第十二話 代弁者の暴走
「ん……」
目を覚ました俺は、一瞬自分のいる場所が何処なのかわからなかった。俺の部屋とは違う、白を基本とした女の子っぽい部屋。これは俺の趣味ではなかったはずだ。
「ああそうか……町針さんの家におじゃましてたんだっけ……」
そう呟いて、昨日のことを思い出す。俺は町針さんに強引に家に連れてこられ、電話や服を奪われて、仕方なく布団を借りて寝てしまったのだった。
「おや、起きたか剣一」
寝ぼけ眼で周りを見回していた俺に、台所から声がかけられた。茶色いサイドアップの髪型と、白いパジャマ姿の女性。
そう、この家の主、町針楓だ。
「今、朝食を作っているところだ。起きたのなら顔を洗ってこい、学校に遅刻したくはないだろう?」
「あ、ああ……」
彼女に促されるまま洗面所に向かい、冷たい水で顔を洗って気持ちを引き締める。そして同時にこれからのことを考える必要があることを思いだし、思考を巡らせた。
まず俺の目的は、盾二を説得して『異端者狩り』をどうにかして止めることだ。あいつがどういう考えで何の目的で『異端者狩り』を計画したのかは、今の時点では知りようがない。確実なのは、このままでは何かよくないことが起こるということだ。
盾二を説得するには、あいつに直接会わないといけない。そしてそのためには、あいつの同級生である勝呂さんの協力が不可欠だ。だから俺は何としても町針さんの監視の目をかいくぐり、彼女と連絡を取る必要がある。
チャンスがあるとすれば、学校に行った後だ。いくら町針さんでも、授業中まで俺を監視するとは考えにくい。なので授業を何かしらの理由で抜け出すか、もしくは昼休みに学校近くの電話ボックスから勝呂さんに連絡を取るのが得策だ。
「剣一、朝食が出来たぞ。早く来い」
考えを纏め終わったと同時に、町針さんが俺を呼んだ。よし、やることは決まった。あとは行動に移すだけだ。決意を固めた俺は洗面所を出て居間に戻る。
「さて、今日はオーソドックスな朝食を作ってみた。遠慮せずに食べるがいい」
「……」
食卓に並べられた料理は意外にも、昨日のように非常識な内容ではなかった。こんがり焼かれたトーストにベーコンエッグ、葉物を中心としたサラダが俺の食欲をそそる。昨日の夜に食事をとっていないのだからなおさらだ。
「い、いただきます……」
己の食欲に促されるままに、食卓のうえのトーストにかぶりついた。
うん、おいしい。薄く塗られたマーガリンがトーストの旨さを引き立てている。ベーコンエッグもサラダも、今日一日の活力源となるにふさわしい量だ。
……そういえば、こんなに味わいながら食事をするのは久しぶりかもしれない。いつも俺は家では一人で食事をしていたし、昼休みだって練習の時間がもったいないから弁当をゆっくり食べている暇がなかった。
だけど今日の食事は、町針さんが作ってくれた料理を、彼女の家で食べている。気のせいか、俺の心の穏やかさに比例するように、時間がゆっくり進んでいると感じられた。
「どうした剣一?」
俺がほころんだ顔をしていたせいか、町針さんが不思議そうにのぞきこんでくる。
「いや、学校以外で誰かと一緒に食事をするなんて久しぶりだと思ってさ……家には盾二はいないし、父親も滅多に帰ってこないからな……」
俺としては何気なく言った言葉だった。
だが何故か町針さんは、その言葉を聞いて固く目を閉じて何かを悔やむような顔をしていた。
「ど、どうしたんだ?」
「そうか、お前はそんなに寂しい思いをしていたのだな」
「え?」
「一つ聞く。お前は家族との時間は重要だと思うか? 家族と一緒に過ごすという当たり前の幸せを大切だと思っているか?」
「え、えーと……」
突然の質問に少し戸惑うが、頭に浮かんだのは盾二の顔だった。そう、俺は盾二の兄として、家族として、あいつの真意を知りたい。そしてもう一度、家族として対等に接したい。
だから俺は、こう答えた。
「俺は、家族を大切だと思っているよ。だからもう一度、一緒に過ごしたい」
そして町針さんは、それを聞いて柔らかな微笑みを浮かべた。
「そうか。やはり私は間違っていなかったのだな」
「ん?」
不思議なことを言いながら、町針さんは俺の頬に手を当てる。
「お、おい?」
「安心しろ剣一。もう少しだ、もう少しで私たちの望みが叶う。その時こそが……」
何だ? 何を言ってるんだ? 私たち?
「……しまった、もうこんな時間か。急がないと学校に遅刻してしまうぞ」
「あ、ああ……」
聞き返そうとしたが、タイミングを失ってしまったので聞きそびれてしまい、俺もそのことを忘れてしまった。
そしてその後、学校に着いた俺たちは一緒に登校していたところを市倉に見られて冷やかされた。
「おいおい剣一、お前ついに先輩と一緒に登校するようになったのかよ?」
「いや……これには訳があって……」
「そうなのだ。剣一に付きまとうイレギュラーが現れてな。私の家で匿っていたのだ」
「え? 家で?」
「ええい! アンタは黙ってろ!」
目を丸くする市倉をよそに、町針さんは俺に向き直った。
「さて剣一。これから授業ということで別行動となるが、お前は何も心配しなくていい。私がいつでもお前を守ってやる。だから安心していなさい」
「……なんかもうアンタ、お母さんみたいになってきたな」
「母か……少し惜しいな。私はお前の……」
「あー、わかったわかった! 安心して授業を受けてきますよ!」
放っておいたらまた『下僕』などというワードを出されそうだったので慌てて止め、俺は市倉と共に教室に向かうことにした。
そして午前の授業が終わった昼休み。
「おい、けん……」
「悪い市倉! ちょっと用事があるから出てくる!」
「お、おう……」
俺は昼休みになると同時に教室を走って抜け出し、学校近くの電話ボックスに駆けこもうとした。だがそこでふと、一つの考えが頭をよぎる。
「待て、こんな学校から近い電話ボックスだと町針さんに見つかるんじゃないか?」
そう思った俺は学校からもう少し離れたところにあるコンビニを目指し、そこにある電話ボックスに駆け込んだ。そしてポケットに入れていた勝呂さんの連絡先のメモを取り出し、慎重にダイヤルする。
「頼むぞ、出てくれ……」
受話器から聞こえる呼び出し音の回数が重なる度に、俺の焦りが募ってくる。そして十回ほど呼び出し音が鳴った後に、高い声が聞こえた。
「もしもし!? もしかして、剣一さんですか!?」
「勝呂さんか? 悪い、携帯電話を町針さんに奪われてて……」
「大変なんです! 『信奉者』たちが動き出しました!」
「……なに!?」
勝呂さんは慌てた様子で俺に訴えかけてくる。
「動き出したって、何が起こったんだ!?」
「その、枕木くんを中心とした『信奉者』のグループが昼休みに突然動き出して、盾二くんに敵対する生徒たちの排除を求めて教室に立てこもったんです! しかも『敵対者』の生徒が一人、人質として捕まっています!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! そんなことが起こったのか!?」
なんだそれは? そんな一昔前の学生運動みたいなことが、現代の中学校で起こっているのか? その枕木ってヤツは、そんなに過激な生徒だったのか?
いや……違う。
枕木は盾二を信奉している。だとするとこれは盾二のための行動だ。いや、そんな生ぬるいものじゃない。
おそらくこれは、盾二の意志によるものだ。盾二は枕木を文字通り操って、こんな大がかりな行動に移させたんだ。
でもどうしてこんなことを? いや、今はそんなことを考えている場合じゃない!
「勝呂さん! 盾二は今どこにいるんだ!?」
「わかりません! 昼休みから姿を見ていませんし、教室の中に残っている様子もありません!」
「……とにかく俺は今からそっちに行く! 校門前で待っててくれ!」
「わかりました!」
突如動き出した事態に頭が混乱しつつも、俺は盾二がいるであろう中学校に急いで向かうことにした。




