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第八話 二胡


「盾二さん、廊下の掃除が終わりました!」

「うん、お疲れさま。ありがとうね」

「盾二さんの教えてくれた勉強法、すごい役に立ちましたよ!」

「それならよかった。この調子で頑張ってね」

「盾二さん……」


 私は教室の一番窓側の席に座り、部屋の中央でクラスメイトたちに囲まれている一人の男子生徒を眺めていた。男子生徒は中学三年生にしては身長が高く、白い肌と艶やかな黒髪が男性に似つかわしくない色気と大人びた雰囲気を醸し出している。だがその体には細身ながら男性らしい引き締まった筋肉があることは、捲られた袖からのぞく腕からもわかった。


 彼の名は、鵠沼盾二。このクラス、いやこの学年の『主導者』だ。


「盾二さん、もう帰りますか?」

「いや、僕はこの後隣のクラスで勉強を教える予定があるんだ。遅くなりそうだから先に帰っても大丈夫だよ」

「いいえ、俺にもお手伝いさせてください!」

「ありがとう、じゃあお言葉に甘えようかな」

「はい!」


 盾二くんに話しかけているクラスメイトたちは皆、彼に敬語を使っている。だが決して盾二くんが私たちより年上というわけではない、クラスメイトたちは同い年である盾二くんに対して、自ら進んで敬語を使っているのだ。

 もちろん最初からそうだったわけではない。彼らも三年生に上がった当初は彼と対等の口調で話していた。しかし盾二くんはその高い能力で数々の功績を上げた。進学校の教師すら思いつかない斬新な手法での勉強法を考案したり、どんな相手にも怯まずにかつ最適な言葉で意見を伝えたり、数々の運動部で助っ人を務めてチームを引っ張ったりしていた。それらの功績から次第に彼は尊敬されるようになり、加えてその優れた容姿から人気がさらに高くなった結果、同学年の生徒たちからもはや崇められていると言っても過言ではない存在になっていた。


「あれ、ペンが一本無いな」

「本当ですか!? 俺のでよければお使いください!」

「あ、いや、いいよ。おーい、勝呂さん」


 いきなり名前を呼ばれて驚いた私――勝呂すぐろ 桔梗ききょうは盾二くんから咄嗟に目を離してしまった。


「おい勝呂! 盾二さんが話しかけてるんだから無視するんじゃねえよ!」


 先ほどから盾二くんの隣で敬語を使っていた男子生徒、枕木まくらぎ つよしが私を怒鳴りつける。当然のことだが、私には敬語を使う気はないようだ。


「枕木くん、そんな怒鳴らなくても大丈夫だよ。気にしてないから」

「しかし……」

「それで、勝呂さん。ちょっと頼みがあるんだけどさ」

「……なんでしょうか?」


 枕木たちと同じく、私も盾二くんには敬語を使うようにしている。だが私は彼らのように盾二くんを崇拝しているわけではない。ただ、安全のためだ。


「赤のボールペンを一本、貸してくれるかな? 明日返すからさ」

「……わかりました」


 私は筆箱から赤いボールペンを取り出し、盾二くんに渡す。


「ありがとう。ありがたく使わせてもらうよ」

「……はい」


 行動だけ見れば、ただボールペンをクラスメイトに貸したというだけの話だ。

 しかし今の私たちのやりとりを大人たちや他校の生徒たちが見れば、異常だと感じるだろう。なぜなら同じクラスだというのに、盾二くんと私の間には紛れもなく上下関係が存在するとしか思えないからだ。

 別に私は虐められているわけではない。盾二くんも私を虐めているつもりはないだろう。しかしその突出した能力から否応無く他人を従えてしまう、それが鵠沼盾二という少年なのだ。


「……おい、盾二のヤツやっぱり調子乗ってるよな」

「あいつは普通じゃねえよ……」

「転校してしまえばいいのに……」


 教室の隅にいた数人の男子生徒が、盾二くんを見て愚痴を言っているのが聞こえた。


「おい! お前等聞こえたぞ! 盾二さんを悪く言うのか!?」


 枕木にもその声が聞こえたようで、彼らを大声で注意する。


「悪く言うって、別に……」

「盾二さんはこの学校をよくしようと頑張ってるんだ! それを悪く言うってことは、お前等はこの学校の敵だ! そうだろう!」


 枕木はどんどんヒートアップし、彼らを敵と認定する。


「そうだ! お前等はおかしいぞ、盾二さんを悪く言うなんて!」

「お前等だって盾二さんに助けてもらっただろうが!」

「お前等こそ転校するべきだ!」


 枕木に合わせて盾二くんの『信奉者』たちが一斉に彼らを糾弾する。数の暴力に押された彼らは気まずそうに教室を出ていった。


「枕木くん、それに皆。僕のことを庇ってくれたのは感謝する。だけど同じクラスの仲間にそんな攻撃的な物言いをするべきじゃないよ。そんなことをすれば、僕らは平和な学校生活を送れなくなる」

「すみません盾二さん……でも、おかしいのはあいつらです。いつも盾二さんのおかげでクラスがよくなっているのに……」


 枕木の言っていることは嘘ではない。実際、盾二くんの存在がこのクラス、いや学年の秩序を保っているのは間違いない。例えクラスで喧嘩やいじめがあったとしても、盾二くんが介入すればあっという間に解決するし、教師に怒られたり試験でミスをして落ち込んでいる生徒のケアも万全だった。そのためか、教師たちからも盾二くんは信頼されている。

 だけど私は逆に、学年全体がこれほどまでに秩序立っていることの方が異常に思えた。本来、私たちの年代はもっと身勝手に行動するもののはずだ。他の学校ならば、学年内に無数のグループや派閥ができて、それぞれが思い思いに行動して時には衝突したりするもののはずなのだ。

 だけどこの学年は違う。この学年には盾二くんと盾二くんの『信奉者』、そして盾二くんの敵の三つのタイプしかしない。この学年にいる人間の全てが、鵠沼盾二という一人の人間に振り回されているのだ。それは異常と言うほか無い。


「盾二さん、私は習い事がありますので、これで……」

「うん、ありがとうね勝呂さん」


 私はこの異常な空気に耐えられず、さっさと教室を出ることにした。



「あっ」

「勝呂さん、今日はどうしたの? ミスが多いみたいだけど」

「す、すみません」

「謝らなくても大丈夫よ。気持ちが落ち着かないときは誰にでもあるわ」


 私は趣味で続けている、二胡にこの教室にいた。二胡とは中国で発展していった弦楽器の一つで、楽器を立てた状態で手にした馬のしっぽの毛を張った弓を二本の弦の間に挟んで擦ることで音が出る。弓の持ち方や角度を変えることで音を変えることが出来るが、これが中々難しい。しかも今日はなぜかいつもよりミスが多くなってしまった。


「勝呂さん、もしかして悩みでもあるの?」


 教室の先生である初老の女性が、私を心配してくれた。でもいくらなんでも学校の悩みを二胡教室の先生に相談するわけにもいかない。


「いえ、すこし集中力が切れちゃっただけです」

「そう……ならいいけど」

「あら、もしかして桔梗ちゃん、好きな男の子が出来たとか?」


 私の隣にいた生徒の一人である中年女性がからかうように言う。


「あらそうなの? それならオバサンに相談してちょうだいよ。男を落とすテクニック教えて上げるわよ。一昔前のものだけど」

「あはは、そんなの役に立たないわよ」


 生徒である女性たちと先生が笑いながら私にアドバイスをする。おかげで少し気分が軽くなった。


「ありがとうございます。落ち着きました」

「いいのよ。オバサンたちは笑うのが取り柄みたいなものなんだから」

「あら、アンタと一緒にしないでくれる? アタシは料理も上手いんだから」

「なによー」


 この教室の生徒は、私以外は全員三十代以上の女性だ。二胡という楽器はまだそこまでポピュラーでもないし、中学生の習い事にしては少しイメージと違うからこうなっているのだろう。

 だけど私はこの教室に通って良かったと思っている。二胡を演奏するのは楽しいし、なによりあの学校の異常さに気づかせてくれた。ここの生徒の人たちの中には私と同じくらいの子供を持っている人もいて、その子供の話を聞くことで、『普通』の学校の雰囲気を知ることが出来たのだ。

 自分たちのことをオバサンと言うだけあって、彼女たちの人生経験はバカには出来ない。以前、生徒の女性の一人に盾二くんと私の学校のことを相談したら、『それは間違いなく異常だ』と言い、その根拠を提示してくれた。やはり大人であるだけあって、感情論だけで話さない分、説得力がある。

 だから私はあの学校の中でも一歩引いた目線でクラスを見れるのかもしれない。私は一応表向きは盾二くんの『信奉者』を装っているが、早くあの異常な学校を抜け出すために外部進学をしようかと思っていた。もちろんクラスの皆には秘密だ。


「それでは、今日もありがとうございました」

「ありがとうございました!」


 その日の稽古が終わり、私は自宅に帰ってソファーに寝転がる。リラックスした頭で、自分がなぜこういう考えを持ち始めたかを思い出していた。 


 私もかつては人より勉強が出来ることで自分に自信を持っていた。しかしあの学校に入学し、私より勉強が出来る人間は沢山いるということを思い知った上、盾二くんの存在を知ってしまった。だから早々に自分が『特別』な人間ではないことを自覚することが出来たし、自分がどうしても『特別』になりたいわけでもないことにも気づいた。

 私は突出した能力を持たない。二胡だって別に趣味で続けているだけで、演奏家になろうなんて思っていない。だが私はそれでいいのだ。天才になれないならなれないなりの役目を果たしたいと思っているし、そういう人生を送りたい。つまらない人生かもしれないが、私は盾二くんみたいに皆を導く存在にはなれないし、なりたくもない。私は自分と自分の大切な人が幸せならそれでいいのだ。

 だけど盾二くんとその『信奉者』たちは違う。盾二くんは何を考えているか理解できないが、『信奉者』たちは盾二くんをサポートしている自分たちを『選ばれた存在』だと思っているし、自分たちが間違った人間を正す義務があると本気で思っている。実際は只の凡才である自分が、鵠沼盾二という一人の天才の横にたまたまいたというだけで実際の自分以上に大きく見えてしまっているのだ。

 ありのままの自分を受け入れないということは、今の自分の力量がわかっていないということ。そして今の自分の力量がわかっていなければ、自分をどう伸ばすか、どう努力するかを見極めることが出来ないと思っている。だから『信奉者』たちはあのままでは盾二くんの言うことだけを聞く、人形に成り下がってしまうのだろう。それを考えると、私はそうなる前に気づくことが出来て、本当に良かったと思っている。



 翌日。私はソファーの上で眠ってしまったようで、学校に行く前に急いでシャワーを浴びて、遅刻寸前でようやく学校に到着した。


「はあ、はあ、おはようございます」


 息を切らしながら教室に入ると、すぐに異変に気づいた。そう、盾二くんがいないのだ。


「あれ……盾二さんは休み?」


 友達の一人に話しかけると、気まずそうに目を逸らされる。一体何事かと思っていると、枕木に声をかけられた。


「おい、勝呂」

「……なに?」

「お前、盾二さんに何かしたのか?」

「え?」


 何かしたのかと聞かれても、何もしていないとしか答えようがない。しかし唐突すぎて咄嗟にその言葉が出てこなかった私の胸ぐらを枕木が掴んだ。


「とぼけんじゃねえよ! お前昨日、盾二さんにボールペンを貸しただろ! あのボールペンに何か仕込んでたんじゃねえのか!?」

「な、何言ってるの!? そんなことするわけないでしょ!」


 いくらなんでも言いがかりが過ぎる。ボールペンを貸した翌日に盾二くんが休んだだけでまるで犯罪者のような扱いを受けるなんて異常だ。でも枕木は自分の言っていることがいかに暴論かを気づかない。こいつには盾二くんを命がけでサポートする『特別』な自分しか見えていないのだ。


「枕木くん、何をやっているのかな?」


 その時、落ち着いた聞き慣れた声が教室内に響いた。この声の主を、その場にいる全員が知っている。


「じゅ、盾二さん!?」


 言うまでもなく、鵠沼盾二その人が、教室の入り口に立っていた。


「暴力はよくないって、いつも言っているよね? 僕はクラスが平和なことを望んでいるよ」

「す、すみません」

「さて、それと勝呂さんにちょっと話があるんだけど、来てくれるかな?」

「は、はい」


 盾二くんに呼び出された私は廊下に出て階段を下り、階段の横のスペースに連れてこられる。


「あの、そろそろ授業が始まってしまうのですが……」

「うん、勝呂さんはこの状況でも授業の心配をするんだね。感心感心」

「……?」


 盾二くんの意図がわからない私は思わず目を細めたが、彼は構わず言葉を続けた。


「さて、勝呂さんにお願いがあるんだけどさ」

「お願い?」



「僕の『敵』を、見つけてくれるかな?」

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