第五話 二択の質問
俺と市倉は校庭をしばらく走り回っていた。しばらく二手に分かれて探した後、市倉から連絡が入る。
『剣一、町針さんを見つけた! 体育倉庫の裏だ!』
「わかった、すぐに行く!」
市倉からの連絡を受けて、体育倉庫へ走る。足を痛めていたことを思い出すが、そんなことを言っている場合ではない。ここで町針さんを助けられなければ、盾二に勝つ以前の問題だ。
体育倉庫に行くと、裏手を伺っている市倉を見つけた。
「市倉、状況はどうなってる!?」
「しっ! 今ちょっとまずいことになってる。大声を出すな」
「まずいこと……?」
市倉に促されて体育倉庫の裏手を見る。
そこには地面に座り込んでいる村瀬と、それを取り囲んでいる不良たち。さらに彼らに対峙している町針さんがいた。
「お、遅かったか……」
「いや、まだ町針さんはここに来たばかりみたいだ。様子を見よう」
「しかし……」
「危なくなったら助けに入ればいい。とにかくここで俺たちが介入して事態が混乱するのはまずい」
市倉の言う通り、ここで俺たちが介入して不良たちを刺激するのもまずいかもしれない。しばらく様子を見ることにした。
「おい、なんだよアンタ。何か文句あるのか?」
不良の一人が、町針さんを睨みつける。男子だけあって、彼女より背は高い。
「アンタ、三年の町針先輩だよな? 俺たちここで遊んでるんで、よそに行って欲しいんだけど」
まずいな、もう一触即発の状態だ。助けに入った方がいいか?
「お前たちに用は無い。私が用があるのは、そこに座り込んでいる男だけだ」
「ああ? 村瀬に用? ひょっとして告白でもすんの?」
「おいおいマジかよ。あの町針楓が、こんなブサイクが趣味なのかよ! こりゃ見物だな」
「面白いじゃん、見ててやるからしっかりと告白しろよ?」
不良たちがゲラゲラと笑いながら道を開ける。さらには携帯電話を取り出して撮影の準備を始めた。おそらくメールか何かで仲間に送るつもりだろう。
「おい、早く告白しろよ! しっかりと写真と動画撮ってやるからさ!」
「お熱い二人のベストシーンを早く見せろよ!」
町針さんははやし立てる声など聞こえていないかのように村瀬に近づく。当の村瀬は砂で汚れたその脂っぽい顔をひきつらせながら町針さんを不満そうに見ていた。
「ちょ、ちょっと! ぼやっと見てないで早く僕を助けてよ!」
村瀬は相変わらず助けに来た町針さんに感謝の言葉をかけることもなく、それが当然かのような発言をした。
「なんでもっと早く助けに来ないんだよ! そんなに皆僕のことが嫌いなのかよ! どうせ僕なんか……!」
「黙れ」
町針さんが村瀬に冷たく言い放ったかと思うと――
「がっ!?」
小さく乾いた音と同時に村瀬の顔が左に吹き飛び、地面に体を横たえた。
「え……?」
なんだ今のは? 俺の目が確かなら……
町針さんが、村瀬を殴った?
俺も市倉も不良たちも、予想外の光景に言葉を失っている。写真を撮る電子音は未だにこの場には鳴り響かない。
どういうことだ? 町針さんは俺の願いを、村瀬へのイジメを止めると言った。なのに何でイジメを受けている村瀬を殴るんだ?
「村瀬栄華だな?」
「あ、ひ……」
町針さんがしゃがみ込んで、倒れている村瀬の髪を引っ張り強引に顔を自分に向けさせる。髪を捕まれている村瀬は涙目になっていたが、町針さんは容赦なく村瀬の髪を掴んだままその顔を地面に叩きつけた。
「はぎぃ!?」
「二択の質問には『はい』か『いいえ』で答えろ。もう一度聞く、村瀬栄華だな?」
「は、はひぃ……」
地面に顔を叩きつけられたことで、村瀬は鼻から血を流した見るに耐えない顔になっていた。しかしそれを見て笑う者はこの場にはいない。この異常な状況に、そんな選択肢は思いつかなかったからだ。
「よし、お前に二つの選択肢をやろう」
「え……?」
「選べ。学校を辞めるか、それともこの場で私に殺されるか」
その声は特にこわばってもなく、冷たく威圧感のあるものでもなく、どこまでも淡々としたものだった。しかしその事実が、逆に俺たちの肝を冷やした。
町針さんの言葉が冗談でも狂言でもなく、純粋に村瀬にニ択を迫っているということがありありとわかったからだ。
「い、いやその……」
村瀬自身も町針さんに大きな恐怖を抱き、言葉を失っている。だがそんな村瀬の頭が再度地面に叩きつけられた。
「ぐぶっ!」
「お前に与えられた選択肢は二つだ。それ以外は認めていない。答えないのであれば後者を選んだとみなし、この場でお前を殺す」
そう言うと町針さんは胸ポケットから万年筆を取り出した。
「今から三つ数える。それまでに答えなければこの万年筆をお前の首に叩きつける。この鋭さと今の体勢なら、お前の頸動脈を貫くことくらいは出来るはずだ」
「や、やめて……」
「ひとつ……」
「あ、ああ……」
「ふたつ……」
町針さんは二つ数えたところで万年筆を持った腕を振り上げた。彼女は、本気だ。
「み……」
「や、辞めます! 学校を辞めます! だから、だから殺さないでぇ!!」
村瀬の涙ながらの叫びがあたりに響いた所で、町針さんは万年筆を再び胸ポケットに仕舞った。
「そうか。今の言葉を忘れるな。もしこの学校で再び私がお前の姿を見ることがあれば」
「ひっ!」
そして町針さんは人差し指を村瀬の首に突き立てた。
「『殺害』する。今度こそお前を。それを頭に刻み込んでおけ」
「は、はひぃ……」
そしてようやく町針さんは村瀬から手を離した。
「邪魔したな。聞いての通り村瀬栄華は学校を辞める。お前たちは別のターゲットを探せ」
町針さんは不良たちにそう告げると、彼らから離れて俺たちのいる体育倉庫の角まで来た。
「ん、見ていたのか剣一。心配せずともお前の願いは今叶えたぞ」
「どういうつもりだ……?」
「何だ?」
「どういうつもりだよ! 俺は『イジメを止めろ』って言ったんだぞ! 何で村瀬を追いつめたんだよ!」
そうだ、町針さんの行動は意味が分からない。何で虐められている村瀬をあそこまで追いつめる必要があったんだ。
「何を言っているのだ剣一。お前は確かに『イジメを止めろ』と言ったな」
「だから、なんであんなことを!」
「村瀬栄華がいなくなれば、自動的に奴へのイジメは無くなるだろう?」
……ちょっと待て。町針さんは何を言っているんだ?
村瀬がいなくなれば確かにイジメは無くなる。だけどそれで解決したなんて言えるはずが……
『村瀬 栄華へのイジメを止めてみろ。一週間以内にだ』
いや、そうだ。確かに俺は『イジメを解決しろ』ではなく、『イジメを止めろ』と言った。村瀬がどうなろうとイジメそのものが止まれば町針さんは俺の願いを叶えたことになる。
だけど、普通こんなことをしようとは思わない。俺が望んでいたからと言って、一人の人間を殺そうとしようなどとは。
「心配するな、お前の名前は出さない。あくまで私の独断だということにしておいてやる」
「そ、そういう問題じゃないだろう!」
「だが私はお前の願いを叶えた。約束は守ってもらおう」
「約束……? あ!」
『ほう? その村瀬という生徒に行われているイジメを止めれば、私を下僕として認めるのだな?』
『……やれるもんなら、やってみろよ。この写真のこの部分に写っているのが村瀬だ』
そうだ、俺はこいつを下僕と認める約束を……
だけど、この町針楓という女は危険すぎる。本当にこの女は俺のためなら何でもするつもりだ。そんな奴を野放しにして大丈夫なのか?
もしかしたら、俺が彼女を制御するべきなのかもしれない。そうすればこれ以上の混乱は無くなるはずだ。
「……わかった。アンタを下僕として認めるよ」
「ほう、そうか、そうか! 遂にその気になってくれたか!」
「だがアンタを下僕にしようと俺の目的は変わらない。俺は盾二に俺だけの力で勝つ。アンタの力は借りない」
「ふむ、お前はやはりそう言うのだな。ならば言ってやろう」
町針さんはまたしても俺に顔を近づける。
「お前は鵠沼盾二に勝つ必要など無い。ただ私を従えていればいい」
その言葉は、まるで決定事項のような淡々としたものだった。