第九話 代弁者の増長
「『敵』を、見つけてほしい……?」
「そう。勝呂さんにはそれをやって欲しいんだ」
私はわからなかった。盾二くんが言っている言葉の意味がではない。なぜそれを私に任せるのかがわからなかった。
盾二くんは紛れもなく『天才』だ。そのため枕木をはじめとした『信奉者』など、数多くの人間が彼の味方、いや、もはや『下僕』として彼に付き従っている。
だが同時に学校内には盾二くんに敵対しているとも言える人間が少なからず存在した。要するに盾二くんの才能や人気に嫉妬して、彼の悪口を言ったり評判を落とそうと画策したりしている人間たちだ。そして彼らが、枕木たち『信奉者』と衝突したことも一度や二度ではない。
いくら盾二くんでも、学校内全てを見通せるわけではない。確かに盾二くんが介入すれば争いは解決するが、彼が介入できない争いもあるのだ。もしかしたら盾二くんは、『信奉者』と『敵対者』の争いを防ぐためにこんな提案をしているのかもしれない。
しかしなぜその役目を任せるのが私なのかはわからなかった。『敵対者』を探すなら、枕木にでも頼めば喜んでやってくれそうなのに。
だから私は、訊いてしまった。
「あの盾二さん。どうして私にそれを頼むんですか?」
その時。
「……!」
盾二くんの表情が一変した。口に右手を当て、こちらを見定めるようにじっと見ている。その目に見つめられた私は、声を出すことも逃げることも出来ずに、その場に立ち尽くすしかなかった。
「……ああ、そうだね。理由くらいは伝えておかないとね」
だけど盾二くんがその表情をしていたのはほんの数秒のことで、すぐにいつもの大人びた柔らかい物腰に戻った。だけど私は先ほどの彼の表情を忘れられそうになかった。
なんというか、一つ選択を間違えればこちらを排除しにかかるのではないかと思わせる表情だった。
「あ、あの……」
「ああ、うん。何で勝呂さんにこのことをお願いするかって話だったよね。それは簡単だよ」
そう言うと盾二くんは自分を指さしながら言った。
「君は僕たちのクラス、いや学年で唯一、鵠沼盾二という人間と関わりを持とうとしない人間だからだ」
「……!」
その言葉に、思わず数歩下がってしまう。口の中が乾いていき、心が緊張で満たされる。盾二くんはとっくに気づいていたのだ、私が彼に心を許していないことに。私が表向きには『信奉者』を装っていても、今のこの学校が異常だと感じていることに気づいていたのだ。
まずい、このままではまずい。もしこのことが枕木たちにバレたら私はどうなるのだろう。学校の敵として糾弾されるのだろうか、『信奉者』と『敵対者』の戦いに巻き込まれてしまうのだろうか。
「ああ、安心して。僕は君をどうこうするつもりは無いんだ。あくまで今回は頼みごとをしに来ただけだよ」
「……」
本当だろうか。いや、それ以前に気になることがある。
「どうして……」
「ん?」
「どうしてわかったんですか? 私があなたを心から信頼していないことに」
そうだ、私はそもそも盾二くんとはそこまで関わりは持っていなかった。普段の会話にも不自然な所は無かったはずだ。なのに何故気づかれたのだろうか。
「ああ、それは昨日君にボールペンを借りただろ?」
「え、は、はい」
「その時の君の態度が、少し引っかかったんだよ。君はペン先が僕に向く形でボールペンを渡した。もし僕にボールペンを貸したのが枕木くんたちだったとしたら、絶対にペン軸の方が僕に向く形で渡すんだ。『盾二さんに失礼のないように』なんて言ってね。だから僕は、勝呂さんにとって僕の存在はそこまで大きくないということに気づいたんだ」
「……そうですか」
表面的には落ち着いた返事をしながらも、私は内心驚いていた。そんな些細なことで、盾二くんは私の心の中を察することが出来るのだ。それに驚かずにはいられなかった。
「それでだ、何故君に『敵対者』を探して欲しいかという話の続きなんだけど、君は僕の『味方』でも『敵』でもない。いわば『中立』の存在だ。だから君なら偏らない目線で僕の『敵』を探してくれると思ってね」
「……それはどうでしょうか。今の会話で私があなたに敵意を持った可能性もありますよ?」
私はせめてもの抵抗として意地悪な返答をしてみた。
「それは無いね。君は僕と、いやこの学校と出来るだけ関わりたくないと思っている。そのために外部進学を希望しているという事も既に知っている。だから僕の『敵』として関わることも避けたいと思っているはずだ。だから君は、僕に敵意を持たない」
「……」
……やはりだめだ。私と盾二くんでは、まさしく格が違う。私が少し小細工を弄したところで、彼にはまるで効果がない。そのことに少し悔しさを感じたが、私は私で彼は彼なのだ。張り合ってはいけない。
「一応忠告しておくけど、僕の『敵』に回るのはおすすめしない。僕は何もしないけど、枕木くんが何をするかわからない。それは君もよく知っているだろう?」
その言葉で、先ほどの枕木の態度を思い出す。枕木は私がボールペンを盾二くんに貸し、その翌日に盾二くんが学校に来るのが遅かったというだけで言いがかりをつけてくるほどに盾二くんを崇拝している。あいつを敵に回すのは危険だ。
「……わかりました。ですが、私があなたの『敵』を見つけられるとは限りませんよ?」
「構わないよ。あくまでこれは僕の目的のための布石だ」
「あなたの、目的?」
「残念だけど、それは君には関係の無いことだよ。『敵』を見つけたら、枕木くんに報告すれば彼が勝手にやってくれるはずだ。それじゃあ、教室に戻ろうか」
盾二くんに連れられ、私は教室に戻った。しかし私の心の中には、計りようのないほどに大きな不安が残っていた。
そしてその不安は的中することとなる。
「……ホームルームの前に、皆さんにお伝えしたいことがあります。昨日、とある生徒が階段から落ちて怪我をしました」
盾二くんから『敵対者』を探すように言われた一週間後。クラス担任の教師が、生徒たちを睨むような顔でそのニュースを伝えた。
「えー、本人は不注意で階段から落ちたと言っていますが、最近このような事故があまりにも多いと先生は思います。皆も何か気づいたことがあれば、怖がらずに先生に言うように」
直接的な言葉こそ言わなかったものの、担任は明らかに生徒の誰かが故意に怪我をした生徒を階段から突き落としたと疑っているのがわかった。だがクラスの誰も、担任の言葉に腹を立てようとはしない。なぜなら彼らも同じ事を考えていたからだ。
この一週間、複数の生徒が学校内で大きな怪我をするという事故が立て続けに起こっていた。さらにその事故の被害者全員が口を揃えて、『自分の不注意で怪我をした』と言い張っているのだ。
そして被害者たちにはもう一つ共通点があった。それは、彼らが盾二くんの『敵対者』であることだ。それがわかったのは被害者の一人が、怪我をした直後に盾二くんに許しを乞うような発言をしていたという噂が立ったからだった。
しかしそれでも、教師たちや生徒たちの盾二くんへの信頼は揺るがなかった。彼らの中では、『鵠沼盾二』という人間と、『敵対者を力ずくで排除する冷血漢』というイメージがどうあっても結びつかないからだ。なので生徒たちの間では、別の人間に疑いが向かっていた。
「おい、お前ら! 盾二さんを悪く言ったらこの俺が許さないからな!」
そう、盾二くんの最大の『信奉者』、枕木剛だ。
学校内で事故が起こるようになってから、盾二くんはあまり学校内で発言をすることが無くなった。話しかけられた時に一言二言口を開くだけで、あとは一人で行動することが多くなった。
その代わりに、学校内での枕木の発言権が増していった。盾二くんは枕木に『僕は少し忙しくなってきたから、学校の皆のことは君に任せるよ』と皆の前で伝えていたのだ。そう言われた枕木は涙を流しながら感激し、盾二くんがあまり話さないのをいいことに、クラスメイトたちに説教や持論を述べることが多くなっていった。まるで自分が盾二くんの代弁者であるかのように。
それからというもの、枕木は事あるごとに学年のリーダーを気取るようになった。テスト前には勉強会を主催したり、生徒たちの言い争いを仲裁したりしていた。そんな行動をしているために次第に皆の枕木への不満が募っていったが、『敵対者』たちが事故に遭っている状況では、表だって枕木に刃向かう者はいなかった。
そして昨日、事態はさらに動き出した。私の携帯電話に非通知設定で、このようなメールが届いた。
『学校内の『異端者』を皆で排除しよう! 『異端者』を庇う者は『異端者』とみなす!』
『異端者』。おそらくは盾二くんに敵対する生徒たちを指しているのだろう。そしてこのメールを送ってきたのは十中八九、枕木かその手下だ。とうとう奴は自分が学校を救う正義のヒーローを気取り始めたのだ。
私は危機感を抱いていた。どんな目的があるかは知らないが、枕木の増長は間違いなく盾二くんの予定通りの展開だ。つまり盾二くんは意図的に学校内の混乱を起こしているのだ。
このままでは、私も何かトラブルに巻き込まれるのかもしれない。それはなんとしても避けたかったが、上手い対策は思いつかなかった。
しかしそんな時に耳にしたのは、盾二くんにお兄さんがいるという話だ。
盾二くんの兄、剣一さんは弟のように天才ではないらしいが、何かと盾二くんに勝負を挑むことで有名らしい。
私は今まで、盾二くんに関わった人間は『信奉者』と『敵対者』のどちらかになると思っていた。だから剣一さんのような『挑戦者』がいるとは思っていなかった。
盾二くんの味方でありながら、彼を超えようと足掻く存在。そう、剣一さんならこの異常な状況を変えてくれるかもしれない。
いきなり剣一さんに接触するのも躊躇われたが、何かがあってからでは遅い。現状で盾二くんが『異端者狩り』に関わっている証拠が無い以上、これしか手はないのだ。
なので私は剣一さんが通っている学校を調べ、彼に接触することにした。