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第六話 中華風弁当

「えー、皆さんにお知らせがあります。名残惜しいことですが、村瀬くんがこの学校を離れることとなりました」


 町針さんが俺の『願い』を叶えてから一週間後。担任である中年の男性教師が淡々とその知らせを告げるのを、俺はさして集中せずに聞いていた。あの町針さんに脅されれば二度と学校に来る気にはならないだろう。


「えー、それともう一つ。○○くんと××くんがご家庭の事情でしばらく欠席となります……」


 担任が次に口にしていたのは、村瀬を虐めていた不良たちの名前だった。『家庭の事情』などと言っているが、おそらくは村瀬がイジメを暴露して謹慎処分になったのだろう。報復しようにも、村瀬はもう学校には来ない。結果的にではあるが、町針さんは村瀬のイジメを解決したのかもしれない。

 

 だが俺は知っている、町針さんの危険性を。

 

 町針さんは俺のためなら人殺しすら厭わない危険人物だ。それは間違いない。そして彼女が暴走するかどうかのきっかけは間違いなく俺自身。つまり彼女の手綱は、まさしく俺が握っているのだ。

 こうなると、やはり俺と町針さんの関係は主従関係に近いのかもしれない。だがそんな関係が正常であるはずがない。人間はやはり対等であるべきだと思う。

 

 昼休み。今日も町針さんが弁当を持ってやってきた。


「さて剣一。下僕との昼食の時間がやってきたぞ」

「……あのさ、その『下僕』ってのはどうしても変えられないのか?」

「『下僕』がイヤなら、『シスター』というのはどうだ? お前という神に仕える下僕だ」

「……もういい」


 相変わらず尊大な口調でわけのわからないことを言う町針さんに対し、俺はすっかり敬語を使う気をなくしていた。この人一応先輩なんだけど、まあいいよな……


「さて、今日の弁当は中華風にまとめてみた。心して食べろ」

「……」


 おい、蓋を開けたら上段の箱に肉まんがキツキツに詰められているんだけど、こいつ今これを『中華風弁当』って言ったのか?


「ふふふ、これだけではないぞ剣一。下段を見てみろ」

「……あまり期待はしないでおく」


 上段の箱をどかすと、下段の箱には黄色い物体がやはりキツキツに詰められていた。


「なんと下段にはピザまんが詰まっていた! どうだ、驚いただろう?」

「もはや中華ですらねえ……」


 しかし腹も減っているので、仕方なくこの『中華風弁当』を食べることにした。ああくそ、キツキツに詰められているから取りづらいなこれ!


「さて、私が正式にお前の下僕になって一週間が経ったわけだが、何か私にして欲しいことはあるか?」


 ……遂に来たか。

 俺が町針さんを下僕と認めて一週間。その間彼女は俺に弁当を持ってくる以外は特にくっついてくる様子は無かった。放課後の俺の練習も遠くから見ているだけだったし、下僕を名乗っていてもただ単に俺に好意を抱いているだけなのかとも思い始めていた。

 だがここに来て、町針さんは次の命令を求めてきた。ここで下手なことを言えばまた彼女は暴走するかもしれない。ここは慎重にならないと。


「私の個人的な感情からすれば、お前には早々に鵠沼盾二から離れて欲しいのだがな」

「……」


 そう言えば、町針さんは俺の下僕になると言いながら、盾二のことも意識した発言をすることが多い気がする。俺に対する感情が好意とするならば、盾二に対する感情は嫌悪と言うべきか。

 確かに盾ニは中学生離れした能力を持っているから、その分嫉妬による敵も多いみたいだ。だけど町針さんが抱いている嫌悪感の原因は、それとはまた違うように見えた。


「あのさ、町針さん」

「なんだ?」

「盾二のこと、嫌いなのか?」

「……」


 俺の質問に、町針さんは表情を消して言い放つ。


「鵠沼盾二は、排除しなければならない『敵』だ。私はお前を鵠沼盾二から救わなくてはならない」

「救うって……別に俺は盾二には何もされてないぞ?」

「だがお前は現在、鵠沼盾二に挑戦し続けている。私にはそれが見ていられない」


 町針さんは珍しく顔を曇らせて悲しげな表情になる。そうだ、彼女は先週も『お前は鵠沼盾二に勝つ必要など無い』と言っていた。どうやら彼女にとって、俺が盾二に勝負を挑むことは喜ばしくないことのようだ。

 だけどそれは、もしかしてこういうことなのか?


「なあ、もしかして町針さんは『お前が盾二に勝てるわけが無い』って言いたいのか?」

「……」

「だとしたら俺も黙ってはいられないぞ。確かに俺は盾二のような天才ではないけど、いつか必ずあいつに……」


「そうではない」


 俺の言葉は遮られ、代わりに町針さんが言葉を続けた。


「勝つ負けるの問題ではない。そもそもお前と鵠沼盾二は戦う必要が無いのだ。お前はただ私の側にいてくれればいい。それがお前の本来の姿だ」

「戦う必要が無いってなんだよ? 戦う前に勝負はついてるって言いたいのか?」

「違う。言葉通り、『戦う必要が無い』。それだけだ」

「……?」


 今までも俺に『無謀な挑戦は止めろ』なんて同情めかした言葉をかける人間はいた。その度に俺はその言葉をバネにして走りの練習に打ち込んでいた。だけど『戦う必要が無い』というのはどういうことだろう?


「つまり私は本来戦う必要の無い相手に戦いを挑み続けているお前を救いたい。それが私の当面の目的だ」

「意味がわからないな。俺と盾二が戦う必要が無いってどういうことだよ?」

「そうだな。では逆に質問するが、お前はなぜ鵠沼盾二に勝ちたいのだ?」

「それは……」


 改めて聞かれると、理由を言葉にしにくい。ただ盾二が俺より優れているのが気に入らないからだろうか。それもあるんだろうけど、やっぱり俺が盾二の兄貴であることが大きい気がする。


「多分……俺は盾二と対等でいたいんだと思う」

「ほう?」

「あいつは天才だからさ。やっぱり敵も味方もあいつのことをよく見てないんだよ。皆が見ているのは『天才少年』であって、『鵠沼盾二』という一人の人間じゃない。だからせめて俺だけはあいつと肩を並べていたいし。兄としてあいつを放っておけないんだと思う」


 言った後で、少し綺麗事すぎる気がした。兄としてあいつと対等でいたいという気持ちはもちろんあるが、やはり俺は盾二に勝って、『鵠沼剣一』としての自分を確立させたいという気持ちの方が強いのだと思う。


「やはり許せんな、鵠沼盾二は」

「え?」

「お前にそんなことを言わせる鵠沼盾二が、私は憎い。だが近い内にヤツも行動を起こす。その時に私も動かねばならんな」

「……?」


 なんだ? 今の俺の言葉に怒っているみたいだけど、一体何が町針さんの怒りに触れたのだろう。


 そう思いながらも町針さんはその後黙ったまま弁当を食べ続け、教室を後にしてしまった。



「ただいま……」


 授業と練習を終えて、俺は自宅に帰ってきた。一応挨拶はしたものの、父さんは家には滅多に帰ってこないし、盾二は中学の寮で生活している。そして母さんは盾二を生んだ直後に亡くなったと聞かされている。俺はあまり覚えてはいないが。

 つまり挨拶をしてもそれに返してくる人間はいないのだ。本来は。


「おかえり、兄さん」

「盾二……」


 しかし予想に反して、食卓に使われているテーブルの横に座っている盾二が俺に挨拶を返してきた。家でもきっちりとした姿勢を崩さないためか、その姿はまるで仕事場にいる大人のようにも感じられる。


「家に帰ってたのか」

「うん、やることが一段落したから一度家に帰っておこうかと思って」

「やること?」

「今度生徒総会があるから、それに関する質問とその答えを纏めてたんだ。生徒である僕の力なんてそんな大きくはないけど、やれることはやっておきたいからね」

「そうか……」


 盾二は中学で生徒会長を務めているそうだ。なんでも問題のある学校の規則を是正するために、発言権を強める必要があるのだとか。大勢の前でスピーチをする経験も積んでおきたいとも言っていた気がする。

 普通の人間が生徒会長になったとしても単なる生徒の代表で終わるだろう。しかし盾二が生徒会長ならば、大人顔負けの論理で生徒を纏め上げ、教師とも対等に話すことが出来るのは想像に難くない。盾二はそれだけの能力を持っている。


「色々忙しいだろうけど、無理はするなよ?」

「はは、兄さんらしいね。ありがとう」

「あ、そうだ」


 俺は久しぶりに盾二と二人きりになったので、あることを質問することにした。


「お前、彼女とは上手くいっているのか?」


 半年ほど前、盾二が突然『彼女が出来た』と俺に伝えてきた。確かに盾二に言い寄る女子はそれこそ大勢いるようだったが、盾二本人はあまり恋愛に興味が無さそうだったので、それを知った時はかなり驚いたのを覚えている。


「……いや、もう別れたよ」

「え、そうなのか?」

「うん、残念だけどね。他に好きな人が出来たんだって」

「それって……お前の方が振られたのか?」

「まあ、そういうことだね」


 おいおい、盾二を振るってどれだけ理想の高い女なんだよ。絶対後悔するだろそいつ。


「でもまあ、お前もそこまで気にするなよ。お前だったらすぐにまたいい女子と巡り合えるだろうからさ」


 そう言って俺は自分の部屋に行こうとした。


「あ、待って兄さん。ちょっと話があるんだ」


 だがそんな俺に盾二が声をかける。よく考えてみれば、盾二の方から俺に声をかけるのは珍しいことだ。


「どうした?」

「うん、兄さんといつもやっている勝負のことなんだけどさ……」


 そして盾ニは、俺の顔を見ずに言った。



「あの勝負、もう終わりにしないかな?」



 一瞬、思考が停止した。盾二の言っていることの意味がよくわからない。

 勝負を終わりにする? つまりどういうことだ?


 俺はもう、盾二に勝つことが出来ない?


「な、んで、だよ……」

「……」

「なんでそんなことを言うんだ? おい! もしかして勝ち逃げか? それとも俺はお前に勝てないって言いたいのか? お前はやっぱり俺を見下していたのか?」


「そうだよ」


「……!」


 盾二は尚も俺の方を見ずに、持っている文庫本から目を離さない。それが無性に腹立たしかった。


「そもそもさ、兄さんが事あるごとに僕に勝負を挑んできたの、正直鬱陶(うっとう)しかったんだよね。勝てるはずもない無駄な挑戦をいつまでも続けちゃってさ。そんな暇があるなら自分の分を弁えてそれ相応の生き方をする方が建設的だよ」


 声が出てこない。いや、息をすることも出来ない。

 初めて聞いた盾二の本音。いや、何かの間違いだ。盾二は俺を奮い立たせてくれたんだ。あの盾二がこんなことを言うはずがない。


「お前が、お前が俺に何か一つでも勝ってみせろって言ったんじゃないか! 今の俺があるのはお前のおかげだし、俺が挑み続けられるのもお前のおかげなんだ! まさか、全部嘘だったのか!? お前はずっと俺を陰で笑っていたのか!?」

「今更気づいたの? そうだよ、全部嘘だよ。無駄な努力を続ける兄さんが見たかったから、からかっただけ。だけどそろそろ飽きたからネタバラシしたってことだよ」

「そんな……」


 足に力が入らず、その場に崩れ落ちる。今まで見ていた盾二の姿は全て幻想だったのか? 天才で、性格もそれに見合った高潔さを持ち合わせていたのではなかったのか?


「やっぱり兄さんはその場に座り込んでいるのがお似合いだよ」


 その言葉を最後に、盾二は俺から離れていった。

 そして座り込んだ俺は、盾二に嫉妬だけしていたあの時に 完全に戻ってしまっていた。

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