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ボクらの世界、湯けむりのセカイ  作者: 長雪 ぺちか
第1章 文化祭のエトセトラ
4/28

1-4


 あれから二週間が経った。

 毎日放課後には澄の家に行き、特訓。

 土日も返上して俺達は鍛錬を積んだ。

 気付けばもう、5月になってしまっている。

 問題の饅頭作りだが……何とか行きそうで、澄のお婆ちゃんに六時には帰してもらえる程には成長した。

 帰宅時間が早まったことで、少しは心に余裕が出来てきた気がする。

 十二時帰りだった頃が、懐かしい。

 悪い思い出だから、あんまり思い出したくはないけど。

 饅頭作りの練習はこれからも継続してやっていくが、文化祭に向けてやらないといけないことは他にもある。

 ということで、僕たちは文化祭に向けての諸問題について話し合っている。

 昼休み、他のクラスからの来訪者は殆どおらず寧ろ他クラスにお昼を食べに出て行った生徒が多いせいで少し寂しくなった僕らの教室の窓際で話し合いが進めた。


「まず、衣装についてですがあさま荘の仲居の和服を着るのはどうでしょう? 売るのは温泉饅頭ですし、何より温泉部らしい服装だと思います」


 初めに澄が提案する。

 手には何やらメモのような紙を持っており、事前に考えをまとめてきたらしい。

 僕たちは文化祭で、温泉饅頭と飲み物を提供するカフェのような出し物をしようと考えている。甘味処というやつだ。

 澄は茶色を基調にした和風な雰囲気に包まれる店内を予想しているらしく、確かにそんな雰囲気の中ならば、澄の言う通り旅館の服を着るのが合っていると僕も思った。

 澄の提案に僕の向かいに座るツンツン金髪の昌平が反論する。


「確かに、良いと思うんだけどさ~? 許可とかいるんじゃないの? 澄のおばあちゃん許してくれなそうじゃね? 家の看板を背負うのはまだ早いとか言って」

「許可ならもうとってあります。というよりも、お婆様が仲居服を進めていたのですよ」

「良し、制服はそれで行こう!」

「昌平、熱い掌返しだな」


 調子付いた声で昌平が言う。

 僕は冷静に突っ込んだ。


「し、仕方ねえだろ!? 澄のばあちゃんが進めてきて、それを断ったってことになったら…………俺は定時退社したい」

「昌平くん、目がマジだね……」


 血走った眼で訴える昌平に兎莉は後ずさりをした。

 昌平、おばあちゃんのことトラウマになりすぎてるだろ。

 そんなことを思いつつ、僕も今の澄の言葉で中居服の案が確定だと感じたので人のこと言ってられない。

 僕はあさま塾(勝手に命名)の優等生に視線をやる。


「確かに、昌平の言ってることは分かる。また、十二時帰りは流石に……な? これは経験した者にしかわからない」

「あはは…………ごめんね、居残りしたこと無くて」

「それでは、決定ですね。当日は仲居服を着るということで」


 当日着る服が決まったところで、澄は先程持っていた紙にメモを書き留める。話し合いの結果をまとめてくれているのは有難い。

 澄が中心となって服装についての話し合いは無事終わった。

 しっかりとしたまとめ役がいてくれて本当に助かったと思う。

 もし澄がいなかったら……僕がまとめ役になっていたのだろうか?

 昌平はちゃらんぽらんだし、兎莉はどちらかと言えば引っ込み思案だからな……。

 そもそも澄がいなかったらなんて考えるのが間違っている。

 僕達一人でも欠けたらそれはもう『温泉部』じゃない。

 考えるだけ野暮だと言うものだ。

 綾菜先輩は今回参加してないけど子供の喧嘩に大人が混じってしまったみたいな力関係を持っているため仕方がない。


「そう言えば、材料ってどうするんだ? 普通に市販のやつ使ったら、いくら粉物と言っても、原価高くなっちゃうと思うぞ」

「そうですね。材料については私に心当たりがあります。ですので、颯太さん。付き合ってくれませんか…………放課後?」


 スラリと伸びた黒髪を指で遊ばせ、艶やかな視線を送ってくる。

 間違いなくわざとやってるな。

 全く、どこで覚えてきたんだか。

 澄はもっと自分が美少女だっていう自覚を持った方が良い。


「ドキッとするような言い方はやめてくれ。了解……僕たちの予定は決まったとして、兎莉たちはどうするんだ? このまま、饅頭作りの特訓ってのだと暇になっちゃうだろ」

「…………それなら、私たちはレシピ作りをしてるよ。文化祭で普通の温泉饅頭だけじゃ味気ない……でしょ? 厨房はあさま荘のを使わせてもらえるかな……?」


 いつも以上に自信なさげに兎莉がそう言った。

 表面上自信がなさげだが、目には力強い光が灯っていた。

 分かりづらいけど、多分兎莉には確信がある。

 幼馴染の感だけど、そんな気がした。


「分かりました。兎莉さんがそういうのなら、お婆様に話は通しておきましょう」

「俺はどうしたらいいー?」

「……昌平さんは兎莉さんの料理の味見でもしていて下さい。誰にでも出来る簡単なお仕事です、それならチャラメガネでも大丈夫でしょう」

「なんか、俺の扱いひどくね!?」

「兎に角、方針は決まりました。私と颯太さんは材料調達、兎莉さんと昌平さんが文化祭のレシピ作り。それぞれ、いつもの特訓が終わった後に動く形になると思います。頑張りましょう」

「「「「おーーー!!」」」」


 温泉部の雄叫びがクラス中に響き渡る。

 次の瞬間クラスの注目を一斉に浴び、兎莉が天を仰ぐのであった。


            *


 放課後。

 僕達は一先ず、あさま荘に向かう。

 昼休みに立てた計画を澄が真剣な眼差しでおばあちゃんに話した。


「かくかくしかじか……ということになりました」

「そう言うことになったのかい……」


 お婆ちゃんは目をつぶり、ゆっくりと頷く。

 感慨深い面持ちを浮かべるお婆ちゃんはどこか寂しげだったが、同時に嬉しそうでもあった。

 少しの間、そうして目をつぶっていると思うと目を開ける。


「分かったよ。あんたたちも少しは出来るようになってきたから今まで程のスパルタは必要ないかもしれないしねぇ?」

「よっしゃあっ!!!!」

「こらっ!! 昌平! あんたは全然上達してないんだから、今まで通り特訓だよ!」

「うげえええっ!! なんでだーーーっ!?」


 喜びで掲げた握り拳をそのままに昌平は崩れ去った。

 本人が金髪であるため、その姿はあたかも某世紀末キャラの様。

 昌平、ドンマイ……。

 昌平を叱ったお婆ちゃんは妙に楽しそうな表情で、楽しそうな表情をかと思いきや直ぐに何かを思い出した様に手をポンッと叩く。


「そう言えば、兎莉! あんたはもう練習に来なくても良いよ。もう私から教えることはなにもないからねえ。昌平の練習の手伝いでもしてやんな?」

「えっ!? 私まだおばあちゃんが言うほど上手じゃないと思うのですけど……?」

「それは、嫌味かい? 私は素直にあんたの実力を評価したつもりだよ」

「すごいな、兎莉!! 最初から上手だとは思ってたけどここまでとは……。僕にもあとで教えてくれよ」


 素直に褒められた兎莉は顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 兎莉はもう少し自分に自信を持てたらいいのになと思う。

 澄や綾菜先輩程自信家にならなくてもいいとは思うけどね。

 幼馴染として少し心配になってしまう。

 詰め寄る僕の前に手でバリアを張って兎莉は苦笑いする。


「あはは、颯太くん近いよ……? 私、褒められ慣れてないから少し照れちゃうな。でも、おばあちゃんがそう言うなら……自信を持ってもいいのかも」

「そうですよ、兎莉さん。自信を持ってください」

「うん、そうするね。おばあちゃん! ええっと、私の練習が無くなっちゃったけど……文化祭のまでの間厨房をお借りしても良いですか?」


 皆に褒められて自信がついたのか兎莉は、思い切って自分から自分の意志をおばあちゃんに伝える。

 澄のお婆ちゃんは兎莉から自分でこうしたいと言われることを想定しておらず、呆気にとられた。頬が緩む。

 まるで我が子の成長を見守る親のようにお婆ちゃんは微笑んだ。


「さっき、澄が言ってたメニュー作りとやらだね? 勿論、大丈夫さ。好きなだけ、厨房は使いな。ただし、『秋風』に絶対負けない最高のメニューを作ること、良いね?」

「はい……!」


 小さく拳を握る。

 幼馴染の成長に僕は少し安心するのだった。


「ここまで言われたら、俺も味見頑張んなきゃいけない気がしてきたぜ~!」

「味見って、頑張ることなのか……?」

「話もまとまりましたし、今日はもう練習に入りましょうか、お婆様?」

「そうだね、澄。あんたも同学年の、兎莉に負けないように鍛錬に励みなさい。さあ、練習に入るよ!」

「はいっ!!」


 文化祭まではあと一ヶ月もない。

 握り拳を掲げる僕達は気合いを入れ直し、自分の出来ることに全力を尽くすと誓った。


 *


 キンコンカンコンと終わりのベルが鳴る。

 五十五分の授業を六時間分こなし、時刻はすでに一六時を回っていた。

 春分の日は遠の昔に過ぎ日に日に長くなる日照時間のお陰で一六時と言っても空は全く暗くなってはいない。

 学校が終わり帰る者、部活動に行く者様々だが、僕達はあえて言うならば後者だ。


「では、兎莉さん。昌平さんを任しましたよ」

「う、うん……。不本意だけど、頑張るよ……」

「自分、泣いても良いっすか?」

「行きましょう、颯太さん」


 真顔で血涙を流す昌平を尻目に俺は澄の跡をついて行く。

 目的地がどこなのか全く伝えられていないのは少し不安だが澄の事だから余程変なところに行くことはないだろう。

 因みに昌平と兎莉は饅頭作りの特訓に若干の余裕が出来たことで一ヶ月放置しっぱなしだった学内の温泉の清掃に向かうそうだ。

 僕たち『温泉部』の物、と言うわけではないのだが名前からしてこんなにももっともらしい部活があれば温泉の清掃係が『温泉部』になるのは自然の摂理と言うものだ。


『あさま荘』とは逆方向、昌平の家のある方に俺たちが歩くことおよそ、二十分。

 目的地に到着する。

 そこは、何の変哲もない畑だった。

 僕はおかしいなと首を傾げる。

 余程変なところには連れてかれないと思ったんだけど。


「澄? 目的地ってここか? ただの畑のように見えるんだけど」

「あら、颯太さん。察しが良いですね、ここはただの畑ですよ」

「そりゃあ、見ればわかるよ」

「実は、ここの御宅では小麦を育てているのです。文化祭で饅頭を作る以上、小麦粉は必須です。そこで先日、小麦粉を譲ってもらえるように交渉したのです」


 なるほどね。

 話が見えてきたぞ。

 僕が饅頭作りの特訓でしごかれていた間、澄だって遊んでいたわけじゃないってことだ。

 僕は腕まくりをして力こぶを作るポーズをとる。


「流石、澄。用意周到だな。じゃあ、俺はその小麦粉を持って帰れば良いということか。力仕事なら、俺も男だし任せてくれ」

「……持ち帰る? 確かに、力仕事はしてもらうつもりですけど……と来ましたね」


 澄の向けた視線の方を俺も向く。

 丁度、澄のお婆ちゃんぐらいの歳であろうおじさんが杖を突いてこちらに向かって歩いてきた。


「おお、来てくれたかい! 私はここの畑の主だよ。小麦おじさんとでも呼んでくれ。早速だけど作業服に着替えてもらうよ」

「はい」

「はい…………はい?」


 勿論、後者の「はい」が僕のものだ。

 正直言って困惑していた。

 僕は再び首を傾げ澄に目配せすると、澄はクスクスと小さく笑う。


「あら、颯太さんどうかしましたか? 荷物運びをしに来たと思ったら、作業服に着替えろと言われてどういうことかと困惑している顔をしていますよ?」

「そこまで分かってるなら、説明してくれ……」

「働かざる者、食うべからず。という言葉をご存知ですか?それとも等価交換」


 澄の一言でピンと来る。

 どうやら僕は勘違いをしていたようだ。

 確かに力仕事は力仕事なんだが……。


「ええっと、つまり小麦は無料で貰えるってわけじゃなくって、貰う対価として労働を払うってことか?」

「そうですよ。察しが良くて助かります。先日、小麦農家のおじい様が腰を痛めたという話を昌平さんから聞いて、この案を考えました。おじい様は畑作業が進んで助かりますし、私たちは小麦が貰えて助かります。win‐winというやつですね」

「策士だな……。まあ、澄らしい。さて、畑仕事か……。あんまりやったこと無いから上手くできるか分からないけど全力でやりきってやるぜ!」

「その意気です、颯太さん。颯太さんの男らしい姿、見せてくださいね?」


 小麦おじさんに連れられ家の中へ。

 中に入ると、今日使うであろう作業服を手渡された。

 深緑色をしていて、如何にも作業服って感じだ。

 部屋を借りて着てみると、何とびっくりサイズがぴったしだった。

 たぶん小麦おじさんの普段着てるやつだと思うけど、何という偶然。

 着替えも終わったので、畑に行くか。

 先程入った、玄関の扉をガラガラと開ける。

 外ではすでに着替え終わった澄が待っていた。


「颯太さん、遅かったですね。女の私より着替えが遅いとは、乙女ですか?」

「断じて違う。というか、澄、お前……」


 僕は澄を下から上まで見て思ったことがある。

 少し言いにくいが、それでも頭を掻きながら言った。


「その恰好めちゃくちゃ似合ってるな」


 一目見ただけで若者が着て似合う奴じゃないなと思った作業服が、澄になんともマッチしていたのだ。


「当たり前です。『あさま荘』の娘が作業着一つ着こなせないで勤まりますでしょうか?」

「『あさま荘』の娘って何者なんだよ!?」

「ほら、君たち! こっちに来て早く作業に移ってくれ~」


 無駄話をしていると、小麦おじさんに催促された。

 小走りで、おじさんの所まで行くとおじさんは今日の作業の説明を始めた。

 説明によると、今日は畑の水やり、虫よけだそうだ。

 確かに腰を痛めたら、少し屈むのも辛そうだし、手伝いに来て良かったかもしれない。


「作業服が似合ってるからかかもしれないけど、作業がかなり様になってるな、澄?」

「そうですか。畑仕事は家のも手伝ったことがありますのでそのせいもあるかもしれませんね。颯太さんも水やりお上手です」


 澄が随分と手慣れた様子で植物に殺虫剤をまきながら言う。

 というか、澄の家にも畑があったことを今知ったな。

 まさか、『あさま荘』で出している野菜は自宅の畑から取っているのかもしれない。

 今は仕事中だし、今度澄に聞いてみるか。

 その後も黙々と仕事をこなしていく俺と澄。

 なんか良いな。二人で一つの作業をするっていうのは。

 これがまさに、初めての共同作業っ!!

 考えて恥ずかしくなってきた。

 バカなことは考えない様にしよう。


「そう言えば、最初粉物なら材料費が安く済むって話だったけど、まさかタダにまでなるとは思わなかったよ」

「そうですよね。本当に運が良かったです。しかし……もともとの値段が安いので二百0円ほどの節約になると言ったところでしょう」

「マジかよ……時給換算とかしたら怖いからやめておこう」

「文化祭での『売り上げ』と言うことを考えると、この方法しかありませんので仕方がありませんね」


 自分たちのポケットマネーを出して費用を出してしまった場合、多分最後の売り上げからその出した費用を引くことになるんだと思う。

 だからこそ、小麦を無料で貰うことは意味がある。

 自腹で小麦を買って、それを貰ったものとして申請してももしかしたらばれないかもしれないけど、そんな不正をして勝っても本当の意味で勝負に勝ったとは言えないしな。

 そんなことを考えながら、僕は再び集中して畑作業に勤しんだ……

 そして、約一時間後。


「終わったーっ!! 案外広いもんだな、畑って。水やりぐらいもっと早く終わると思ってた」

「お疲れ様です。私もそう思います。家の畑はもっと小さいので、正直畑仕事を甘く見ていました。不覚を取りましたね」


 澄が額の汗をぬぐいながらそう言った。

 僕と澄は同じ作業をしていたはずなのに、澄の方はあんまり疲れていないように見える。

 汗はかいているが辛そうな表情をしていない。


「それでも、しっかり仕事をやり切った澄はすごいよ。俺なんか途中で飽きてきたし、あんまり役に立たなかったかも」

「そんなことはありません。私も颯太さんという男性の目があったからこそ、緊張感を持って最後まで真剣に取り組めたのかもしれませんよ。颯太さんはちゃんと役に立ってます」

「うーん……。まあ、澄がそういうならきっと役に立ってたんだろう。ありがと、澄。少し心が晴れたよ」


 僕たちの声が聞こえていたのか、報告に行く前に家の中から小麦おじさんがひょこっと杖を持って現れた。


「おお~! もう終わったのかい? やはり、持つべきものは若さだねえ?」


 柔和な笑顔を浮かべ、杖を両手でつきながらそう言った。

 老人の笑顔はなぜこんなに優しく見えるのだろう。

 僕も見習いたいと思った。


「兎に角、お疲れ様! また明日、今日と同じ時間に頼むよ」

「はい」

「はい…………はい?」


 勿論、後者の「はい」が僕のものである。

 流石に二回目ともなると僕は苦笑いをするしかない。


「あら、颯太さんどうかしましたか? 仕事が今日だけだと思ったら、当たり前のように明日も作業ということになっていて困惑している顔をしていますよ?」

「その読心術、僕も欲しいわ……」


 結局そのあとの一週間俺は澄と共にこの畑の手伝いをすることになるということを聞かされて、僕のテンションは底辺まで下がった。


 *


 帰り道。

 時刻はもう十九時を回っている。辺りはもう暗くなっていた。

 畑の手伝いが終わったのは十八時ぐらいなのだが、実はその後小麦おじさんに呼び止められて追加の仕事を頼まれた。

 どうやら今度は本当に力仕事らしく、また時刻も十八時近くで暗くなりかけていたので女の子の澄は一人で先に帰ることになった。

 そうして本当に最後の手伝いを終えた僕はやっとの事で帰路に向かう。

 たまには一人で帰るのも良いだろう。

 帰り道の周囲を囲う雑木林から蛙なのか虫なのか鳥なのか、はたまたその全てなのか謎の鳴き声が忙しなく響く。

 僕の家は学校から見て、今日手伝いに行った小麦おじさんの畑の逆側に位置している。

 通り道だし、帰りに学校に寄って行こうと思う。

 実は筆箱を学校に忘れてしまったのだ。

 筆箱を持ち帰ったからと言って家で勉強する、とかいうことは無いのだが盗まれたりしたら嫌だからね。

 そうして、僕が学校まで歩幅大きく歩き、到着した。

 幸いにもまだ学校に残っている先生がいたので、職員室でカギを借りて筆箱を回収、すぐにカギを返却した。

 夜ご飯は小麦おじさんの所で食べさせてもらったからお腹は空いていないのだが、今日は疲れたので早く帰ろう。

 そうして僕が学校の校舎から出た、その時だ。

 学校の時計塔を照らす明かりのすぐ下に人影が見えた。

 見えただけじゃない、何か喋っている。声が聞こえる。


「こんな時間に誰だ……?」


 気になった僕はゆっくりと近付いてみることにした。

 近付いて行くにつれてその声はだんだんと大きくなっていき、人影は輪郭を結んでいく。

 橙色の髪を輝かせる、凛々しい立ち姿。

 僕はその人影の正体を知っていた。


『心はあなたを求めているのに、その思いに私は気付いているのに!どうして!ああ、どうして!一歩踏み出すことが出来ないのだろうか!』


 一筋の明かりがまるでステージライトの様に彼女を照らす。

 見間違える程いつもと雰囲気が違ってはいるが、彼女は間違いなく綾菜先輩だった。


「綾菜先輩……? こんな遅くまで何をやっているのですか?」

「………………!? 颯たん!? なんでここに!?」


 綾菜先輩は、僕がいきなり声をかけたことに驚き、飛び上がった。

 いつもらしくない。

 まあ、こんなくらい時間に声をかけられたら誰でも驚くか。

 男勝りな先輩でも一応は女の子なのだと実感する。一応とかすごく失礼。


「僕は澄と農家の手伝いをしてから、学校に忘れ物を取りに来たんです。それより先輩は……随分芝居がかった独り言ですね?」

「違う。芝居がかった、ではなく芝居そのものだよ! 文化祭、私のクラスは演劇をすることになってるのだ~!」

「そ、そうだったんですか」


 先程まで怯えたような様子だった綾菜先輩だが、すぐにいつも通りの明るい笑顔で話し始めた。

 どうやら先輩は演劇の練習をしていたようだ。

 先輩は諸事情で僕たち『温泉部』の出し物に参加しないことになったのだが、だからと言って先輩が文化祭で何もやらないわけが無い。

 きっと綾菜先輩のことだから他の部、クラスからも勧誘があったことだろう。

 暇になるなんて有り得ないし、寧ろ引っ張りだこだったはず。

 そんな中から先輩は自分のクラスの演劇に出ることを決めた、という事らしい。


「それで、こんな遅くまで練習をしてたのですね」

「その通り! 私、今回の劇の主役を任されちゃってね~。大変なんだ、これが」

「セリフが長いとかですか?」

「いや、セリフが長いってのもあるけど、私この戦乙女の役になりきるのにちょっと苦戦しててね……」


 綾菜先輩が苦笑いしながらそう言った。

 どうやら先輩が当てられた役は先輩の性格に合致しないものだったようだ。

 綾菜先輩っていつでもありのままってイメージだから役になりきること自体苦手なのかもしれない。


「……なんとなく分かります」

「分かるって何だい、分かるって。そうだ! 颯たん私の練習に付き合ってくれない!? 丁度相手役がいなくて困っていたんだ~!」

「ええ!? 僕なんかじゃ練習の相手にならないですよ。それより真っ暗じゃないですか。ええっと、女の子が夜遅くまで外に出あるいてたら危ないですよ」


 そもそも、綾菜先輩を襲うような不審者はこの近隣に居ないと思うが、一応言ってみる。

 不審者事件なんて起きたらすぐに犯人ばれちゃうしね。

 何とも悲しいことに田舎特有の狭いコミュニティーゆえである。


「颯たん、自分で言ってて赤くなってる! 可愛い!」

「か、からかわないでください!」

「じゃあ、颯たんが私のことを送ってくれれば問題ないよ! だから、少しだけでいいから練習手伝って!」

「…………。まあ良いですけど」


 僕はしぶしぶだが、綾菜先輩の話に乗ることにした。

 僕も帰ったからと言って何をするというわけでは無いから、少しぐらい寄り道したっていいだろう。

 心配をかけるといけないので、最近買ってもらった携帯電話で家には連絡を入れておこう。

 僕は制服の右のポケットに手を入れて携帯電話を取り、家への電話番号を打ち込む。

 噂によると番号を打ち込まなくても電話帳から電話を掛けられるそうだが、やり方を知らないので手打ちしている。

 自宅にしか掛けないし、それで事足りてしまっている。

 必要は発明の母と言うが、不必要は未発達の父になりえそうだ。


「はい、これ颯たんの分!」


 綾菜先輩はガサゴソとバックから紙を取り出し、渡してきた。

 受け取ってみてみると、それは緑の表紙がついた演劇の台本だった。

 表紙にはかなり崩した字体で「辻綾菜」と書かれている。

 タイトルは『帝国騎士と戦乙女』だそうだ。

 ペラペラと中身をめくってみると、マーカーで所々に線が引っ張ってあって、とても使い込まれた雰囲気を出している。


「台本ですか。それで僕はどこを読めばいいんですか?」

「台本にマーカー引いてあるでしょ! そこは私が読むところだから、颯たんは引いてないところ読んで~!」

「分かりました……って、先輩は台本読まなくて大丈夫なんですか?」

「ふふふ……! 私を侮ってもらっては困るよ、颯たん! もう、そこのページの台詞は全て頭に入ってるのだ~! めちゃくちゃ読み込んだからね!」


 綾菜先輩は自慢げに胸を張った。

 見ると開かれたページはかなり強い折り目がついている。

 先輩が言う通り、相当読み込んだんだろう。


「綾菜先輩って運動も勉強も何でもできちゃう天才なんだと思ってたんですけど、陰ではこんなに努力してたんですね」

「お!? 颯たん急にどうしたんだ? 私を褒めても部費が生徒会から出るくらいしかないよ!?」

「普通に出てるじゃないですか!? それとそれは生徒会長の職権乱用です。先輩も頑張ってるんだな、と。ただ……思ったことを言っただけです」


 僕がそう言うと、綾菜先輩ははにかんで素直に喜んだ。

 太陽の様にパアッと表情が明るくなる。

 えへへ、と笑う先輩はとても可愛らしかった。

 上機嫌そうにその場でクルクルとスキップする先輩は、そのまま喋り始めた。


「褒められるのは嬉しいものだね! 私このために努力しているようなものだし」

「…………?」


 僕は予想外の返答に呆気にとられる。

 きっと鏡を見たら口をぽかんと開けていることだろう。

 僕は開いた口を物理的に戻す。


「テストで百点取るのも、陸上競技で新記録を出すことも全部、皆に褒められるためにやってることなんだよ! そのために努力して、それを見た友達がまた私のことを褒めてくれる、正の連鎖、プラススパイラルだね!」


 綾菜先輩は振り向いて無邪気に笑いかける。

 嘘偽りのない、先輩の本心の言葉であると感じた。

 いつも楽しいことに一直線、全力少女な綾菜先輩。

 意外なことに、彼女の原動力は『褒められる』事らしい。

 僕も小学生の頃は、やれ勉強が出来ただの運動会の徒競走で一番だっただのと褒められて、嬉しかった記憶がある。

 高校生になり最近は褒められることがめっきり減って『褒められる』事が今の僕にとってどれほど嬉しいことなのかは分からないが、先輩はその嬉しさを今でも大切にしていた。


「プラススパイラルですか……。でも先輩、だったらこんな夜遅くまで一人で練習するんですか?今は僕がいますけど、僕がいなかったら誰も先輩の努力を見てくれませんよ」


 僕は素朴な疑問を聞いてみた。

 綾菜先輩はまるでこの質問が分かっていたかのように即答する。


「颯たん甘いね! 甘々だよ! 私は勿論皆に努力を見せてるよ! でも、皆に見せてる努力だけじゃ結果を出すのは難しいんだよね。結果が出ればまた褒めてもらえる。だから私は皆の前だけじゃなくって、陰でも努力をしているのだ~!」


 その言葉を聞いて僕は自分の間違いを知った。

 綾菜先輩は『陰では努力している』ではなく『陰でも努力している』のだ。

 僕は綾菜先輩とは出身中学や学年が違うこともあって普段の先輩を知らない。

 愚かなことに、僕は『温泉部』としての先輩しか知らなかったということだ。


「先輩……! 先輩はすごいですね。部活の時は唯の元気な先輩ってイメージでしたけど……今はちょっと尊敬しちゃいます」

「ちょっと~? もっといっぱい尊敬してくれてもいいからね、颯たん! 崇め奉れ〜!さあ、練習を初めよう~!」


 その声はまだ寒さの残る春の夜空に澄み渡る。

 拳を高く掲げた先輩はさながら勇者の様に、僕の目にはとてもまぶしく映った。


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