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第十六話 プレッシャー


 僕には幼い頃の記憶が少ない。聞くところによると、僕は幼い頃は体がすごく弱かったらしく、あまり外で遊べなかったそうだ。

 だけどその少ない記憶の中で、唯一はっきりと覚えていることがある。体の弱い僕が、必死で歩こうとして転んでしまい、泣きわめいていた時の記憶。その泣きわめいていた僕の手を取り、励ましてくれた人の記憶。


『泣くな。お前のことは兄ちゃんが守ってやる』


 その言葉、その姿、その全てが僕にとっては頼もしくて……同時に怖くもあった。

 だけど僕――鵠沼盾二にとって、たった一人の兄である鵠沼剣一の存在は決して小さくはないことを実感したのは、間違いなくこの時だった。


 それから数年後。

 成長した僕は、病気がちであったのが嘘なのかと思うほどに体が動くようになった。僕はそれが嬉しくて仕方が無く、色々なスポーツや様々な分野の学問に興味を持った。

 もちろん、初めはスポーツも勉強も上手くはいかなかった。だけど僕は、どうやったらそれらをもっと上達させられるかを考えるのが楽しかった。周りの子供たちよりも、夢中になっていたという自負もあった。その甲斐があったのか、僕はいつのまにかあらゆる分野で賞を取ったり、周りから認められるようになっていた。

 こう言ってしまえば反感を買うとは思うけど、僕はおそらく同世代の子供たちよりも能力が高かった。だけどそれは僕が優秀な人間だということではない。僕はたまたま過去の境遇から様々なものに興味を持ちやすく、それを楽しめる人間だったというだけの話だ。もちろん僕だって、何かを上達するための努力を怠ってはいないし、『この分野ではこの人には敵わない』と思ったことはあった。それでも僕は楽しかったから、努力を続けることが出来た。


 だけど周りの皆は、僕を勝手に持ち上げて距離を置いた。


 僕は周りから嫌われているわけではない、むしろ好かれている方だと言い切れる。だけどその『好き』は、友達に向けるそれとはまた違ったのだ。

 皆は僕が何の努力もせずに、優れた結果を出せると思っている。自分とは違う、もっと異質な生き物だと思っている。だから皆は僕から目を離せない。僕に関わらないという選択が出来ない。

 

 そして僕に関わった者は、僕の敵か、僕の味方か、そのどちらかにしかなれないのだ。

 僕の周りには僕を崇めるか、もしくは疎ましく思うかのどちらかの人間がほとんどを占めていた。


 だけど、兄さんだけは違った。兄さんも小学生の頃は僕に嫉妬していた人間の一人だったが、僕が何気なく言った言葉が、彼を奮い立たせる結果となった。


「兄さん、弟である僕が自分より優れているのが悔しいのなら何か一つでも上回るところを作ればいいじゃないか。それが出来ないなら一生そこで座り込んでなよ」


 僕としては、勝手に嫉妬されることに腹が立って当てつけ同然に言った言葉だった。だけど兄さんはそれから、僕を超えるために走りの練習を始めたのだ。

 初めはそれが嬉しかった。兄さんは僕を遠くに置いてはいない。僕をただの人間だと扱ってくれる。やはり兄さんは僕にとって特別な存在なのだと改めて感じた。

 僕としても勝負を挑んでくる兄さんに対しては全力を出すことが礼儀だと考えた。だから隠れてランニングの練習を続けていた。その甲斐あって、僕は兄さんとの幾多の勝負に勝つことが出来た。全力を出して僕に挑んでくる、兄さんに勝てたことが嬉しかった。


 だけど次第に、僕は兄さんとの勝負が怖くなっていった。


 兄さんはいくら僕に負けても、諦めずに勝負を挑んでくる。文字通り、全力で後ろから追い上げてくる。そのことにプレッシャーを感じないほど、僕は人間離れはしていなかった。

 それに、もし僕が兄さんに負けたらどうなるのだろう? 兄さんは僕を超えてしまったら、もう僕のことを見てくれなくなるのではないか。皆と同じく、遠いところに行ってしまうのではないか。それを考えると、尚更兄さんには負けられなくなった。

 しかしどうあっても、兄さんの方が走りに関しては練習量が多い。事実、勝負の度に僕と兄さんの差は縮まっていく。僕は外面では何でもないように振る舞っていたが、勝負に勝つ度に心の中で安堵していた。

 だけど僕の限界は近かった。兄さんに負けたくない。兄さんに置いて行かれたくない。だけど、僕を『天才少年』としか見ない皆には、こんなことは相談できない。誰にも頼れない。


 僕の心がプレッシャーで押しつぶされるのも時間の問題だった。だけどそんな時、『あの人』に出会ったのだ。



 それは、僕が中学二年の十二月のことだった。いつものように兄さんと勝負をして、いつものように僕が勝利した。

 僕と兄さんの勝負は兄さんの学校でも有名になっていたようで、沢山のギャラリーが僕たちを応援していた。そしてその中に、『あの人』がいたのだ。

 話が逸れるが、僕はそれまで、一目惚れというものが存在することを信じていなかった。恋愛というのは、お互いが相手のことをよく知った上で初めて成立するものだと考えていたからだ。一目惚れというものは、テレビでアイドルに好意を持つのに近い感情だと思っていた。

 

 だけど僕はその時、『あの人』――町針楓を見て、間違いなく一目惚れをしてしまった。


 当然のことながら、僕は当時、楓さんが何者かを知らなかった。兄さんの学校の制服を着ていたから、そこの生徒なのはわかっていたが、それ以外は何もわからなかった。だけど僕と兄さんの勝負を見ているくらいなのだから、僕の名前くらいは知ってくれているのではないかと、淡い期待を抱いていた。

 僕は兄さんの学校を訪れる度に、生徒から少しずつ彼女の情報を聞き出していった。そして、彼女がいつも僕と兄さんの勝負を見ていること、兄さんより上級生であること、現在お付き合いしている相手はいないことなどを知った。

 情報を聞き出す際に、相手から不審がられることはなかった。さらには、僕が年上の女性に好意を抱いていることすら疑われなかった。それほどまでに、皆からは『鵠沼盾二』という存在は人間離れしているらしい。

 だけどその時の僕には、そんなことはどうでも良かった。楓さんの情報を知る度に、ますます彼女のことが気になっていったのだ。一度も話したことすら無かったというのに。

 そして僕は覚悟を決め、二学期が終わる時期に合わせて楓さんを呼び出してもらい、自分を紹介することを決めた。向こうも僕のことを多少なりとも知っている可能性に賭けたのだ。

 今でも覚えている。兄さんの学校の校門の脇に現れた楓さんは、近くで見るとより魅力的だった。女性としては少し高めの身長。クールな印象を受ける美貌。制服を着崩さず着こなす姿。その全てが、僕を夢中にさせたのだ。


「ふむ、まさかあの鵠沼盾二本人から呼び出されるとはな」


 楓さんは初対面だというのに、尊大な口調で僕に話しかけた。少し驚いたのは事実だったが、それくらいでは僕の楓さんに対する好意は揺るがなかった。


「初めまして、鵠沼盾二です。兄が、この学校に通っていまして……」

「前置きはいい。私に何か用があるのだろう? 早く本題に入れ」


 突き放すような言葉から、これは望みの薄い勝負かとも思ったが、僕は思いきった。


「では端的に言います。町針楓さん、僕はあなたのことが好きです!」


 言った。ついに言った。努めて冷静に言葉を紡いだつもりだったが、よくよく考えたら初対面でいきなり告白をするなど、失礼にもほどがあった。

 自分の失敗を悟った後に、おそるおそる楓さんの顔を見ると……


「……ほう?」


 彼女は笑っていた。こちらからの告白に対して微笑んでいた。その表情に何か含みのあるものを感じたが、その時の僕はこう思った。


 僕の告白を、好意的に受け止めてくれている。

 

 いける、これはいける。確信した僕は畳みかけた。


「なのでお願いです! あなたとお付き合いさせてください!」


 鵠沼盾二、十数年間の人生の中で最も緊張した瞬間だった。頭を下げた僕に対し、楓さんは尚も黙ったままだ。顔を上げてみると、彼女は何か考え込んでいるようだった。

 やはりダメだったのだろうか。しかしこの次に彼女から出た言葉は……


「『承諾』しよう。お前の告白を」

「え……?」

「鵠沼盾二、私はお前と付き合うことを受け入れると言っているのだ。不服か?」

「い、いいえ! ありがとうございます!」


 月並みな表現だが、天にも昇る気持ちとはこのようなことを言うのだろう。それほどまでに、この時の僕は『天才少年』とは思えないほどに浮かれていた。


 でも僕はまだ気づいていなかった。



 楓さんのあの時の微笑みは、僕を地獄に突き落とすためのものだったことに。

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