第三話 下僕の責務
練習の後にはいつも通りの午前の授業を受けた。そしてその後の昼休み。
「おう剣一、学食行こうぜ」
「ああ」
俺はクラスメイトの市倉 街路に声をかけられた。そういえば市倉って、三年生の女子と付き合ってるらしいな。もしかしたら三年生のことにも詳しいかもしれない。
「なあ、市倉」
「なに?」
「お前、三年の町針って女子知ってるか?」
だが町針さんの名前を出した途端、市倉の目が見開かれた。
「お前、町針先輩知らないの?」
「え?」
「成績自慢で有名だぞ。模試でも全国上位に入るらしいし、何でこの学校に入ってきたのか不思議なくらいだ」
「そ、そんなすごい人なのか?」
「まあ、お前の横には盾二がいるからピンと来ないかもしれないけどさ。俺は正直、町針先輩も『天才』の範疇に入ると思うぜ」
「そうなのか……」
その言葉を受けて、俺は改めてなぜ町針さんがあんなことを言ったのかを考える。
もしかしたら昨日の彼女の言葉は何かの気の迷いだったのではないか。頭のいい人も時々妙な行動を取ることだってあるだろう。今頃顔を赤くして、自分の行動を後悔しているのではないか。そう思っていた。
「こんにちは剣一。下僕である私が主人との昼食を所望する。つき合え」
……いきなり俺の机の前に現れた町針さんがこんなことを言うまでは。
彼女は昨日と同じように、首輪型のチョーカーを巻いている。先ほどの言動とそのチョーカーのおかげで、俺のクラスメイトたちがざわつくのがわかった。
「……さて、食堂に行きますか」
俺はわざとらしく大声を出しながら、町針さんを見なかったかのように立ち上がって教室を出ようとした。
「待て。下僕である私を置いて、一人で昼食とはいい度胸じゃないか」
しかし町針さんに腕で制され、立ち止まざるを得なかった。……というかこの人、自分のことを『下僕』って言う割には妙に態度が尊大だな。こちらの意図を全然察しないし。
しかしそう考える俺をよそに、町針さんは机の上に二人分の弁当箱を置いた。……あれ、これってもしかして?
「あの、これは何ですか?」
「見てわからないのか? お前と私の弁当だ」
「……まさか、俺にこれを食べろと?」
「それ以外に何がある」
クラスメイトがこれまで以上にざわつくのがわかる。なんだこの拷問に近い扱いは。
「どうした剣一、下僕である私が作ってきた弁当が食べられないのか?」
「逆になんで食べないといけないんですかねぇ!?」
「お前は私の主だからだ」
「……」
何の迷いも無く断言されては俺はもう何も言えない。それに折角作ってくれたのなら食べないのも悪いし。くそ、この弁当を食べるしかないのか……
「ええい!」
俺は仕方なく、俺の手前に置かれた弁当箱を開いた。そこには……
「おお……」
ほうれん草のお浸しや、春巻きと一口ハンバーグ。そしてカボチャの煮物といった色とりどりのおかずとご飯が入っていた。
「あ、あの……」
「どうした? 遠慮せずに食べろ」
「い、いただきます……」
箸を持って恐る恐る春巻きを口の中に運んでみる。うん、おいしい。ここは褒めるべきなのだろうか……
「お、おいしいですね、この春巻き……」
「冷凍食品だからな、美味いのは当然だ」
「……こ、このカボチャもおいしいですね」
「それはスーパーで売っていた総菜だ」
「……このハンバーグ」
「それも冷凍食品だ」
「……」
……手作りじゃないのかよ! 褒めづらいだろ! なんでこの人はこちらが言葉に詰まることしか言わないんだよ!
「しかし料理というのはなかなか楽しいものだな。これからもお前に弁当を作ってやろう」
冷凍食品を詰めた弁当を作ることを料理と言い切ったよこの人!?
「さて、楽しい昼食の時間が過ぎる前にお前に質問をしておこう」
「……なんですか?」
「鵠沼 武雄は元気か?」
町針さんの口から出たその名前に、俺の箸が止まる。
俺の父親である鵠沼 武雄はいわゆる地方の名士と呼ばれる人間で、十年前からは経営していた会社を叔父さんに任せて県会議員を務めるようになっていた。そのためか自分の後継者となる人間を強く欲していて、まさに盾二はそれにうってつけの人材だった。
そして俺は、単なる盾二の予備であった。
盾二が興味のある本が欲しいと言えば父親は直ぐにそれを取り寄せたし、盾二は塾に通わなくとも優れた成績を出せるとわかると、彼の意志を尊重して自由に勉強をさせた。しかし俺は勉強も運動も突出した才能を持たなかったので、父親は次第に俺に期待を寄せなくなっていった。
盾二の作文が新聞に載ったり、一年だけやっていた体操競技で県大会を制したときなどは父親は盾二をこれでもかと褒め讃え、『さすが父さんの息子だ』と嬉しそうに言っていた。しかし俺が珍しくテストでいい点を取ったとしても、『そんなことで喜ぶな。盾二はもっと優れた結果を出しているぞ』と褒めることはしなかった。
俺はあまり父さんにいい感情を抱いていなかった。当然だ、父さんが俺を褒めたことなんてないのだから。
だから町針さんが父さんの名前を出したこと疑問を感じながらも、少し苛ついてしまった。
「……なんでアンタに父さんのことを探られないといけないんだ?」
「決まっている、私はお前の下僕だからだ」
「いい加減にしてくれ、町針さん。アンタが何のつもりか知らないが、俺は下僕なんて従える気はない」
「ほう? ならお前は鵠沼盾二に負けてもいいのだな?」
「なんでそういうことになるんだよ?」
「鵠沼盾二は『カリスマ』だ。その気になれば下僕など何人も従えることが出来る。一方でお前は私以外に下僕を従える当てはない。この時点で既にお前と鵠沼盾二には決定的な差があるのだ」
「……俺は、そんなことで盾二に対抗する気はない」
「そうか、ならはっきり言ってやろう」
町針さんはそう言うと顔を少し上に上げて、俺を見下す体勢になった。
「私を下僕にしないのであれば、お前は鵠沼盾二によって破滅する」
……流石にその言葉を聞き流せるほど、俺は人間が出来ていなかった。だから思わず叫んでしまう。
「ふざけるな! アンタに俺と盾二の何がわかる! アンタなんていなくとも、俺は盾二に勝ってみせるさ!」
「いいや、無理だ。なぜなら鵠沼盾二は近い内に多くの下僕を従えて行動を起こすからだ。そうなったらお前一人では勝ち目はない。私という下僕を従えない限りはな」
「盾二が、行動を起こす……?」
町針さんの言っている意味がわからない。盾二がどういう行動を起こすと言うのだろうか。
「……今はまだその話はいいだろう。さて、お前はまだ私が下僕になることに疑問を抱いているようだな」
疑問も何も、下僕を従えるつもりは無いとさっきから言っているのだが。
「ならばこうしよう」
困惑する俺をよそに、町針さんは人差し指を立てる。
「『成就』させよう、お前の願いを。下僕の責務としてな」
「ね、願い?」
「そうだ。どうせお前は鵠沼盾二には自分の力で勝ちたいと言うのだろうから、それ以外の願いを一つ言え。私が叶えてやろう」
「願い、ねえ……」
「一応言っておくが、私を下僕にしたくないという願いも無しだ」
「う……」
企みを見事に見透かされた俺は考える。
盾二に勝つ以外の願いと言われても直ぐには思いつかない。悩む俺に対し、町針さんはため息を吐きながら立ち上がった。
「ふん、やはりお前はまだ鵠沼盾二のこと以外は眼中にないのか。わかった、明日まで待ってやる」
そう言うと町針さんは、クラスメイトの壁をかき分けて教室を出ていった。彼女の姿が見えなくなってから、市倉が俺に声をかける。
「お、おい、お前いつの間に町針先輩と付き合ってたんだよ!? すごいなお前!?」
「……今の会話が、付き合っている人間同士の会話に聞こえたのか?」
「そう言われればそうだけどよ……でもシチュエーションとしては付き合っているとしか思えないんだけど」
「それは、まあ……」
確かに端から見れば付き合っているようにしか見えないよなあ……
「それより剣一、お前願い事って何を叶えてもらうつもりなんだ?」
「そんなのわかんねえよ。特に願い事なんてないし」
「……あのさ、その様子だとお前は町針先輩とはあまり関わりたくないんだよな?」
「ああ。正直早く関係を切りたい」
「それなら、こうしたらどうだ?」
そう言って市倉はある提案を告げてきた。
この時の俺は、その『提案』がさらなる混乱を招くことをまだ知らなかった……