だ。

 せっかく気にせず渡してくれたのに、それを変に意識するのはそれはそれで失礼だというものだ。

 僕は意を決してタオルを顔に押し当てた。

 ゴシゴシと顔を拭う。

 なんとも言えない甘酸っぱい匂いが鼻を撫でる。

 それが洗濯後の洗剤の残り香なのか、それとも先輩が顔を拭いた後のための匂いなのか僕には分からない。

 分かったら意識しちゃうから思考をぐっとこらえる。

 気にしないなんてやっぱり無理な話だが、それでも必死に込み上げる気持ちを抑えた。

 ゴシゴシゴシ……

 僕が顔を拭いていると先輩はじっと僕の方を見つめていた。


「…………」

「何ですか、先輩? ……じろじろ見て」

「いや……そんな、念入りに拭かれるちょっと……って、乙女か! 私、乙女か! 顔あっついな~!」


 先輩の顔が急に赤く茹で上がり、ものすごい速さでクルリと後ろを向いてしまった。頬に手を当てる後ろ姿がなんとも可愛い。

 涼しい顔をして僕にタオルを貸した先輩も意外と意識していたのかもしれない。

 結局二人とも辱めを受けるという誰も得しない展開になってしまった。

 しばらくして顔のほてりが覚めたのか、先輩はまたいつもの様子でこちらを向いた。


「ごめん、ごめん! 想像以上に恥ずかしかったわ~! 私としたことが、まだまだだね!」

「まだまだって何ですか。嫌じゃないって言ってましたけど、やっぱり抵抗ありますよね?」

「ええっと、嫌じゃないというのは、別にそう言う抵抗があるとかじゃなくってだね……」

「だったら、どういう意味で……」


 僕が再び聞いてみると、うっ……と困った様子の先輩。

 むしゃくしゃしたのか、頭を掻きむしりながら頭を抱えた。


「うわあああああああ! 私は戦場に立つ戦乙女! そして颯たんは私の部下の一般兵士だ! 上司に歯向かうなど何事だ!」

「先輩!? お芝居のキャラ崩壊してますよ!?」


 綾菜先輩は奇抜な立ちポーズで僕を指さし、そう言う。

 お芝居の中の先輩の演じる役はそんなに暴虐無人じゃない。

 自分の立場は分かってはいるが心は乙女の可愛い子なのだ。


「キャラ崩壊!? そんなの知らないよ~! 戦乙女は戦乙女でもあり、この私、辻綾菜でもあるのだよ! 私の好きにやらしてもらうっ!!」

「…………」

「大体、私はお芝居の役の戦乙女に全然共感できないんだよね! 身分が何だ! 好きなら思いは伝えるべきだ! 私だったら兵士に告白をされる前にこういうね!」


 綾菜先輩が自分の運動神経を見せつけるかのように綺麗な後方宙返りを決めて僕から距離をとりスポットライトの真下に向かった。

 空に浮かぶ月を眺めて、先輩から出る独特の感じ、空間の質が変わった。


『おお、ちょうどいいときに来たな。今宵は月が綺麗だ。この月ならば我が告白も成就するであろう。兵士よ。私は君を愛している』


 演技中の凛々しい雰囲気を纏いながら言い放つ。

 確かに先輩にはこっちの台詞の方が似合っている。

 あんまりなよなよとしている先輩は違和感があったから。

 僕がそんなことを考えていると……


「颯たん、どうだった? こっちの方が良いでしょ!?」

「……確かに、先輩にはこっちの方が似合っているかもしれませんね」

「でしょでしょ! シナリオ担当に掛け合ってみようかな……でもこれじゃあ私がヒロインっぽくない?」

「いやいやいや……シナリオ担当に悪いですしこのままにしておきましょうよ」


 絶対あんな台詞入れたら、ストーリー崩れちゃうだろ。

 僕は顔も見たことのないシナリオ担当の困る顔をなんとなく想像しながら、先輩の暴挙を止めた。

 先輩は少し困った顔でブーブーと文句を言ったが、仕方ないとあきらめた。

 いろいろ問題児なところがある先輩だけど本当に問題を起こして誰かに嫌な思いをさせることは無い。そこら辺の分別はついている。

 何か行動を起こすときにその行動のダメな面ばかり見て結局実行できなくなってしまう僕なんかよりよっぽど大人だ。


「そう? まあいいや。颯たん! 休憩は終わりだよ! 練習の続きしよ~!」


 先輩は少ししょんぼりしたそぶりを見せたが、それは本当に一瞬ですぐにいつもの太陽のような笑顔を僕に向けてそう言った。

 先輩は今日も輝いている。

 僕は軽く会釈すると、練習に戻った。


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